7 没落令嬢はこれはデートみたいだと思う
秘書ということになった日の夜。
私は自室に本を持ち込んでベッドで寝転がりながら読んでいた。
室内も廊下も夜でもそんなに暗くはない。
発光するアーティファクトがいくつも置いてあって、王宮全体を明るい状態に保っている。
もちろん消灯することもできるが、寝るにはまだ早い。もっと本を読みたい。
大浴場に行く前にもうちょっとだけ読もう。
と、ドアがこつんこつんと叩かれた。
やけに遠慮がちだ。いったい何だろうとそうっとドアを開ける。
やや不用心だが、悪い人間のノックの大きさではないと思った。
そこには黒髪のメイド服の女性が立っていた。
ただ、普通の人間ではない。というのも背中から翼が生えているからだ。
それも鳥の類とは少し違う気がする。ドラゴンの翼ではなかろうか。
「すみません。部屋の掃除をしに参りました、トカと申します」
「え? 部屋を間違えてませんか? これまでも掃除の人が来たことはないんですけど」
「セシリアさん、ニコラ様の秘書になられましたよね? 侍女の方は自室は自分で掃除することになっていますが、秘書の方の部屋は担当者が掃除することになっております」
あっ、損はしないというのはこれのことか。
「じゃ、じゃあお願いしようかな。ところで掃除中、部屋にいてもいいんですか?」
「ええ、いてくださってもいいですが――」
トカさんは室内を軽く見回した。
なんか、汚いかどうかのチェックをされているようで、まあまあ恥ずかしい……。
「きれいにお使いのようですね」
「あ、ありがとうございます」
褒められたのだから、うれしがってもいいだろう。
住みだしてまだ二週間ほどだから汚す前ということもあるかもしれないが。
「このお部屋であれば掃除も15分ほどで終わると思います。ほこりも少しは舞ってしまうでしょうし、大浴場をお使いにでもなられてはいかがです? 戻ってこられた頃には終わっているでしょう」
「じゃあ、それでお願いできますか」
相手の提案には素直に乗ろう。トカさんだって、目の前に部屋の人間がいたら掃除しづらいだろう。
「動かされたくないものだけ、先に指示しておいてもらえませんか? あと、机の上はいじらないことにしております。もちろん、衣装箪笥の中もいじりませんのでご安心を」
私はベッドに置いていた本を片っ端から机に移動させた。
というか、ベッドに何冊も本が置いてあるのって、はしたなかったかもしれないな。人に見られることを想定してなかった。
「これで大丈夫です! あとは貴重品も何もありません!」
「では、掃除させていただきますね」
トカさんのおじぎに合わせて、私も丁重に礼をした。
どうかよろしくお願いいたします。
お風呂から戻ってくると、ベッドメイクも完璧になされていた。
なんか、貴族の立場に戻ったような感じだった。
むしろ、上級の貴族に昇格した感じ?
自分の将来が謎すぎることを除けば今の私はずいぶんと幸せなのだと思う。
◇
秘書になったとはいえ、私の生活はとくに変わらなかった。
結局、ニコラ様のいる執務室に入って空き時間に本を読む。
今のマイブームは神様の視点で描かれたとおぼしき、人間についての歴史書だ。
なんで人間が作られたのかといった、人間が見ると危ういようなところは書いてない。
内容は国の興亡とかなので読んでも大きな問題はないと判断する。
なんで人間の言葉で本になっているかはわからないが、誰かが翻訳したのだろうか?
