15 復讐代行屋、始動
服の選択を間違えたら凍える季節になりつつある平日の午後六時頃。
超高層ビルが立ち並ぶ都心、とあるビルの三階にある居酒屋の席は客でほとんど埋まっていた。
ここは人間と魔物たちの世界が交わる場所──ともすれば殺されることも普通にあり得る欲望に支配された半魔境。
こういう所に来る人間も一定数は存在する。本物の魔人や魔獣と関わりを持ちたいと思うような人間たち、イケメン獣人からのナンパ待ち人間女子や可愛い猫耳獣人女子をゲットしたい人間男、獣人フリークたちの撮影目的……とりあえず俺たちは今、そういうエリアにいる。
俺は酒が好きじゃない。
だって弱いから。今だってちょっと飲んだだけでほっぺたが熱くて既に頭が痛い。
そのくせまだビールに口をつけようとする俺へ、カウンター席で隣に座っている瑠夏が忠告した。
「そうちゃんはお酒が弱いんだから、あんまし飲んじゃダメだよ」
「たまには飲みたいときだってあんだよ」
「それどういう時? しかも今? ビールの味なんて分かんないでしょ。前世からずっと苦いだけだって言ってたじゃん」
「苦手だからこそ味がわかんだよ。不味いと受け付けねー体質だから」
「だから今ほとんど残してるんでしょ? 飲もうとする意味がわかんない」
デカい声で瑠夏が言う。
カウンターの向こうにいる店主が顔をしかめた。
俺たちは、今、仕事の真っ最中だ。
それがなぜ居酒屋にいるのかというと、依頼者の婚約者を殺した奴がこの店に訪れるという情報を、あの情報屋・数珠丸から買ったから。
ホントかよ……と俺は完全に疑っていたが、「こいつは本当に頼りになる奴だ」とナドカさんから激推しされて根負けしてしまった。
文句を言ってみたところでこれは完全に専門外だし、情報屋がいなけりゃターゲットを見つけることすら難しいのも事実だし……って言ってもこの情報、百万円だって言われたんだよ?
報酬の五分の一も持っていかれる。相当の危険を伴うからとか言われて。あのボッタクリめ! 瑠夏の言う報酬設定にしていたら完全にタダ働きになるところだった。
しかし数珠丸はどうやってターゲットを特定したのだろうか。
もちろん俺たちも魔物だろうとは思っていたが、殺そうというのだから確定情報が必要だ。
なので、数珠丸を問い詰めてみてその辺りが自信なさげなら、それを理由に値切ってやろうとしたのだが。
──大丈夫です。情報源は明かせませんが確かですよ。百パーセントです。
仮にあいつが読心グリードでも持ってりゃ情報は確実だろうし……。
触れた者だけに発動するとか、条件があんのかな。それとも対峙するだけで?
いや、読心だと思わせておいて他の能力かもしれない。油断禁物だ。
とりあえず、ここにターゲットが本当にやってきたら数珠丸が頼りになる情報屋だということが証明されてしまう訳で。
だけど、仮にそうだったとしても俺は素直に礼を言うつもりはない。瑠夏を献上するくらいなら仕事なんて辞めてやろうと思ってるからな!
そんなわけで、俺は酒も弱いのについ飲みたくなってしまったのだ。
「……それにな、飲み屋で酒を頼まんわけにもいかんだろ。場に溶け込むってのはそういうもんだと思ってるから俺は」
「なんか変なところだけ真面目だよねー。あたしが飲んでるんだからそうちゃんは飲まなくても全然いいし。ソフトドリンクの人なんていくらでもいんじゃん。アルコールなんて入ったら手元狂うよ?」
生中を煽る瑠夏は、真面目に飲み屋の客を演じようとする俺へ文句をつける。
こいつは前世から酒が強い。
今世も相変わらずだ。息が猛烈に酒臭いのを除けばどう見てもまだシラフにしか見えない。
「はい生中だよー」
小声で話す俺たちの会話を遮るように、カウンターの向こうから店主が瑠夏へジョッキを渡してきた。
ったく、この忙しい時にウザい。
「あれ。あたしまだ次のやつ頼んでませんけど」
「いいよいいよ。可愛いお嬢ちゃんだからこれはサービス」
「あー。そうなんですか。ありがとうございまーす」
ポツポツ居る周りの女性客から文句を言われそうなことを堂々と言う。
そして、一口飲んだ瑠夏の顔色を窺う店主。
きっと付与効果を確かめてるんだろう。
さっき瑠夏が俺へ耳打ちした話によると、この店主はひたすら瑠夏によく分からん付与グリードを使い続けているらしい。生中を渡すたびに、密かにだ。
瑠夏がビールを飲むと、そのグリード効力は喪失するようで。
つまりグリードが込められているのはジョッキとかじゃなくて、ビール自体ということになる。
