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46 思いやる心さえ本物だったなら(美咲視点)


 時刻はお昼過ぎ。

 今日、わたしはお兄ちゃんのそばにいるためにマーモットへ来ていた。

 すると、着くなり店主のナドカさんがこう言う。


「俺とウェジーの二人は用事で少しのあいだ店を空ける。すまんが帰ってくれるか」

「じゃあ、お店を閉めるんですか?」

「そうだ」

「その用事って、わたしの依頼に関係あること? それとも、先約の方々の?」

「お前の依頼だよ。これから討伐に向かう」

「えっと。わたし、ここで待ってちゃダメですか」


 ここにはお兄ちゃんがいる。

 それに、ウェジーの二人に依頼した仕事はわたしとお兄ちゃんの運命が掛かったお仕事だ。だから、わたしも一緒に戦っているという気持ちになりたかった。

 

「好きにしろ。ではベル、お前は美咲と一緒にここに居てもらっても良いか?」

「構わん。どうせ働かねば金は稼げんからの」

「ありがとうございます」


 そういう訳で、今、わたしはベルさんと二人っきり。地下にはお兄ちゃんがいるけどね。


「早く兄上が正常に戻れば良いな」

「そうだね。豹になっちゃったから、ベルさんとは仲良くできるかも。同じネコ科だし」

「豹は少し怖いのう……」


 あれ。同じだからって親近感湧かないのかな?

 よく考えれば人間同士でも怖い人とかいるからそれと同じなのかもしれない。


「しかし人間から獣人に変化するとは奇妙な。それが桐谷のグリード能力だというのじゃろ?」

「うん。数珠丸さんの心眼によると、そうなんだけどさ」

「どうして魔物へ変化させるんじゃろうな。強い手下を作るという能力……待て。誰か来た」

「? お店が閉まってるって知らないお客さんかなー

 

 とりあえずお店は閉まってるから無視でいいと思うんだけど、ベルさんは探りに行った。鉄扉の近くにある小窓から慎重に外を覗いている。


「……黒塗りの車じゃな。あれは客か? まあ銃を買おうというくらいだから、あれくらい物騒な気配をしていてもおかしくはないか」

「そんなに怖そうな人たち?」


 そんな風に言われたらちょっと怖くなっちゃうな。

 よく考えれば、確かにここは武器屋だ。銃を求める客なんてろくでもない連中しか思い浮かばないなぁ。


 なんとなく気になって、わたしも同じように扉の隙間から覗かせてもらった。

 黒い車が、薄く見える敷地内に停車している。

 その手前に立っていた見覚えのある男の姿で、呼吸が止まったかと思った。


「……なんで」


 その一言が、わたしの心情を全て表現していたと思う。

 真っ黒い車から降りてきたのは、桐谷(きりや)剛毅(ごうき)だ。


 どくん、と鼓動が跳ねた。一瞬にして頭が真っ白になり、あいつの姿を目にしてからまだほんの数秒のはずなのに冷や汗で服が体に張り付いた。


 護衛は……獣人と、人間の女性……? どちらも黒スーツだ。

 獣人は顔がバッファローみたいな男。こっちは体もゴツくて強そうだけど……。

 もう一人は、人間の女性みたいだ。黒髪ロングの女性。だけど、桐谷が引き連れている護衛に普通の人間なんているんだろうか? それも女の子だなんて。


 それに、女の人がもう一人いる。

 青い髪を結った、青いチャイナドレスの女性。若く見えるが四〇代……年齢不詳だな。わたしの感覚では五〇代もあり得ると思う。

 私はベルさんを鉄扉から引き剥がした。


「まずいわこりゃ。あれ、蒼真くんに依頼した、わたしの殺してほしい人。つまり桐谷剛毅」

「なんじゃと!」

「見つかったら、たぶん殺されるね」


 自分の手先だったお兄ちゃんが捕えられて、幹部の根城に狼藉者が侵入したんだ。

 ここが蒼真くんの居場所だと突き止めたに違いない。あいつがそう何度も敵をタダで逃すはずはないよ。

 わたしはベルさんと小声で意思疎通した。


「裏口じゃ! 裏から外へ逃げるぞ」

「チラッと見えたけど護衛二人が左右から回り込んだよ。きっと無理」

「では地下じゃ! 清十郎と一緒に隠れておこう! 奴らが諦めるまで──」

「ベルさんは、そうしてよ」

「な……其方(そなた)、何をする気じゃ!」


 蒼真くんやナドカさんが出ていったタイミングで来るなんて、ずっと見張っていた以外に考えられない。だから、桐谷は蒼真くんもナドカさんもしばらく帰ってこないことを知っているはずだ。

