9 没落令嬢は龍神に介抱される
それから私は秘書としてそつなく仕事をこなした。
翌日の調べものに必要そうな本を事前に図書館で探すとか。
もしよそから神が訪問に来ることがあれば、相手の情報を調べて、相手を感心させるような受け答えの内容を考えるとか。
まさしく、大臣や大貴族の秘書官と大差ないような業務を行った。
「セシリア様、偉い。侍女としては、この三百年で、最大の、出世」
「セシリアさま、すごい、せいれいもたたえてるよう」
職員たちのための食堂で出会ったマハとナラまで讃えてくれた。
無表情な二人だと思ったが、少し笑っている。
それぐらい、私のしたことはすごいことらしい。
「いえ、そんな敬称はいらないですよ。これまでどおりに接してください」
「でも、秘書として、活躍、すごすぎ、考えられない」
「ぜんだいみもんだよ。てんちかいびゃくいらいかも」
よくわからないが、とにかく前例がないことを私はしているらしい。
さすがに確認のために過去の秘書の一覧を探そうとしたりする気はないが、立派と言われるなら悪い気はしない。
食堂で料理を運んでくる緑色の髪の紳士も、いつからか、丁重に私に礼をとるようになった。
「セシリア様、こちらが本日のランチでございます。よい羊の干し肉が奉納されましたので、それを使いました」
「あれ? 前から説明なんてありましたっけ?」
というか、この料理人の人、こんな声だったんだ。なかなかダンディな声だった。
「秘書は侍女とは意味合いが違います。もちろん侍女や掃除担当なども我々と同じ大切なスタッフですが、立場の違いがあるというのも事実ですので」
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて享受することにしますね……」
でも、私は偉ぶったりするつもりはない。
だって、ここには神様が何人も働いているのだから。
これで思い上がることができたら、それはそれで珍しい才能だと思う。
秘書になってから約一か月、私は自己採点でも90点をつけられるぐらいには見事に働いた。
ニコラ様以外の神からも廊下ですれ違えば、「君は本当に素晴らしい」とお褒めの言葉を賜るほどだった。
しかし、基礎体力がないのに少しはりきりすぎたらしかった。
執務室での仕事中、目にしている書状の文字がぼやけた気がした。
ほぼ同時に私は書状ごと自分の机に突っ伏してしまった。
「おい! セシリア! どうした!」
少し離れたところからニコラ様の声がする。
私はニコラ様に担ぎ上げられていた。
背中と膝の裏のあたりにニコラ様の手の感触がある。
「すみません、おそらくただの疲労だとは思うんですが……」
「ああ、ただの疲労だ。この世界ではいわゆる人間がかかる病というものは存在しない。だが、疲れというものはあるから動けなくなる時はある。余の仕事を管理する前に自分の体調管理をしろ」
「まったくですね」
結果として、ニコラ様にご迷惑をかけているわけだから、秘書としては大問題だった。
「医務室のようなところがあれば、そこに運んでもらえますかね?」
どうにか歩いていくことはできたかもしれないが、どうせならこのまま抱えて運んでもらいたかった。
「医務室なあ。それはいかにも人間の発想だな」
困ったような声でニコラ様は言った。
「余や精霊は人間のような生死にかかわる病気をすることは普通ない。なので、医務室のようなものもないのだ。ソファのある場所ならあるが……他人が通ったりすれば落ち着かんだろう」
数秒悩んだ挙句、ニコラ様は執務室のドアノブを器用に足を上げて開けた。両手が私を抱えるせいでふさがっているからだ」
「足、やっぱり長いですね……」
「しょうもないことを言うな。セシリア、部屋が近づいてきたら教えてくれ」
「えっ?」
「セシリアの部屋で寝ていてもらう。疲労ならそれでどうにかなるだろう」
「えっ!? それだとニコラ様が部屋に入ってくることになりませんか……」
それだったら、このへんで倒れているほうがまだマシな気がする。
ピンチの度合いが高まったような……。
「緊急事態なのだからしょうがないだろう。権限上は使用人の居住スペースに神が入っても適法だ。掃除担当のトカにでも出会えば外聞が悪いが、体調不良なのはセシリアの顔を見れば誰でもわかる」
「部屋、きれいだったかなあと……。ああ、トカさんが掃除してくれていたから大丈夫か」
「つまらんことを気にするな。調度品を購入しようもないのだから、散らかりようがないだろうがないだろ」
「いえ、それがたくさん本を図書館から持って来たりしてまして……」