ただ、店主は一目で分かるくらいにめちゃくちゃ動揺していた。もうあからさまに眉をしかめて瑠夏をジロジロ見る始末だ。
その理由は、入店一時間で早くも生中八杯目という鬼ペースで飲み続ける瑠夏が未だ平然としているからに違いない。
もちろん驚いているのは八杯目でも酔っていないことじゃなくて、一杯目から付与してるのに全く効いていないことにだろう。
瑠夏が付与グリードを察知できるのも、その付与グリードが効かないのも、もちろん理由がある。
聖女のこいつには、無条件で常時発動する特級クラスのプロテクト「神の加護」があるから。
その効果は、前に瑠夏から聞いた感じだと「付与系グリードの完全無効化」だ。
敵の「欲の力」が強いか弱いかなんて関係ない。完全なる無効化。
だから、こんな店主のグリードなんて絶対に効かない。
さて、店主がどういうつもりかが問題だ。
店主の外観は八割がた人間のおっさんだが、頭からは動物の耳みたいなのがぴょこん、と生えている。ああいうヘアバンドをするのが趣味とかじゃなけりゃ獣人のお仲間ということになる。
犬獣人か? 胡散臭い顔のつくりを見る限りまさかアヌビスみたいな神話めいた上等な化物ではないだろうが、獣人ってのは魔人の一種。体はゴツいからとりあえず素手の一撃で人間をひねり殺すくらいは朝飯前のはずだ。
こいつの様子を観察した感じ、他の客には目もくれずに瑠夏をチラチラ見ながらデレデレしていた。だから、俺たちの正体に気づいて殺そうとしているとかではないだろう。
たぶん惚れ薬みたいな効果のあるグリードでも放り込んだんだと思う。こいつが一体何を願ってこの「欲の力」を手に入れたのか、想像するのも嫌になる。
ってか俺の嫁に何してくれてんだボケ!
俺たちのターゲットは魔族暴力団の幹部だ。
あのクソ坊主・数珠丸から得た情報では、旧友であるこの店主に久しぶりに会うため今日ここへ来るらしい。こうして店主のクズ具合を見ていると、類は友を呼ぶという諺を考えた奴に心底感心してしまう。
とりあえず、この店主は放置でいいと俺は判断した。
「そうちゃん。来たぁ」
たったいま入店してきた男から視線を外し、瑠夏がホワッとした小声で合図する。ようやく少しだけアルコールが効いてきたのか多少酔っている風だ。ってか仕事中にどんだけ飲んでんだ。
俺もさり気なく横目でターゲットを確認。
オールバック、背が高くて筋肉質、瞳は赤色、くねったツノが頭から生えて肌がグレーの悪魔族だ。そいつは真っ白なスーツに身を包んでいた。
黒スーツを着た屈強そうなライオンとトラの獣人を護衛に従えている。
数珠丸が仕入れたターゲットの写真は事前に見た。
だけど、狙撃のチャンスが一瞬しか訪れなかった場合に即座にターゲットだと判断するには、当日の本人をこの目で確認しておくのが有効だと俺は思った。少なくとも、俺にはまだ実戦経験というものが無いわけだし。
だから、俺たちはこうして現物を確認しに来ているという訳だ。
俺の魔眼は、物を標的に当てるつもりで見た場合のみ発動する。標的を取り巻くありとあらゆる状況を解析し、確実にヒットさせるためだ。
黄金色に変わった瞳を敵に見られないよう手で隠し、魔眼でターゲットを常時解析することにした。
それで分かったのは、真っ直ぐこちらへ歩いてくるターゲットの体が、硬質な感じの朱色の層でうっすらと覆われていたことだ。
これは「防御系グリード」だろう。
こういう組織はほぼ例外なく防御グリード使いを専属で雇っているとナドカさんが言っていた。この護衛二匹のうち、どちらかが張っているんだろうか。
防御系グリードと一口に言っても、本人がどういうイメージでその能力を得たかによって形状も効力も千差万別。
今、奴が纏っているのは火属性のシールドで間違いない。
だから、相性的に優位である水属性の魔弾で撃てば影響を受けにくくなる。
ターゲットはカウンター席──瑠夏の隣に座った。護衛二人はボスの後ろで立ったままだ。
奴はカウンター越しに店主へ話しかけた。
「よお。元気でやってるか?」
「おかげ様でな。人間がまだ残ってるおかげで商売も悪くない。相変わらず日本酒か? 『地獄の雫』だったな」
「ああ、頼む。ゴミでしかない人間どもが作ったにしてはまあまあだ。奴らはそのくらいしか使い道がないからな。俺たちの糧だ」
言いながら、馬鹿にしたような顔で俺たちをチラ見するターゲット。
こいつは真隣に座る瑠夏と俺が人間であることを絶対に分かって言っている。
懐へ入れている銃装化ドラコが今すぐにでも火を吹きたそうにしていたが、俺はドラコのグリップを撫でて宥めた。
