二 婚約破棄されましたが帝国皇女でした
子爵邸へ戻ったソフィアは、自室の扉を閉めると、そのままベッドへ倒れ込んだ。
「何もかも、嘘だったのかな?」
フィリップとの五年間が、まるで砂の城のように崩れ去った。
彼の隣に立つために、貴婦人としての振る舞いを学び、努力してきたのに。
結局、自分は「貴族の血ではない」「養女」「不要な存在」として捨てられたのだ。
「あなたのような血筋の知れない女が貴族社会にいること自体が異常なのよ?」
クラウディアの嘲笑が頭の中で響く。
――本当に、私は何者なの?
どれほど時間が経っただろうか。
ノックの音がした。ドアの外からエルンストの声が聞こえた。
「ソフィア様、子爵様がお待ちです」
ソフィアは、涙で腫れた目を上げた。
アルザン子爵。彼女の育ての父。
今は誰にも会いたくなかったが、ため息をつきながら立ち上がる。
書斎に入ると、アルザン子爵は険しい表情で机に向かっていた。
その横には、いつものようにエルンストが控えている。
子爵は静かに口を開いた。
「ソフィア、お前に話さなければならないことがある」
「……婚約破棄のこと、ですか?」
「いや、それ以上に大事な話だ」
ソフィアは眉をひそめた。
「お前は……私たちの実の娘ではない。それは知っているな?」
「……ええ」
「だが、実の家族の正体について、お前には何も話してこなかった」
子爵は一枚の封書を手に取り、静かにソフィアへと差し出した。
「これは……?」
「お前の実の家族。オーヴェスト帝国の皇室からのものだ」
ソフィアは息をのんだ。
オーヴェスト帝国。隣国の強力な大帝国。
そして、リタール王国が決して敵に回してはならない、絶対的な存在。
「お前はオーヴェスト帝国の第一皇女だ。ライマン皇太子殿下の妹なのだ」
「……皇女?」
自分の耳を疑った。
「私が……オーヴェスト帝国の、皇族?」
信じられない。
しかし、アルザン子爵の表情は真剣そのものだった。
「お前は、帝国の正統な血を引く姫だ。だが、幼少期に命を狙われたことで、帝国を離れ、身分を隠し、留学を兼ねてリタール王国に送られた」
「そんな……」
「私がお前を引き取って育てたのは、ただの慈善活動ではない。帝国とわが国の友情と未来を考えて、引き受けたのだ」
目の前が揺れる。
「では、私がこの子爵家で育てられたのは……」
「全部、お前を守るためだったんだよ。エルンストと一緒に暮らしてきたこともそうだ」
子爵が微笑んだ。エルンストが口を開いた。
「私もオーヴェストの生まれです。騎士としてソフィア様をお守りするために、幼くして親元を離れ、この家で育てられてきました」
「エルンスト……」
「私は、ソフィア様がリタールの子爵令嬢として生きるなら、それもよいと思っていました」
彼の声は静かだったが、芯のある響きを持っていた。
「ですが、今は違う。ソフィア様を見下し、侮辱した者たちは、ソフィア様の本当の価値を知らない」
エルンストは、ソフィアの前に片膝をつき、真剣な目で見上げた。
「今こそ、覚悟を決めるときです」
その言葉に、ソフィアは唇を噛んだ。
婚約破棄された。
すべてを否定され、見下された。
だが、もし自分が本当に皇女なら――。
「私、これからどうすればいい?」
「あなたが、自分に自信を持つこと。それだけで、世界は変わります」
エルンストの目は真剣だった。
すると、アルザン子爵が封書を指差した。
「ライマン皇太子殿下が、リタールを訪れる。そして、これは殿下からお前への招待状だ」
「招待状?」
「あの場で辱められたお前が、何事もなかったかのように再び現れる……それが、どれほどの衝撃になるか」
フィリップ公子とクラウディア王女が思い描く未来を、今こそ打ち砕く時なのではないか。
そのように天から啓示を受けている気分になった。
「お前がどう生きるかは、お前が決めなさい。だが、私は、お前に負け犬になってほしくはない」
ソフィアは、自分の手をぎゅっと握りしめた。
「私は、帝国の皇女」
婚約破棄されたあの時、何も言えなかった自分。
でも、もし……もしも、皇女としての誇りを貫けるなら。
「覚悟を決めましょう、ソフィア様」
エルンストの瞳が、真っ直ぐに彼女を捉えていた。
「私は、あなたに仕える騎士です。どこまでも、あなたと共に」
ソフィアは、深く息を吸い込み、エルンストに向かってゆっくりと言うのだった。
「覚悟……どうしたら覚悟を決められる?教えて」
次回、ずっとエルンストのターン!