49 清姫の愛は叶わない(美咲視点)
来客対応を終えたご主人様は、わたしとお兄ちゃん、そして母君である桐谷シズカと側近の清姫が待つ事務所の会議室へとやってきた。
ただ、ご主人様は顔色が悪くてどこか気分がすぐれないようだった。
「俺は少し休んでくる。清姫、クインシーをあのウェジーに差し向けろ。ルークも加えていい」
「承知しました。阪口美咲も向かわせてよろしいですか」
「いや。美咲は、俺がしばらく休んだら部屋へ呼ぶ。それまで事務所で待機させておけ」
ご主人様の言葉で心が躍り、反面、拒絶したいストレスで体がピリピリする。
嬉しいのか、それとも嫌で堪らないのか、どっちが本心か分からないが恐らくどちらも本心なのだろう。やっぱり以前のわたしと竜人のわたしの感情は同時に発露していて、気分が悪くなってくる。
「どうした。返事しろ清姫」
「……承知しました」
叱るようにご主人様が清姫へ命令すると、心を殺したような無表情となった清姫は無感情に返事をした。さっきまで徹頭徹尾従順だったはずの側近にしては妙な態度だと思った。
ご主人様は会議室を出て行き、母君がそれに随行する。
わたしがこの母君と初めて出会ったマーモットの倉庫から、この人は一瞬たりとも息子の近くを離れていない。息子はもうバジリスクのトップだと言うのに未だどこへ行くにも付きまとう子離れできない母親だ。
会議室には、わたしとお兄ちゃん、そして清姫。
「美咲。俺はどうやらクインシーと一緒にウェジー討伐に向かわなければならないようだ。一つだけ、覚えておいて欲しい。お前は桐谷に従順にしてでも、生き延びてくれ」
ご主人様に逆らうことはできない。
だからと言って、蒼真くんと瑠夏さんに勝つこともできない。戦うことは次こそ死を意味するかもしれない。お兄ちゃんはその覚悟なんだ。
わたしにはどうすることもできないし、何も言えなかった。
それに、竜人のわたしはそんなことには微塵も興味がない。そんなこともあって、わたしはお兄ちゃんを引き止めようとはしなかったんだけど。
「勝手に喋るな。私の指示があるまで黙っていろこのクズどもが」
美しい、透き通ったような声で罵声を浴びせてきたのは清姫だ。
わたしはまだこいつがどういう奴なのか分かってはいないけど、ただの人間ではないのは確かだろうと思う。自分自身が魔人になったことが影響しているのかもしれないけど、こいつからは妙な気配がするんだ。
「ふん。わたしが従うのは桐谷様だけだよ。あんたじゃないから」
「お前のようなアバズレと言葉を交わすだけでも気分が悪い。口を慎め」
「アバズレ? どうせあんたも桐谷様に抱かれてんでしょ? 同じ穴のムジナだろ」
瞬間、清姫が怒髪天を衝く。
髪の毛が逆立って見えるほどに何かの力が溢れている。それはグリードなのかよく分からなかったけど、感情の波が荒立って、それがほとんど大津波のようになっているのが一目で分かった。
ビリビリと肌が痺れ、この会議室が異常空間へと変化したことを竜人のわたしが自覚した。
「……なぜお前が。どうしてお前のような汚れた女に執着なさるのか不思議でならない。この私がいれば十分なはずなのに」
視線はわたしに合っているがきちんと見えているのか怪しい焦点。わたしに向かって言っているようでいて、これはこいつの独り言だと思った。
清姫の様子は、まるで恋人に捨てられた女だ。
「……へぇ。なるほどね。元カノなんだ? そりゃしんどいねご苦労さん。ああ、それか第一夫人だったかな? どっちにしても優先順位下げられた女の嫉妬にこっちも付き合ってる場合じゃないし、あんたが黙っててくれる?」
清姫の感情を抑えていたはずの堤防はわたしのたった一言で崩れ落ち、こいつの体は色も形状もが高速変化した。
緑色の鱗のようなものが腕に生え、しかしそれを認識できたのが不思議なくらいの速度で清姫はわたしに噛みつこうと首を伸ばした。
「無礼な言葉は許さんぞ」
その一撃を反射的に回避し、互いに睨み合う。
睨み合った時には清姫の変化は完了していた。
ご主人様と同じく蛇魔人。だけど、こっちは髪の毛とかじゃなくて、下半身だけが完全なる蛇だ。へそから上は基本ベースとして人間。しかし牙は鋭く、瞳孔は縦に長いスリット状になっていた。
