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没落令嬢と龍神のかくも幸せな結婚  作者: 森田季節


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8 没落令嬢は龍神と長く一緒にいたいと思う

「この建物は正式には龍神神殿と呼ばれていてな。余以外にも何人もの神がここで暮らしておる」



 来たことのない区画を歩きながら、ニコラ様は言う。

 人の気配はないので、私は思いきって、手をつないでいる。

 ほんの少しだけ後ろに下がって、連れられている雰囲気を出してはいるが、手をつないでいると認識する人もいるだろう。なにせ、私もそう意識してるぐらいなのだ。



 ニコラ様が事務的に過ぎる気がするのが少々物足りないが、今はあくまで業務時間なのだから、やむをえないだろう。

 ただ、案内されている場所が神殿なのはよかった。

 本当に婚約者と一緒に観光でもしているようにも思えてくるから。



「基本的には、人間の世界の王や大公の城と同じと考えてよい。後継者争いのようなぎすぎすしたことはまず起こらないが、建物の機能としてはほぼ同じだ」

「はい」

「そして、この神殿は山岳神殿と呼ばれているセシリアたちの世界とつながっている。人間が神を祀ると、その空間を通じて出入りできる穴が生まれるわけだな。余が山岳神殿におって、セシリアを連れてこられたのはその穴のせいだ。余も人間の世界で自在に現れることができるわけではない」

「ええ――わっ!」



 私は思わず目を閉じた。

 ニコラ様が私の額を軽く右指で弾いたからだ。

 痛みはまったくないが、さすがに驚いた。



「何をするんですか! びっくりしましたよ」

「生返事ばかりだったんでな。聞く気のない奴に話をするのはつらいものだぞ。自分は何をしているんだろうと惨めな気持ちになってくる。まして神がセシリアだけに話しているんだから、真面目に聞いてほしいな」

「それは……ごめんなさい」



 完全に私に非があるので、強くは出られない。

 礼を失していたのは完全に私のほうだった。



「すみません、見慣れないところを歩いているもので、気がそぞろでした。あっちは中庭ですかね。本当に美しいです」



 王都の王城に行ったことはないが、ここより美しいとはちょっと想像できない。

 遠くからでも鮮やかな花の色が見えて、まさに楽園と言っていい景観だった。



「庭師の役割の精霊たちが手入れをしている。なかなか上手だと余も思うぞ。みずからの与えられた仕事をしっかりと果たしておる」



 神殿を褒められたせいか、ニコラ様もまんざらでもない顔だった。



「それに、セシリアも与えられた仕事を十分すぎるほどにこなしている」



 ニコラ様は私の目を見て、柔和に笑った。

 部下に対して向けてくる表情としてはこれ以上ないぐらいに温かで穏やかなものだと思った。



「こんなことなら、もっと早くに連れてくるんだったな。経典の詠唱の声がどうとか言っている場合ではなかった」

「それは仕事がよくできるからということですよね」



 自分でもなぜ、少しトゲのある返事をしたかよくわからなかった。

 褒められているはずなのに、素直に受け入れたくなかったのだ。



「それはそうだろう。別に妻を選ぶために巫女を連れてくるわけではないぞ」



 妻という言葉が来て、少しどきりとした。



「あの、ニコラ様はご結婚はされているんですか?」

「していない。神は長命だからな。婚約のために焦る意識がなかった。ずっと一人で政務をこなしている」

「なるほど、では、気になる龍神の女性がいたりとかは。会議でも大変お美しい方がたくさんいらっしゃいました」

「政務をこなす立場の相手と恋仲になる気にはなれんな。まあ、婚約と恋愛は別なのかもしれんが。それにしても、今日はやけに質問してくるな」



 たしかに出すぎた真似をしたかもしれない。

 しかし、今の私は秘書だ。

 理由はいくらでもこしらえることができる。



「秘書というのは、仕える方のことを詳しく知らなければいけないものです。これは秘書として全力で取り組もうという気持ちの現れですよ」



 我ながらよく口が回ると思った。

 そして、完璧な言い訳だ。



「もっともだ。では、お返しにセシリアのことも尋ねてよいか?」

「構いませんが、私にそんなたいそうな秘密はございませんよ」

「巫女をしていたということは。まだ婚約者はいないということでいいか? 山岳神殿で巫女する者に婚約が決まっている者はまずおらん」

「え、ええ……、それが何かっ?」



 声が裏返ってしまった。

 そんなことを正面から尋ねられるとは予想していなかった。



「いや、もしも婚約者がいるのに巫女にされて、さらにこちらの世界に連れてこられたのではやりきれんだろうと思ったのだ。余も巫女を苦しめるためにこちらの世界に連れてくるわけではないからな」



