3 没落令嬢は神の世界に連れていかれる
山岳神殿での巫女の生活がスタートした。
巫女は私を入れて、七人。なんでも伝統的に奇数でなければならないらしい。
あんな縦長の神殿でどうやって生活するのかと思っていたら、神官の宿舎も巫女の宿舎も隣接して別にあった。巫女の宿舎は質素ではあったがこぎれいだった。
私が入るのと同時に三年目だったという巫女が退任した。彼女も騎士という貴族の階級だと最下層の家柄だったが、もう縁談は決まっているという。
「とにかく貞淑な結婚相手がほしいって男の貴族も多いからね。そういう相手にとったらちょうどいいんだよ」
少し皮肉気にシャルロット先輩が言った。
「私はさすがに巫女になったばかりで俗界に戻ったあとの縁談のことまで考えられません」
「それはおっしゃるとおり。まあ、作業はそんなにしんどくないから慣れていって。どっちかというと、地味な仕事だから暇をつぶすほうで困るよ」
先輩の言葉はすぐに実感となった。
本当に最初のほうこそ、慣れないことなので覚えないといけないと緊張したが、掃除や食事をルーティーンで行い、これまたルーティーンで龍神の浮き彫りで教典や祭文を唱えれば、業務として終了だった。
教典をすべて暗記しろとかであれば一気に勉強の難易度が上がっただろうが、冊子を見ながらでいいので、文字が読めないわけでもない自分にはそう大変ではなかった。
掃除も面倒だが、全員参加だから、かかる時間が知れている。
ある意味、最大の難関である巫女同士の人間関係だが、こちらもわがままな女子もいなければ、お目付け役的なガミガミ言う女子もおらず、かなり平和だった。
あえて困ったことを挙げれば、自由時間の話題がみんなあまりないということぐらいか。
「生活が単調だから話題も増えないよね~。変な観光客が来れば、それが話題になるかもだけど」
「それだって神官のほうで案内とかしちゃいますしね。巫女が案内することはめったにないですからね~」
「そりゃ、そうだよ。私たち巫女だしさ。かっこいい殿方とかにときめいたら巫女失格じゃん」
「でも、それだったら神官だって貴婦人にときめくことあるかもしれないですよ。それって差別ですよね」
「でも、若々しい神官なんていないから、問題ないんじゃない? 空き時間に研究とかしたい学者肌の神官しかここには来てないよ」
とくに盛り上がりもしない話をみんなしている。
共通の話題ではあるのだけど、とにかく地味なのだ。
そして巫女の業務を行ってから二か月ほどが経った日。
その日、私は夜に龍神の浮き彫りの前で祈る係だった。
龍の陰影が光魔法に照らされて、少しだけ不気味だ。
火災を防ぐために、神殿の内部は光魔法の効力を出すアーティファクトが置かれている。
一般家庭ではとうてい買えるようなものではないので、田舎にあるとはいえ、山岳神殿はそれなりにお金があるらしい。
私はぶつぶつと経典の言葉を唱えていく。
シャルロット先輩たちは黙読でいいと言っていたが、やはり神様に対しても声を出すべきじゃないかと思う。
これが自分の中の主義なのか、たんにまだ巫女の生活が二か月でだらけ方がわかっていないからなのか、どちらかはわからない。
半年後には自分も黙読にしているかもしれない。
「いと気高き龍神よ、その福徳を大地にもたらしたまえ。いと気高き龍神よ、その憐憫を我々にもたらしたまえ」
多くの部分が対句になっているが、とにかく経典が長い。
それでもこれが巫女の職分だと思って、立ったまま、経典を読み続ける。
そんな折のことだった。
足音のようなものがした――気がした。
はっとして、階段のほうに視線を送った。
神殿周辺には巫女も神官も生活しているので、彼らの誰かが上がってくることはありえる。
「誰も……いない……。たしかに、この時間の当番は次の交代の巫女も来ないはずだけど」
早朝の当番までは誰も龍神の前にはいない時間がある。
私の時間が終われば、巫女の宿舎に戻って眠ることになる。
だが、気配らしきものはある。
たんなる勘違いかもしれないが、何かが近くにいる気がする。
