As System
もちろん誰が誰を支持しようが自由だ
でも肉屋を支持する豚の自覚は大切にした方がいい
寛容たるなら不寛容にも寛容であれ
ということは不寛容の側はあくまでも“このまま”で
寛容の側だけが変わらなきゃいけないのか
受け入れることを“全部理解すること”、
“好きになること”だと誤解している
それじゃあ永遠に無理だろうな
男は外で働き、女は子育てをして専業主婦、
外国人は自分の国で暮らし他国へは行かない、
障害者や同性愛者は慎ましやかにひっそりと
確かにシステムとしては都合がいい
そしたら“このまま”変わらなくていいし、
何が問題なのかをいちいち考えないで済むから
でもそれって個人的事情を無視している
人にはそれぞれ理由や言い分があるという現実を
全部封じ込めてしまっている
自分が求めてるものと同じものを俺に求めている
だから俺からもそう求められてると思ってしまう
客観的にならなくちゃ
あなたは何かの思想があるより先に
“敵”を倒すことが行動原理になっている
なおかつ同じ意見の持ち主“だけ”と話してる
何もかも“システム”としては都合がいい
女は妊娠・出産があるから家にいる、だから男が働く
合理的だ とても合理的だ
だけどそこには個人の尊重という概念がない
システムとしてはあなたの存在は都合がいい
おかげで“上”は“このまま”を続けられるもの