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第五話 纏い惑い迷い






風が吹き木々がざわめく。丈の短い草たちが互いに擦れ合い、踏み潰された草花が悲鳴を上げる。

――タッタッタッタッタ……

周りを木々に囲まれた、森の中にポッカリと拓けた草原の中で小刻みに足音が辺りに響いた。

それに続く低い唸り声。獲物を狩らんと鋭く尖った犬歯をむき出しにして狼――フォレストウルフたちは逃げる影を追いかけた。

だらしなく涎を垂らし、力強い脚は地面に根を張った雑草を宙に巻き上げる。狼たちの眼は血走り、最早逃げるノゾミの他に何も見えてはいない。三体の群れをなした狼は一心不乱にノゾミを襲い、そんな姿をノゾミは時折振り返りながら冷静に観察していた。


(狼ってもう少し賢い動物だと思ってたんだがな……)


ノゾミの頭には慎重に獲物を追い詰め、決して無理をせずに狩りを行う狼の絵面が浮かんでいたのだが、この世界ではそうでは無いのだろう、と頭を小さく振ってそのイメージを打ち消す。頭の上に陣取ったアルルが振り落とされまいとしがみつく。


(まあ、その方が楽だから文句は無いんだ、が!)


逃げ足を急停止し、振り返ったノゾミはその手に具現化した拳銃を狼たちに向けた。

引き絞られる引き金。小さな銃口から昨日と同じ様に光が射出される。しかしそれは豆鉄砲の様な頼りない光ではない。


「キャウン!」


銃口の数倍もの大きさの光線だ。引き金を引くと同時に狼の一体の胴体を一瞬にして削りとり、高温に焼かれた肉体は血を撒き散らす事無く緑の草原に転がる。

その隙をついたつもりなのだろう。残った二体の内の一体が飛び出し、ノゾミと大差ない体を宙に踊らせた。

だがノゾミに焦りはない。


「フッ!」


鋭く息を吐き出し、体をひねる。高く挙げられた足を回転の勢いのまま振りぬく。柔らかい肉の感触が右足に伝わり、だが躊躇なく蹴り抜いた。ノゾミの体に反動は無く、ただ蹴り飛ばされた狼だけが地面を転がっていく。蹴り抜いたノゾミはそのまま滑らかな動作で銃を構えて引き金を引く。胴体だけが吹き飛ばされ、狼は頭と尻尾を残して消滅する。


「犬っころ風情になんざ負けねーよ」

「グガアアァッ!」


自分を鼓舞するためか、それとも目の前の獲物に接近を教えると考える頭もないのか。残った一体は嬉しそうに吠えながらノゾミに飛びついた。ノゾミの頭を一飲みにできそうな程に大きく口を開け、かぶりつこうとする。だが、狼が着地した時にはすでにノゾミは居ない。


(体が軽い……!)


羽が生えたみたいだ。表現が陳腐だと自覚してもそれしか言い様が無い。空高く宙返りし、頭上で地面を這いつくばる狼の姿を見ながらノゾミは自らの体に感嘆する。

ノゾミの姿を見失い、右往左往する狼に向かって銃を構えて引き金に指を掛ける。だがすぐに本来の目的を思い出して指を外した。


「シュウ、やれ!」


代わりに離れた場所で待ち構えているはずの仲間に向かって叫ぶ。


「――世界に宿りし紅きものよ 我が願いに応えて力を与え 我が敵を燃やし尽くせ!」


草原にシュウの詠唱が響く。高く幼い声で高速で紡がれる声に伴い、シュウの持つ杖の周囲が揺らいでまとう黒いローブが巻き上がる。


「フラーメ・ランツェ!」


槍状に模られた炎の矢がいくつも現れ、狼目掛けて空気を切り裂き飛んでいく。

一つ着弾。地面より立ち上る火炎。かろうじて狼はかわすが、二の矢、三の矢が体に突き刺さる。

フォレストウルフは咆哮を上げた。だがそれは声にならず、全身を覆う炎は一瞬で骨まで燃やし尽くして後には何も残らない。草原の中に黒焦げた一角だけが残り、焦げた香りがシュウの鼻をくすぐって満足気に口元を緩めた。


