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56 狂気の約束




 都庁の屋上──ヘリポートから、一つの戦いの終わりを見届けた。

 

「蒼真。いい加減に決めないと──」

「決まったよ」

「……どういうこと」

「清十郎と美咲が勝った。今、二人は地下を通って桐谷がいるブレスト・レジデンスへ向かってる」


 もちろん、魔眼でずっと見守っていた。

 言葉にすれば瑠夏に伝えたとおりだ。「勝った」。たった一言で説明できる。だけど、あいつらにとって薄氷の上を歩くような厳しい戦いだったことを俺はよく知っている。


 美咲がグリードを発現した時、俺は思わず拳を握りしめた。

 人間であることを辞めさせられ、桐谷に操られ、それでも挫けずに強い意志を持って敵を打ち倒した。それがどれほど成し遂げ難いことだったのか、俺にはわかる。

 瑠夏。お前にも分かるはずなんだ。


「……そう。でも、まだこれからだよ。桐谷は、その気になれば心に思うだけで二人を殺せる。そんな状態で、すぐそばにいる防御グリード使いを倒せるわけないよ」

「大丈夫だ。絶対に倒すよ」

「どうしてそんなことが分かんの!?」


 声を荒げ、俺を睨む。

 だからと言って、もう俺は動揺したりはしない。


「あいつらの戦いの様子は、この魔眼でずっと見ていた。見事だったよ。あいつらは、きっと全てを懸けて次の戦いも成し遂げる」

「何の理由にもなってない。そんなの次も勝てる理由にはならない。殺されてからじゃ遅い」

「俺たちは、勝てる勝負だけするわけじゃない」

「っ…………」


 安全確実な方法だけを選んで歩める道なら最初から何の苦労も心配もしていない。それは、弾に命を込める瑠夏だからこそ分かっていることだと思った。

 

「さっきも言った。これはあたしたちが請け負った仕事だよ。清十郎さんと美咲ちゃんが命を懸けなきゃならないのはおかしいよ……」

「そうしなきゃお前だけが命をひどく削られてしまうだろ。そんなことを続けていたら紫眼の魔女を倒す前に命を使い切ってしまう。俺がこの仕事をするのに賛成したのはそんなことのためじゃない。俺たちの目的を見誤るな瑠夏。それに、これは確かに俺たちが請け負った仕事だけど、あいつらの因縁でもあるんだ。あいつらは、それを自分たちの力で切り拓こうとしてる。誰もが、自分の一番大事な物を護るために戦ってるんだよ」

「どう言われても詭弁にしか聞こえない」

「どう言われようが俺は譲らない」


 欲の強さが勝負を決定づけるこの世界においては、戦い以外で行うこういった盤外戦が大きな影響力を持つ気がした。

 ここで気持ちを折られたら「強い気持ち」なんて維持しようがない。

 戦う前に、意志が結果を決めている。

 だからこそ、桐谷剛毅の命がここで終わることもまた必然だ。


「魔弾を用意しろ瑠夏。あいつらが勝負を決めたら、すぐに撃つ」

「……勝負はついてないでしょ」

「もう撃つ弾は決まってる。雷属性。二級魔弾『金剛杵(ヴァジュラ)』だ」


 インド神話に登場する武器から名付けた。 

 これは金剛杵(こんごうしょ)とも呼ばれてるらしい。古代インドの雷神「帝釈天(インドラ)」が蛇の魔物ヴリトラを退治したとされる、強力な雷を発生させる法具だ。

 邪悪の塊である蛇のありとあらゆる力を奪う、神の(いかづち)

 そして、それは命の限りを尽くして戦う美咲と清十郎に、俺から贈ることができるせめてものプレゼントでもある。


「まだ何も決まってないよ」

「俺の魔眼は未来が見えるんだ」

「それくらい知ってるよ。でも、そんなに先までは見えないはずだよ」

「ああ。確実に見えるのは数秒先までだ。だが、その先のことも何となく分かるんだ。あいつらは、きっとあのシールドを解除する」


 絶対領域は数秒後までかもしれないが、それ以後も必中グリードの効果は続いている。そして覚悟を決めた俺のグリード効果はかつてないほどに研ぎ澄まされていた。

 はるか先──何がどうなってるかなんて明確には分からない未来でも、俺の中にある黄金色の羅針盤が差し示している。

 望む未来へ進む道。

 それを手繰り寄せるための幾つかの分岐を泳ぎ切るクリアルートが既にうっすらと見えていた。


「……なんとなくって何だよ。きっとって何だよ。一か八かの博打で戦っていくなんて、そんなの認められないって最初にも言ったよね。そんないい加減な気持ちでやっていくなんてあたしは絶対に許さないから」