 ああ、そういうことか。



「帰らないといけない事情があるなら無理に引き留めはせん」

「無理なことは何もありません。まだまだ秘書を続けるつもりです」



 決然と私は言った。

 そこから先は自然と言葉があふれてきた。



「私、こんなに誰かに頼られたこと、人生で一度もなかったんです。伯爵家の人間として礼儀正しく振る舞ってはいたと思いますが、それは誰かに頼られることとはまた違いますから」

「伯爵家の人間の役割に徹することも職務を果たすことだろう。別にサボりではない」

「それはそうなのかもしれません。ですが……やはり労働とは違います。それに伯爵家の人間としての振る舞いも無駄になりつつあります」



 私たちはいつのまにか中庭の中に入っていた。

 赤い花も黄色い花も白い花も私のあまり楽しくない話は迷惑そうだった。



「そういえば、複数の貴族が絡んだ大きな政争があったな。戦乱には至らなかったが、力を得る貴族、力を失う貴族、かなり勢力図が塗り替わることになったという話だ」

「ニコラ様は人間の世界のこともよくご存じです。それで実家が没落しかかって巫女にやられたのは私です。いえ、すでに没落したと言ったほうが正しいですかね」



 そもそも、没落とそうでないことの定義などないのだ。

 私も親も没落しかかっているとは思っていたが、一度も没落したとは言わなかった。

 そう言ったら本当にすべてが終わりになってしまうと思っていたからだ。



 まだ没落していない。

 だから復権もできる。

 そう思い込もうとしていた。



 しかし、そんなことは起きない。

 盤面が変わる兆しすらない。

 むしろこれからは平和的にやろうという話に貴族の間ではなっている。



「じゃあ、セシリアはずっとこの世界にいたいということか?」

「はい」



 私ははっきりと口にした。



「私にとってこの世界より素晴らしい世界はないんですから。ここで秘書という役割をまっとうするほうがよっぽどいいです」

「……そうか。少し困ったな」



 ニコラ様は事実を打ち明けるのを迷うように、顔を空のほうへ向けた。

 そう、中庭の真上には透けるような青い空が覗いていて、私たちに優しい光を注いでいる。

 明らかに私の救いがないような話は場違いだった。



「何日という厳格な期限があるわけではないんだが、長くても一年半でこの世界に来た人間には帰ってもらっているのだ」



 まだまだ先の事のはずなのに、私はとてもそうは思えなかった。



「その一年半というのに何か理由はあるんですか?」

「今のセシリアは魂だけが神の世界に来ている状態だ。肉体は元の世界にいる。短期間なら肉体が腐ることも、消えることもないが――」

「一年半が限度ということですね?」

「そうだ。たとえば、二年であれば無事に戻れるか保証できん」



 ニコラ様がうなずく。

 本音を言えば、肉体なんかどうなってもいいですと言ってしまいたかった。

 だが、それはただのわがままだ。

 ニコラ様も、ほかの神や精霊たちも、負い目を感じたりもするだろう。



「ニコラ様、少なくとも、一年半はここにいていいということですね?」



 私はニコラ様に少し顔を近づけて言った。

 背の高さが違うので、少しつま先立ちになった。



 その期限をプラスに読み直すことにした。

 つまり、あと一か月や二か月で帰されるわけではないということ。



「あ、ああ。現状でセシリアがここにいて都合が悪いことは何もない。職務も完璧にこなしてくれている。それに巫女の体を丁重に保護するのも山岳神殿の役目だ。これまでのここに来た巫女も皆、大過なく元の世界に戻ることができた」

「前の巫女の方はどれだけ、ここにいました?」

「前の巫女は侍女をここで三か月行った。そろそろ元の世界に戻りたいと言ったので帰ってもらった」

「その前の方は?」

「その前の侍女は四か月だな。ここに来たことで、元の世界にももっと興味が湧いたので見聞を広めるためにも戻りたいと言っていた。全国の龍神の神殿を訪れる旅に出るとか話していたな」



 なんで、みんなが帰ろうとするのか私にはまだ信じられなかった。

 でも、同時にほっとした。彼女たちはこの世界で神や精霊と恋に落ちたわけではなさそうだ。



「わかりました。私は秘書として全力で仕事に励みます。そして、私がいなければ何の仕事も回らないようにしてみせますね!」



 その言葉にニコラ様は最初、ぽかんとしていたが、それから大笑いした。



「すごい自信だな! 最初に見た時はどちらかと言えば気弱で自己主張もしないような人間だと思っていたが、当てが外れたらしい。いやあ、余の人を見る目もまだまだだ!」

「ニコラ様の目は的確ですよ。私が変わってしまっただけです」



 これまで何か仕事をしてくれと頼まれたことなど一度もなかった。

 せいぜい、貴族の娘としての品格を守っていればそれでよかった。

 それは仕事ではない。



「セシリア、一年半は必ずここにいていいと約束しよう」



 ニコラ様は私の右手をしっかりと握った。

 近いの握手だ。



 また顔が赤くなった気がしたけれど、その時は意気込みのせいで上気していると自分でも思った。

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