03 地獄を認識した日
次の日も、その次の日も。
詳しいことは何を教えてもらえないまま、俺たちは色んな特訓をやった。
次は動くものに当てる練習で、瑠夏ちゃんが俺に向かって全力で投げてくる石を俺が迎撃するやつ。これは最初マジで怖かったけどやってみると「あ、できるんだ……」くらいの難易度だった。
百発百中で当て続けているので少しは褒めて欲しいなと思うんだが慣れてくるとそんなものはなくなった。俺のターンが終わるとすぐに瑠夏ちゃんの番だ。
瑠夏ちゃんが渡してくる石は日に日に威力を増した。とうとう地面に大穴を開けるようになったのが俺はちょっと怖くなっていた。
総じて変な特訓だったけど、俺は楽しそうにする瑠夏ちゃんと二人で遊べることに幸福感を感じていた。
そんなことを続けた、ある日。
小学校五年生になってすぐの頃だ。いつものように二人だけの特訓をしていると、瑠夏ちゃんは真剣な顔で──というか、なんか辛そうな面持ちでこう切り出した。
「そうちゃん。前世のことって、覚えてる?」
「前世? 瑠夏ちゃんってそういうスピリチュアルな方面に興味ある人だったっけ」
「あなたは世界最強とまで言われた大魔導士で、あたしは聖女だった」
たぶん異世界転生ファンタジーごっこが始まった。前も同じようなことをした気がするから瑠夏ちゃんはこれが好きなんだろう。……前? いや、夢の話だったか。
ごっこの中にパンツ見れるシチュエーションを混ぜ込めないかなぁと考え、ああ、そういや俺はその時もパンツのことばかり気にしていたんだと思い出した。
「なんか漫画やゲームの世界みたいだね。ふふ。今度はそういうごっこ?」
「あなたの名前はジル。あたしたちは家族で、小さな子どもが二人いて。男の子と、女の子なの」
異世界ファンタジーごっこは、そういう世界線のおままごとらしい。
そんなことより頭痛と吐き気がする。
「…………そうなんだ。俺の名前って、それ、外国人?」
「あたしの名前はメル。子どもたちは……カイ。ルナ」
眩暈がして、もう立っているのも辛くなっていた。
なんで急に、こんな?
「へ……ぇ。じゃあ、俺たち二人は先に死んで転生したんだ? でも、子どもを二人も残せたなら良かったね」
「カイとルナは死んだ。あたし達もろとも、紫色の瞳をした天使に殺されて」
無理だ。もう言葉を止めて欲しかった。
我慢するのも限界と思える頭痛と吐き気に襲われながら、見慣れたはずの瑠夏ちゃんの顔が遠い昔から見知った別人の顔だったと不意に気づいて──瞬間、喉の奥から内容物が込み上げる。
「おえええええっっ」
俺は突然の吐き気に襲われ、その場で吐いた。
何処と特定できないが、体の何処かが苦しい。
逃れようのない憎しみと、体を引き裂きそうなほどの痺れ。
涙と涎と鼻水を垂らして這いつくばる俺を、瑠夏ちゃんが抱きしめた。
「ごめん。ジル。あなたは忘れていたのに」
決壊した神の防壁を乗り越える記憶の津波が荒れ狂い、なす術もなく俺の意識は浸されていった。
(ああ──そうだ。カイ。ルナ。メル!)