 瑠夏は、前にも同じようなことを言っていた。初めての仕事の時。あの悪魔族の幹部を殺した、超高層ビルの屋上で。

 これは博打じゃない。他人の命を軽く見るな、ということなのか。

 確かに。人に命を懸けさせておいて、自分だけ安全なところにいるなんて卑怯かもしれないと思った。


「分かった。なら、いい加減じゃない証として、もしうまくいかなかったら俺も罰を受ける」

「罰?」

「清十郎と美咲が死んだら、俺は右眼を(えぐ)り取る」

「…………はぁ?」


 風の音が強くて、耳を轟々と打ち鳴らしていた。

 口にした言葉が話の流れに噛み合っていないと思ったからか、それとも単に俺を異常者だと思ったからか。瑠夏は、何を言ってるのか分からないという顔をする。


「何言ってんの。そんなこと……そんなことして、何になるって──」

「何にもならないさ。俺たちの気持ちの問題だ」


 唖然としてしまった瑠夏は言葉が続かない。

 まあもちろん俺にも多少おかしなことを言ってる自覚がないわけではないのだが。

 これで全てが上手くいくと言うのなら喜んでやるさ。


「……どう考えてもあなたがそんなことをする必要はないよ。馬鹿なことを言うのはやめて、この場面で必要な特級魔弾を今すぐオーダーすればいいの」

金剛杵(ヴァジュラ)だ」

「無理」

「無理じゃない。その担保として眼を賭けると言ってる」

「だから!! そんなことしなくていいって言ってんの!! 蒼真が無駄に傷つく必要はないんだ!!」

「じゃあ、なんでお前は無駄に傷つこうとするんだ?」

「む……!? む、無駄ってなんだよ! 無駄じゃない! あたしは美咲ちゃんと清十郎さんを助けるために──」

「何度も言うがあいつらは自力でこの試練を乗り越える。必要なのは二級だ瑠夏。特級なんて無駄でしかない。しかしお前にはその未来が見えていない。だから俺の言葉の裏付けとして眼を預けると言ってるんだ」

「そんなの何の裏付けにもなってない!」

「心配しなくていい。きっと全部上手くいく」


 こいつは、俺が際どい魔弾を指示した時には必ず俺の方針に反対する。

 魔眼を持っていないこいつが本当の意味で俺の提案した作戦が通用するかしないかを判断する術はないのにだ。今回だって、美咲と清十郎が目標を成し遂げられそうかどうかなんてこいつは詳しく分かっていない。


 うまくいけば自分の命を五年も削らなくて済む。それは紫眼の魔女を倒せる確率を上げることに繋がるから、いくら美咲たちのためだと言っても瑠夏にとっては迷うべきポイントのはず。そう、そのはずだ。

 なのに狼狽えながら盲目的に抗議しようとする瑠夏の様子を見ていると、ちょっと自意識過剰かなと恥ずかしくなる妄想が俺の頭にポッと思い浮かんだ。


「あたしは……あたしは、あなたに傷ついてほしくない」

「片目だけならグリードが消失することはない。心配するな」

「違う!! そんなこと言ってるんじゃない!! あたしはあなたが……あなたのことが」

「今すぐに魔弾を作れ。あいつらは間もなく結果を出すだろう」


 依頼人がどうとか言っているが、こいつは詰まるところ俺を生かそうとしているのかもしれないと。

 そして自分だけが傷付けば全てが解決すると考えている。もちろん復讐は最優先に考えているだろうし、美咲や清十郎の命をゴミのように扱う桐谷への怒りも本物だろう。しかし紫眼の魔女を倒すための熾烈な戦いを最後まで無事に生き抜きさえすれば俺は助かるとも期待している。

 俺を生かすこと。そのために、強力な魔物に使う魔弾は絶対に敵の反撃を許さない威力に設定し、全てを自分一人で背負おうとした。


 馬鹿野郎が、と心の中で言ってやる。

 お前一人だけを生贄みたいにして俺が黙っていると思ったのか。心中する覚悟なんてとっくの昔にできている。メルなら、ジルの考えることなんて全部お見通しのはずなのに。


 だって、こんな無茶なことを続けたら紫眼の魔女を倒せなくなる。

 それを容認するなんて、目的を果たす前に命を使い切ってしまったとしても仕方がないと思っているということだから。そうすると、こいつが最優先事項に定めているものが何かという前提が崩れてしまう……そう考えたところで自然と納得した。きっと、こいつも俺と同じで、メルと瑠夏──二人の意志を両立させようとしたんだ。

 だから、こっちは瑠夏の願望なんだろう、って。


 涙がたっぷり溜まった瞳を揺らす瑠夏が、狂ってる、と一人吐き捨てる。

 そして俺は内心モヤモヤした。

 心外だな、この道はお前のほうがもっと先を行ってんだろ、と。


【……くっくっく。あっはっはっは】


 そんな俺の心の声を聞いていた銃装化メルカが、初めて声をあげて笑った気がした。


 弾薬ケースから取り出した、一つの弾丸。

 念じるように握り込み、目を瞑り、瑠夏はゆっくりと息を吐き出していく。


 があん、と建物が振動し、白銀に輝く魔法陣が瑠夏の頭上──空中に現れた。


 二級魔弾を作るところを見るのは、俺も初めてだ。

 脈動するように明暗を繰り返す魔法陣の煌めきはまるで生きているかのようで、俺が前世で使っていた懐かしいやつと瓜二つだ。だけど放出されているオーラからは魔力というものを感じない。いや、そもそも今世の俺は魔力なんて感じ取れない。


 これが何かと問われれば「神の御光である」と言わざるを得ないと思った。

 何人たりとも打ち破ることを許されない絶対的な顕現。まさに神や天使が使いそうな力だ。そんな力が魔法陣から漏れ出して、天に向かって放出されている。


 一見すると人外なる力を異界から引き寄せるゲートのような印象だが、しかしこれは瑠夏の命で間違いないのだ。

 瑠夏が持つ有限の──悠久の時に在る神からすればミジンコほどもない時間を生きるための僅かな生命力。もし紫眼の魔女などいなければ、そして俺が瑠夏を説得できてさえいれば失われることのなかった瑠夏の人生の塊が、貴重さなどカケラも感じさせないほど機械的に変換され流れ出してしまっているもの。 


 弾痕を中心として、いつもの亀裂が瑠夏の体を蝕んでいく。

 相当な苦痛を伴っているはずだ。三級を作った時だって瑠夏は痛みで縮こまって動けなくなるほどだった。

 だけど、今は違う。

 仁王立ちし、俺を睨みつけるようにして、大気中に涙を霧散させながら弾丸を握りしめていた。





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