55 同じように兄を持つ身として(美咲視点)
バジリスクの事務所にある会議室。
蛇女と牛男が、わたしたちの前に立ちはだかっていた。
二対二の戦いが始まってすぐに動いたのはバッファロー。こいつは素早く移動して、壁際にある照明スイッチを触る。
この部屋に設置されている天井照明は全て部屋の中央に固まっていた──ように見えただけで、こいつがスイッチを押したことによって、天井と壁の際にあったらしいライン状のLEDライトが点灯する。
壁際から部屋の中央へ向けて光が照射されている。元々点灯していた部屋中央の照明灯は引き続き点灯したままだ。そのせいで、影が踏まれにくい立ち位置は壁際だけになってしまった。
こうなると壁際に張り付くしかない。
「さて。その状態で、清姫の攻撃を回避し続けられるのかな」
「美咲、ライトを割れ!」
お兄ちゃんは、日本刀の先っぽをLEDライトに突き刺した。
ただ、壁際のラインライトはひと続きになっている訳じゃなくて、幾つものLEDライトが連なっている。
まぁ……だとしても、そこまで追い詰められているというわけじゃない。
「ははははは。的当てでも楽しむとするか。こちらに近寄ることもできないお前達を嬲るのも面白い」
「バーカ。影なんてそうそう踏ませるか。タネが分かりさえすればこの鈍重牛野郎に俺の動きなんて捉えられるわけないだろが」
そうだ。
お兄ちゃんの動きはとんでもなく速い。一撃目の時はライトの位置関係のせいでお兄ちゃんの影はすでにバッファローの足元近くにあった。そうじゃなけりゃこんな牛男に簡単に踏まれちゃうほど遅くはないのだ。
だけど、一つ問題があるとすれば、やはりそれは清姫の攻撃速度だった。
「それは私のことを侮っているのか? それとも現実が見えていないのか?」
回避するのが精一杯で、ライトを狙っている余裕がない。
お兄ちゃんは壁際を移動しながら何度か攻撃を加えようとしたけど、清姫の尻尾が素早すぎる。これが清姫のグリードなのだろう、三又になった尻尾の先が鉄筋コンクリっぽい壁をガンガン破壊してくる。当たったらタダじゃ済まなさそうだ。
清姫が牛野郎を護っているし、清姫自身にも攻撃が通らない。鱗が硬すぎて私のツメじゃ通じない。
「ぐっ……あっ」
蛇の尻尾の薙払いで吹っ飛ばされる。
すかさず接近してくるバッファロー。それをお兄ちゃんが護ろうとしてくれるけど、影を踏まれればお兄ちゃんも終わりだ。その逡巡をまた清姫が突いてくる。
悪循環でしかない。
「阪口美咲。どうしてお前ら兄弟が勝てないか分かるか」
「……まだ勝負はついてないだろ。勝手に勝った気になってんな」
「哀れなものだ」
「……はぁ?」
「欲の強さが足りないのだ。金を稼ぐために安易な道を選び、努力もせずに天から与えられた魅力だけで気に入った男を釣ってきたのだろう。その程度の輩にこの私が負けるはずはない」
「へぇ。あんたは大層ご立派な人生を生きてきたんだね。お前にそんなこと言われる筋合いねーよ」
「筋合いの問題ではない。お前がここで死ぬ理由を教えてやっているだけだ」
欲の力が弱いから、ここで死ぬ?
どうだろうね。確かに……今になって考えてみれば、剛くんのことを好きになったあと、彼がしきりに気に入ってくれたのはわたしのカラダだった気がする。
顔が可愛いって言ってくれたり、体がエロいって言ってくれたり、性癖がヤバいって言ってたり。まぁわたしにはよく分かんなかったけど、そういう面を気に入られていた自覚はある。
それでも、彼を惹きつけられるなら良かった。
だから、良いって言ってくれているところをうまく使っただけだ。確かにそこは努力なんてしてないし、する必要性も分かんない。
でも……夜の世界に入ったのは違う。
お兄ちゃんのことを、殺すって言ったから。
本性を現した桐谷剛毅が、たった一人の家族を殺すって言ったからだ。
お兄ちゃんを護るために、わたしは男にカラダを売り続けた。
目的を果たすために、そうしたんだ。確かにきっかけは桐谷に言われてやったことだけど、自分の目的を叶えるために自分で決断して続けてきたこと。誰に文句を言われる筋合いもないし、哀れみの目を向けられるのも不愉快だ。
一千万だろうが、五千万だろうが、一億だろうが。
絶対にわたしの力で稼いでお兄ちゃんを取り戻す。
そう決意した。その決意が、弱い?