「やっぱり凄い威力だな、シュウ。さすがに自慢するだけのことはある」

「へへっ、まーな。だから言ったじゃん、俺一人だって大丈夫だって。これでノゾミ兄ちゃんも俺の実力を信じてくれたろ?」

「別に疑ってたわけじゃないんだけどな。でもまあ、この目で見て想像以上だったよ」


ここまで狩ったモンスターの数はフォレストウルフを含めて十一匹。最初に出会った、顔のサイズくらいあるデカイ蜂――キラービーを討伐するとき、足が震えて詠唱もカミカミだったことは忘れてやろう。嬉しそうなシュウの顔を見てノゾミはそう決めた。


「なのにあの頑固親父ときたらは……ゴメンな、兄ちゃん。バカでがめついノーランのせいで迷惑かけちまってさ」

「いや、どうせ俺らも金は稼がないといけなかったし、モンスターから取れる素材についてなんて何の知識も無いからな。むしろシュウがいてくれて助かるよ」

「へへっ、まあ正直戦闘じゃ俺はいなくても大丈夫みたいだし、練習させてもらってると思ってるからそう言われるとホッとするぜ。ところでアユム姉ちゃんは……」


ノゾミとシュウは二人して草原の向かい側を見た。現れたフォレストウルフは全部で六匹。その内の半分をアユムに任せて別れたはずだがどうなっただろう、と。ノゾミはいささか心配そうに、そしてシュウは違った意味で心配な面持ちで草原と森の際を探した。


「あっははははははは!」


草原に楽しそうな笑い声がこだまする。


「ほらもっともっともっと! 追いついておいでよ!」


笑いながら淡く光る剣を振り、尻尾を、脚を、致命傷を与えない程度に斬りつけながらアユムは楽しそうに話しかける。当然、フォレストウルフに言葉が通じるわけはなく、刻まれた傷の痛みに激昂したように吠え、そして威圧感を与えるそれさえもまるで意に介さずアユムは笑う。

嗤う、嗤う。林立する木々を巧みに使い、重力など感じないとばかりに楽しげに跳ね回り、いたずらに狼を傷つけ続ける。肩の上に乗ったネコのユンが退屈そうにあくびをして顔を洗う。


「アユムは大丈夫そうだな。まあ、わかってたけど」

「……俺には違った意味でアユム姉ちゃんが心配だよ」


そう言いつつもどこか安心した様子のノゾミ。一方でシュウは思いっきり顔をひきつらせた。そしてそんなシュウの反応にノゾミは首を傾げた。


(――楽しそうでいいなぁ……)


アユムの何を心配する必要があるというのだろう。楽しそうに好きな事をやっているだけじゃないか。切り裂きジャック並みに楽しげに斬っているが、別に人を殺しているわけじゃなし。むしろこの世界を一所懸命楽しめているんだから特に問題は無い。むしろ羨ましい。


「はあ……この感触にも飽きちゃったな」


ため息混じりにアユムはつぶやいた。そして「もう堪能したからいっか」と独りごちると脚を止め、剣を横薙ぎに一閃。アユムが脚を止めた瞬間を好機と勘違いしたフォレストウルフたちをあっさりと両断した。その手に伝わる感触に、アユムは頬を赤らめて恍惚とした表情を浮かべた。


「終わったか」


モンスターの全滅を確認し、ノゾミとシュウはアユムの元に歩み寄る。その姿を認めたアユムは顔を綻ばせると手をブンブンと振って笑った。


「こっちは終わったよー! そっちは?」

「見ての通り。楽勝だよ。シュウの魔法も変わらず見事なモンだったしな」

「さっすがー! やるねー、シュウくん」


ガシッとシュウに抱きつき、ニシシと笑い声を上げながらアユムはガシガシとその頭を撫でる。胸に抱きすくめられた形のシュウは一瞬何をされたか分からずポケッとしたが、顔の前にある柔らかな感触に気づくと顔を真赤にしてアユムの胸から逃れようともがく。


