第十三話 迷い人は夢で生きる(後編:完結)
この世界には辛いことしか無い。
青葉・修二にとってそれは絶対の真実だった。そしてこれからもそれは真実で在り続ける。修二は日々そう考えて過ごしていた。
鈍臭い子供。そう言われ続けて何年が経ったか。何度耳にしたか。学校で運動する機会がある度にうんざりしながら修二は日々黙ってその言葉に耐えていた。
人には得手不得手が存在する。だから修二が運動が苦手である事は仕方の無い一面を持つ。それでも努力して人並みの運動能力を得るまでにはなれる。修二が負けず嫌いならば、そうであったかもしれない。周囲が努力を応援してくれるならば、例えば苦手なりに必死でやっているのを拍手を以て褒め称えてくれたのならば、修二も頑張れたのかもしれない。
しかし不幸にもそうではなかった。特別負けず嫌いでも無く、体育を頑張っても周囲からは一人取り残されている修二を見てため息を漏らすばかり。
どうせ笑われるのならば、無駄な努力をする必要なんてないじゃないか。幼い修二は自信を無くし、運動を頑張ることを止めた。
勉強ならば。次に修二は学問に努力の方向を定めた。そして修二は人並みよりも賢い子供だった。テストで良い点を取り、先生に褒められ、親に褒められ、友だちから勉強を教える事を請われた。しかし図抜けて頭が言い訳では無く、常に上には誰かがいた。最初は褒めていた教師も親も修二が良い点数を取る事に慣れ、褒める事を止めて代わりに「頑張れ、お前ならもっと上を狙えるから」という定型文だけを返すようになった。修二は何故勉強を続けるのか、理由が分からなくなった。
容姿が優れているわけでもなく、特別優れた何かを持っているわけでもない。自分に自信を持てない修二は、常に自分が周囲に笑われている、そんな気持ちを払うことができない。
故に他人との接触を拒む。運動を嫌った体は脂肪を蓄えて肥満体になり、他人との接触を極力避けるからコミュニケーション能力が培われる事も無い。常に自信無さげでオドオドとした態度は周囲を苛立たせ、時に両親さえ腹を立てて厳しく叱責した。
会話さえ満足にできない。修二の存在がイジメの対象になるのは明白だった。体育の授業ではこっそりと笑われ、挙動不審な態度しか取ることのできない臆病で弱気な性格は、周囲の恰好のストレス発散場になる。その事がますます修二を孤立させていく。一層他人との触れ合いを拒み、一人だけの場所を望んだ。
「なんで……?」
だが、修二にとって家でさえも安住の場所では無かった。ハッキリものを言わない修二に母親は苛立ち、しかし母親は専業主婦であって毎日家の中にいる。それは苦痛であった。修二にとって、家族でさえ自分を苦しめるものでしか無かった。
家にいても学校にいても苦痛。ならば広く、一人になれる場所がありそうな学校に行く。そこで亀の様に丸くなって、周囲と切り離されて生活すればいい。そう考えて修二は毎日学校へ通い、それゆえに誰も修二の問題に気付けない。同じ苦痛が毎日繰り返されていく。
誰も自分を救ってはくれない。先生も、クラスメイトも、親も、誰もが自分を救ってくれはしない。修二がそう結論づけるのは難しいことでもおかしいことでも無かった。
――どうして僕は生まれてきたのだろう?
修二の中で疑問が芽生える。
――どうして僕はこの世界にいるのだろう?
