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07 夫婦の時間に期待しちゃう





 ナドカさんの戦闘座学が終わって、俺たちはマーモットを後にする。

 黄昏時を過ぎて、街灯や家の明かりがあちらこちらで道路を照らしていた。


 仕事終わりの猫耳獣人OLが駅から歩いてくるのとすれ違い、大工っぽいドラゴニュートがネイルガンやらコンプレッサーやらを軽バンへ積み込んでいる横を通り過ぎた。


 凶悪な「欲の力(グリード)」を持っている魔物は戦闘力が高いから、ストリートでの喧嘩どころか殺しを生業(なりわい)にする傾向にある。だけど、世間一般的に見てそういうのを持っていない魔物はまあまあ真面目に働いているようだ。だから人間の生活圏にもちらほら居る。


 さっきすれ違った魔物たちも戦闘向きのグリードを持っていないのかもしれない。それか、大工やOLをマジでやりたかったか。

 人間界の文化が好きになり、普通に仕事して、帰ってからオンラインゲームをしたり、友達とダベりながら居酒屋で平和に酒を飲みたい、という可能性も考えられる。


 マンションを上がって一〇階へ。

 自分の家の隣にある玄関前へ、瑠夏と一緒に立つ。


「どーぞ。入って」

「……はい」

「ふふ。『はい』って何。まさか緊張してんの?」 

「まさか」

「まさかね。何年夫婦やってたと思ってんのってね」

「そんなやってないだろ。俺たちはまだ二十代だった」


 感傷的に天井を見上げた瑠夏の心境はもちろん俺にも分かる。

 日常生活に集中している時はまだマシだが、ふとした瞬間に思い出し、それがかなりメンタルに来る(・・)のだ。


「……本当だよね。これからだった。カイとルナを二人で育てて。あたしたちは引退して、あの子達や孫の行く末を見護るはずだった。マジであのクソ天使、何をやってくれてんだって感じ」

「絶対に、殺すよ」


 俺の言葉を聞いた瑠夏は、死の決意が入り混じったイカれた視線を向けてくる。

 こういう時の瑠夏の顔を見ると、断じて普通の中学生なんかではないことを嫌というほど思い知らされる。

 ジルとメルが転生などして来なければ、蒼真も瑠夏も、きっと普通の人生を歩めたのだろう。


「そうだね。絶対に」

「ああ」


 言った言葉の半分は嘘だ。

 本心では、瑠夏を護るためなら最悪は紫眼の魔女を倒せなくてもいいと俺は思ってる。こんな俺の演技に、瑠夏はまだ気づいていない。


 リビングに案内されて、ソファーに座る。

 幼馴染の俺たちだから、互いの家にはしょっちゅう行ったり来たりだ。

 でも、誰もいない状態で二人っきりになったことはない。


「はい、コーヒーどうぞ」

「ああ、サンキュ。ところでさ、親が出掛けてるなら、夜ご飯はどうすんの?」

「お母さんが作ってくれてるのがある」

「そっか。……でもさ、やっぱ先にお風呂入ってこないと手当てがやり直しになっちゃうだろ。家で入ってくるから、先にご飯でも食べて待っててくれる?」


 傷に沁みそうだったからマーモットでシャワーを浴びるのは何となくやめたんだけど、手当てをするならこのままって訳にもいかない。


「じゃあここで入ったら」

「はい?」

「だから。前世は夫婦。そのリアクションおかしい」

「いやまあ……それは、そうなんだけど」


 と言ったのを最後に無言が支配する。


 そうは言っても俺たちは、今世的には付き合ってないし結婚もしていない中学生の男女だ。そのうえカラダ的にはものすごい思春期ど真ん中。

 小学生の頃はパンツのことだけ考えてガンガン邁進していれば良かったが、思春期の俺たちは絶対にそこじゃ止まれない。確かにパンツは死ぬほど見たいが、その先まで突っ走る度胸は、実はまだ無かった。


