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没落令嬢と龍神のかくも幸せな結婚  作者: 森田季節


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5 没落令嬢は侍女の仕事に慣れてくる

 さて、侍女の業務初日だが――

 いきなり暇だった。



 あまりにもやることがないので、本を読もうとしたりしたが、古代語文献でまったく歯が立たなかった。

 むしろ、こんなもの、専門の学者ぐらいしか読めないだろう。



「これ、博物館で目にしたことがありますよ。古代語の文献でしょう? どうやって読めと?」

「ああ、そのあたりのことも余はこだわりがなくてな。この百年の間にできた地誌なら読めるか?」

「場所がわかれば自分で探しに行きます。それより、何か仕事はないんでしょうか?」



 本当に何もしていない。

 忙しすぎるのも嫌だが、ここまで何もやることがないのも退屈だ。



「侍女というのは、常に何か動いてもらうものではないからな。長らく侍女を置いてなかった理由もそれだ。なくても回る」

「それは、そうかもですね……」

「まあ、今度、お前でも読めそうな本を見繕ってくる。それまではそこで待機していてくれ」

「それじゃ、部屋の掃除というのは……」

「ほこりが舞うから今はいい。それにマハたち以外にも下働きの精霊はいる。といっても、お前の世界と比べればほこりも少ないがな」



 たしかにその部屋は部屋の後ろがほとんど吹き抜けで、時折心地よい風が入ってくる。

 嵐の時なんて、書類が吹き飛ぶのではと心配になるが、神がこれでいいと判断してるのだから、きっと大丈夫なのだろう。



 しばらくすると、マハとナラが荷物を持って入ってきた。

 マハのほうに至っては、軽そうな丸テーブルを持っている。



「休憩。セシリアも、一緒に」

「おいしいフルーツ、いろいろあるよ」



 ナラはテーブルにブドウやナシを並べていく。

 労働らしいことを何もしていないのに、早くも休憩時間になろうとしている……。



「あ、ありがとうございます……。でも、こんなところで休んでいいんですか?」



 貴族の執務室で侍女がお茶会の真似事なんて始めたらクビどころでは済まないだろう。



「別によい。いつものことだ。余もノドが渇いたらナシでもかじる」



 構わないらしい。神の世界は思ったより自由なんだな。



「このブドウ、甘い。食べてほしい」



 マハのほうに差し出された翡翠色のようなブドウを口に入れる。本当に驚くほど甘かった。



「おいしいです。ありがとうございます!」

「よかったよ。このちかくでとれたものなんだよね」



 ナラのほうが少し舌ったらずな調子で笑っている。

 牧歌的にもほどがある環境だ。というか、これが仕事なんだろうかとも思う。



「あの……龍神神はどのような業務をなさっているんですか? やけに書類のようなものを確認なさっていますが」

「ああ、これか。各地の神や精霊に何かを命じたり、報告したりしている。といっても、管轄外の神には何も手が出せんがな」



 よくわからないが、神のほうでも事務的な手続きがいろいろとあるようだ。

 見た目だけなら身体能力もずいぶん高そうなのに、結局事務作業というのがどこか世知辛い。

 英雄のように毎日戦争に出られたのでは侍女の仕事なんてなくなってしまうが。



「それと、龍神様というのはこそばゆい。それに龍神はほかにもいる。名前で呼べ。ニコラでいい」

「わかりました、ニコラ様。私にはその感覚の違いはよくわからないんですが」

「わからなくてもいい。別人間も鳥の気持ちはわからんだろう」



 話をしながら、ニコラ様は書状の内容をチェックしている。複数のことが同時にできるらしい。



「あ、そうだ、ちょうど人数も増えたのだし、経典を読んでくれ」



 当たり前のように、ニコラ様は言う。



「経典を? ここで? ちょっと恥ずかしいですね……」

「なんでだ。余の前でずっと読んでいただろう。それと同じだ」



 私は龍神の浮き彫りを思い出した。

 当たり前だが、あれはドラゴンの姿で、目の前には銀髪の美男子が立っている。

 角も尻尾も彼にはない。というか、ドラゴンの姿になれるのかすら不明だ。



「人の前で経典を読むのと、誰もいないと思って読むのとでは違います」

「だが、お前は龍神に聞こえるようにという意識で、声に出していたはずだ。抑揚も見事だった。ただの壁画だと思っていたなら、あんなに心はこめられないだろう」



 これは向こうのほうが上手だ。

 しかも、経典までニコラは果物が載っているテーブルに置いてきた。

 もう、これは腹を決めるしかない。



 私は経典の言葉を歌うように読んだ。

 本来、歌うことと、詠唱は近い関係にあるから、人によっては歌のほうに加えるかもしれない。もっとも、歌唱の手ほどきを受けたことはないから、自己流でしかない。



 あまりニコラ様の顔を見るのはしないことにした。照れ臭くなれば、やりづらくなる。

 だいたい特定の誰かに向けて歌うだなんて、大都市の芸人ぐらいしかやらないだろう。

 歌劇の中では、どんな貴族も王侯も相手に向けて歌っているが、あれは歌劇だけの特例だ。



 きりのいいところまで読むと、大きな拍手が飛んできた。

 ニコラ様だけではない。マハとナラからもだ。



「素晴らしかったぞ! すっかり聞き入ってしまった」

「セシリア、上手。心から、マハ、思う」

「むねがほわあああっとなるよう。ナラもかんどうしたあ」



 慣れていないから笑顔で応対することもできない。しかし、褒められて悪い気はしなかった。



「楽しんでもらえたのなら、よかったです」

「いや、楽しむもなにも、これがあるから、お前を侍女に選んだ」



 やましいことなど何もないといった調子でニコラ様は言う。



「事務だけならとくに人の手はいらんし、掃除だとかも人間ではない下働きがいるからな」



 ちらりと視線がマハとナラに向く。彼女たちが普通の人間でないことは出会った時から感じていた。

 態度が違うというか、質感が人間と全然違う。霊を見たりした経験はないが、そちらのほうがずっと近いんじゃないか。



「なんだか歌を歌うだけの芸人として呼ばれたみたいですね」

「あながち間違ってはいない。というわけで、これからもよろしく頼む」



 専門的な仕事ができるわけがないとはいえ、もう少し何か頼ってもらいたくもある。かといって、あまりに大変な仕事はしたくない。

 このあたりの矛盾した考えも乙女心だということで。



 ちなみに食事は食堂で行うらしく、マハとナラがまた案内に来てくれた。

 食堂では緑色の髪の紳士がおいしそうな料理の載った皿を持ってくる。彼も人間ではなさそうだが、食事はしっかりとおいしかった。少なくとも実家で食べるものよりはずっと。






 その日も夜は大浴場でお風呂に入った。

 だんだんと、ここでの生活に慣れてきている自分がいる。

 自分ってこんなに図太い性格だったんだなあ。



 いつ元の世界に戻れるかわからないけど、これだけ図太いなら案外やっていけるかもしれない。そんな不思議な勇気が湧いてきた。

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