テレビを見て妬む。頭も良くなく、運動ができるわけでもない。ただ見た目が麗しいだけでちやほやされるタレントたちを。
クラスメイトたちを見て落胆する。自分と同い年なのに、運動も勉強も人並み以上にこなしてしまうのに、取り残されてしまっている自分の不甲斐なさを。
「なんで……?」
なぜ自分は愛されないのか。なぜ自分だけ周囲から取り残されてるのか。なぜ、世界は自分にこんなにも厳しくあたるのか。なぜ苦しまなければならないのか。
世界に自分の居場所なんてない。修二はやがて、空想の中に楽しみを見出した。
いくつもの溢れる空想の世界。そこでは主人公やその仲間たちが剣や魔法を駆使して敵を打ち倒していく。傷つき、苦しみながらも様々な苦難を乗り越えていく。時に絶望に襲われながらも周囲の助けを得て、やがて物語はハッピーエンドへ。そこには、修二が求めて止まない希望が満ち溢れていた。
――こんな世界なんて、いらない。
誰も助けてくれない世界なんて、いらない。辛いことしか無い世界なんていらない。残酷でしか無い世界なんて、いらない。
――なら、自分で世界を創ればいいじゃないか。
修二は創作行為に没頭した。本で売られている様な様々な優しい世界。修二は自らが望む世界を作る事を、文字という媒体で作成する事を知った。
それは代償行為だ。世界への幼い反逆だ。物語の整合性なんて二の次で、ただしリアルなファンタジーを。修二はただ自分が望むだけの世界を創り上げる。メンダスィアンという虚構を。
「なんでだよっ……!」
始めは単なる自己満足だった。自分が創造し、自分が楽しめればいい。それだけの気持ちだったが、やがて内向きの願望は外へと向かう。
誰かに認めて欲しかった、誰かに賞賛されたかった。
初めて作った物語ゆえに拙いのは分かっていたが、それでも他の人に自分の世界を修二は知って欲しかった。
だがそれは単なる願望に過ぎなかった。
ネット上に公開されたそれが得たのは、ただの嘲笑だけだった。ありきたりなストーリーに、技法の拙さが上乗せされて酷評だけを得て、またしても修二は否定された。
――もう、だめだ。
修二は諦めた。この世界を諦めた。所詮自分に手を差し伸べてくれるモノなど何もない。なけなしの希望も失って、世界で一人であること、それが確たる真実となりかけていた。
「なんで僕を助けるんだよっ……!」
だから修二は信じられない。希が身を呈して自分を守ってくれた、その事実が信じられない。
「何でって……」
「みんな僕が嫌いなんだろっ!? 僕なんかいなくてもいいと思ってるんだろっ!? なのに、何でっ……!」
「別に修二君を助けたいと思ってるわけじゃないよ?」
「え……?」
修二の問いに応えたのはアユムだった。アスラによって拘束されているシュウを横目に見ながら二人を抱えると、跳躍。拘束から逃れようともがくシュウから距離を置いた所に二人を降ろす。
「脚は大丈夫なんですか?」
「うーん、正直大丈夫じゃないかな? かなり痛いし、片足一本で飛び回るのはかなりきついし。たぶん、さっきみたいにシュウくんに魔法を連発されたらヤバイかな? ユンもやられちゃったし……」
肩に乗るユンを希は見る。ユンもアユムと同じ様に右脚がただれていて、見ているだけでも痛々しい。
「それよりもさ……別に私にとっては修二君がどうなろうと構わないよ。ノゾミくんにとってはクラスメイトで助けたいと思ってるかもだけど、私は修二君なんてどうでもいい。修二君よりもシュウくんの方を助けたいよ」
「伊吹さんっ……」
「ノゾミくんは黙ってて。私はさ、修二君を助けるつもりなんて無い。でも私はこんな所で死にたくなんてないの。例え相手がシュウくんであっても殺されてなんかやらないし、生きる為なら世界だって相手にしても構わない。何だってやる。修二君を助けることで自分が生き残れるんなら、私は修二君が助かるために(・・・・・・・)手を差し伸べだってするよ」
「僕はっ!」