「や、やめろって! 戦闘終わるたびにいちいち抱きついてくんなよ!」

「いやいや~あまりにもシュウくんが可愛くってついつい」

「男が可愛いって言われても嬉しくねーよ!」

「そうなの? ノゾミくん」

「いや、別に。むしろ羨ましい」

「んじゃいいじゃん」

「ノゾミ兄ちゃんがおかしいんだよ! 普通は嬉しくないの!」

「うーん、怒ってるシュウくんも可愛いなぁ……ハァハァ……」

「話聞けよおおぉぉっ!」


シュウの絶叫が草原に響いた。

そんなじゃれ合い(主にアユムがシュウに対してだが)をしていたが、森の中から人影が一つ現れた。パチパチと拍手をしながら感嘆と賞賛の声を三人に掛けてくる。


「いや、さすが、さすがです。もしかしたら私の出番は無いかも、と薄々は感じていましたが、ええ、所詮『薄々と』程度でして、十中八九程度には多少なりとも私が皆さんのお役に立つ機会があるかと信じていたんですが、やはりありませんでしたね」

「いえ、とんでもない。俺らには誰かが傷ついた時に回復させる手段なんて持ってませんからね。貴方がいてくれたそれだけで俺らものびのびと戦えるってもんですよ」


「なあ?」とノゾミが二人に同意を求めればノゾミもシュウもうなずいてみせる。


「そう言って頂けると、こちらとしても強引に、いえ、無理矢理に参加させてもらえるようお願いした甲斐がありました」


それを見てこの黒いローブを頭からかぶった男――アスラ――は、顔の中で唯一外から表情がうかがえる口元を緩ませた。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






アスラと出会ったのは、二人がノーランから宿代を要求された翌日の事だった。

意を決して宿泊料どころか持ち金すら無いことを気まず気に伝えると、一瞬ノーランは呆けたが、以前にも似たようなケースを経験済みなのか、手っ取り早くできる金策方法を二人に教えた。

曰く、モンスターを狩れば良い、と。

支払いは三日後の夜まで待つので、それまでに町の外に行ってモンスターを討伐してその時に毛皮なり素材を持って店に売りつければそれなりの金になる、との事だった。(ただし、町の近くとは言っても馬で数時間は掛かる程度には遠いが。)そして、支払いを待つ代わりにシュウに実戦を経験させてやってほしい、とノーランは申し出た。


「これは前から考えてはいたんだが……」


このままだとまた経験も無いままに一人でモンスターを退治に出かけて、痛い目に遭い、最悪のケースも迎えかねない。ならば腕に覚えのある人間に預けて、フォローが効く状態で経験を積ませてやればいい。そうすれば自分の実力の程も分かるし、少なくとも死ぬような目に遭うことは無いだろうとノーランは考えていた。


「この条件を飲んでくれるなら宿代は待ってやってもいい」


金の事をちらつかせるノーランの「お願い」を断る事などできるはずも無い。ノゾミは涙がちょちょ切れそうだったが、グッと堪えてその「お願い」に満面の笑みで頷いてやった。

そして翌日。

シュウが単騎でモンスター退治に行ったのは余程の一大事だったのか、すでに昨日の出来事は町中に広まっており、当然ノゾミとアユムの事も公然の存在と化していた。

ノゾミの中ではゴブリンは雑魚敵のイメージしか無かったが、どうやらこの世界ではそうでもないらしく、かなりの強敵に分類されるらしい。少なくともぽっと出の冒険者が倒せる敵ではないようだ。二人は凄腕の冒険者として噂され、あずかり知らぬところで有名人になってしまった事はノゾミにとって非常に肩身の狭い事実だ。周囲に一目置かれる存在になりたい、と思うと同時に、今の自分にはそれだけの実力はないと思っている。アユムは照れくさそうに声を掛けてきた人々に応えていたが、ノゾミは引きつりそうな顔を必死に堪えて平静を保つのが限界だった。

「冒険者が来るなんてめったにないからさ。みんな面白がってるだけだよ」とはシュウの弁だが、有名人が地方に行くとそれなりにチヤホヤされるのと同じだろうか。そう考えてノゾミは、落ち着かない町での待遇の記憶に蓋をした。

ノゾミが精神的疲労を盛大に感じつつ、一行は馬を貸してくれるという貸し馬車屋へと到着した。そこで借りる馬(なぜか馬に混ざって並べられているバイクを見た時はノゾミもアユムも閉口した)を物色している最中に声を掛けてきたのがアスラだった。


