4 没落令嬢は神の侍女として働きはじめる
侍女用の服は自室に用意されていた。
それは私たち山岳神殿で働いていた巫女の服装とも似ていた。
あの巫女というのは侍女の候補生らしきものだったということだろうか?
シャルロット先輩も神様に連れていかれる巫女がいるという話はしていた。
おそらく、これのことだ。
着替えて、しばらく部屋の中に何があるかとかいった泥棒じみたことをしていたら、ドアがノックなしに開かれた。マハとナラが立っていた。
「あっ、おはようございます」
二人は小さく頭を下げると、もう私に背を向けた。
少なくとも、あいさつの声が小さいとダメ出しするような先輩では絶対にないらしい。
宮殿らしき広間に出てから、別の廊下に入って少し歩くとずいぶんと装飾過多のドアがあった。
マハがまたもやノックなしに開けると、その中にニコラと名乗った龍神がいた。執務用の立派な机に陣取っている。
机の後ろ側は手すりがあるだけで、その奥には深山幽谷と言っていい景観が広がっている。こんな場所は山岳神殿近辺にはないので、やはり異界だ。
「マハ、ノックぐらいしろ」
あっ、やっぱりノックはマナーなんだ……。
「まあ、いい。じゃあ、侍女の仕事をよろしく頼む」
結局、何をすればまったくわからないまま、今日になってしまった。
「あ、そういえば、お前の名前は……」
私も今更ながら、この龍神に名前を告げてなかったことを思い出した。
向こうも気にならなかったのだろう。
それだけでも私への敬意がないことは明らかだ。
「セシリアと申します」
「そうか。おそらく不安もあるだろうが、我慢しろ」
えっ、そこは不安もあるだろうけどだんだん慣れてくるとか、わからないことがあったらサポートするとか、そういうことを言う場面じゃないのか……。
「我慢しろ? まあ、我慢するしかないという意味ではそうかもしれませんけど……」
「不服か? だが、お前は巫女として神殿に仕えておっただろう。なら、侍女として働くことになっても文句を言う資格はないぞ。お前はそうなる可能性がある立場にいた」
やっぱりか。山岳神殿の巫女システムは侍女候補を神殿に詰めておくものだったのだ。
「しかし、こんなことは……巫女は正式には知らされてはいません」
「それは神殿運営側の都合だ。余は口外禁止など言っておらん」
まあ、龍神を名乗る貴人に謎の王宮に連れていかれると話したところで、錯乱していると思われるのが関の山だろう。
「それで、私は何をすればいいんですかね。侍女というと下働きのようなものだと思うのですが、そういったことをした覚えもろくにないもので」
ほんの少しだけトゲを付けて答えた。
これでも私は伯爵家の娘なのだ。人の下について何か働くことはなかった。ひたすら地理や歴史の本を読みあさって時間を過ごしていた。
「やってほしいことがあれば、余がその都度言う。それまではそのへんに立っているか、あるいはそこの椅子に座っていろ」
執務室の前にはたしかに椅子が一脚ぽつんと置いてあった。執務室と一揃いで造作されたとおぼしき龍神の椅子よりは質素だが、それでも十分に高級そうだ。
「つまり、じっと立ったり座ったりして待っていればいいということですか?」
「そうなるな。空き時間は何か本でも読んでくれてもいいぞ。この部屋にいること、それが侍女という役職の主要な業務だな。どうした? 気を悪くしたか?」
「いえ、別に楽しくもないですが、不快でもないです」
奴隷のようにこき使われるわけでもないようだし。
「ただ、疑問はいくらでもあります」
「ここがどこかと言われれば神の世界としか答えようがないぞ。お前ら人間が世界のことわりをすべては説明できないようなものだ。行ったこともない場所にも人がいて獣がいて虫がいて、川も山も海も砂漠もある」
「そういうことではなくて、なぜ、私を選んだんですか?」
一、二か月ごとに誰か巫女が引っ張られるなら、巫女の中に経験者がいたはずだ。
口外しないよう巫女が努めたとしても、何か隠し事をしている空気ぐらいは発せられただろう。
つまり、私はずいぶんと久しぶりの選ばれた巫女――侍女ということになる。
いちいち口にしないが、好色な龍神に見初められたということでもない。
それだったら巫女が七人も詰めていて、ろくに選ばれてない状況と矛盾する。
あと、私がことさら美しいと勘違いしない程度には、自己の客観評価はできているつもりだ。
「お前を選んだ理由だったら、明確な判断基準がある」
意外にもはっきり美形で長身の龍神は言った。
「ちなみにお前は何だと思う? せっかくだし、考えてみろ。ちなみに目を見張るような美貌だったとかではない」
「いちいち言わなくてもけっこうです」
「さすがに神殿で働く巫女は顔が整っているし、土で汚れた顔で祈りも捧げんからな。お前以外の者もなかなかの顔立ちだ」
だから、いちい言わなくていい。
「まあ、余の顔のほうがずっと整っていると思うが」
「ただの自画自賛ですか? そうではありますが、そろそろ考えさせてもらえませんか?」
ニコラという名の龍神様がまさに貴公子といった顔立ちをしている点については文句のつけようがない。
田舎貴族にはひどく恰幅がいい、倒しても起き上がる人形のような風体の殿方もたまにいるが、そういうタイプではない。
かといって、いかにも性格の悪そうな顔をした、王都周辺にわずかな領地を持っているだけの都市貴族とも違う。
まさに生まれながらの王の風格で、その地位をありのままに受け入れているようなところがある。
顔が整っているのは、いちいち触れるのがあほらしくなってくるほどだ。
こんな相手が婚約者だったら、たとえ貴族としての身分が低い相手だったとしても、みんな喜んで嫁ぎに行くだろう。
これで不幸な結婚とでも愚痴をこぼされたら、ろくでもない結婚を強いられた数多の子女の霊に呪い殺される。
さて、私が選ばれた理由だ。
……。…………。本当に何も浮かばない。
巫女はそれなりの身分の女性ばかりだ。だから、身分は問題にならない。
「昔、私の実家の所領を観光して楽しかったとか?」
「お前、冗談を言わないといけないと思ってるのか?」
「これでも全力で考え抜いたんです」
「答えは簡単だ」
机に肘をついて、ニコラという龍神様は言った。
「お前の声が実に美しかった」
言われて悪い気はしないが、妙な褒められ方だなと思った。
「声、ですか? 別に声楽の勉強をしたわけでもないですが」
「そういうことではない。お前の声はひたむきさが感じられた。目の前の龍神に本当に経典や祭文の言葉を伝えてあげようという気持ちがあった。あれはなかなかできることではない。普通はなげやりに、形式的になる。ひどい者になると黙読すらせずに、じっとしてるだけの奴もいる」
やはりサボっている巫女はいたのか。
なんとなく、そんな感じはしていたのだけど。
「侍女というのは暇な時間も多いが、あまりに不真面目な奴が横におっても、余のほうが不愉快だ。だからちょうどいいと思った」
「ありがとうございます」
「別に礼を言われることではないぞ。お前の実家の借金が消えるわけでもない」
我が家の惨状も知っているのか。
「真面目だと褒めてもらえたわけでしょう。そのことに対する礼です」
「まあ、仕事がつまらないから帰りたいと言うかもしれんがな。侍女をもてなす気はこっちにもない」
話題が途切れたので、私は椅子に座った。
ほどよい弾力があって、やはりいい生地だと思った。
そういえば、マハとナラの二人はいつのまにかどこかに去っていた。