希は少しだけ声を張り上げ、修二に向かって言葉を絞りだす。
「僕は、青葉を助けたいと思ったから助けたんだ。ちゃんとした理由なんて無いし、ただ助けたいと、助けなきゃとだけ思ったから……いや、違う」
すぅ、と希は息を吸い込んだ。体の節々が痛み、だけど少しだけ思考がクリアになって気持ちが落ち着いた。錯覚かもしれなかったが、希はそう思い込んで、それでいい、と言い聞かせた。
「僕は少しだけ後悔してたんだ。青葉がイジメられてるのを見てて、それでも何も言わなかった、何も行動を起こさなかった事を後悔してたんだ。不愉快に感じながらも僕は見て見ぬふりをしていた。僕にはそれを止める勇気もなかったし、自分の事だけで精一杯だったから。そう言い訳して何も行動を起こそうとしなかった。
青葉は世界が嫌いなんだろ? 世界を壊してしまいたいんだろ? 青葉がどうしてそこまで追い詰められているのか、それを理解できるなんて言えない。けれど、その一端を僕が背負っている事くらいは何となく理解できる。青葉が何を求めてるのかも、何となくに過ぎないけど分かる気がする。
でも僕はこれからもきっと変わらないと思う。現実で青葉がイジメられていてもまた同じように見ようとしないままに過ごしていく。だから贖罪なんだ。今僕が青葉を助けたのも、今僕が追い詰められているからで、僕が救われるための贖罪でしかないんだ。僕が僕を救うために青葉に手を差し伸べてるだけの卑怯な行為だ。僕が青葉を助けたなんて、そんな事思わないでよ」
きっとここで嘘でも「青葉を失いたくなかったから」とでも言えば正解なんだろう、と希は思う。そういえばきっと青葉は喜んでくれるだろう。けれど、そんなでまかせを口になんてしたくなかった。ありきたりな美辞麗句は、後になればなるほどますます青葉を苦しめる事になるのがわかってしまったから。
「なら……なら、僕はどうすればいいんだよっ……! 僕はどうすれば苦しまなくて済むんだっ! どうすれば……」
「『助けて』たった一言、そう言えば良いんですよ」
血反吐に塗れた修二の苦しみ。それに応えたのは、シュウを拘束していたアスラだった。
「アスラ……シュウは大丈夫なのか?」
「ええ、何とかしばらくはあのまま拘束できると思います。それよりも、青葉修二君、でしたっけ? 君がすべき事はたった一つです。一言『助けてください』って周囲の人に言えば良かったんですよ」
「そんな……そんな事を言って何が変わるって言うんだよ!?」
「もちろんそれだけで全てが上手くいくなんて事はありません。そんなにあの世界は優しくも無いし、綺麗事が通じる世界でもありません。でも、何かが変わるんです。助けてくれ、と言われても全く無視して手を貸さない人間。もちろんそんな人も世の中には五万といます。けれど、目の前に明らかに差し出された手を黙って見過ごせない人間も五万といるんです。声高に叫ぶ必要なんて無い。周囲に喚き散らす必要も無い。小さく一言、誰かにだけ聞こえる声で助けを求めれば良かったんですよ。そうすれば、君の周りにも手を掴んでくれる人はいたはずです」
「う、嘘だ……嘘だ、嘘だ。そんなの嘘だ」
「嘘じゃありませんよ。ほら、理由はどうあれ、今君の前にも手を取ってくれた人がいるじゃないですか」
修二は顔を上げた。そこには少しだけ口を綻ばせているアユムと、気恥ずかしそうに顔を背ける希がいた。
「二人共完全な善意では無いですけどね。それでも君が手を貸して欲しいと頼んだら、彼らは手を握り返してくれるはずです」
アスラの言葉に誘われる様に、震える手を修二は差し出した。
怖い。再度拒絶されるのでは無いか。アスラの言葉が全て嘘なのでは無いか。そんな考えが修二の裡をジワリと侵食する。手を下ろしてしまいたい衝動に駆られ、息が出来ないほどに胸が詰まる。
それでも修二は手を前に伸ばした。眼を力いっぱいつぶって、震えるままに腕を伸ばした。
「僕を……僕を助けて下さい……!!」
