死神と画家
一軒の家の一室で四十歳半ばと思われる男が椅子に座っていた。
広いリビングルームは自身のアトリエに使っており、壁や床には今まで描いた大小の絵が転がっている。
窓の外は真っ暗であり、時計を見るとそろそろ深夜2時をまわるところだった。
外では、朝から降り止まぬ雨が強い風とともに窓を叩きつけていて度々鳴る雷の音が、独りであることの恐怖心と不安を煽る。
男は絵を描いていた手を止め筆をパレットに置いた。
夜も遅い、今日はもう寝ようか、と椅子から立ち上がろうとしたとき、後ろから声が聞こえた。
「こーんばーんわぁ」
周りの雰囲気に合わない、酷く明るい人の声に男は心臓が止まるかと思った。
急いで振り返ってみると、真っ黒のマントを羽織った若い男が、すぐ後ろの壁にもたれかかって微笑んでいる。
フードから覗く髪は赤く、透き通るような白い肌に、これまた綺麗な赤い瞳が映えている。
「だ、誰だこんな時間に!何処から入った!」
男は若い男に怒鳴ってみせるが若い男はどこ吹く風で微笑んだままだ。
「あー、すみません。一応確認なんですけどー。アナタ、島津 竜志さんで間違いないですかねぇ?」
「そ、それがどうした!」
「おぉ!良かったぁ。間に合わないかと思いましたよぉ。あのですね?今日の午前二時五十三分、あと、一時間後くらいにですね、アナタに死亡予告が出てるんですよぉ、それで上から看取ってこいと言われましてぇ」
「はぁ?!何訳分からねぇ事言ってやがる!頭おかしいんじゃないのか!?」
「いいえー。全くもって正常ですよぉ?あ!それとですね、上から死亡予定者がまだ生きる意思があるのなら助けてこいとも言われてましてぇ。どうします?生きたいですか?それとも、このまま逝きたいですかぁ?なんちゃって」
「馬鹿にしてんのかこのクソガキ!!来い!家宅侵入罪で警察に突き出してやる!」
島津は若い男の腕を掴もうと手を伸ばしたが、若い男はマントをひるがえして軽々とそれを避け、島津と3メートルくらいの距離を取った。
「もう、やだなぁ。家宅侵入については謝りますけど、警察は勘弁ですよぉ。上に怒られちゃいます」
「さっきから何なんだ上上って!何かの組織か。つかてめぇ誰だよ!!どっから入ってきやがった!ここ3階だぞ!」
「ああ!もぉし訳ない!名乗り忘れてましたね!」
若い男は思い出したようにポンと手を打つと、赤く輝く瞳を細めて天使の如く微笑んだ。
「ワタシは死神見習いのリルと申します!以後お見知りおきを~」
「・・・し、にが、み・・・?」
島津はポカンと口を開け固まる、それをどう取ったのかリルは素知らぬ顔で話を続けた。
「上ってのは俺の上司に当たる方でしてぇ、そりゃあもう逆らうと怖いんですよぉ」
「・・・おい、ガキ」
「リルです」
「何でも良い。おめぇ今、死神っつったか?」
「言いましたとも?」
島津はもう一度固まったかと思うと、一瞬後には盛大に吹き出して腹を抱えて笑い始めた。
「ど、どうして笑うんですかぁ!」
「どうしてっておめぇ!し、死神って!ぷくくっ!!今の時代、死神って、お、おめぇ、頭沸いてんじゃねえのか?ぐはは!」
それを聞いてリルがムスッとした顔になったので島津は必死で笑いを抑えた。
「それでなんだ?死神さんよぉ、なにかリストみたいなもんにあと一時間で俺が死ぬって書いてあんのか?」
「お、感が鋭い!正確には死亡予定リストですけどねぇ。あぁ、でも予定時間は一時間でなくあと三十分くらいです」
「それで?その何とかリストには俺がどう言うふうにして死ぬかとか書いてあんのか?」
「ありますよぉ。ええっとですねぇ・・・」