ここで立ち回ると護衛二人も同時に相手しなければならないし、そのうえ下にいる構成員が追加で集まってきてクソ面倒なことになるからな。お前の気持ちはよーく解るがここは我慢だ。
「人間も悪くないぜ? 女限定だがよ」
店主は、瑠夏に視線を移した。
それを察した悪魔族の男も、気持ちの悪い紅蓮の瞳を瑠夏へ向ける。
ターゲットのシールドが黄色に変化した。
雷属性。どうやら定期的に変更されているらしい。
「そうだな。確かにそうだ。人間のほうが女の味は極上だってのは俺も驚いたよ。ただ、人間は精神力が少し足りないな。この前に手に入れた人間の女、監禁して遊んでいたらすぐに自我が壊れて人形みたいになってしまった。つまらんからすぐに殺して繁華街の路地に捨てたんだがな。自分に合うオモチャかどうかは試してみないことにはわからん。欲しいものは力づくで手に入れて次々試したほうがいいぞ」
俺は表情を変えることなく話を聞く。
もちろん瑠夏も変えていない。そんな素人のようなことはしない。
……と思ったけど瑠夏は手の肉に爪を食い込ませてるな。無表情が怖すぎる。
シールドの色がまた変わった。
今度は水色だ。
「俺もそのつもりだったんだがな……」
「あ──……。まぁお前の店だからな。評判は大事だ。なら、邪魔者が居なくなりゃ大概は心が折れる」
「そうか。そうかもな」
瑠夏が、カウンターの下で俺の左手を密かに握ってきた。
付与系グリードを完全無効化するという瑠夏の加護は、瑠夏の体に触れている者にも同様の効果を伝播させる。
どうやら店主のグリードは対象に触れてなくても随時発動させることができるらしい。半径何メートル以内とか多分そんな感じのやつだ。
おそらくは、瑠夏に盛ったのと同種の毒。
俺を昏倒させて瑠夏を穏便に連れ去ろうって腹だろう。店主はあくまで店で騒ぎは起こしたくないらしい。
残念ながら、こうやって手を繋いでいる限り俺に店主のグリードは効かない。体内で作用する前に加護が分解しているだろう。
色々ムカついていたので、俺は挑発がてらにビールを大きく一口飲んだ。
「ゲェ。やっぱビールは性に合わんわー」
「モノが良くないからかもね。だから無理しなくていいって」
しばらく経っても俺の様子が全く変わらないことに、店主はやはり動揺していた。
悪魔族の男は、殺意を感じる流し目で俺を睨んでいる。
──やる気か。
リボルバーであるドラコには、緊急用にあらかじめ瑠夏が力を込めた六発の四級魔弾が装填されている。
俺は目を閉じて酔ったふりをしたままジャケット内のホルスターに収まっているドラコに手を触れ、魔眼を使って数秒先の未来を見た。
俺が銃を取り出した瞬間に、瑠夏はカウンターに伏せようとする。
瑠夏が伏せることによって、瑠夏の頭があった場所に空間ができて銃撃の弾線が開かれる。つまり俺が狙いを集中させるべきは瑠夏の頭部だ。
瑠夏の体が邪魔になって、奴は俺の挙動には寸前まで気づけない。
結果、早撃ちでターゲットは即死。問題は護衛二人だ。
護衛の一人はやはり盾のグリードで反撃は無し。
もう一人は殴打のグリード。
命中率に不安はないが、殴打のグリードの発動とこちらの二撃目のどちらが先に決まるか、この超至近距離では微妙なところだ。最速で銃を取り出せれば俺の勝ちだし、少しでもミスればこいつの拳が俺の体に穴を空ける。
先に護衛を撃った場合は、ターゲットである悪魔族が放った炎のグリードが瑠夏を焼く。こっちはダメだ。
ガヤガヤと賑やかな店内の喧騒が聴こえなくなるほどに研ぎ澄ます。
ジャケットの内側に隠した俺の右前腕に、ドラコの触手が音もなく絡みつく。
俺は目を閉じたまま、瑠夏越しにターゲットを撃てるよう全力で集中していた。
しかし、奴が行動を起こすことはなかった。
店主のグリードが効いていない。それはすなわち下等な雑魚だと思い込んでいた人間が、もしかしたら何か強力なグリードを持っているかもしれない疑いが出たことを意味する。
グリードは、人間が魔物を殺し得る唯一の力。
用心したんだろう。相手が人間であろうが、所持しているグリードが何かも分からないまま真正面から戦闘するのはいくら身体能力に突出した悪魔族でもリスキーだ。
とはいえ、たかが人間相手に用心する悪魔など少数派のはず。こいつは慎重派なのかもしれない。それか、悪魔のくせにビビリかだ。
ターゲットの容姿は頭に叩き込んだから、もうこの店に用はない。
俺と瑠夏は、手を繋ぎながら店を出た。