以前よりもニコラ様に質問されることは多くなった。
「なあ、この伯爵家5家の中の序列の差というのはわかるか? こういうのも、一応ランク順に並べたほうがいいらしいんだ。その伯爵領の神殿に啓示が行く仕様になっている」
「そうですね、まず、この中で一番の名門はここです。それは間違いありません。残りは、ああ、たしか、数年前に王に貴族たちが拝謁したはずなので、その時の記録があれば参考になるでしょう。それ以降で極端な後退や昇進はなかったのでその順序のとおりでいける気がします」
「わかった。その記録を取り寄せてみよう。にしても、セシリアは地理だけでなく歴史も行けるのか」
「地理と歴史は密接に結びついてるので、そのせいだと思います。まあ、あんまり歴史に詳しいと知られると、婚約の話が来づらくなるから話すなと両親には言われていましたが……」
貴族というのはある意味、歴史を体現したような存在だからな。とくに男の貴族は見栄だけでどうにか暮らしてるような人も多い。
そこで、何かしゃべるたびに、妻から「それは間違っています」と訂正されたら面子が丸つぶれだ。
これが魔法学とかであれば、知ってる人間が特殊なだけとうそぶける。
だが、貴族の立場で歴史を何も知らずにふんぞり返るのは難しい。その歴史の層のおかげでその貴族も貴族でいられているはずだからだ。
なので、歴史に詳しすぎる子女は貴族同士の婚約では警戒されるということらしい。
もっとも、我が伯爵家はそもそも政争で失敗して没落しかけなわけで、そんなつまらないことを言ってる場合ではないのだけど。
「少なくとも、この場ではセシリアは賢ければ賢いほどいい。存分にその力を発揮してくれ」
「はい、わかりました!」
私も神の仕事に携わるのが少し楽しくなってきていた。
こんな名誉なこと、なかなかないだろう。
私の立場が秘書になったことで大きく変わったことがある。
王宮の各所に連れていかれることになったのだ。
「セシリア、今から会議がある。秘書の立場なら参加しても構わんから一緒に来い」
「それはいいんですが、会議の出席者って神様ばかりってことですか?」
「それはそうだろう。何を今更ビビることがある」
「いえ、ビビりもしますよ。神様というのはそれぐらい神々しくて畏怖すべきものなんですから」
ニコラ様は自分の顔を指差した。
「毎日飽きるぐらい見ておるだろう。見飽きないというのなら光栄だがな」
笑っているので冗談だとわかるが、本音を言えばニコラ様の顔は見飽きないほどに整っている。さすが神様という次元のものだ。
なので、近くでそういうことを言われると、こっちが恥ずかしくなってくる。
「あまりそういったことは言わないでください。落ち着きませんから」
「おや? てっきり見飽きましたと返されると思っていたんだが。まあ、いい。行くぞ、自己紹介の機会は余が作るから、よろしくお願いいたしますとだけ答えればいい」
会議室は王宮の離れみたいな場所にあった。
空き時間はいくらでもあったのだが、自分の立場で王宮の中を歩いていいかもわからず、うろちょろしないようにしていた。
ちなみに王宮とずっと呼んでるが、正式名称は知らない。王はいないはずなので、そういう意味では王宮ではないはずだ。
神宮? いや、それなら神殿と呼べばいいのか。神殿だな。
会議室に現れたのは、人間の姿をした貴人風の方ばかりだった。
ごく稀に角が生えているとか、耳がとがっているとか、ちょっとした違いはあったが、いわゆる異形の存在だとか魔物とか呼ぶような見た目の方はいらっしゃらない。
それに、ことごとく美男美女の集まりなのだ。
自分が秘書の立場で潜り込んでいるのが恥ずかしいほどだったが、誰もちんちくりんが紛れ込んでいるとか言わなかったので、そこはありがたかった。
会議の内容は、遠方の地域で開かれるほかの神の祭礼に誰が参加するべきかとか、簡略化しすぎている王都の祭礼に物申す啓示を下していいかとかいった、思った以上に地味な内容だった。
少なくとも神話的な内容のものではない。
「ああ、セシリア、つまらなそうな顔をしているな」