 俺が動揺しているような態度をとったからか、瑠夏まで頬を染め始めた。こんな様子を見せられると、こっちまで体温が上がってしまう。

 お互いバッチバチに意識しながらの無言。なかなかにキツい。


 しかし、言われてみれば前世は夫婦だ。確かに何もおかしくはない。なんだったら一緒にお風呂に入っても、同じベッドで寝てもいいはずだ。その程度のことなんて夫婦としては問題ないと、「ジル」の感性が盛んにアピールしているし。


 反面「蒼真」の感性は、ずっと大好きだった幼馴染の女の子と二人っきりで部屋にいて、しかも場合によっては大変なことが起こるんじゃないかという期待感で胸が張り裂けそうになっている。

 凄まじいストレスだ。嬉しいけどストレス。もうどうして良いかわからない。


(これって、瑠夏も同じなのかな……)

(待てよ。よくよく考えてみれば、俺が単独で風呂に入るだけじゃないか?)

(それも、傷の手当てをする目的で。別に一緒に入ろうと言われている訳じゃない)

(うん)


 こんな感じで、「考え過ぎも良くない」と蒼真の感性が認識を改め始めた。

 結果、ちょっと悩んだけど、俺は素直にお風呂を借りることにした。


 瑠夏は風呂にお湯まで張ってくれた。

 傷に染みて痛いかと思ったけど、せっかくだから入らせてもらおう。

 どっぷり肩まで湯に浸かると疲れが取れる気がして気持ちいい。


「あ──っ。これは天国。マジで疲れたわー」

「そうちゃん、お湯加減はちょうど良かった?」

「うん」


 あれ?

 あいつ今、脱衣所にいる?


「どこまで入って来てんの!?」

「いやちょっと気になっちゃってさ。そういやウチの温度設定って一般的には熱めだったかなって思って」

「大丈夫です……」

「ふふ。なんで敬語なの」


 風呂場のドアの曇りガラスに映る瑠夏の姿に何かドキドキさせられる。別にあいつが脱いでる訳じゃないのにな。


「ふう……ったく、どうなるんだこれ──え?」


 風呂を出て、脱衣所にある制服のシャツやらズボンやらが綺麗に畳まれていることに気づく。

 しかもパンツまで。

 おい! お前が先に俺のパンツ見てどうする。


「お疲れ。スッキリした?」

「あのな。勝手に服を畳んだだろ」

「脱ぎっぱなしが超汚すぎたからさー。何度も言ってるけど、前世は夫婦」

「……まあな」

「じゃ、手当てしよ? ここ座って」


 ソファーをぱんぱん手で叩く瑠夏さん。

 なんか完全にペース握られてんなぁ。

 あれ。前世でもこうだっけ?


「はい……」

「だから『はい』って何」


 栗色の前髪を手でいじりながら、瑠夏は俺から視線を逸らす。


 まずは腕からだ。

 俺は上半身裸になり、隣に座る瑠夏の膝の上に、自分の腕を置いた。

 瑠夏は、切り傷と青アザだらけの俺の腕を消毒をして、包帯を巻いていく。 


「酷くやられたね……」

「実戦で死なないためだしな。しょうがないよ」


 こうは言ったが、ナドカさんが言ってたとおり訓練で死ぬという可能性はあながち嘘ではないと思い始めてる俺。だってマジでキツいし。


「うん。そうだね。……ねえ」

「うん?」

「そうちゃん、すごく逞しくなったよね」

「ああ……まあ、あんだけ訓練すりゃ、そりゃあな」

「すごいね。前世じゃ体なんて鍛えてなかったからねー」

「筋肉ムキムキタイプが好きだっけ?」

「んーん。でも、今世のあたしがさ」


 瑠夏は、俺の胸筋に触れた。

 ムニムニと柔らかくつねったり、ツンツンしてる。

 遊ぶように俺の体を弄る瑠夏の指先は、そのうち腹筋へ。


「わー。シックスパックってやつじゃん。割れてる」

「小学生からあれを続けりゃそうなるよ」


 筋肉の割れ目に沿って、優しく指先を這わせる。

 こそばゆくて、体がくねる。


「んっ……あのなぁ」

「あは。こういうのは前世と一緒だ。くすぐられるのに激よわ」


 指はだんだんと下方に動いておへその下を撫でている。

 瑠夏の頭が俺の脇のあたりにあって、俺はそれを上から眺めていて。

 二の腕に、瑠夏の吐息がかかっていた。

 いつもより早い呼吸が俺の肌を温める。

 

