2 没落令嬢は神殿の生活をスタートさせる
マルニー神殿と言っても、ピンとこない人間は多い。
大半の人間は山岳神殿という異称のほうで覚えているからだ。私も山岳神殿と呼ぶ。
山岳神殿は横を流れる急流河川のマルニー川によってできた、険しい岩山に作られている。
街道は岩山のそばを通っていて、そこが山岳神殿の入り口でもある。岩山を包み込むような石と木を組み合わせた箱状の部分が山岳神殿だ。
まるで岩山の巨大な仮設工事みたいなので、内部だけでなく外側も対岸から眺める観光名所になっている。
内部に入ると、いきなり岩山の側に巨大な彫刻が現れる。岩山を使ったこの古代の彫刻を保護するためにできたのが山岳神殿だと言っていい。
壁の彫刻を除けば、信者が礼拝を捧げるところと通路ぐらいしかない。ここまで奥行きのない神殿も珍しいのではないだろうか。
したり顔で書いているが、私も現地に到着して驚いた。
「本当に、壁に神々が彫られているんですね……」
数メートルは軽くあるだろう。私は思わずへたり込みそうになった。
その様子を見ていた案内役の老神官は自分の作品のようにしたり顔をしていた。
「これはまだ一層目にすぎません。少し急な階段を上がることになりますが、この上に二層目、三層目、最終的に五層目まで神の彫刻が続いております」
「本当にすごいです。これが観光なら本当に楽しかったんですが」
私の言葉に老神官は苦笑した。
「巫女として入られたんでしたな。まあ、今日はまだ観光の気持ちでいてくださってけっこうです。業務の説明は先輩の巫女が行います。同じ世代の女性から教えてもらうほうが、あなたも気を遣わないでしょう」
「そう……ですね」
それは教育係次第だと思うが、言ってもしょうがないので黙っていた。
もし、厳しく嫌味ったらしい先輩の巫女だったら最悪だし、この真面目そうな老神官に教えてもらうほうがずっとよさそうだが……神殿への到着当初から生意気な奴と見られればもっとリスクが高くなる。
「これから何度も上り下りするので、上も見ていきなさい」
ひょいひょいと木製の急な階段を老神官は上がっていく。工事現場の足場みたいだ。
二層目、三層目と、王都でも祀られているという高名な神が岩肌に彫られている。白い岩肌だからか、なかなか神々しい。
だが、最後の五層目だけ少し雰囲気が違った。
「ドラゴン……ですね」
そこに描かれているのは巨大なドラゴンの浮き彫りだ。
「ええ。これがこの山岳神殿の真の祭神なのです。大昔、この地域は何体ものドラゴンが住んで、人間を見守っていたと言われております。地域に根差した神話ですが、それが中央で祀られるような神の信仰と融合したんでしょうな」
礼拝空間では、白い薄絹を重ねた服装の若い女子が祈りを捧げていた。
「あの方も先輩の巫女ですな。ここでの巫女の大事な業務の一つはこのドラゴン――龍神に祈りを捧げ、奉仕することです」
「龍神に祈り……」
「神殿の維持・管理・造作・経営は男の神官たちが、神に仕える仕事は巫女が行います」
それって、ほぼ男の神官が全部仕切ってるのでは……と思ったが、巫女という呼び方からして、補助的なことをやらされるのはなんとなくわかる。
女性が運営に深く携わるなら神官とか司祭とかいった名前がついていただろう。
と、祈りを捧げていた先輩巫女が私のほうに顔を向けた。
今になって気づいたが、黒髪だ。この地方では少し珍しい。私もブロンドの髪だ。
「あなた、新人の巫女ね。これからよろしく。シャルロットよ」
「セシリアと申します。よろしくお願いします」
「伯爵家の出身よね。申し訳ないけど、巫女の世界は完全な年功序列だから我慢してね。私は男爵家の六女で完全に余り者としてここに入れられてる」
「神殿の中で俗界の地位なんて気にしませんよ。どうぞ、こきつかってください」
俗界の地位なんてというのは皮肉だ。
大貴族の一族が神官などになれば、大貴族のような扱いともてなしになるのはそのへんの庶民でも知っている。そんな神官が誰か救えるのだろうかと思う。
もっとも山岳神殿なんて辺鄙な場所に大貴族の関係者が来るわけはないから、そこはもっと厳粛だろう。
「実を言うと、こきつかうというほど重労働があるわけではないのよ。担当者が神々に捧げる簡単な食事――神饌を作って、当番の時間に祈りを捧げるぐらいね」
老神官が何も言わないので、それで間違いはないのだろう。
「あとは龍神に選ばれてしまった場合だけど、これは事前に準備することでもないしね」
「龍神に選ばれる?」
「神様の世界に一時的に連れていかれると言うわ。でも、経験者が夢を見ていただけとも言われたりするし、よくわからないわね。私は巫女をやって一年半になるけど、そんな経験はない」
神様の世界に連れていかれる……。
どことなく生贄になるみたいな響きがあった。
だが、話の中身からすると、経験者は戻ってきているわけで、ならば怖がるようなことでもないのか。
事実、シャルロット先輩は何も恐れている様子がない。
「思った以上に敬虔な生活よ。それをみんな嫌がるから巫女は人気がないの。ここに入れられたってことはあなたの親もほかの貴族への点数稼ぎであなたを選んだんじゃない?」
点数稼ぎか。適切な表現だと思う。
「そんなところです」
私は笑いもせずに答えた。
伯爵家の家名に似合わない疲れた屋敷で、いつ来るかもわからない縁談を待ち続けるのと比べれば信仰生活に入るほうがよっぽど有意義だ。




