58 さよなら(美咲視点)
ブレスト・レジデンス四〇階。よくもまぁこんなところまで階段を登って来たもんだ。以前のわたしなら絶対にしないし、できない。
「美咲。俺が喋る」
「オッケ」
事務所にいたあの虎男の話が本当なら電話しても気づかないようだから、インターホンのチャイムを押す。というか、そもそもわたしたちの作戦は外の映像が見れるインターホンじゃないとできない。
それにしても、どういう様子を演じるのが適切だろう?
罪悪感を演出したほうがいいと思うしなぁ。ちょっと項垂れてみようか。
ブッ、と何かが作動したような音。無音だが、これはインターホンが繋がったのだろうと理解した。
「……あなたたち。こんなところまで来て何の用なの。美咲を呼んだことなら後にしなさい。時間が来たらまた連絡する。剛毅はまだ休んでいるわ」
「いえ。そのことではありません。急ぎご報告したいことがございまして」
「だから後にしなさいと言っているでしょう。あなたたちだけで処理できないことなの? 総裁がいないと何もできないなんて本当に役立たずね」
「清姫様が、我々のことを気に入らないと言って襲いかかってこられたのです」
「そう。あなたたちはあの子に気に入られる努力をしなさい。清姫は剛毅に次いでこのバジリスクを担う幹部なのですよ。え……ちょっと待ちなさい。なら、どうしてあなたたちがここに?」
「殺すつもりで襲いかかって来られたものですから、こちらも勢い余って殺してしまいまして……」
お兄ちゃんはサラッと言い切った。
時が止まったかのように、誰も、何も喋らなかった。たぶんシズカは何を言っているか理解できていないだろうな。
お兄ちゃんが、引き続き言葉を紡ぐ。
「あってはならないことです。その場で自決しようかとも考えたのですが、我々もまた桐谷様の忠実なる部下。桐谷様の貴重な戦力です。まずはご報告をと思い、こうして参上した次第です」
徹頭徹尾、配下として振る舞う。
しゅんとしておこう。それがいい。
「取り返しのつかないことをしてしまいました。もう、どうしたら良いか……」
「……嘘をおっしゃい。そんなことはあり得ない。あの子は剛毅の妹だというだけで幹部になったわけではありません。強いから幹部なのです。お前ら如きが──」
シズカが喋り終える前、お兄ちゃんは懐からビニール袋を取り出す。その中に入っている、青い血の滴る清姫の尻尾をシズカに見えるよう掲げた。
殺した時に先っぽを切り取っておいたのだ。特徴的な三又形状をしていて、肉親ならきっと清姫のものだと分かるだろう。
実はこれ、殺される前の最後のザマァとして桐谷剛毅本人に叩きつけてやろうと持ってきたものなんだけど、別の意味で役に立ちそうだ。なんかエグいことを平気でやってる感があるなぁ。やっぱ魔人化の影響かもしれない。
偽物だと疑われる可能性もあったけど、清姫の血が青いと知っている奴しか偽装することはできないわけで。蛇化しなければ外観上は人間にしか見えない清姫のそれを知っているのはあいつに傷をつけたことがある奴だけだ。その事実はシズカを動転させるに十分なはず……という可能性に賭けた。
瞬間、玄関ドアが開く。
「清姫ぇ────っっ!!」
卑怯だということは重々承知していた。
娘を想う母の愛情を利用した。こうすれば、きっと平常心ではいられないだろうと分かっていたから。
ドアを勢いよくこじ開けて、わたしはシズカを無視して部屋の中へと突進する。攻撃グリードを持っていないであろうシズカに二択を迫るためだ。
イージスを張る対象──それを自分にするか、息子の剛毅にするか。
目の前で娘の死を確認した母親。
そして、絶対に死なせられない息子の命の危機。
絶対無敵の防御力を誇る盾がなぜそれほどの力を宿しているのか、その理由が母の愛であると考えれば理解ができる。
そして、それほどの愛であるなら、この場面でどちらに張るのかも。
「グェ」
声にならない女性の呻きが後ろから聞こえた。
それは間違いなくお兄ちゃんの閃光がシズカの首を飛ばした合図だろう。わたしは振り返ることなく部屋の中へと押し入った。
正面に見えるドアを開けると広いリビング。誰もいない。
そこから奥へと続くドアを開けると廊下があった。この廊下に面しているどの部屋かに桐谷がいるのだろう。
手前から順に開けようとした時、廊下の突き当たりのドアが開いた。
「母さ──」
剛毅が言葉を言い終える前、廊下の床を破壊するつもりで、全力を脚に込めて加速した。
ブレスと爪、どちらが先に届くか。それについて、わたしは爪だと判断していた。
