08 上司の山口からの呼び出し
夕雨はその名前を聞いて、胸がわずかにざわついた。そういうことか。
「橘くんはね、大学でちょっとした事故に遭ったらしくて、卒業に時間がかかったんだよね。」
山口は少し間を置いてから続けた。
「それに、事故のせいでね、その頃のことを、正確に思い出せない部分がまだあるらしいんだよ。」
手をもみながら、山口は言った。
「だから、年齢とか、色々…気になるとは思うけど、本人が嫌がるときは、あまり踏み込まないでほしくて。まあ、白石さんはね、全然、そういう人じゃないから、全く心配してないけどね。」
笑う山口に、夕雨も口を開けずに頷きながら笑う。
「確か…白石さんよりは上ではなかったから、今まで通り、新卒として接してもらって問題ないよ」
「わかりました」
夕雨が目線を落とすと、手に握った紙コップのコーヒーの水面に、話を続ける山口が映る。
山口は少し間をおいて、遠くを見つめながら続けた。
「リハビリして、なんとか復学して1年生からやり直したって言ってたけど、血の滲む努力だったんだろうと思うよ。事故の前と後では、全然違う人生を生きてるようなもんだからね。」
夕雨は何も言わず、ただ山口の言葉に耳を傾けた。
内心ではもうすでに知っていることだったが、山口がそれを話すことで、改めて朝陽の過去に触れさせられた気がした。
コーヒーの水面に、忘れたい過去が映る。
*
気づくと夕雨は、過去の風景に立っていた。
螺旋階段の前には、金髪の青年が、糸の切れた操り人形のように歪な体勢で倒れていて、大雨に叩きつけられている。
螺旋階段の上の方に目線を移すと、それを真顔で見つめる女性がいる。
その顔が、少しずつハッキリする。この人は、…
*
「白石さん?」
山口の声が聞こえて、夕雨はハッとする。
「いまどっか行ってた?ハハッ…」
それはよく言われるが。
比喩でなく、本当にどっか行っていた。
夕雨は口を開いた。
「あの…実は…彼は知り合いだったんです。」夕雨は口を開いた。