「あ、あのさ……」


 瑠夏が言葉を止めてしまったので、俺は適当な声を出して空気を変えようとした。

 瑠夏はハッとしたように顔を起こす。


「前世は夫婦」

「だよね」

「ねぇ。そうちゃんはさ」

「ん?」

「……なんでもない。ごめんごめん、手当の最中だったのにね。続き、しよ」


 次は背中。

 背中を攻撃されたという訳じゃないけど、吹っ飛ばされたりした時に擦り傷とかが多い。

 消毒液を塗られて沁みた。


()っ……」

「我慢だよー。背中、広くなったね。頼もしくなった」

「そっか? 自分ではあんま分かんないけど」

「すっごいよ。こっちもしっかり筋肉がついててさ。同年代でこんな人、なかなかいないと思うよ」


 瑠夏は俺の背中に手を触れて、筋肉の境目をまた指でなぞっている。どうやら転生して筋肉フェチにでもなったらしい。

 前世でメルは「ムキムキ男なんて気持ち悪い」とか言ってたけど、今世の瑠夏がそっち方向の趣味なのかな。


「じゃあ、ボディビルダーみたいになろうか。めちゃくちゃ鍛えて」

「そこまではいらない。細マッチョがいいの」

「そうですかー。難しいな」

 

 そんな話をしながら、瑠夏はしばらく俺の背中を撫でてたんだけど。

 急に瑠夏が動きを止めた。

 

 何をしてるのかよく分かんないけど、たぶん瑠夏は、額を俺の背中に引っ付けてじっとしている。

 吐息が背中に当たるなぁ、とか呑気に思っていたら、突然後ろから抱きつかれた。


「え?」


 愛でるようにギュッと包まれて。

 何が起こったのか分からないまま、ソファーにゆっくり引き倒される。

 瑠夏は、俺の上から覆い被さった。


「る、瑠夏? あの」

「前世は夫婦」

「……そ、そうだけど、」


 だんだんと、顔を下ろしてくる。

 唇よりも先に俺の顔に触れる、肩くらいの長さの髪。

 初めて見るはずの理性を飛ばした顔は、一方では懐かしさにも似た愛しさに溢れていて──。


 がつん! っと瑠夏が俺に頭突きした。


「いったー!!」

「あっぶな。あっぶなっ!」

「危ないって、もう当たってるよ!! ってかワザとやったなこのやろう!」


 まさかの不意打ちだ。これはナドカさんの攻撃よりも俺の隙をついた。

 一体全体どうなってんだよ……と俺が手で顔をさすっていると、瑠夏は、壁に頭をゴンゴンやりながら何やら独り言を呟いている。


「……馬鹿。だめ。だめって決めたじゃない。馬鹿。なに考えてんだ馬鹿」

「なにやってんだよ瑠夏!」


 俺は慌てて瑠夏を羽交締めにしてやめさせたんだけど、俺が手を離すと、瑠夏はホラー映画さながらの様子でふらりと振り向いた。

 なんか目がイッてる。やばい。


「……ふふふ。ねえジル。さっきのは違うの。違うから。誤解しないでね」

「え……何が」

「前世では夫婦だけど、今世は違うから。今のはあたしじゃなくて、思春期の瑠夏が前世は夫婦って口実使ってめちゃくちゃやっただけだから。そのせいで若干こっちも我慢できなくなっ──」


 どうやら今はメルの性格特性が非常に濃い状態らしい。

 メルは、両手で口を押さえて(かが)み込む。いや……メルだけだったのか? 屈みたくなったのは。

 とりあえず、女二人(・・・)はそのまましばらく塞ぎ込んでいた。 




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