「私はお兄様の忠臣。バジリスク設立当初から見守ってきた影。誰が裏切ったとしても最後までお兄様のおそばで護り抜く盾だ。断じてカラダだけが取り柄の淫乱なメスが楯突いて良い相手ではない」
妹かよ。ブラコンに疎まれてたのかわたし。なんか親近感が湧くなぁ……いやわたしは別にブラコンとかじゃないから。ごく普通の家族愛だから。
とりあえず、わたしがご主人様のグリードによってターゲットだと認識させられているのはウェジーの二人だけで、その他の人物に対して持つ感情や考え方は概ね支配グリードを受ける前と変わっていない。
だから、こいつに対しては常識的な敵対心が湧いて出た。
人間のわたしと竜人のわたしは、共に同じ挑発を口にする。
「そのメスに好きな男を寝取られてりゃ世話ない──」
ヒュ、と風が鳴った。
清姫の尻尾はトグロを巻いていて、具体的にどのくらいの長さがあるのかいまいち分からないような状態だ。それが一瞬にして解けたかと思うと、空気を切る重い音を伴って弧を描くような軌道でわたしの心臓めがけて飛んできた。
瞬きをしていたらその瞬間に終わっているようなタイミング。
魔人化した影響かこいつの攻撃は見えてはいたけど、それでも正確に回避できるほど遅くはない。
これは喰らう──そう覚悟した直後、閃光のような一筋の光が視界を横切った。
ガインと金属が当たるような硬い音。
硬質な物質同士がとんでもない威力で互いの表面を削りあったような重くて耳障りな音と、キラキラと飛び散る火花がわたしの目の前で瞬いた。
清姫の尻尾は目標であるわたしの心臓を捉え損ねて軌道を変化させる。尻尾が突き刺さった床は大破し、周囲一帯に瓦礫と砂埃が散乱した。
「お……兄ちゃん」
カタナを抜いたお兄ちゃんが、清姫の尻尾を弾いてくれていた。
お兄ちゃんは、自分を盾にしてわたしを護ろうとしてくれている。
「……ルーク。それがお前の意思なのだな。よろしい。お前たちを血祭りにあげたのちにお兄様へはそのように報告しておこう。お前と美咲は、お兄様を裏切ったため片付けておきました、と」
シシシ、と歯の隙間から空気が漏れるような笑みをこぼす。
愉しくて堪らないのだろうが、しかしこっちはそれどころではなかった。
自分で挑発して呼び込んだ事態だ。そのくせわたしは正直に言ってどうして良いか分からなくなりパニックに陥りそうだった。
この状況、ご主人様が知ったらどうするだろう?
きっとわたしたちは二人とも殺される。ご主人様が「死ね」と思うだけでわたしたちの命は消えて散る。
わたしが感情的になったせいで、お兄ちゃんの命まで……。
「美咲。よく聞け」
ほとんど放心状態だったわたしは、無意識に呼び掛けへ応じた。
「桐谷に知られれば全て終わりだ。その前にここでこいつを殺し、次に桐谷の母・シズカを殺す。もしかすると俺たちの命はそこまでかもしれない。だが、シズカさえ殺せば桐谷剛毅はあの二人がなんとかできるかもしれない。僅かでも希望がある方法に賭けるぞ」
「あの二人って、蒼真くんと瑠夏さんのこと? でも、あの子離れできない母親がどうしてそんなに重要なの?」
「シズカは防御グリード使いだ。世界最強クラスの防御力を誇る神盾グリード『イージス』。いくらウェジーの二人が強かろうと、イージスが機能している限り桐谷剛毅には擦り傷一つ負わせられない。あの母親がいるからあいつはS級扱いなんだ。しかしそれほどの防御力、その分リスクは負わなければならないからイージスの効力は恐らく半径五メートルといったところだろう。あのシズカが桐谷剛毅からそれ以上離れるところをほとんど見たことがないからな」
……そういうことか。
道理でベッタリ引っ付いていると思った。あれは子離れできないんじゃなくて、バジリスクの総裁・桐谷剛毅の最後の盾なんだ。
「……でも。わたしじゃ足手纏いになっちゃう。さっきのこいつの攻撃だって全く躱せそうになかった。このままじゃ」
「お前はもう魔人だ。人間とは違う。魔人の人生は、敵を殺して手に入れるものだ。窮地は自らの力で切り拓け」
その言葉に、ハッとする。