ブレスは非常に強力だが、吐く前に一瞬だけ口の中が紅蓮に光る時間帯が存在する。要は溜めがあるのだ。その瞬間に「器の修正」を発動されればその時点でアウトになる。
反面、爪での攻撃は移動速度を全力で発揮すれば判断する暇を奪える。だから、ここは爪、だ。
そのまま届けばイージスのない状態での被弾。
最短の軌跡で爪を突き出し──しかしそれは剛毅からほんの三〇センチくらいのところで停止した。
発動したのは「止まれ」という命令だ。
「……美咲。どうした。何をしてる! 言え!!」
あと一歩だった。すんでのところで命令が来てしまった。
ここで全てが終わることへの絶望感や悔しさよりも、胸の奥に芽生える愛情が上回って心が温まる。思いの強さで押していたメンタルが圧倒的に押し返されている。
それが、愛する人へ真実を告げるよう促した。
「あなたを殺そうと思いました。愛するご主人様」
そう……愛するご主人様。
この世の誰よりも。お兄ちゃんよりもだ。
「母さんは……母さんはどうした」
「すぐそこで亡くなられています」
「清姫は? お前のことは清姫に任せたはずだ」
「清姫様は事務所の会議室でお亡くなりになられました」
「……誰がやった」
「わたしと、兄のルークです」
ご主人様の声が震えている。冷静を装っているけど相当ショックだったに違いない。
少しの油断だったはず。そのせいで家族を皆殺しにされたんだ。仕方のないことだろう。そして、それはわたしたちのせいだ。本当に申し訳ない。
ご主人様の視線が、わたしを通り越して廊下の先へ向かっている。
きっとお兄ちゃんが来たんだ。
予想の通り、ご主人様はお兄ちゃんへ尋問した。
「ルーク。真実を言え。どういうつもりだった? 『思うだけ』でお前らを殺せる俺に向かってきても勝ち目がないのは分かっていたはずだ。返り討ちに遭ってもいいと思っていたのか。万が一程度の可能性に賭けたってのか」
この質問の仕方だと、蒼真くんたちのことがバレる。
しかしもう回避のしようがなかったし、それがご主人様のためだ。
「俺たちが桐谷シズカのイージスを解除すれば、エージェント・チーム『ウェジー』の狙撃手があなたを狙撃する予定です。今もこの場所を狙っています」
「はぁ……? ……キキキ。キキキキキ!!」
ご主人様は、笑った。
高らかに、すごく嬉しそうに。相手の目論みを見透かし、全てをひっくり返してやるとでも言うような、そんな笑い方。
でも、ご主人様にはもう奥の手はないはずなのだけど。
「そんなもの、こうして建物の中にいれば狙いようがねーだろ馬鹿。それにしても、お前らにそこまでやらせるとはよ。平凡そうな坊ちゃんに見えてあのウェジーの兄ちゃんもヤリ手だな。タダ働きになるのを嫌ってあの倉庫じゃ美咲を逃したのに、イージスが強力すぎるからってその美咲をゴミのように使うとは。それともお前らから提案したのか?」
「どちらとも言えません。暗に合意しておりました」
「まあそんなことはもういい。お前らには飽きた。ここで殺すわ。せっかく親を殺してその子を手に入れたってのにこれじゃあ何をやってることか分からんからな」
急に言われた言葉の意味が分からなかった。
だからわたしは単純に聞き返す。
「あの。差し支えなければ、教えていただきたいのですが」
「ああ?」
「親を殺したというのは」
ご主人様は、キキキ、といつものように笑っていた。
「そうだよなぁ。殺す前に、きっちり絶望させねーと意味ねーよなぁ。俺も家族を殺されたんだ。これでおあいこだってことだよ。奇遇だよなぁ。これが因果応報ってやつなのか。キキキ」
ヘラヘラと……親を殺された人の態度じゃない。
どうしてあなたは、そんな態度ができるのですか。
「……ですから。それはどういう──」
「お前らは、魔物に両親を殺されたから施設に入ったんだよなぁ」
「はい」
「その両親を殺したのは誰だと思う?」
キキキ。キキキ。
耳に響く。耳障りです。やめてください。
「生意気にも俺の喧嘩を止めに入りやがってよ。その場でやっても良かったんだが、あまりにもムカついたから家まで帰るところを尾行して家族全員を殺ってやろうと思った。後処理をした清姫の報告じゃ、しばらくしてからガキ二人が家へ帰ってきたとか。キキキ……そこでちょっと疼いたんだ。悪い癖だよ。親を殺された人間どものガキがその後どうなってしまうのか見たくて見たくて……キキキ。部下に観察させてたんだ。そしたら驚きだよな? 兄貴のほうはなかなか筋の良いグリードに目醒めた。こいつは掘り出し物だと思ったぜ。それでわかった。人間のガキは、親を殺せば強力なグリードに目醒めるんだ。その手口を使えばなかなか強靭な兵士の集団ができるってな。俺に良い発想を与えてくれたぜ! キキキキキ!」