思い出さなかったら幸せだったであろう、知れば地獄に還ることになる、しかし絶対に忘れてはならない記憶だったと思い出す。
前世での生活。
俺たちの、故郷である異世界での、人生。
そうだ。俺は……俺たちは、転生したんだ。
地球という名の星へ。
科学が発展し、魔法なんて現実には存在しない世界。なのにこの世界では、ある日突如として魔物が現れていた。それは前世の俺たちが戦っていたような見慣れた魔物たちだ。
ニュースでは連日のように魔物たちによる破壊活動が報道されている。人類が安全に生存できる領域は年々減少していて、大人の視点で見れば魔物で溢れたこの世界はもはや文明ごと乗っ取られる寸前であることが明白だ。
その上、目の前にいる瑠夏は、メルにそっくりだった。
今にしてみれば気づかないほうがおかしい。こんなに大切な人の事をどうして今まで気づかなかったのだろうと自己嫌悪で頭を掻きむしる。
瑠夏は、そんな俺の頬を両手でそっと掴んだ。
「……メル。メルなのか」
「本当にごめん。ジル──いや、蒼真。辛い記憶を思い出させてしまって……でも、あたしはどうしてもあいつを許せない」
「あいつ? あの紫色の瞳をした天使のことか。でも、あいつは異世界の存在だ。こっちの世界にいるはずが──」
「こっちの世界ではね。最近『紫眼の魔女』って呼ばれるとんでもなく強い魔人の犯罪がニュースを騒がせてるの。ジルじゃなくて、蒼真の記憶にはあるでしょ?」
ごちゃ混ぜになっている記憶をさらってみれば、確かにあった。
あるにはあるが──……
紫色の瞳の天使。
紫眼の魔女。
「同一人物だっていうのか?」
「偶然だなんて有り得ない。あいつはきっと、この世界に転生したあたしたちを殺しに来た」
まだ記憶が混乱している。
不思議な感覚だった。「蒼真」と「ジル」の自我が、俺の中に二つとも存在している感じとでも言えばいいか。
そのせいで今喋っているのが果たしてどっちの人格なのかすら曖昧になっていて、双方の考え方や感情は雑多に入り混じっている。
「頭が、痛い」
「うん。しばらく休もう。二つの自我と記憶が混ざってるせいだよ。あたしの時も、慣れるまではそうだった」
今、俺を優しく抱きしめている瑠夏は「メル」だ。
顔だけじゃなく、微笑み方も、喋り方も、考え事をする時はこめかみに中指の腹を当てるところまで、今の瑠夏は転生前のメルの面影を色濃く残していた。
「メル……お前が転生して瑠夏になってたってのが、まだ俺は信じられないよ」
「そうちゃんがあの神に力を願った頃には、あたしは記憶を取り戻してたんだ」
「でも、どうして俺だと分かったんだよ? お前は俺に、ジルだと確認するための質問なんてしなかったと思うんだけど」
「あなたがあたしの立場だったら、きっとすぐにピンときたと思うよ。顔も、声も、喋り方も、うなじを弄る癖もあの頃のジルみたいだもん。それに加えて神から力を貰ってる男の子なんて、他にいないだろうからね」
「……そっか」
「あなたはあたしに気づかなかったんだよね。ちょっとショックなんだけどなぁ」
「違っ……だって! これは、しょうがないよ……」
「ふふ」
柔らかく微笑むメルの様子に、俺は自然と涙が頬を伝っていた。
自らが不覚をとったせいで失った、最愛の人。もう一度会えたことが嬉しくて嬉しくて仕方がない。
だけど、俺の家族は、まだ欠けたままだ。
「カイと、ルナは?」
「……わからない。あの子達がどうなったのか。きっと、あたしたちだけが転生させられたんだと思う。あの子たちは、きっとあのまま死んだんだ」
「……お前は、そう思うのか」
「なんとなくだけどね。あたしの中の聖女としての感覚が、そう言ってる」
瑠夏は、ギリギリと音が鳴るほどに歯を噛み締めた。
「だから。蒼真。あたしね。決めたんだ」
「何をだ?」
「殺したい。あたしたちの家族を壊したあの天使を。だから、あなたも力を貸して」
メルは燃えるような怒りを俺にぶつけてくる。語調も瑠夏とは全然違うし、だからこれは間違いなくメルなんだと俺は確信していた。そして、前世でメルと同じ体験をした俺の中の「ジル」の感情は、メルの怒りとシンクロしている。
ジルの気持ちは、メルと同じ。
だから、俺は「当たり前だろ」と断言してやるつもりだった。
だけど────
「……でも、あの頃の俺たちですら、あの天使には傷ひとつ付けられなかった。一体どうやって」
「それをね、これから二人で訓練していくの」