「もしかして、いえもしかしなくても貴方がたはまだ冒険者になられて間もないのでは?」

「……どうしてそう思ったんですか?」


ノゾミは警戒心を露わにして尋ねる。話しかけてきたのは黒いローブを纏って顔を見せず、ノゾミの知識の中では「いかにも何か企んでいる」という出で立ちだ。警戒しない方が無理というものだ。

アスラもノゾミの警戒に気づいたのか、声のトーンを変えて申し訳なさげに謝罪を口にした。


「宗教上の理由で顔を見せる事は許されておりませんで……失礼ながらこのまま話すことをお許し下さい」

「ああ、そういう事ですか。こちらは気にしてませんから。それで、用は何ですか? まさかただ単に俺らの冒険者歴を当てたかっただけじゃないですよね?」

「はい、ちょっとお節介を焼かせて頂こうかと思いまして」

「お節介?」

「ええそうです。失礼ですが、町での様子やこれから遠出しようというのに何の道具も持っていないところを見れば、旅慣れていないご様子。ゴブリンを倒したというのですから実力は十分に十分すぎる程に持っているのかもしれないと推測をしてみますが、そういった分野では経験が浅いようですので旅の先達としては後輩に安全に旅をしてもらいたく思いまして」

「つまり、貴方は普段から旅をしてて、俺らの格好を見るに不安だから色々とアドバイスをしたくてたまらない、ということですか」

「どうでしょう? 私もご同行させて頂いても構わなくて? ああ、もちろんこちらのただのお節介ですし、獲物の素材を分けろなどとも言いません。どうせ暇人の時間つぶしと自己満足なので。だから断っても結構ですし自分も気にはしませんから。その時は勝手に貴方がたに付いて行くだけですし。ただ私は回復魔法が使える事は強くアピールさせてもらいます」

「結局、どうあっても俺らに付いてくるということかよ……」

「はい」


フードで顔は見えないが、ノゾミにはその下で朗らかな笑みを浮かべているであろうアスラの様子が手に取る様にわかった。怪しい。そしてなんとなく腹立たしい。断っても益は無いとはわかっているが無意味に断ってやろうか、とノゾミは口を開きかけたのだが――


「別にいいんじゃない? お金取られるわけじゃないし、怪我しても大丈夫そうだしさ」

「俺も別に良いと思うぜ? 悔しいけど俺も兄ちゃんたちも町の外の生活は素人だし、悪くないんじゃね?」

「ありがとうございます。お二人とは楽しい旅ができそうです。ああ、もちろんそこのお兄さんとも良好な関係を築きたいと『私は』思ってますから。ええ、そちらが警戒を解いて歩み寄りさえしてくだされば問題は何もございません。私には含むところは――少ししかありませんから」

「少しはあるのかよ……」

「全く含むところが無いなんて、それこそ怪しい話だと思いませんか?」

「……」


かくして、怪しいフード男の同行が決まった。







◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






結論から言えば、ノゾミにとっては非常に悔しいことにアースラの同行は正解だったと言わざるを得ない。高度に発達した現代において、ノゾミもアユムも野宿の経験など無いし、シュウも初めての経験だ。そうしたメンツの中において旅慣れているというアスラの手際は貴重で、旅の準備から町の外に出てからの進み方、夜露を凌ぐための知識に倒したモンスターの捌き方など、今になって振り返れば到底アスラの助け無しに旅が回っていかなかっただろう事は容易に想像がついた。

モンスターに関しては、シュウもどの部位が高く売れるか、などの知識は持っていたものの、どうすれば効率良く回収できるかや、退治するために狙うべき部位(各モンスターには「核」となる箇所が存在するらしく、そこを傷つけて倒してしまうとモンスターはすぐに光となって世界に還元されてしまうとの事だった)などは知らず、「すげー! すげー!」と連発しながらアスラの突発的冒険者講座に聞き入っていた。

ノゾミもさすがに感服せざるを得なく、また一晩過ごしてアスラの性格をある程度把握できたからだろう。ある程度警戒を解いて普通に接するようになっていた。それでもまだ胸の中にくすぶっているものはある。