会議中に名指しで呼ばれた。ほかの神様方から笑い声が起きる。
「べ、別にそんなことはございません。それと、神様方の前でそんなこと言わないでください!」
「いや、全員がつまらないと思っているから心配せんでいい。どこそこに大洪水を起こすみたいなシャレにならん議論などせんからな。こういうしょうもないことの積み重ねのようなことしか普段はしておらん」
ほかの神々もうなずいている。
ということはつまんないですねと言っても許されるらしい。
「余たちもよくわからんほど過去には何でもかんでも神が決めようとしておったとかいう話だが、それこそ神話の時代の話でな。余たち若い神ではよくわからん」
「若い神って皆さんは何歳なんですか」
「余は二千年前には意識はあったな」
ほかの神からも二千とか二千五百とかいった数字が出てきた。
「17歳の私にはよくわかりませんよ」
その言葉を言ったら出席者が爆笑した。
若すぎてものすごく面白いギャグだと認識されたらしい。
そこから先も会議は続いたが、少し場の空気がほぐれた気がした。
議題が面白いものに変わるわけではないが、全体的に会議がメリハリのあるものになった。
もし、これがニコラ様なりの作戦だとしたら、ニコラ様はやり手だと思う。
「会議デビュー、悪くはなかったぞ。100点満点で考えれば85点はあった」
「そんなに高い評価を得ると逆に怖いです」
会議後、いきなりニコラ様に褒められた。
ほかの神はすでに会議室を後にしていて、私たち二人だけが最後まで残っていた。
「いや、本当だ。ほかの神の反応も悪くなかった。これからもよろしく頼む!」
ぽんとニコラ様は私の頭に手を載せた。
そういえば、ニコラ様と触れたのは、この世界に連れてこられた時に腕を引っ張られた以来だなと思った。
と同時に、妙に恥ずかしくなってきた……!
顔が赤くなるのが自分でも実感できた。
「あ、あの……や、やめていただけませんか……」
「おっと! 悪かった。髪を触られると気持ち悪いか。セットも乱れるだろうしな。これは余のミスだ」
「いえ……そういうことではないんですが……私も上手く説明できないのでもういいです……」
本音を言えば悪い気持ちではなかったし、もう少し続けてくれていてもよかったという気もした。
だが、それがなぜかと言われると、あまりよくわかっていない。
かつての婚約者だった男爵家の子息に会ったことは何度かある。
だが、顔が赤くなるようなことも、胸が熱くなるようなこともなかった。
もし何事もなければ、自分がこの人と結婚するのかと紙の本に書いてある事実のように感じただけだった。
まあ、私の実家が政争で敗れるという何事かが起きて、婚約が破談となって、結婚もすべて白紙になってるわけだけど……。
恋愛小説というものはあまり興味がないので詳しくはわからないが、どうもそこに書いてある感情に近いことじゃないだろうか。
しかし、誰に聞けばいいんだ。
マハとナラに尋ねてみようか……?
でも、秘密を保持してくれるか謎だし……。
「もう部屋を出るぞ。それとも会議室が気になるか?」
ぼうっとしていたのをニコラ様の声で引き戻された。
「い、いえ……。ただ、この建物自体は気になりますね。侍女のスペースと執務室ぐらいしか往復してなかったので……」
「ああ、見学の時間など取ってなかったな。じゃあ、今から軽く案内しようか」
さっと、ニコラ様は私の手を取った。
「あっ……」
「そうか、自分の部下をエスコートするみたいになるのはおかしいか。職場案内みたいなものだからな」
「いえ、せっかくですので、少しこのままでよいですかね? どこに行くかもわかってないので」
「まあ、それなら」
ニコラ様はそのまま私の手を引いた。
私は胸の中で少しだけ、これはデートみたいだと思った。
何が少しだけかというと、あまりはっきり考えると、ニコラ様に気づかれてしまいそうだったからだ。
業務に集中していないと思われて、秘書や侍女の役目をクビになるのは嫌だ。
将来がどうなるかもわかってないのに、私は今の立場を長く続けたいとその時、本気で感じていた。