言うはずだった言葉を飲み込んで、気が付けば、俺はまるで違う言葉を口にしていた。その原因は、間違いなく「ジル」ではなく「蒼真」の意志の影響だ。
度々ニュースで報道される、紫眼の魔女による規格外の所業。
それは天変地異にも引けを取らない、災害級としか言えないものだ。
等間隔で細切れにされて全壊した東京タワー。
超高層ビルごと圧迫されて潰された三桁にものぼる人間たち。
数区画を完全消滅させた地面の大穴……。
いくら俺が転生者でも、この世界では、魔法はもう使えない。
持っているものといえば、遠くから賽銭箱に十円玉を投げ入れられる程度の力だ。
復讐なんてやろうとしたら間違いなく殺されてしまう、蒼真はそう感じていたから。
「瑠夏。でも、俺たちの力じゃ──」
「蒼真がやらなくても!!」
不意に怒鳴られて、ビクッと体が跳ねる。
「蒼真がやらなくても、あたしはやる。命に代えても。差し違えてでも。絶対に、やり遂げる。あの女を殺したい。寝ても覚めても夢に見るんだ。血まみれで横たわるカイとルナの姿が毎日のように見えて。あの天使をぐちゃぐちゃにして踏み潰している自分をあの日からずっと夢見てる」
怖い──そう思うくらいにメルの言葉はさらに荒く、激しくなっていた。
瞳の中のハイライトが消え去って、温厚な女の子から殺人鬼へすり替わったくらいさっきまでの「瑠夏」と落差がある。こんな瑠夏は見たことがない。
ただ──
(ああ。そりゃそうだよな)
(家族を皆殺しにされて、怒らないほうがおかしいんだ)
俺は、どこか納得もしていた。
俺の中のジルは、メルの気持ちを完璧に理解しているから。
前世・今世の二つの人格が入り混じっている俺も、結局は似たような状態だ。結果的に感情の発露は異なっているかもしれないが、本質的には今のメルとさほど違いはないだろう。
「蒼真」からすれば、まるでファンタジーのような異世界の記憶が頭の中に割り込んできた感覚で。
かつて家族だった妻と子どもたちが皆殺しにされた。
耐え難い悲しみと、抑えられない怒り。
それをもたらした奴へ鉄槌を下すことへの執着。
「ジル」からすれば、幸せだったはずの前世での人生が苦しみによって終焉し、なんの脈絡もない異世界の子どもへと生まれ変わった感覚だ。
見慣れた光景とはまるで違う、ビルやアスファルトで整備された世界。
温かな家族に囲まれ、大好きな瑠夏ちゃんと二人で遊んで、互いに好き合い、交際し、いずれ結婚できればいいな……と純粋に夢見たことが自分のことのようだった。
「……蒼真? 聞いてるの?」
不安そうにメルが呼び掛けていた。
「……ああ。悪い。ちょっと記憶が混乱しててさ」
「うん。仕方ないよ。……それで? ジルは、新しく生まれ変わったこの世界でどうするの」
人を殺しそうな顔つきをしたメルが詰めてくる。
話を聞く限り、メルは間違いなく今世の人生を復讐に全て注ぎ込むつもりなのだろう。そして今世の人格「瑠夏」もそれに同意しているはずだ。
もちろん、ジルもメルと同じ経験をしてきたし、同じ感情を持っている。
だから、普通に考えると、俺もメルと同じ結論に辿り着くのが順当なのかもしれなかった。
同じところに辿り着けたほうが幸せだったろうかと、ふと考える。
愛するメルと一心同体になったような、共に同じ目標に向かう、前世のように曇りのない関係でいたかったとも思う。
だが俺の中の「蒼真」と「ジル」が最優先事項として密かに内心で合意していたのは、「何がなんでも瑠夏の命を護り抜き、自分もまた死ぬことなく瑠夏とともに生きること」だった。
復讐を成し遂げるというジルの願いの実現を目指すこと。
しかし万が一の時には全力で瑠夏を護り、自分もまた生きること。
二人が辿り着いたのは、ジルと蒼真の願望を二つとも叶える折衷案だ。
(今度こそ、絶対に死なせない)
それは、前世では叶わなかった願望。
俺が仇討ちに同意しなければ俺と決別し、命を捨ててでも復讐を成し遂げようとするメルと瑠夏の運命。俺とジルが決意したのは、その結末を変えることだったから。
「わかった。絶対に、二人で殺そう」
「……うん。ありがとう。ありがとう」
俺の決意表明を確認したメルは、安堵するように微笑んだ。
涙さえ流して喜んでいる。
きっと、メルの決意を変えさせることは誰にもできないだろう。
だから、俺はメルの強烈な願望に同調するフリをしておくことにした。




