11 最後の訓練
学校へ行き、放課後になれば訓練し、それからの時間は瑠夏と過ごしながらどう戦うか思考を巡らせる。
そんな日々を高校卒業まで続けていたところ、親がとうとう痺れを切らせた。
「お前な。就職活動もしないでプラプラプラプラと。いつになったら将来のことを真面目に考えんだ? 俺はお前に期待してたんだぞ。絶対にプロ野球選手になる素質があったのに。いい加減に親の脛をかじってねーで一人暮らしでもして働け」
父ちゃんは、頻繁に青タンを作って帰ってくる俺をイジメられてると勘違いして学校に乗り込んでくれたが、それが誤解だと分かってからはむしろ俺のことを怪訝そうに見てくる。
瑠夏も、親から「やりたいことがないならとりあえず専門学校でも行きながら一人暮らししてみたら?」と言われたらしい。女の子の親としては結構ドライだ。
専門学校の件は別で考えるけど一人暮らしはしてみようかなと答えたそうだ。
「そうちゃん、今日の晩御飯は何がいい?」
「そーだなー。俺、『魔の森きのこのボロネーゼ』が大好きなんだけど」
「きのこ持って来てくれたら作ってあげれるけどなぁ」
「無理だよなぁ」
そんな訳で、俺たちは今、親に内緒で同棲している。
「あー。やっぱ瑠夏の手料理は最高。一生食べていたい」
「……何度も言いますがそんなに褒めても同じベッドでは寝ませんので」
「そんな下心で言ったんじゃないよ。本当に美味しいから」
「……本当?」
「うん。マジで大好き。愛してる」
「……だめ。だめ。だめ。だめ。だめ。だめ」
瑠夏は、もはや恒例のように壁に頭をコンコンやり始めた。そしてまたブツブツ言っている。
微かな期待を込めて俺はたまにこうやって瑠夏を誘惑してるんだけど、こいつはなかなか強情だ。同じ部屋ですら寝てくんない。ギュッてしながら寝るのが好きだったんだけどなぁ、前の世界では。
じゃあなんで同棲すんのかって話だけど、一人はさすがに寂しいらしい。
「くっそ……昔はあたしがおちょくってたのに。なんでだよ。いつからこうなったの」
「それはね。気づいたというか。すごく大事なことに」
「何が」
「瑠夏のこと、何があっても護りたい。お前以外の女は考えられないんだ。愛してるよ。生まれ変わっても出会えてよかったと思ってる」
「〜〜……っ」
「瑠夏」と呼び掛けながらもメルに直撃するよう俺は言葉を選んでいる。筋肉フェチの瑠夏は俺のハダカを見ただけでクラクラ来てるから、堕とすべきはメルなのだ。
頭からぽっぽと湯気を出し、オモくそ振りかぶって頭で壁に穴を開けようとする瑠夏を慌てて止めた。やり過ぎないように気をつけなきゃって分かってるんだけど。
瑠夏のグリード特性を知ってから、ジルの想いが止まらないんだよね。
◾️
小学生の頃から訓練を続けてきた俺たちも、もう二十歳になった。
マーモットでの訓練にも、完全に慣れた。
未だにナドカさんとの組み手で勝つことはできないけど、なんとか凌ぐくらいはできるようになってきた。
そんな、ある日。
「蒼真。思えば、よくここまで頑張ってきたな」
「褒めてくれるんすか? 珍しい」
「俺はずっと褒めてるよ」
「そんな風に聞こえたこと一回も無いですけど」
「恐らく外で魔物と戦っても遅れをとることはないだろう。お前たち二人が揃っていれさえすればな。しかしお前たちの戦いは、結局は蒼真、お前に全てがかかっている」
言われなくても、それは分かっていた。
瑠夏は弾に力を込める。
それを当てる戦略・戦術は、すべて俺にかかっているから。
「だからこそお前には厳しくしてきた。その最後の仕上げをしよう」
「ほー。なるほど。卒業試験ってやつですか」
ナドカさんは、サバイバルナイフとハンドガンを倉庫内の中央に置いた。
「武器を挟んで、互いに二〇メートル離れて立つ。瑠夏の合図で、武器を取る。俺はナイフだけ。お前は銃だけしか触れない」
「銃を突きつけて降参させれば俺の勝ちっすか」
「いや。俺を殺せば、お前の勝ちだ」
「はい?」
ナドカさんは、拾ったハンドガンを倉庫の壁にある防弾壁へ向けた。
ぱあん、と音がして実弾がめり込む。
「理解したか」
「……何言ってるんすか」
「魔物どもは馬鹿じゃない。今は人間社会を継続させてはいるが、この世界の科学技術を奪い取り、強大な力を得て国を乗っ取り、最終的には人間を絶滅させようとしている。こういう戦いにもいずれ必ず遭遇する」