修二の心を如実に表している腕。その手を、二人は力強く握った。
手のひらごしに伝わる温もり。
(なんて……熱いんだろう……)
こんなにも人は暖かかったのか。こんなにも自分は冷え切っていたのか。
熱で溶けていく。凍りついていた何かが溶けていく。
知らず、修二の両目から暖かい涙が次々と零れ落ちていった。
「さて、青葉君の問題がとりあえずは解決したわけですが、まずい状況は変わってません」
そんな三人の様子を暖かい目で見守っていたアスラだが、表情を険しいものへと変えてそう切り出した。
「ハッキリ言いましょう。恐らくはこのままだと我々ごとこの世界は崩壊します」
その言葉に、三人とも息を飲む。
「……それはやっぱり修二君が望んだから?」
「で、でも青葉はもうそんな事願って無いんじゃないですか!?」
「そうですね……実はもう青葉君がどのように思っているかは関係ないんです」
「え?」
アスラは唸り声を上げながら縛り上げる輪状の拘束の中でもがくシュウを見る。捉えられた獣の様に吠え、その形相はすでに正気とは思えない。
「ここにいる青葉君とシュウくんはすでに別の存在となっているんですよ。元は一つだったのですが、この世界で時を過ごし独立した存在と世界で認められてしまってるんです。
この世界は青葉君の生み出した世界で彼はその世界に産み落とされたキャラクターにしか過ぎないはずでした。ですが、青葉君よりもこの世界に遥かに適合している彼が世界に及ぼす影響は最早、青葉君を凌駕してしまっています。更に悪いことに、彼にはもはや負の感情しか残っていません。世界の崩壊を免れないでしょう」
「解決方法は無いんですか?」
「限界阻止点はすでに超えてしまっています。世界の崩壊を止める手段は残ってないでしょうね」
「そ、そんな……ぼ、僕、僕のせいで……」
ショックを受け、青葉は足元から崩れ落ちる。それを希が支え、アスラは安心させる様に少し口元に笑みを浮かべた。
「気にする事はありません。世界は色んな人が創造し、そして時間が経てば消えていきます。忘れ去られて消えていく世界、存在を否定されて消えていく世界。この世界もそんな世界の一つです。崩壊するのが他よりも少し早かっただけですよ。まあ、この世界にアナタ達が入り込んでしまったのは少々イレギュラーではありますが。それに……」 「それに? 何?」
「アナタ達を元の、アナタ達が本来居るべき世界に戻すことはできます。ただ、時間との競争になりますが」
「私たちが無事に戻れる方法があるわけね。ならいいよ。それだけ分かればじゅーぶん」
「それで、その方法は?」
問いかける希に、アスラは少しだけ言いにくそうに口ごもった。
「それは、シュウくんを殺してしまうことです」
「……他に方法は?」
「ありません」
アスラのその言葉に、三人は押し黙った。
覚悟は、していた。何となく、その方法しか無いのだろうな、と声を聞く前に理解していた。
知ってしまえば数ある世界の一つ。そしてシュウはその中の創作されたキャラクター。だが、希にしてみれば「弟分」であり、アユムにしてみれば「可愛い歳下の友達」。そして修二にしてみれば自身の分身だ。耐え切れなかった濁を押し付けたもう一人の自分だ。殺してしまいたくなんて、無い。
「……どうすればいいんですか?」
だが修二は真っ先に尋ねた。
「どうすれば、僕がシュウを殺すことができますか?」
これは自分の責任だ。自分が逃げて逃げて逃げ惑った結果だ。責任を周囲にだけ押し付けた証左だ。だから、せめて最後くらいは、との思いを込めてアスラのフードに隠れた顔を見つめた。
「残念ながら、青葉君にはその力はありません。アナタが自分に与えた力は、全てシュウくんに持っていかれてしまってますから」
だが現実は残酷だ。その手段を修二は持ち得ず、非情なアスラの言葉にまたしても打ちひしがれるが、膝を突くことはせず、代わりに黙って下唇を噛み締め耐えた。
「ノゾミくんも力を今は失ってるから……私の剣で斬っちゃえばいいのかな?」