ベッドの上にけっこう本が積み上がってないだろうな……。
いや、トカさんがベッドメイキングをしたなら、せめて机には移動されているか。
困った。そっちを考えたら余計に顔が熱くなってきた……。
「そんなことで幻滅などしないし、龍神は女子の部屋を見分せん。今は安静にすることだけ考えておけ!」
人を両手で支えているにしてはニコラ様はすたすたと広間を進んでいく。
もう、そろそろ使用人たちの居住空間に入っていく廊下への曲がり角だ。
幸い、誰もすれ違う人はいなかった。
使用人の区画の廊下は造作が少しだけ簡素になっている。それでも、貴族の邸宅に使用してもなんら問題ない。
「あっ、そこを右に曲がって左から3番目の部屋です……」
「わかった。ああ、部屋のカギはどこだ?」
私がカギを渡すと、ニコラ様は右手でさっとドアを開けた。
その間、私はニコラ様の左腕に抱えられる格好だ。
顔が思った以上に近い。彼の真剣な表情がすぐそばにあった。
部屋のベッドに本が並んでいるということは幸い、なかった。
ニコラ様は私をベッドの上に降ろした。
もぞもぞと私はベッドの中に入る。服がしわになるが、今、着替えるわけにもいかない。
「しばらくじっとしていろ。今日はもう執務室には来なくていい。明日もつらいようならそのままでいい。マハかナラを連絡係で行かせる。お前は秘書だから、多少こきつかってやってもいい」
「ありがとうございます。いえ、ご迷惑おかけしました」
「バカ。逆だ。ありがとうございますを後に言え。そのほうがこちらもうれしい」
変なところで卑屈な魂が出てしまった。
「水を定期的に持ってくるように手配しておく。何日分も余分に働いたのだから、ゆっくしておけ」
「あの……」
「なんだ? 話し相手がほしいならマハとナラでも連れてくるが」
「もう少しだけ……」
「声がこもって聞きとれんな」
ニコラ様は少し私に顔を近づけた。
「もう少しだけ……ここにいてください」
なんでそんな言葉が出てきたのだろう。
体調が悪くて理性がゆるんでいるのかもしれない。
ニコラ様も虚を突かれたのか、意外そうな顔をしている。
それはそうだろう。病人が甘えてきたのだ。
「あのな、余は別にふんぞり返るのが仕事ではなくて、政務がな…………はぁ」
ニコラ様は大きく嘆息した。
「わかった。優秀な秘書のわがままを聞いてやる。ここにいたらいいか?」
「はい、すみません」
「そこはありがとうございますでいい。いや、わがままだからすみませんでいいのか。まあ、どっちでもいい」
ニコラ様はベッドの横に腰を下ろした。
ベッドの高さのせいで、私とニコラ様の目の位置がだいたい同じになる。
「机に椅子はありますが……」
「べ、別にここでいい……。この部屋もそう汚れてないだろう」
ニコラ様と目が合ったと思ったが、また目をそらされた。
たしかに見つめ合うシチュエーションではない。
「過去の嫌なことがあったら、ついでに余にぶつけてみろ。いくらでも受け止めて、笑い飛ばしてやる」
私は家のしがらみをつぶやくように話した。
といっても誰かが悪いわけではない。
ただ、勢威のある貴族の家もあれば、弱っている貴族の家もある。私の実家は完全に後者だっただけだ。
家の失点にならないように生きるよう心がけたけれど、おかげで自分というものがないままになってしまった。
前にも伯爵家の話は中庭で少しニコラ様にしてしまっていたな。
私ができるのは、伯爵家の話だけなんだ。それが私の人生のほぼすべてだから。
「婚約を破棄されたと聞いた時、気づいたんです。あっ、自分には感情ってものが育ってないって。悲しいとか、むしろほっとしたとか、そういう気持ちがやけに薄いんです」
「まあ、心配するな。それは過去のセシリアだ」
ニコラ様は前の壁を向きながら言った。
「今のセシリアはもっと強い人間だ。自分でもわかるだろう」
「そうですね。この世界に連れてきてもらってよかったです」
「連れてきたんではない。お前が経典を丁寧に詠唱するぐらい気の利く人間だったから、ここに来るきっかけが生まれただけだ」
「意味はわかりますけど、それ、連れてきた本人が言う言葉ですか?」
「もう寝ろ」
話していると緊張も弱まってきたのか、私の意識はいつの間にか眠りのほうに傾いていった。
目が覚めた時はまだお昼だった。当然ながらニコラ様の姿はなかった。
「さっきよりだいぶ楽だけど、もう少しゆっくりしてるほうがいいかな」
先ほどまで横にニコラ様がいたと思うと私は落ち着かなくなってきて、掛け布団を頭までかぶった。




