悔しさと共に
完全な敗北だった。今まで、自身を最強だと信じて疑わなかった。
そんな彼女が、生涯初めての完膚無きまでの敗北を味わったのだ。
そんな、絶望的な現実を見せ付けられた日の夜。
「あ、あの、清美お姉ちゃん」
「……」
普段の雰囲気とは全く違う事に幸子は気付く。
自信満々だった普段の清美とは明らかに雰囲気が違う。
ひたすらに悔しそうに、ただ自分の掌を見続けていた。
「クソ……クソ!」
「きゃ!」
近くに幸子が居ると言うのに
彼女は不機嫌そうに拳を握り、柱を殴打する。
同時に僅かに部屋が振動したのを幸子は感じた。
そして、彼女が殴った柱は凹む。
生半可な力ではあの様にはならないだろう。
それは、幼い幸子ですら容易に分かる程だった。
「なんで……何よ、あれ、何なのよ……」
知って居たはずだった、分かっていたはずだった。
歪められた歴史と比較し、自らが同等だと称されてた。
だから、強いんだと、自分は最強だと疑わなかった。
それがどうだ、この醜態。妖狐族の1人、大軒を前に
自らは手も足も出なかった、一切の勝算など見いだせなかった。
一瞬だろうとも、あの悪鬼に敵う可能性すら見えなかった。
圧倒的すぎる実力差、異常な程の力の差。
「私が……何も出来ないなんて……」
絞り出すような擦れた声。自らの無力さを嘆くような声。
たかだか河童の長程度にも苦戦し、あげく大軒には完全敗北。
総一郎と共闘しようにも、河童の長を狩るのは苦戦し
大軒が参戦すると同時に瞬殺された。そして……
(……大軒姉様。どういうつもり?)
(あ……え?)
同時に想起される、あの瞬間。錫音が駆けつけた瞬間。
今まで、自分達2人を、まさに赤子の手を捻るかの如く
さも当たり前の様に凌いでいた、あの大軒が。
(ゆ、許して錫音! この通りだから!)
錫音を前にした瞬間、この世の終りのように怯えていた。
それだけでも分かってしまった。大軒と錫音の間には
確実に異常な程の実力差があるのだと。
姿を見るだけで、心の底から怯える程の差が。そして
(ごめんね、でも、これは私の姉様が悪いんだ。
だから、私が少しだけ償いをさせて貰うよ。
すぐに姿を消すから、ちょっとだけ我慢して)
その圧倒的な力を、自分に対して振うことも無い。
高圧的な態度も取らず、優しく自分の手当をしてくれた。
あり得なかった、相手は嫌いなはずの妖怪。
忌々しい、珠尾の前から生まれた妖狐だと言うのに
(清美ちゃん。今日はごめんね。
私の姉様が馬鹿な事をして怪我をさせちゃって。
そして、いつもありがとう)
(は、はぁ!?)
(これは言っておこうと思って。
あなた達が都を守ってくれてるお陰で
私も安心して動けるから。今日はごめんね。
本当なら私がやらないと行け無かったのに任せちゃって。
でも、清美ちゃんのお陰でこの村の人達の命は救われた。
本当に感謝してるよ)
決して上から目線で何かを言うことも無く。
自分よりも遙かに弱い相手に対し
全く恥じることも無く、お礼の言葉を笑顔で伝える。
そんな、優しい姿に。そんな、人間の様な姿に
自分よりも人間らしい、その姿を前にして、
心が惑わされそうになってしまうなんて。
あんな化け物相手に、自分は……甘えたいと……思ってしまった。
「クソ、クソ! 認めない、認めないんだから!