シンと静まったマーモットに、主人の声が響いている。
ナドカさんは、ハンドガンをまた床へ置いた。
「冗談ですよね」
「もちろん冗談ではないよ」
「殺す必要なんてない。こんなことをする意味はない! ここであんたを殺さなくても絶対に強くなれるはずだ」
「意味がない?」
「ああ。そうだ。誰に聞いてもそう答えるさ」
「一般人だったお前たちにはそうなのかもしれないが、魔物の軍団と戦ってきた俺にとってはこう考えることが真理だった」
「…………」
「俺の夫は戦場で死んだ。魔物に操られてな。お腹に虎太郎がいる俺を殺しに来たんだ」
「え……」
「俺は夫を殺して生きた」
嫌な流れだと思った。
ナドカさんが退かない。
焦りが徐々に鼓動を早くしていく。
なんとかしないと──。
「さっきも言ったが魔物どもは馬鹿じゃない。奴らは人間にも知能面で劣ることはない。お前たちを脅威だと判断した魔物が、仲間である俺の存在に気づいたらどうすると思う?」
「狙う……かも、しれませんね」
「そうだな。殺そうとする場合もあるだろうし、なんらかのグリードを使って操ろうとするかもしれない。『山田蒼真と三原瑠夏を殺せ』と命令してな。その時にお前は大人しく殺されるのか?」
「あんたが死んだら虎太郎はどうするんだよ。旦那さんを殺したのは、虎太郎を護るためだったんじゃないのか。あんたが何より大事に想っている息子が悲しむ」
正直、ナドカさんが本気だったとしてもこれを言えば収まると思っていた。ナドカさんは、一人息子の虎太郎を何より大事にしているからだ。
「瑠夏。その時は頼むよ」
「いや、ちょっ……ナドカさん、ま、待って。あたし」
ナドカさんは天井を見上げた。
「お前が初めてここへ来た時のことはよく覚えてる。雨の日だったな。たった六歳の幼児だった。その幼児が、家族の仇を討つためなら自分の命の全てを捧げると言う。耳を疑ったさ。でも、お前の目は真っ直ぐだった」
「……それは」
「半端な気持ちで、その真っ直ぐな瞳を受け入れることができると思うか? お前が俺の心を動かしたあの日から、もうこのことは決まっていた。お前たちが魔物と戦うために必要なことであり、おそらく最も命の危険が考えられるケースだ」
床に落とされた視線と表情が、生への未練を物語っている。
それでも、口にした言葉は死を覚悟している。
相当の心の準備が必要だっただろう。昨日今日作り上げたものでは絶対にないはずだ。おそらく本人の言うとおり、瑠夏の願いを聞き入れた時から長い時間を掛けて……。
だからと言って、ナドカさんにそんなことをさせたくない。恩人なんだ。俺たちをここまで鍛えてくれた、この世界での師匠だ。
だから、俺の答えは決まっていた。
「……あんたが死ぬ覚悟だってのは分かった。でも、そんなこと俺はしたく──」
くっくっく、と押し殺したような笑い声。
ナドカさんに対して抱いていたさっきまでの心情を根こそぎひっくり返してくるような、一八〇度異なる性質を持つ感情の発露。
そのせいで、瞬間、場の空気が入れ替わる。
親しい人がいる憩いの場から、殺人鬼のいる修羅の空間へ。
「勝った気でいるのか? お前が負けた時、お前は死ぬ」
鳥肌が湧き立ち、呼吸が止められる。
ナドカさんとは散々訓練してきたが、ついぞ一度も体感したことはなかったものが今まさに発揮されている。
殺意に違いない。それは、今日ここで自分は死ぬと相手に思わせるものだ。
あったはずの未来が、ここで途切れると自覚させるもの。
ナドカさんの殺意が、限りなく精密に制御できていたはずの俺の神経をブツブツと遮断していく。
「瑠夏。お前からも、な、なんとか言えよ」
「無理だよ……あ、あたしじゃ、ナドカさんを、止められない」
「瑠夏。合図だ」
ナドカさんに教えられるまでもなく、前世でも培っていた一つの感覚が俺に戦闘準備をさせていた。
それは、どれほど動揺させられても、即座にメンタルを切り替えること。
ナドカさんを止めることは瑠夏も諦めたらしい。
戦闘開始の合図を出す前に、俺が準備できていることを確認するように目配せしてきた。
「……はじめ!」
両者が勢いよく床を蹴る。
だけど、ダッシュ力はナドカさんには敵わない。
だから、俺が先に銃を取ることはあり得ない。迂闊に近寄ればサバイバルナイフで頸動脈を斬られるだろう。
