20 バステト神
瑠夏が寝ているのは寝室のベッドで、俺はリビングダイニングに敷いた布団。それはもう毎日のことだ。だから、瑠夏が起きてリビングにやってきたらガサゴソ音がするから俺も自然と起こされてしまう。
「瑠夏、おはよ」
「…………うん」
「ドラコもメルカもおはよ」
「蒼真くん、おはよーです! 床の寝心地は硬くありませんでしたか?」
「もうとっくに慣れてるよ」
メルカは例によって返答無し。朝の挨拶くらいしろっての。
ドラコとメルカは昨日のバーベキューからずっと擬人化にして自由に過ごさせている。二人は瑠夏の寝室で一緒に寝ているので俺だけ仲間はずれはちょっと寂しい。
瑠夏はキッチンの裏に回って食パンを焼き始めた。香ばしい匂いが漂ってくる。
ただ、それに紛れてタバコのような臭いがする気が……。
俺は鼻をクンクンした。俺も瑠夏もタバコは吸わないはずなのに。隣の部屋の住人か? ベランダから煙が回ってきたのかな。
「瑠夏。今日は何時頃にマーモットへ行く?」
「…………」
無視だ。依頼者が来るのでマーモットへ行く時間を話そうと思ったんだけど、朝から機嫌が悪いらしい。
たぶん昨日のバーベキューでどさくさに紛れて俺がお願いしたことを了承してしまった件について、つい油断してしまった自分にどうして良いか分からなくなっているんだと思う。
だって、仕事中にビルの屋上で言い合いをした時は「この際だから言っておく」とか前置きしたうえで「命なんて勿体なくない」ってタンカ切ってたから。
とりあえず、色々俺の計画通りに進んでいる。非常に良い流れだ。
瑠夏が、焼いたパンとコーヒーを食卓に置いてくれた。
朝食は四人分あった。俺と、瑠夏と、ドラコとメルカの分。
「ありがと」
「あー。あたし、ちょっと禁酒しようかな」
「なんで?」
「なんでも」
「別にやめなくても良いんじゃない? ちょっと酔うくらいまでなら健康的だし」
それは三〇分間で五〇〇ミリを五本消費するペースで二時間程度飲むことを意味するので普通の人ならアウトだけど。
あのくらい飲んでくれたら、また別のお願いが通せるなぁ。
「昨日の約束を取り消してくれるくらいそうちゃんが寛容なら飲むけど」
「絶対にダメ」
「だよね──……君は心が狭いからねー。あ、そうだ! 酔ってて昨日のことあたしあんま覚えてなく──」
「アホか」
「うわ。言う順番間違えたわ。最悪」
「どっちにしろ君がお酒くらいで記憶失うことは絶対にないからダメ」
瑠夏は、食卓にある椅子の背もたれにグーッと体重を預ける。
無駄な足掻きせずにさっさとパン食え。
ドラコとメルカも食卓に座らせると、四人が座れる食卓が満員になった。
なんかあの頃の夫婦に戻ったような感じというか、一瞬カイとルナが戻ってきてくれたような心境になってしまった。
違う、と自分に言い聞かせる。
二度と元には戻らないはずの光景だ。でも、気持ちの持ちようとは関係なく、感情はしっかり揺さぶられてしまっていた。
つい目頭が熱くなって、俺は三人のことを見渡した後、うつむいて涙を落とす。
ドラコとメルカはそんな俺を見て呆気に取られていたけど、瑠夏だけは優しく微笑んでいた。
「……あたしも、たぶんそうちゃんと同じこと考えてた。こうして四人でテーブルを囲んでると懐かしい気持ちになるなぁ、って」
「ああ。本当にな」
「じゃあ、もう一人連れて来ないとね」
瑠夏は、部屋の中でうずくまっていたノルウェージャンを抱っこしてきて、自分の席に座ると膝の上へ寝かせてナデナデした。仕事で家を空ける時以外は、ノルちゃんはおうち。
「はー。可愛いなぁ。この子、名前何にしようかなぁ」
「『タマ』にしないのか?」
「似てはいるけどさ、やっぱりタマではない訳だから。同じ名前にするのはちょっと抵抗あるなぁ。この子はこの子だし、タマの幻影を重ねるのはちょっと違うと思うし」
タマの生まれ変わりだと昨日自分で言ったのをすっかり忘れているのか、それとも飼うための方便だったことをあっけらかんと認めているのか。