思わず腰が抜けて、私はその場にへたり込んだ。
分厚いじゅうたんが敷いてあるからケガはないが、足が立たない。
「ああ、お前、私のことがわかるのか」
その声がたしかに私の真ん前から聞こえた。
意外すぎて、悲鳴をあげることすらできなかった。
「ちょうどいい。こっちに来てくれ」
右腕を誰かにつかまれて、引っ張り上げられた――と思った次の瞬間には、背の高い銀髪の貴族風の男が真ん前に立っていた。
「えっ……? あ、あなた、誰ですか……。いや、その前にここ、どこ?」
私は見知らぬ宮殿の広間のような場所にいたのだ。絶対に山岳神殿ではない。
「えっ? ここ、どこ……。本当に何が起きたの……?」
山岳神殿は立地の問題もあって、広々とした空間はない。
貴人が来た場合の応接用の空間も神官が生活する建物のほうにあるぐらいだ。
「ここは龍神側の世界だな。といっても、それでお前が納得するかは別だが。こちらとしてはそう答えるしかない」
「じゃあ、あなたは龍神……ということですか?」
龍神を名乗った殿方の手がゆるんでいたので、私は右腕を彼から解いた。
腕をつかまれたままというのは、嫁入り前の自分としてはあまりいいことではない。
周囲に人間の貴族がいるとはとても思えないけれども。
「おっしゃるとおりだ。余は龍神のニコラだ。一応、お前が巫女をやっている神殿の主神だな」
「あの……私の体に何が起きたんですか? 違う空間に飛んでしまった?」
私が焦るのが全く伝わってないのか、ニコラと名乗った龍神は落ち着いた調子だった。
もう少しぐいらい、私の身にもなってほしい。
「厳密には違う。肉体を運んでくることはできない。だが、惜しいことは惜しい。お前の精神だけがこちらに来ているわけだな」
淡々と言われても困る。
「あの……帰してもらえないでしょうか?」
「断る」
最初、何を言われたのかわからなかった。
「こ、ことわる……? ということは帰れないということですか……?」
「お前は神殿の巫女だろう。ということは余に仕えることも仕事のうちだ。ここで侍女として仕えよ」
平然と言い放つと龍神はつかつかと王宮じみた広間を歩いていく。
謎の空間でじっとしているわけにもいかないので私もついていく。
「あの、侍女として働くとしても、せめてもう少し説明がないと困ります……」
「必要なことがあれば、追って説明する。まあ、今日は余は働かんし、お前も部屋で寝ろ」
淡々と龍神は言った。いかにも命令慣れしている口調だった。
「そこの者たちに聞け」
龍神様が視線を右のほうにやる。
そちらに侍女なのか女官なのか呼び方はわからないが、女子二人が無表情で突っ立っていた。
しかも全く同じ顔で、わずかに髪の色が赤みがかってるのと、青みがかってるぐらいの違いしかない。双子で間違いないだろう。
「精霊のマハとナラだ。あいつらがいろいろ教えてくれるだろう。また、明日の朝に執務室に来い。部屋は余っているはずだし、女子用の浴場もある。暮らす分に問題ない」
マハとナラと呼ばれた二人にあいさつをしていると、もう龍神はどこかに消えていた。
「ええと、どちらがマハさんで、どちらがナラさんですか?」
まず、赤い髪のほうが、それから青い髪のほうが手を挙げたので、赤がマハで。青がナラなのだろう。人間の世界と違うからか、コミュニケーションがやや難しい。
私は侍女用の部屋というには、ずいぶんと立派な天蓋付きベッドのある部屋に案内された。それから、ここに大浴場に案内された。
「お風呂。みそぎ、兼ねる。朝は、必ず、入る」
赤い髪のマハのほうが片言で言った。
「だいたい、わかりました。あの明日はどうしたらいいですか?」
「おこしにいくよ。ねててもいいよ」
青い髪のナラが言った。それで説明はすべて終わったとばかりに大浴場から二人は去っていった。
もう、私もどうでもよくなってきた。
「とりあえず、お風呂にでも入ってくつろぐことにしようかな……」
お風呂は適温だった。
どこからお湯が出ているのかは面倒だから考えないことにした。