「同じように兄を持つ身として恥ずかしい。残念だ阪口美咲。兄を護れなかった現実を目の当たりにすれば嫌でも思い知るだろう」
お兄ちゃんの影を、牛野郎が踏んでいる。
清姫は、お兄ちゃんに尻尾の先を向けた。あの尻尾は先が三又になっていて、綺麗に刺すというよりぐちゃぐちゃに抉るための形をしている。
防御もできない金縛りを受けたまま、あんな硬くて妙な形をした尻尾を突き刺されたら、一撃で死んでしまうだろう。
必ず護り抜くと誓ったはずだった。
なのに……どうして離れていくんだろう。
ずっと願ってきたことだ。お兄ちゃんを探し当て、やっと後もう少しというところまで来たというのにこんなところで諦めるのかと人間のわたしが呟いた。気づけば、ついさっき教えてもらったばかりのアドバイスを心の中で復唱している。
(魔人の人生は、敵を殺して手に入れろ)
(窮地は、自らの力で切り拓け!)
もう人間ではない。わたしは、竜だ。
竜なら、何者をも切り裂く爪でこいつらを蹴散らせ。
全てを焼き尽くす炎で、立ちはだかる敵をみんな焼き尽くせ!
【わかったよ】
誰かが、わたしに話しかけた。
でも、それは清姫じゃないし、バッファローでもないし、もちろん金縛りに遭っているお兄ちゃんでもなかった。
【君の思いは確かに受け取った】
【何者をも切り裂く爪と、立ちはだかる敵を全て焼き尽くす炎だね?】
【爪と炎は与えることができる。けど、悲願が叶うかどうかは君の欲の強さ次第】
【この窮地を乗り切って、君が願いを叶えられるように祈ってるよ】
「無能な妹を呪って死ね、阪口清十郎」
清姫のセリフがどこか遠くに聞こえるなと思いながら、肺の中の空気が焼けるような感覚を味わう。
それはどんどん高熱を帯びていって、わたしの呼吸はそのまま燃えるような灼熱と化している。
何も考えず、ただそれを吐き出すだけで良い。
体が、そう言っていた。
瞬間、口の先──少し離れたところから始まる爆炎の息吹。
込めた意志は「一人残らず敵を焼き尽くせ」だ。
「ぐっ……ああ────」
清姫は反射的に回避できたようだが、バッファローはわたしのブレスをまともに受けた。断末魔の叫びは灼熱の業火によって途中で途絶え、超高温で溶けた牛男の体は熱風で吹き飛んで跡形も残らなかった。
「……なんだ、こ──」
お兄ちゃんは、清姫にそこまでしか言わせない。
体の回旋を全力で使った神速の抜刀術。
青い血の飛沫が散り、清姫の尻尾にようやく切れ目が入る。
爪の先に渾身の力を込めて、どんな硬い物でも切り裂けるように尖れと命令した。
バキバキと、肉とは思えない音を立てて変形していく前腕。僅かに動揺した清姫の隙をついて、ありったけの竜の力をぶつけるように振り抜いた。清姫の腕が、宙を舞う。
声は、誰も出さなかった。
清姫は必死に尻尾を振る。わたしたちを散々苦しめた、異常なほどの硬度と攻撃速度を誇る尻尾。
が、その動きにもそろそろ慣れてきた頃だ。
二度目のブレスで清姫の顔面を焼く。こちらは牛野郎と違って頑丈だ。しかし痛みと呼吸苦でさすがの清姫もすぐには行動を起こせない。
お兄ちゃんのカタナが腹部を貫通し、突き刺しからの横薙ぎが胴の右半分を切断する。はみ出した内臓を視界に入れながらわたしの次撃の爪がもう一方の腕を斬り飛ばす。
「死ねない!! 私はまだ死ねない!! お兄様を!! 絶対にお兄様を──」
チクリと、胸に痛みが宿る。
それでも、加減すればこちらがやられる。
わたしたちは魔人。
人生は敵を殺して手に入れ、窮地は自らの力で切り拓かなければならない。
わたしは尻尾を清姫の首に巻きつけた。
引き千切るつもりで締め上げる。巻きついた尻尾を解除しようというよりはほとんどチョークサインのように自らの尾の先を隙間に差し込んで清姫は足掻く。
お兄ちゃんは床を向いてスタンスを広くし、抜刀の構えをとった。
「同じように兄を持つ身として、残念だよ清姫」
「あぁ……あああああああ!!」
涙を浮かべる苦悶の表情へ向けて最後の一言を伝える。
閃光のような一撃が、胸を真っ二つに切り裂いた。