しかし確かに、ドラコとメルカの名前も「カイ」と「ルナ」ではない訳だし。
ふと思い出に浸ってしまうことは悪くない。けど、幻影にしがみつくのは俺たちが望んでることじゃない。
「メスだから、女の子っぽい名前にしようか」
「そうだね! なんか楽しくなってきた。ドラコ、メルカ、顔を洗って髪を整えよう。特にドラコは女の子なんだから。今日はちょっと結ってみようか」
「はーいっ!」
瑠夏は楽しそうにしながらドラコとメルカを連れて朝支度をしに洗面所へ行く。ちょっと強引だったけどやっぱり猫を飼ってよかったのかもしれない。前よりも家が明るくなった。
三人がいなくなった食卓で俺は一人コーヒーを飲んでいたんだけど、朝食をお腹に入れたからか、お腹がぐるぐる言い始めた。
「トイレ行くかー」
いったんリビングを離れたものの、暇つぶしにSNSでも見ようと思いついてスマホを取りにリビングへ戻る。
その時、ちょうどノルウェージャンがベランダの掃き出し窓を前足で器用にカラカラと開けていた。
え。自分で開けれるんだ。
めっちゃくちゃ賢いじゃん!
トコトコ歩き、ベランダに置いてある木製の椅子にぴょんと飛び乗る。
その横にある小さな丸テーブルの上を見ると、紙タバコとライターがあった。
あれ? あんなもの、ウチにあったはずはないのに……
ノルちゃんは紙タバコをウニウニ触ったかと思うと一本取り出し、器用にライターを立ててシュボッと火をつけた。そのままタバコを咥えてフィーッと煙を吹き出す。
……と、こちらを向いたノルちゃんと目が合った。
こいつは今、目を見開いて固まっている。見つかってヤバいと思ってそうな顔をしてから、誤魔化すようにニッコリ微笑んでいる。猫らしからぬ感情豊かな表情だ。
それで大体のことは分かった。
俺はベランダへ出る。
「……おい。魔獣かお前。魔獣だな!?」
「…………チガウヨ」
「猫が人語で答えるか馬鹿。こっち来いコラ」
「待て! 待ってくれ! 話を聞いてくれ!」
ノルちゃんは必死だった。
「んだよ話って。俺たちを謀っておいて今更なにを」
「ここで捨てられたら、儂は処分されてしまうんじゃ! じゃから、普通の猫のふりをしておったんじゃ! 其方は鬼畜ではなかろう? 瑠夏にあれほど優しくできるならその優しさの一欠片でも儂に注いでくれ! 人助けだと思ってこの場は儂のことを見逃してくれ!」
「見逃すってなんだよ? 飼い主の俺に見つかってんだろ」
「飼い主は瑠夏じゃ」
イラッ。
「あ──……。俺のことは下に見てる訳ね。あー分かりました分かりました」
「まっ、待て! 儂が申しておるのは、其方よりはあの瑠夏のほうが儂にご執心じゃろうと言う意味じゃ! 瑠夏が欲しいと言わなかったら、其方は儂を買わなかったじゃろう?」
「……まぁ。それはそうだけど」
「儂は瑠夏にだけは嫌われたくないんじゃ。もう捨てられたくないんじゃあ……」
ノルちゃんが、ポロポロと涙をこぼした。
ペットってみんなこんなに切羽詰まってんのかな。こいつは魔獣だから喋れるだけで。
過去にネットで見た記憶では確か魔猫というのが正式名称だったはずだが、スラングで魔猫とか言われてた気がする。
「……それはわかったけどよ。そこからなんでタバコを吸う話になるんだ?」
「儂は長らく吸うのを我慢しておったのだ。このままでは先にストレスで死んでしまうぞ」
「わがままな奴だな」
ってか、俺と話をしている今もこいつは肉球の隙間を器用に開けてタバコを持ったまま火を消そうともしない。たぶん俺のことを舐めている。
「そんで? お前は何者だよ。まずは名を名乗れ」
「聞いて驚くなよ? 儂はのう、かの有名な猫の神・バステト神じゃ! 女神じゃぞ!? どうじゃ。驚いたか。はははははは!……いてっ」
「ホラ吹くなコラ」
「神の後ろ頭を叩くとはこの罰当たりめ! タバコの火が毛に燃え移ったらどうするん──瑠夏がくる! 部屋に入るぞ」
そういやあの生臭フェンリルも自分のことを神だなんだと宣っていた。魔獣ってのはそんな奴ばっかなのか?