「いえ、それでも無理でしょう。今、この場所はシュウくんの魔力で満ちています。剣で斬り裂いたところですぐに傷は修復してしまいますし、いくら斬ったとしても彼を殺してしまうことはできません。殺すなら一瞬で全てを消し去るくらいの威力が必要になります」
「なら、アスラはどうなんですか? アスラも凄い魔法使いなんでしょう? 魔法の事はよく分かんないですけど、シュウが言ってました。魔法でそんな事はできないんですか?」
「私には……残念ながらできないんです」
申し訳ないです、と謝罪を口にするアスラに希もアユムも沈黙で応える。何か手段は無いのか、と希は顎に手を当てて眉間にシワを寄せる。だがすぐにアスラが再度口を開いた。
「むむ……となるとやっぱりノゾミくんの武器みたいなのしか方法がないのかなぁ……」
「ですが、青葉君にならできるでしょう」
「え?」
「でも今さっき青葉にはできないって……」
「ええ、青葉君には直接シュウくんをどうこうできる力はありません。でも……」
アスラの言葉が不意に途切れた。そして希たちの背後から一際大きい咆哮が轟いた。
シュウが叫ぶ。眼を真紅に染め、両目から血が涙のように流れ落ちて頬を染める。体を拘束していた輪がメキメキと音を立てて今にも引き千切られそうになっていた。魔法も封じる効果もある拘束が溶けそうなせいか、消えていたはずの魔法の槍や氷の槍が現れては消え現れては消えて、と繰り返す。
アスラは複雑な魔法陣を展開し、シュウに対する拘束を強める。拘束は再度シュウの体を締め上げ、しかしそれも僅かな間の事であり輪ゴムの様に収縮と伸張の均衡状態を続けはじめた。
「油断していました……! まさかこれほどまでに力があったとは……のんびりと話をしている場合ではありませんでしたね」
「アスラ! さっきの続きを教えて! 修二君には何とかできるって事!?」
「そうです! いいですか、青葉君、よく聞いてください! 青葉君がこの世界を創ったという話はしましたね!?」
「は、はい!」
「シュウくんに及ぼす程の力は残ってませんが、世界にはまだ干渉できるんです! 今、世界そのものがシュウくんの味方となっています。それを何とかしてしまえば……!」
「そ、それってど、どうすれば……」
「願ってください!」
口元を汗が流れ、声を荒げながらアスラは話続けた。
「この世界では何よりも『想い』の強さが力を左右します! 彼の、シュウくんの絶望を凌駕する程の強い願いがあれば……しまっ……!」
破裂音が世界に響いた。シュウの拘束が外れ、封印されていた魔力がシュウの体へと戻ってくる。瞬間、シュウの口から呪が説かれて魔法の槍たちが顕現して地上に降り注いだ。
「ぐっ!!」
「アスラァっ!!」
「危ない!!」
槍の一本がアスラの肩を貫き、修二と、アスラに気を取られた希をアユムが押し倒す形で槍から庇う。
「あああぁっ!」
そして別の一本はアユムの太腿を貫いた。苦悶の声を上げ、アユムは震えながら炎で焼けた脚を抑えてうずくまった。
「伊吹さんっ!!」
「藍沢君! 危ないっ!!」
修二の声にハッとして希は後ろを振り返った。そこには、新たな魔法を唱えるシュウの姿。
果たして、シュウの指先から稲妻が放たれた。
「ノゾミくんっ!!」
「藍沢君っ!!」
真っ直ぐに希に伸びていく光。腰を突いていた希は、咄嗟に両腕で顔を覆う。それしか行動は取れなかった。
ガラスが割れる音がした。耳障りな程につんざく音がした。
「か、鏡が……!」
雷魔法は希が手に持っていた鏡に当たり、辺りに一瞬の煌めきを撒き散らして、鏡面は砕け散り空にばら撒かれた。
鏡の中には宝石が隠されていた。それは、かつてノゾミとアユムが敵を倒した時に集めたものと同種のモノ。碧色の宝石が鏡の額から転げ落ち、しかし地面に落ちずにそのまま空へと昇っていった。