(そういえば、なんでこんなに警戒してるんだろうな……)


警戒するのは当然だ。当然なのだが、ノゾミ自身どうにも腑に落ちないところがある。抱いている感情は、純粋な意味での警戒ではなくて、何か違ったものが入り混じった感覚。

首を傾げながら、ノゾミは倒したフォレストウルフから毛皮などの素材を剥ぎとり終えたが、顔を上げてアスラを見ると乗ってきた馬たちを傍らに引き連れて神妙そうな表情を浮かべていた。


「どうしたんだ、そんなに深刻そうな顔をして?」

「……よく分かるね、ノゾミくん。私にはアスラさんの喜怒哀楽がよく分かんないんだけど」

「アユム姉ちゃんも? 実は俺もよく分かんなかったんだ」

「そうか? 口元でなんとなくわかると思うんだが」

「いやいやいや、分かんないって。そりゃ笑ってるくらいは分かるけどさ、それ以外の感情を口元で判断とかどんなスキルよ?」

「お見逸れ致しました。どうやら戦闘だけでなく、観察眼もなかなかのようですね。私の感情の動きを察知できるとは。ノゾミくん、誇っていいですよ。ええ、ぜひとも世界中に向かって誇ってください」

「全力で遠慮させてもらう」


何が悲しくてフードのおっさんの感情を察知せねばならんのだ。声高にノゾミとしてはそう主張したかったが、そんな事を言っても話が進まないと判断して話を先に進める。


「それで、どうしたって言うんです? たいして深刻な話では無いようですけど」

「いやはや、やはりノゾミくんの観察眼は素晴らしいですね。こうして深刻そうな表情を私も浮かべてはいるんですけど、その実そこまで深刻な話では無いのです」

「深刻じゃねえのかよ!」

「そこツッコんじゃダメだよ、ノゾミくん。話が進まないじゃない」

「そうだぜ、兄ちゃん」

「お前ら……」


ツッコんだばかりに何故かアユムたちからツッコミを受けてノゾミは頭を抱えた。


「それで私の深刻な話なのですが」

「……もうどっちでもいいよ」

「ここまで皆さんの見事な戦いぶりを見せていただきました。ええ、それはそれで大変素晴らしいことですし何の問題も無いことなのですがね」

「まあ、そうだよねー。シュウくんも文句なしの実力だったしね!」

「しかし! そのおかげで私の役割が一切なくなってしまったのです! いえ、ここまでの道中で野営の仕方や素材の捌き方などでお役に立てたものと自負しております。ですがあくまでも私が今回同行させて頂いたのはあくまで回復薬、もとい回復役としてです。このままでは私という存在の意義に関わる大問題に発展してしまいます」

「そんな大げさな……」

「という訳で、ここは一つ私のもう一つの得意魔法を披露させて頂きたいのですが宜しいでしょうか?」


そう一同に問いかけ、ノゾミとアユムそしてシュウの三人は互いに首を傾げて顔を見合う。アスラはニヤ、と不敵に笑うと三人に自身の元に寄るように告げた。

フォレストウルフの素材を持ち運んでアスラを中心として皆が集まる。何が始まるのか、とノゾミたちは緊張した面持ちでアスラを見つめる。


「そんなに見つめられると照れちゃいますね」


軽口を叩きながらアスラは両手をローブから出し、何も無い宙へとかざした。


「tegot wton i las liwi……」


ここまでノゾミとアユムが耳にしてきた言語は全て日本語だった。町の人が話す言葉もそうだったし、シュウの紡ぐ呪文もそうだった。

だが今、アスラが口にした言葉は過去にノゾミが耳にしたどの言語にも当てはまらなかったし、似たような言葉でも無い、不思議な響きだった。

一音一音を聞き取ることができない、シュウよりも遥かに高速で紡がれる呪文。それに合わせて両手を動かし、何もない空間に光で描かれていく幾何模様の魔法陣。そしてアスラから感じられる圧倒的な魔力。


(これが、魔法……!)