今、自分の舌を噛み切る動作ができたならそうしても良い。愛するご主人様の声が空間中にこだましている。それなのに、わたしの中に目覚めていた愛情が、殺したいと思う憎悪を握り潰しているのだから。
それはあまりにも強力で、押し込められた本当のわたしにできたのはただ涙を流させることだけだった。
わたしの目の前にいるご主人様は、愛しい見下し顔でわたしを見つめていた。そんなわたしの頬へ、ご主人様は手を触れる。
「お前も女としては極上だったし、十分愉しめた。じゃあな。これで終わ──……」
音が先か、それとも閃光が先か。
耳に入っていたのは雷鳴。ガラスの割れる音。
何が起こっているのかイマイチ判然としなかったけど、気がついた時に見えていた光景はご主人様の体を脳天から床へと貫く閃光だ。
少し遅れてバリバリっ、と閃光の周りをアークが迸る。
振り向くと、リビングから入ってきたであろう一筋のビームの残光は、空気との摩擦で火花を散らすようにカーブの軌跡を描いていつの間にかこの廊下に存在していた。
それはわたしの二、三十センチ手前でいったん上方へ跳ね上がって軌道を変え、まるでトマホークのようにわたしを避けてご主人様の頭蓋を天頂から割っている。
股から出た光線はさらにグリンと円を描いて胸を真正面から貫き、何度も細かく屈折しながらミシンで縫うようにご主人様の体へ潜り込んでは出て、潜り込んでは出て──を繰り返していた。これじゃ核がどこにあろうがひとたまりもないだろう。
縫うところが無くなったからかそのまま外へ出て行ったっぽいけど、結局のところどっちから来てどっちへ行ったのか正確には分かんない。
「……ああ?」
申し訳ない……! と思っています。
こんなメチャクチャな狙撃、蒼真くんと瑠夏さんの仕業に決まってる。イージスが消滅したから撃ったんだろう。これでどう足掻いてもご主人様が生き延びる術はなくなった。
すみません……こんなことを企んで。マジですみません。
しかし即死はしていない。
わたしたち魔人はそうだ。生命力が強いんだ。あと少し──数秒間は動けてしまうだろう。その間にこいつのグリードでわたしたちの命は終わる。
こいつが「死ね」と命令するだけだ。
その程度のことを思う力は、剛毅には残されている。
「……なんだ。どうして死なない。死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!!!」
あれ? どうしたの?
こんなに命令されてんのに、わたしたち、まだ生きてるよ?
しかしこんなクソ野郎が心臓と脳天ぶち貫かれて身体中ぐちゃぐちゃにされてるのにまだゴチャゴチャと喋っている事がマジで鬱陶しい。今すぐにでも息の根を止めてやりたいところだが。
ん? ところで、なんでこんなこと思えるの?
わたしたち、剛毅の僕になってるんじゃ──。
お兄ちゃんが、わたしの肩へポンと手を乗せた。
「『器の修正』が解除されている。おそらく、あの二人の撃った弾のせいだ」
「マジで!?」
わたしの目の前で足掻く剛毅は、バチバチと迸る電撃に痺れさせられて全く動けない様子だ。さっきの弾、グリードの無効化特性でもあんのかな。
それでも、なぜか口だけは動いている。
「クソが! クソがクソがっ!! お前らも道連れじゃねーとおかしい! なんで俺だけが……嫌だ。死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくない!! まだこれからなんだ。バジリスクをデッカくして。魔物どもの頂点に立って、あのムカつく紫眼の魔女すらも従えて、この世界の頂点に、俺が、俺が、俺が、」
動けないまま、無防備になる。
そっか。
蒼真くん、瑠夏さん。こいつにこの弾を使ったのはそういうことなんだ。
ありがとね。
「ねえお兄ちゃん。こいつ、どうする?」
「どうするって、決まってんだろ」
お兄ちゃんは、前後にスタンスを広く取って、カタナの柄を握ったまま下を向く。
わたしは、ありったけの熱を肺に存在する空気へ溜め込んだ。
剛毅は、ヘラヘラと笑う。
でも、今度のは余裕とかじゃない。
「ふ。へへ。へへへへへ」
「さよなら。剛くん」
まばゆい光が、廊下を満たしていた。
神速の剣閃が蛇の生えた頭部を斬り飛ばす。
全開で噴き出した燦然と輝くブレスが細胞ひとつすら残さずに桐谷剛毅の存在を焼滅させる。それはほとんど爆発現象のようになって、超高層タワマンの四〇階で爆弾が爆発したかのようになった。
──やっべ。建物ごと吹き飛ばしちゃった。
地上にいる一般人、大丈夫かな……?