 その上で、店が閉まっているのに入って来ようとするってことは、ウェジーやナドカさんと戦うつもりじゃない。

 なら、わたしたち──いや、お兄ちゃんが捕えられているのを想定して探しに来たのかもしれない。

 なら、誰もいないからってあいつらは絶対に諦めて帰ったりしない。徹底的に探される。

 

「こうなったのはわたしのせいです。わたしが囮になるので、ベルさんは蒼真くんたちに知らせてほしいです」

「なっ! 見つかったら殺されると言ったのは其方じゃろう!」

「あはは。わたし、一応元カノっすよ? もしかしたら、殺されないかも」


 事務所から裏口へ行く途中には、シャワー室や更衣室なんかがある。

 広大な倉庫エリアからそっちの通路に移動した直後、ガガガ、と鉄扉が小さな音を立てて開いた。


「……来た。ねぇ、ベルさんの封印グリードって、この場面じゃ使えないよね?」

「ああ。儂よりも弱らせんと無理じゃ」

「やっぱベルさん、地下に行っとくべきだったよ。ならベルさんだけでも助かったかもしれないのに。もう今からじゃ無理だ。地下への入口は倉庫内だから見つかっちゃうし」

「あいつらが魔獣だった場合は無理じゃが、そうでない場合は儂なら抜けられる」

「どういうこと?」

「説明してる暇はない。美咲、其方は一切逆らうことなく素直に桐谷に従え。命さえあればいずれチャンスは来るかもしれん」

「逆らわなくても、死ぬかもしれないよ」

「逆らえば百パーセント死ぬんじゃろう? 確率の問題じゃ」


 ぽん、と音を立ててベルさんは猫になった。

 マジか! って一瞬大声をあげそうになったけどなんとか我慢した。

 うわ。こいつ魔獣かー。


 さて。正面から入ってきた奴が、時間的にそろそろここへやって来るはずだ。

 この廊下、すぐそこを曲がった突き当たりは洗面所。シャンプードレッサーが設置されている。

 わたしはシャンプードレッサーの大きな鏡のほうを向いたままじっとしていた。


 人影が、鏡に映る。

 ドレッドの男。剛毅だ。


「やあ美咲。久しぶりだね。元気にしてた?」

「……剛くんか。どうしてここにいるの」

「ここってさ、俺の組織に楯突く奴の根城なんだよ? ……むしろお前がどうしてここにいんのって感じなんだけど」


 やばい。語気が強まった。怒ってるかもしれない。

 怒らせちゃダメだ。だからわたしは振り向いて釈明しようと思ったんだけど、寸前で鏡を二度見し、その考えを撤回した。鏡を介して剛毅と視線を合わせたまま固まってしまう。


 ギラギラと、緑色に煌めく瞳。

 ドレッドの束はいつの間にかそれぞれが蛇だ。一つひとつが意思を持っているかのようにウネウネと蠢いている。

 わたしの指先が、震え出す。

 ……こら! じっとしろ馬鹿!


「……そうなんだ。全然知らなかったよ」

「どうしてそっち向いたまんまなの? こっち向きなよ美咲」


 数珠丸さんがお兄ちゃんの思考を読んだとき、得た情報の中に「桐谷と目を合わせちゃいけない」ってのがあった。観念して視線を合わせたことでお兄ちゃんは魔物に変えられ、支配されたと言っていた。


 この緑色の瞳は初めて見る。きっとこれがグリードの発動なんだろうと思った。

 ただ、今のところ魔物に変わるとか支配されてる感じはない。

 こいつはワザと発動させていないんだろうか。それとも、鏡越しだと効力を発揮しないんだろうか。

 いずれにしても、絶対に振り向いてはいけないとわたしの勘が告げている。


「だって瞳が緑色だよ、髪もちょっと変だし。剛くん、怖いじゃん」

「カッコいいっしょ? ってか、こっち向かないってことはさ。俺のグリード知ってるってことだよね」


 鏡では発動しないと判明。直接眼を見たらアウトということ。

 咄嗟に言葉が出てこなかった。それはイエスと捉えられても仕方がない──というより、無言が肯定そのものだった。


「誰から聞いた? んー? ルークか? それならルークはここに居んのかな。それとも、ここの奴らに聞いたのか? 調べたんだけどさ、ここってウェジーって奴らのホームなんだって? エージェントだよな。つまりさぁ」