ノゾミは圧倒的な魅力に心を奪われた。魔力なんて感じたことは無かった。だが今なら分かる。これが魔力だと。これが、魔法だと。

アルルはギュッとノゾミの頭に全身でしがみつく。恐怖からか普段の無表情さは無く、眼をつむってただノゾミにしがみついた。ユンは毛を逆立てて低く唸り声を上げて周囲にほとばしる魔法陣を睨みつけていた。


「すげー……」


すぐ横でシュウが感嘆の声を上げた。そこにいつもの様子は無く、ただただため息混じりの賞賛が漏れ出ていた。アユムもまた不思議な輝きに心を奪われたまま、魔法陣を見上げていた。

呆けていたノゾミの肩に手が掛けられる。振り返ればアスラが口元に笑みを浮かべていた。


「これを」


そっとシュウに何かを差し出して手に握らせる。

それは、小さな鏡だった。


「世界はいつだって壊されて作られる。そして何時の世も、どの世界であっても、鏡というものは真実を映し出す力を持つものです。今は何の力もありませんが、本当に必要になった時に貴方に真実の一端を見せてくれるでしょう」

「アンタは……!」

「また機会があれば、いえ、きっと機会はそう遠くない時期に訪れるでしょうね」


魔法陣が頭上に移動し、光が全員を包み込んで――


「それじゃあ、また会いましょう――」


一際激しく光が瞬き、ノゾミは眩むような眩しさに眼を閉じた。

そうしていたのはほんの数瞬。三人が同じ様に目元をかばった腕をどける。そうして目に飛び込んできたのは見慣れた町の入口だった。


「転移……魔法……」


それだけ呟いてシュウは言葉を失った。

手に持っていた、狩った獲物の素材を入れた袋が落下するが誰も気づかない。

町を前にして立ち止まっていることに苛立ったわけではないだろうが、馬たちはウロウロと歩きまわり、急かすようにノゾミの背中を押した。

その衝撃でハッと我に返る。アスラの姿を探すが見つからない。残ったのは別れ際の言葉と、彼から託された、光を反射して輝く鏡だけだ。


「何モンだよ、あのおっちゃん……ありえねぇ……」

「そんなに凄い事なの? いや、凄いっていうのは分かるんだけどさ」

「ありえねえありえねえありえねえんだよっ! 何だよ転移魔法ってさ! 見たことも聞いたこともねえよ!」

「ちょ、ちょっと! 落ち着いて!」

「親父の魔法書にも乗ってねえし、魔法学校の本でも見たことねえ! いや、あるはずがねぇんだ……」


叫びながら激しくシュウは動揺した。頭を抱え、何度も「ありえない」を呪いのように繰り返す。


「シュウ」

「何だよ、これ。気持ち悪い……何だって言うんだよ……」

「シュウ」

「知らない、知らない、知らない知らない知らない知らない知らない知らない……」

「シュウッ!」

「ひっ!」


尋常でないシュウの様子にノゾミは肩を掴んで名前を叫ぶとシュウは小さく悲鳴を上げた。正気には戻ったようではあるがその表情は怯えの色が濃く、体はひどく震えていた。

呼吸は荒く、シュウの額からは嫌な汗が流れ落ちて地面に小さな溜りを作る。


「……とりあえず、町に戻ろう。シュウ、歩けるか?」

「う、あ、ああ……」


ヨロヨロとシュウは立ち上がり、ノゾミは足元が覚束ないシュウをアユムに任せると地面に落ちた袋を拾い上げて馬たちの手綱を握りしめた。袋の紐を肩に掛けて、ポケットの中の鏡を撫でる。


「厄介なモン残しやがって……」


本人が言った通り、ただの鏡なんかでは無いのだろう。ファンタジーな世界でありがちな不思議なアイテム。それは使い方も使い所も分からないし、そもそもどういう意図でノゾミに託したのか。


「自分で考えろってことか……」


まったく、面倒な。シュウの事といい鏡といい、現実でもこの世界でも次々と自分以外の事で悩みを押し付けてくれる。自分はそんな優秀な人間じゃないというのに。

深々とため息を一つ。

顔をしかめて頭をガシガシと掻きむしる。ここで悩んでも仕方ない、とノゾミは気持ちを切り替えて町の方へと歩き始めた。




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