自称バステトは、ベランダの丸テーブル上にいつの間にか置かれていたビールの缶へ、タバコをグリグリして投げ入れる。
それから俺の脇をすり抜けて、素早く掃き出し窓から室内へ飛び込んだ。居候の分際で人の家で間違った火の始末すんじゃねぇコラ!
「ねぇそうちゃん、依頼者との待ち合わせはお昼の二時にマーモットだから、お昼ご飯はここで食べていこうか」
「あ、ああ……」
「ん? なんかタバコの臭いしない?」
「えっと、それは」
「あれ!? ベランダにタバコあるじゃん! どうしたの!? まさか蒼真、吸い始めたの!?」
「いや、俺は──」
「どうして許可なくそんなことすんの!? 同居してる自覚あんの!? あたしタバコ吸わないで欲しいんだけど」
「ちょ、待て、話を」
「あー。ノルちゃんにまでタバコの臭いが付いた!! マジ最悪。ちょっと見損なったわ」
ノルは両の肉球をぺたんと合わせて「頼む!」のポーズだ。ペットの癖に俺に口止めを指示しやがって……
くそ。どうしてこんなことに!
◾️
マーモットへ着いたのはお昼の一時頃。
ナドカさんに挨拶をすると、なんだか怪訝な顔をされる。
「おはようございまーす」
「あれ。また猫連れてきたのか……」
「ええ。どうかしたんですか?」
「実は俺、猫が苦手でな……別にアレルギーとかではないんだが、触るのも近づくのも無理なんだ」
「えええっ! ここで飼わせてもらう予定だったのに! 昨日喋った時にはOKっぽい反応してたじゃないすか」
「してねーよ何を馬鹿なことを言ってんだ! 人の店で何を勝手な」
俺の抗議に乗っかるように、すかさず瑠夏が目をうるうるさせ始めた。
「ナドカさん。ここで飼えなければ、この子は殺処分されるしかなかったんです。そんなこの子を見捨てるっていうんですか」
うーん……店の人もそこまでは言ってなかったけど。言ったのは魔にゃんこ本人だけなんだけど。
まぁいいや。
今の瑠夏には鬼気迫る感情が入ってるし、この際だ。これで押し通そう。
「いや……だから……なんで、この店で」
「あたしたちが訓練とか仕事してる時だけでいいんです。お願いします」
「でも」
「ナドカさん。あたしこれだけは譲れません」
「どういうこと!? 譲る譲らないの問題か!? 俺の拒否権は!?」
最初から最後まで瑠夏が押し切って、バステト神はマーモットで飼われることになった。
ナドカさんは「俺は一切面倒見ないからな……」と顔を青くしながらも了承させられていた。
「虎太郎は猫は大丈夫、のはず」とナドカさんが発言したせいで、マーモットでのバステト担当は虎太郎の居ぬ間に虎太郎に決まった。
というかこの猫が魔獣であることを知っているのは俺だけだ。それがいかにも気持ちが悪い。バステトが俺にだけ判るようにニヤッとしている。
「……忘れてた。もう依頼者が来てるぞ」
「それを早く言ってください」
「お前らがなぁ」
事務所を覗くと、一人の男性が。
グレーのスーツに身を包んで、髪を撫で付けたビジネスマン風の男だ。
お読みいただき、ありがとうございます。
下の「星マーク」から評価していただけたら嬉しいです。
ブックマークもしていただければ励みになります。
よろしくお願いいたします!!