リルは、どこから出したのか、掌に収まるくらいの手帳を取り出しパラパラとめくり始めた。
「あー。島津さんは今から二十五分後に車に轢かれて死亡、となってますねぇ」
リルの言葉を聞いて島津はまた笑い出した。
「車に轢かれて死亡?ぶはは!こりゃ傑作だ!家ん中にいるのにどうやって車に轢かれりゃ良いんだよ」
「・・・さぁ?それよりどぉしますか?アナタが死なないよう助けましょうか?それともこのまま死にますぅ?ワタシ、上に報告しなくちゃならないんで、早めに決めてもらえると有り難いんですけどぉ」
「いらねぇよ!てめぇに助けられなくたって外に出なけりゃ良いんだ」
「ああ、そうですかぁ、いらないですか。じゃあワタシは看取るだけにしましょうね」
「それもいらねぇよ!俺は死なねえんだから!」
「んー、そうですかぁ?いやでも、こっちも規則なんでぇ予定時間まではいさせてもらいますよぉ」
「けっ、勝手にしやがれ」
リルはニコリと笑うとリビングルーム謙アトリエのいたるところにに置いてある絵に目をやった。
「それにしても凄い数ですねぇ、これ全部島津さんが描いたんですかぁ?」
「当たりめぇだろ、俺のアトリエだ。俺の以外の作品は此処には置いてねえよ」
「・・・へー。・・・ふーん。・・・あ、この中で一番気に入ってるのってどれなんですかぁ?」
「あ?何でそんなこと聞くんだよ」
「いやぁ、ワタシ絵って良くわかんなくてぇ。プロの美的感覚を教えて貰えれば今後にも役立つかなぁって」
「しかたねぇガキだな」
「リルです」
島津は部屋の中で一番綺麗な額縁に飾られてる絵を取るとリルに手渡した。
写真立てくらいの大きさのそれには、綺麗な花に囲まれた美しい女性が柔らかいタッチで描かれている。
「これは?」
「・・・俺の、初恋の人だ。もう何十年も前になるがな。始めて賞を取った作品でもある。俺にとっちゃ宝物さ」
「へぇ、宝物ですかぁ。良いですねぇ。・・・お、とと」
もっと良く見ようと窓際まで、後ろ向きで歩き絵を額縁から出した途端、リルは床に転がっていた額縁に足を取られ背中から窓に突っ込んだ。
幸い鍵が空いていたのか、窓を背中で押した形になり割れることはなかった。
リルもスンデの所で踏み止まったが、緩んだ手元から、島津の『宝物』である絵が雨にも負けず強い風に乗って外へ飛び出していった。
「あああああああ!!!なんっっってことしてくれやがるこのクソガキ!!」
「リルです」
リルの返事を聞く事なく、島津は『宝物』を探すべく土砂降りの雨が降る外へ出た。
「あ~と一分~」
ニコニコと笑うリルは雨に濡れながら迷いなく島津の『死亡予定場所』へと向かった。
そこにはすでに真っ赤な血を流し息も絶え絶えな島津の姿が転がっていた。
ふと、その姿を見てリルはポンと手を打つ。
「あ、一つ言い忘れていましたよ島津さん。アナタ『どっから入ってきやがった』って聞きましたよねぇ?お答えします。簡単ですよぉ。死神はね、人の心を渡るんです。その人がどんな密室な場所に居ようと、どんなに行くことが不可能な場所に居ようと、死神にとって人の心は何処にでも繋がる扉ですから、その人が生きている限り、その人の心を通って行くんですよぉ。だから、生きてる限り死神からは逃げられない。ね、簡単でしょぉ?」
リルは、さっき飛ばされていったはずの島津の『宝物』を息の絶えた島津の手に握らせ、冷たく光る瞳で微笑んだ。
「二時五十三分。さぁ、島津さん。俺と一緒に冥界の門を叩きましょ?」
早朝の新聞の片隅に、『事故か自殺か!画家 島津竜志 車に轢かれ死亡』という見出しが載っていた。