そしてノゾミのポケットに入っていた他の宝石も同じ様に空へと舞い上がっていく。意思を持った様に五つの宝石は一箇所に集まり、やがて五角形を形作って空中で光を放つ。
「石が……」
最後に残っていた、ノゾミのポケットの丸い石。いつ手に入れたのか分からない、この世界と現実世界を繋いでいた魔法陣の描かれていた石が光り出し、宝石たちの中心へと飛んでいく。
石が宝石たちの中心に収まる。途端、宝石を頂点とする五芒星が現れて辺りは淡いキラキラとした光に包まれた。
「こ、これは……!」
光の中で展開されるいくつもの映像たち。瞬間的に再生された映像の中で幾人もの人たちの姿が描き出されていた。
「と、父さん、母さん……」
その中で数多く登場する人物は修二の父と母だった。幼い修二と一緒に楽しそうに笑う両親。修二と一緒に遊園地で遊ぶ両親。食卓でたくさん食べる修二を優しく見守る両親。その中で修二もまた笑っていた。
「あの時のおじさんだ……」
「え?」
だが映像の中で浮かべている表情が変化していく。笑顔の映像が減っていき、ほとんどの場面で登場していた修二の姿が消えていっていた。重苦しさが見て取れるほど暗い表情が増え、思い悩ませる姿を見せている。
「この前、学校に来てた。何か深刻そうな顔して職員室の場所を聞いてきたけど……」
「父さんが……」
映像の中で修二の父親は高校の職員室で、希も知っている教師や教頭、校長と話し合っていた。音声は無いが、時折声を荒げている様子も見て取れた。
そして誰もいない家の中で頭を抱える母親の姿。寂しげに昔のアルバムを眺めていた。家族以外にも幼い頃からの友人に良くしてくれていた近所のおじさんとおばさん。イジメられる修二を見て顔をしかめるかつてのクラスメイト。多くの人が修二の事を心配し、頭を悩ませていた。
「知らなかった……」
修二は呟いた。誰も味方はいないと思っていた。自分は一人で誰も助けてくれないのだと思っていた。
けれど違った。手は、差し伸べられていた。それは見えづらいのかもしれない。それでも、確かに手は近くにあって、ただ修二自身が気づくことができなかっただけだった。
修二の眼から再び涙が溢れる。修二は制服の袖で目元を強く擦った。
――まだ、終わりじゃない。僕はまだ一人じゃない。
映像が終わって光が消えていき、世界はまた崩壊の中途へと戻った。映像が始まる前と変わりは無い。ただシュウだけは、頭を抱えてもがき苦しんでいた。
それまで絶えず宙に展開されていた魔法の槍たちは存在しない。最早世界はシュウに味方はしない。
「僕が終わらせるんだ」
勇気を出して修二は一歩だけ踏み出す。
修二は願った。修二は祈った。
「この、狂わせてしまった世界を――」
希の体が変化する。光に包まれ、希はノゾミへと生まれ変わる。
同時にいなくなっていたアルルが現れ、幼子の姿から成長した女性へと瞬く間に成長した。
「僕が創った夢を――」
ノゾミの手の中に現れるのは小さな銃。それは初めてこの世界にやってきた時に手に入れた、何の変哲もない銃だ。
アルルは光を纏い、ノゾミと口づけを交わしてノゾミの中に消える。
ノゾミは銃をシュウに向かって構えた。
「壊してくれ、ノゾミィィィっ!!」
そしてノゾミは引き金を引いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「結局さ、夢は夢だったんですよね」
放課後、高校の屋上で町を眺めながら希は呟いた。時折こうして眺める風景はいつも通りで、閑散とした学校前を時々生徒を乗せたバスが走り抜けていく。
メンダスィアンはそこには無い。一日だけ現実に現れた夢の町は、儚く消えてしまっていた。
「ノゾミくんは夢の方が好きですか?」
「……どうなんでしょうね。夢は夢のままの方が良かったのかもしれませんけど、よく分かりません。それと、敬語じゃなくていいですよ。今更ですけど」
「あ、なら私にも普通に話してください」
「敬語になってるよ」
「あっ……その、ゴメンナサイ」
「まあ、別にいいけど」
