四 婚約破棄されましたがパーティーに出ます
リタール王国宮殿の、大広間。
黄金のシャンデリアが天井に輝き、豪奢な装飾が施された宴席には、華やかなドレスや軍服に身を包んだ貴族たちが集まっていた。
パーティーの主役はまだ姿を見せていないが、既に場の空気は決まっていた。
「ライマン皇太子からの書状ですと?」
でっぷり太ったレント侯爵が、興味深そうにフィリップを見つめた。
「ああ、俺に貿易利権を任せるつもりらしい」
フィリップは誇らしげに手紙を広げる。そこには、ライマン皇太子からの正式な文書が書かれていた。
『リタール王国との貿易協定について、貴公、オルバリー公爵家フィリップ公子の監督を期待する』
「ははは! すばらしいじゃないか!」
ハーディ伯爵が、自慢の八の字ヒゲをいじりながら、高笑いする。
「これでリタールの未来は決まったな。フィリップ公子殿が帝国との貿易を掌握すれば、リタールはますます栄えるだろう」
「まったくだ。ディモア王子はあまりにも堅物すぎる。クラウディア王女殿下と、フィリップ公子殿の手腕に期待しようではないか」
「ええ、もちろんよ」
クラウディアは優雅に笑い、シャンパングラスを傾けた。
「ライマン皇太子殿下も、ようやく正しい判断をしてくださったわね」
彼らの中で、貿易利権の行方は既に決定事項だった。
「そういえば、フィリップ公子殿。貴殿の元婚約者、あの子爵家の養女はどうした?」
ハゲ頭で陰険な面構えのボルドン男爵が思い出したように尋ねると、フィリップは鼻で笑った。
「ああ、あんな女のことはもうどうでもいい。婚約は破棄した」
「当然だな! 身元不明の養女など、貴族社会には相応しくない」
「まったくだ。クラウディア王女殿下と婚約なさるなら、もう下級貴族の娘など不要だろう」
「そもそも、あんな娘がこの場に来る資格すらないのだ」
貴族たちは声を合わせて嘲笑した。
だが次の瞬間、その笑いは凍りついた。
会場の扉が開き、赤と銀の光が差し込んだ。
そこに立っていたのは、まるで朝日の光のように輝く女性だった。
深紅のドレスが滑らかに揺れ、白銀の髪飾りが気高く輝く。
夜空の星のように美しいその姿に、誰もが息をのんだ。
ソフィア・アルザン子爵令嬢が、そこにいた。
「……なっ」
「なぜ、あの女がここに……?」
フィリップの顔が青ざめる。
クラウディア王女は目を細め、侮蔑の笑みを浮かべた。
「ふふ……これは、何の冗談かしら?」
貴族たちはざわめき、次々と罵倒の言葉を投げつけ始める。
「子爵家の養女が、こんな場に何の用だ?」
「貴族の血すら引かぬ者が、どの面を下げて来た!」
「追い出せ、追い出せ! 場違いにもほどがある!」
しかし、ソフィアは微動だにしなかった。
まるで彼らの声など聞こえないかのように。
騎士エルンストが、静かに前に出た。
「この場に立つ資格がない、とは誰のことを言っているのです?」
「何だと?」
ボルドン男爵が鼻を鳴らす。
「貴族の資格すら持たぬ養女のことに決まっているだろう!」
「では、改めて尋ねましょう」
エルンストは静かに言葉を紡ぐ。
「本当にこの方が、貴族の資格すらないと、お思いですか?」
一瞬、沈黙が広がる。
だが、フィリップがすぐに嘲笑を取り戻した。
「ふん、何を言い出すかと思えば……」
「そうよね、フィリップ。無駄な時間を使うのはやめましょう」
クラウディアが優雅に微笑む。
「ソフィア、あなたの婚約は破棄されたのよ? あなたには、この場に出る何の権利もない。王家から招待状は出してないはず。どうやって入ってきたの?」
「ちゃんと招待状はあります。私は、オーヴェスト帝国側からの招待者です」
「何を、口から出まかせを言ってるんだ」
「嘘つき女め、いいかげん身の程を知るがいい……」
「フィリップ様。帝国に、婚約破棄の件は伝えましたか?」
会場の空気が一変した。ソフィアの言葉に、フィリップは狼狽した。
「な、何だと……?」
「フィリップ様」
ソフィアはゆっくりとフィリップに視線を向けた。
「ライマン皇太子殿下からの手紙を見せていただけるかしら?」
フィリップの手がビクッと震える。
「何のことだ……?」
「そこに書かれているのは、『ソフィア・アルザン子爵令嬢との婚約を祝い、リタール王国との貿易協定については、貴公、オルバリー公爵家フィリップ公子の監督を期待する』……そうでしょう? 違いますか?」
会場がざわめく。
「まさか……ライマン皇太子殿下は、婚約破棄を知らないで、あの手紙を送ってきたのか?」
「だ、だから何だ……!」
フィリップは動揺しながら叫ぶ。
「貿易利権は俺のものだ! 皇太子殿下がそう書いているわけだから――」
「だからそれは、ソフィア・アルザン子爵令嬢との婚約祝いとして、ですよね?」
「……!」
その瞬間、フィリップの顔が真っ青になった。
ライマン皇太子は、彼を「ソフィアの婚約者」として信用し、貿易利権を渡そうとしていた。
その前提が崩れた今、彼の信用もまた、崩れることになる。
貴族たちがざわつき始める。
「ソフィア・アルザン子爵令嬢、一体何者なんだ? 帝国側に、そんなに強いコネを持っているのか⁉」
「これは、まずいぞ?」
「ライマン皇太子が誤解したままだとすれば、これは公爵家の信用問題だ」
「つまり、フィリップ公子殿が帝国を騙したということになるな?」
フィリップは冷や汗を流しながら、必死に言い訳しようとした。
しかし、次の瞬間。
会場の扉が大きく開き、威厳に満ちた声が響き渡った。
「なるほどな。実に面白い話を聞かせてもらったぞ」
黄金色の髪をなびかせながら、威風堂々たる歩みで現れたのは、オーヴェスト帝国の若き皇太子、ライマン・シュバイク・オーヴェストだった。
次回、罵倒マシマシです!