昔なら、こういうシチュエーションで、ショックを受けているわたしを優しく慰めるのがお兄ちゃんだった。
ちょっと甘やかし気味だったかもしれないけれど、いつも優しかったお兄ちゃん。
だけど、今わたしへ向けている言葉は、そういうのとは違う。
動揺の渦中にいるわたしへお兄ちゃんがしたのは、アドバイスだ。
それは恐らくわたしの人生で初めてお兄ちゃんからもらった、戦士としてのアドバイス。
敵の命を断ち、自分たちの命を繋ぎ、心の奥底にあったはずの、絶望の底に沈められてそれでも諦めきれずに燻っていた願望を──剛毅を殺してお兄ちゃんを護るという希望を、戦って手繰り寄せるためのアドバイス。
その具体的手順をお兄ちゃんはわたしに示した。
こいつを殺してこの場を突破する。
次に剛毅の母・シズカを殺しに行く。そのあとは他人任せになっちゃうけれど、今期待できるのはその線しかない。
なんだ。めちゃくちゃシンプルだ。
「あはは」
なんだか笑いが漏れた。
確かに。そのイージスとやらさえ消去できれば、あの二人──ウェジーの二人なら必ずや剛毅を殺してくれるに違いない。
わたしたちが死んじゃったら報酬は払えなくなっちゃうけど、だからって依頼を途中で取りやめちゃうかな。
いや……きっと。あの二人はきっとわたしたちの命に免じて、必ずや依頼を成し遂げてくれるだろう。
「お兄ちゃんこそ、しくじらないでよ」
「何年選手だと思ってんだ馬鹿」
これはいける、と思った。わたしたちは二人、清姫は一人だ。
なんとかなりそうだ……と思った矢先、会議室の両開き扉が開いた。
入ってきたのは、バッファローの男──アランと呼ばれていた、顔はバッファローなのに体は完全に人間みたいな、黒スーツの魔人だ。
「何をやっている。どうしてこんなところで戦闘態勢をとっている清姫」
「シシシシシ……悲しいな。運が悪い。縋るようなその希望は万に一つも叶わなくなったぞ。アラン。やれ」
この場面でどうするべきか。それを考え始めることすら出来ていなかったわたしとは違い、お兄ちゃんは既に動いていた。
気がついた時にはバッファローの目の前。カタナも抜いていて、その切っ先はアランの首を捉えていて──しかしその太刀は首を切断する寸前でピタッと止まる。
お兄ちゃんはまるで金縛りに遭ったみたいになっていた。
「……なんだ、これは」
「よくやった。そのままだアラン」
馬鹿デカい強靭な蛇の尻尾が空気を切り裂いて唸る。
お兄ちゃんは後ろを振り向くことすらできずにそれを喰らってしまうだろう。
そんな状況になって初めて、わたしは動けた。
情けない。でも、それが戦闘経験の差というものなのだ。わたしはわたしで、今できることをやるしかない。
頭にはツノが、お尻には尻尾が出現した。わたしが全力で竜の力を出す時にはそうなってしまう。攻撃の直前まで隠しておくほうが敵の隙を突けただろうが今はそんなことを言っている場合じゃない。
拳に全精力を込めて、尻尾の軌道を変えることに全ての意識を集中させてぶん殴る。僅かに軌道が変化し、お兄ちゃんへの直撃は避けられた。
その流れで、わたしはバッファロー野郎に向かって尻尾をおもっくそ振り回してやった。
バッファローは飛び退き、蛇女のほうへと退避する。
「ほら。さっっっそく、しくじった」
「こ、これはなぁ。これは違うんだ!」
憎まれ口を叩いてやったけど、なんか嬉しかった。
わたしでも、戦いの役に立てるんだ!
なんか、新鮮な感覚だ。自分の存在意義が認められているような気がして。
わたしのことを放って勝手に施設を出て行って、わたしを護るためだからって一人で戦って。
「へへ。なんか嬉しいな。お兄ちゃんと一緒に、こうやって戦えるなんて」
「ビビってたと思ったら今度は緊張感ゼロか」
「……誰がビビってるって? そっちこそ簡単に敵の金縛り喰らっちゃってさ」
「それも多分わかった。影だ」
お兄ちゃんは、会議室の照明灯でできた自分の影を指差す。
「あいつは、俺たちの影を踏んで動きを縛っている」
「……ほう。吾輩のグリードをお前に見せたことはなかったはずだが。たった一度の立ち会いで見破るとは大したものだ。だが、この会議室は吾輩の巣だ。お前たちに勝ち目はない」