恥ずかしそうに顔を伏せる歩に小さく笑うと、希は再び柵に体を預けて町を眺める。
「あの、修二君が……学校辞めたって本当です……本当なの?」
「うん、本当だよ」
メンダスィアンが消滅した後、まもなく修二は学校を退学し、そのまま家族と一緒にこの町を離れていった。引越しのトラックが小さくなるのを見送る修二に希は翻意を促したが、修二は少しはにかんで「ありがとう」と礼を述べた。
「でも、やっぱり責任は取らないといけないと思うから」
異世界と現実世界の繋がりなんて誰も分かりはしない。そう希は伝えたが修二の意思は堅い。別れ際に修二はもう一度希に礼を述べると、家族の待つ車へと乗り込んでそのまま町を去っていった。
最後は笑顔だった。
「まあ、修二も納得というか、晴れやかそうだったし、無理に学校に通い続けるよりも良かったのかもな」
「そう、うん、そうかもね」
「でもやっぱり惜しいかな?」
「え?」
「さっきの話。あそこは大変だったけど楽しかったからさ。この世界はつまらないって思ってたけど、でもそれってきっと自分の気持ち一つなんだよな。考え方を変えるだけで見え方は変わって、面白くもつまらなくもなる。だから、楽しかった思い出を夢のままで終わらせるのは惜しいなって思って」
「あれ、夢はまだ続いてるんだよ?」
その言葉とともに歩の肩からユンがヒョイっと現れる。そして、頭の上に幼いアルルがよじ登ると希にだけ分かるような仄かな笑顔を浮かべた。
「アルル!」
希が叫ぶと、それを合図とした様にアルルは歩の頭から飛び上がり、フワフワと希の頭に飛び乗った。
「どうして……」
「分かんないけどね、昨日家に帰ったら部屋の中に二人がいたんだ」
頭上のアルルを捕まえて向き合う形になった時、一枚の紙切れがヒラヒラと空から舞い落ちてきた。
『パートナーは大切に――』
「アスラのヤツ……」
「ね? 夢は続いてるでしょ?」
そう言って笑う歩に、希は頭を掻き、そして首を横に振った。
「いや、やっぱり夢は夢だ。あの世界は夢でしかなくてここは残念だけど現実。ただ、夢の欠片が現実になった、それだけの事だよ」
「ふーん、そっかぁ……」
歩が肩の上のユンを撫でると、ユンは気持ちよさそうに伸びをして顔を歩に擦り付ける。ユンの頭で歩のメガネがずれた。ズレを直そうとメガネのフレームに手を掛け、だがその手が止まる。
「なら……私も夢の自分に近づけるように努力しないとね」
フレームを掴み、歩はメガネを取り去った。その際に髪が巻き上がり、乱れたそれを手櫛で整えた。
メンダスィアンにいる時と顔の作りは変わらない。だから希にとってもその容姿は見慣れたものだ。
けれども、現実世界で初めて見た歩の素顔。不安げで心細そうな面持ちしか見たことが無く、どこか晴れ晴れとした笑顔に希は知らず眼を奪われていた。
「どうかした?」
「い、いや……」
見惚れてました、なんて言えるはずもなく、希は恥ずかしさをごまかす様にして頬を指先で掻いた。それでも不思議そうに首を傾げる歩だが、希を助けるかの様なタイミングで下校時刻を告げるチャイムが校内に鳴り響いた。
「帰ろっか?」
「そうだな」
屋上と校内をつなぐドアに向かって希は歩き始め、歩は希の一歩後ろにつき従い、しかしすぐに希の右隣に並び歩く。
ドアに辿り着くまで、あと十メートル。歩は歩調を希に合わせる。
希の右手がドアノブに触れるまで、あと五メートル。歩は左手でスカートを握り締める。
希の脚が止まるまで、あと一メートル。歩の左手が希の右手に伸びる。
そして――
これでこのお話はお終いです。
五ヶ月間という期間でしたが、お読み下さった方、お気に入り登録して下さった方、本当にありがとうございました。
ほとんど人気が無かったので続きを書く事は無いでしょうが、気が向いた時に続編を書くつもりがあったり無かったり。
ともかくも、ひとまずこれで一旦お別れです。最後にもう一度ありがとうございました。また会う日まで。