「違う! 違うよ剛くん。ま、待って」


 反射的に口が悲鳴をあげた。

 唇も、指先も、呼吸さえもが意思に反して勝手に震え出している。


「俺の忠実なる部下の一人がさ。一度でも裏切った奴はその場で殺すって奴でさ。疑いがあっただけでも殺しちゃうんだよ。ちょっとひどいと思わない?」


 この窮地を脱するナイスな案は何も思い浮かばなかった。恐怖のせいかな。いずれにしても、今のわたしにできることはただこいつの話を聞き、従順に徹することだけだ。


 剛毅の背後に、残りの獣人二人の姿が見える。

 猫になったベルさんは、わたしを励ますように足元ですりすりしてくれている。


「だから俺はさぁ、ちょっとくらいの裏切りは許そうかと思ってんだよ。なあ美咲」


 剛毅は、わたしのことを後ろから抱きしめた。

 こいつの手がわたしのシャツを(めく)りあげ、おへその辺りをさすってる。

 濡れた唇が、わたしの首筋に触れた。


「っ…………」

「俺のところへ戻ってこい。これから一生飼ってやる。俺のことだけを見ろ。そして俺の言うことだけを聞け。それ以外のことは考えなくていい。簡単だろ?」


 手が、おへそから上へ動いた。

 シャツの中を弄る指がブラと肌の境目をつつつ、と動いていく。

 指がブラを引っ掛けて、下げようとした。


「お願いがあるの」

「ペットはお願いとかしないんだよ」

「お兄ちゃんを! お兄ちゃんを助けて──」


 剛毅は、わたしの頬を鷲掴みにした。

 そしてグイッと無理やり顔を振り向かされた。わたしは瞬間的に目をつむる。


「どうしてお前を人間のままにしておいたか分かるか? 魔人相手は人間のほうが稼げんだよ。だけどなぁ、もうそれはいい。お前は俺の忠実なる戦士として飼ってやるって言ってんだよ目ぇ開けろやコラ!!」


 はぁ、はぁ、と呼吸が荒くなり、それでも目は絶対に開けまいと必死に歯を食いしばった。無理やり瞼を開けようとしたら白目を剥いて抵抗してやるからな!


 でも、こいつはそんなことはしなかった。

 剛毅はわたしを壁に押し付け、両手首を一つに纏めて掴み、引っ張り上げた。

 目を閉じているわたしの首筋を鎖骨の辺りからべったりと舐め上げ、耳を甘噛みしてくる。

 きっと(なぶ)る気なんだろう。心を折って従わせたいのか。

 

 ──わたしを舐めるなよ剛毅。

 ずっと夜の仕事をやってきたんだ。この程度、耐えられないと思ってるほうがおかしいわ。あんただって分かってるはずだろが……。


 ベルさんが、シャーッと威嚇する。


「うるっせーな!」


 剛毅はそんなベルさんを蹴っ飛ばしたっぽかった。「ギャン」という悲鳴が聞こえて、壁に叩きつけられる音がする。

 ベルさんには可哀想だけど、剛毅がイラついているのには「ざまみろ」と思いながら内心ほくそ笑む。

 すると、バッファロー獣人が剛毅へ近寄って報告した。

 

「桐谷様。ルークを見つけました。地下室です」

「……キキキ。そっか。キキキキキッ」


 心はサッと冷え込み、希望が(つい)えたことを知る。

 こいつが何をしようとするか、わたしには手に取るように分かったからだ。

 

「……そうだよねぇ。そりゃそうだ。お前はさ、カラダを(はずかし)める方向性じゃ何をやっても堪えないよねぇ」


 剛毅は猫撫で声で言葉を紡ぐ。

 そして、わたしの頬を優しくさする。


「お前の態度次第で、お兄ちゃんはここで死ぬね」


 予想の通りのクズっぷりだ。もう笑ってやりたかった。

 いや、笑うしかないんだ。色々足掻いてはみたけれど、やっぱりここまでだったみたいだ。


 目頭が熱くなり、涙が頬を伝っていく。

 涙で視界がゆらゆらしていたら、こいつのクソグリードも効力を失わないかなぁ……なんて馬鹿なことを考えながら、唇を噛み締めてわたしは瞼をそっと開く。


 切れ長で細い目。悪そうな印象だけど接してみたら優しくて、すぐに虜になったことを思い出す。

 相手のことを思いやる心さえ本物だったならこいつも相当な男前なんだ。だって一度はわたしが惚れた男なんだから。


 鮮緑の瞳が、わたしの体を熱くしていく。

 体の内側から起こった熱が、細胞ごとわたしの体を(いじ)っていく。

 支配の種を植え付けられ、ターゲットが蒼真くんと瑠夏さん──ウェジーの二人だと直接心に命令された。


 熱が冷めた頃には、わたしの頭には二つのツノが生え、知らない間にお尻には大きな尻尾があって。

 人間ベースではあるけれど絶対に人間じゃない。シャンプードレッサーの鏡で見た感じ、この絵面には見覚えがある。


 これは、竜人族。

 わたしはお兄ちゃんと同じ、魔人にされた。

 



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