案の定だ。
最初の挙動で間に合わないことを悟った俺は急ブレーキを掛けて状況を観察する。
ナイフを拾ったナドカさんは、落ちている銃を背にして俺と相対した。
そしてすぐには襲いかかってこない。なぜなら、不用意に動いてすり抜けられれば俺に銃を取られ、自分の死が確定するからだ。
つまり、これは始めからナドカさんの隙を突いて俺が銃を取れるかどうかの勝負。
「さあ。成果を見せてみろ」
顔の前で逆手に握ったナイフが倉庫の天井照明を反射する。
それを俺の目に当てたナドカさんは、急激に距離を詰めてきた。
ナドカさん的にはこの状況なら「待ち」の選択がいいと俺は思っていた。だけど、相手に考える時間を与えないのも戦術の一つだ。
それに、実戦では敵の応援隊が到着すれば一瞬で戦局はひっくり返る。
時間を掛けるのもまたリスクの一つ。
ナドカさんが話していたことだ。
「シッ」
疾風のような軌跡はまるで光の筋だ。
あまりにも速い。迂闊に前へ出ることは死を意味する。
教えてくれたことをこの場面で一つ思い出すなら、敵が強力な武器を持っているからと言ってそればかりに意識を取られるなということか。
触れただけで腕を落とされるサバイバルナイフに恐怖を覚え、それを躱すことばかりに意識を集中してしまっている。
でも、そこに意識が集中すれば別の部分が疎かになる。
いつも対応できていたはずの攻撃すら直撃されてしまう。
「らぁっ」
ナイフに意識を集中させておいて死角からの回し蹴り。
この回し蹴りは何度も見てきた。だから、ナイフを囮にした場合の決め技は、きっとこれだと思っていた。
風を切る蹴りの下を、かいくぐる。
同時に、一目散に銃へ。
ここで大事なのは後ろからナイフを投げてくるかどうかだ。でも俺は、この状況では振り向くことができない。
よって、的を外すために可能な範囲でジグザグの軌跡を描いて駆けた。
走るのはナドカさんのほうが速いが、彼女は回し蹴りを終えてからしかダッシュできない。さすがに追い付かれはしないだろうと俺はタカを括っていた。
だが、もう少しで銃を手に取れるというところで異変を感じる。
服が擦れる音と地面を蹴る音。
あまりにも近すぎる。
ヘッドスライディングで銃を手に取り、地面で仰向けになった時に視界に入ったナドカさんは、もう俺に覆い被さろうとしていた。
突き出したナイフが俺の首を捉えている。
このタイミング、反射銃撃で物理的に間に合い、かつ、彼女の攻撃を確実に防げる標的は心臓だろう。
決意と迷いの狭間で揺れる。
俺は今、受けた恩を仇で返そうとしているのかもしれない。
家族を殺した仇を討ちたいという俺たちの願いを、ナドカさんが聞き入れなければならない義務はない。
魔物から俺たちの仲間と思われ、何より大事な息子と共に命を狙われるリスクを犯す必要はない。
それでも、ナドカさんは受け入れてくれた。
おかげで、俺たちは魔物を倒せる。
紫眼の魔女を。仇を討つための希望の光が見えてきた。
罪悪感に絆されてここで素直に死ぬことには、きっと何の意味もない。
俺たちの意志は、ここからだ。
パン
間に合うかどうか微妙だと思っていたナドカさんの腕を、俺の弾丸が撃ち抜いた。
ナドカさんはナイフを落とす。
ひざまづきながらも撃たれる前と変わらず俺に向けられる殺意はやはりさすがだと思った。
「……おい。どうして胸を狙わなかった。さすがのお前でも腕はタイミング的にリスクが高かったはずだ。情けなんか掛けていたらすぐにでも魔物にやられるぞ」
「情けなんて掛けてませんよ。絶対に当てられると確信してました。まだ来るなら次はもう一方の腕を撃ちます。その次は両大腿。両下腿。腹。死ぬまで順に撃ちますけどそれがお望みですか?」
まあちょっとハッタリだったが、こう言わないと絶対にナドカさんは納得してくれないだろう。
リスクを冒す価値。
さっきのナドカさんの問いに本心で答えるなら、自分の目的のためにナドカさんを犠牲にした俺が、その後目的を果たしたとして本当に納得できるかどうかだ。
もう何度血反吐を吐いたか覚えていないマーモットの訓練場で、ナドカさんは仰向けに寝っ転がる。
「いやだなぁ、それは。降参だよ」
そう言って、腕を押さえながら、ナドカさんは笑った。
瑠夏はそんなナドカさんに駆け寄って、わんわん泣きながら抱きしめていた。