あんな……こんな事! 私は最強なのよ……
最強の陰陽師……あやかし風情が……クソ!」
イライラが止まらなかった、そんなイライラをぶつけるためか
清美は夜遅いというのに訓練場に足を運び
修練用の的を徹底的に破壊していった。
「はぁ、はぁ……認めない! 認めないんだから!」
きっとあれは妖術だ、そうに違いない。だから違う。
あいつは珠尾の前の生まれ変わりなんだ。
だから、心が奪われそうになったのはあいつの妖術に違いない。
そう考え、あれは偽りの心だったのだと、そう自分に言い聞かせ
その醜態を思い出さないように、ひたすらに刀を振った。
「はぁ、はぁ!」
「す、凄い! 凄いね!」
「あ゛!?」
その言葉に対し、反射的に高圧的に反応してしまった。
だが、声の主は怯える事は無く自分に近付いてくる。
「やっぱり凄いなぁ、清美お姉ちゃん!」
「……さ、幸子……何よ、恐くないの?」
「え? 何が?」
「いやだって……私、暴れてるし。さっきだってほら
高圧的な反応したし……怠け者だし」
「うーん、恐くないよ? だって私、清美お姉ちゃんが
凄く優しい人だって知ってるもん!」
「……優しくなんか」
そんな風に、言って欲しくないと清美は感じてしまった。
普段ならこんな風には思わないはずだった。
だが、心が疲弊していた彼女は少しだけ後ろ向きになってしまう。
本人にはきっと、その自覚はないだろう。
「それに、私は強くない……」
「そんな事無いよ! どうしたの? 清美お姉ちゃん。
やっぱりお怪我が痛むの?」
「……まぁ」
幸子の言葉で自らがボロボロだったと言う事を清美は思い出す。
同時に、結構な痛みが彼女を襲うが、
表情には出さないように必死に押さえた。
「うん、そうだよね、凄く痛そうだったもんね……
でも、痛いのに頑張るの凄いね! 清美お姉ちゃん!
やっぱり清美お姉ちゃんは凄いよ! 格好いい!
私も清美お姉ちゃんみたいに頑張るよ!」
「……」
そんな会話の直後、戸が開くような音が聞える。
「今戻ったぞ、清美、怪我の具合は大丈夫か?」
どうやら、父親が帰ってきた様子だった。
それに気付いた清美は、小さくため息を吐き
とりあえず訓練所から姿を見せる。
「な! 清美、まさかお前!」
「何よ、そんな焦って」
「その傷で! 何故訓練場に!?」
「修行してたのよ、見りゃ分かるでしょ?」
「無茶をするな! お前の傷はかなり深かったんだぞ!?
錫音様の手当てが無かったら危なかったほどに!
無理をして傷が悪化でもしたらどうするつもりだ!?」
「この程度で傷が悪化するわけ」
「その油断で命を落とす者も多いんだぞ!?」
本気で自分を心配そうにしている父親に両肩を掴まれ
驚きの表情を浮かべながら、父親の顔を清美は見た。
目の端からは、僅かに涙のような物が見える。
「な、何よ、私の事厄介者みたいに扱ってたくせに。
何? 私が大事なわけ?」
「何を当然の事を言ってる!? 大事に決ってるだろう!?
お前は俺達の1人娘だ! 俺はお前を厄介者だと思った事は無い!」
「じゃあ、なんで私にあんなに文句言ってくんのよ。
私が大事だってんなら、文句なんて言うなっての」
「……はぁ、生意気な態度は直らないな」
「はん、私以下な雑魚の言葉なんて」
「清美お姉ちゃん、そ、そんな事言ったら駄目だよ」
いつも通り、生意気に返してしまおうとして居た清美だったが
幸子の言葉を聞いて、言葉を句切る。
そして、幸子の方に視線を向けた。
「あ? 何よ、そんな」
「だって……家族は仲良くしないと駄目だって。
ずっと、お母さんもお父さんも言ってたもん」
「……」
僅かに涙声になってる幸子の姿を見て、清美は言葉を止める。
彼女の本当の両親は既に死んでいる。
それを思い出した清美は、一旦生意気な態度は止めた。
「……はぁ、そうね……ごめん、お父様」
「……いや、良いんだ。俺も心配しすぎたかも知れない。
だが清美、もう休め。普段通りで良いんだぞ?」
「……普段通りなら、訓練してるっての」
父親に聞えないような、小さな愚痴をこぼす。
自分が努力を等と言う、情け無い事をしてると
親に知られたくなかった彼女ではあったが
きっと何処かで、僅かな不満は感じているのだろう。
だが、その言葉を伝えることは出来なかった。
そう、彼女では。
「あの、清美お姉ちゃんはいつも頑張ってるから
普段通りだったら頑張っちゃうと」
「な!? 何言ってんのよ幸子!?
私は努力なんてしてない!」
「私、清美お姉ちゃんが毎日頑張ってるの知ってるもん!
私が布団に入った後、頑張ってる所を見てたもん!」
「な!?」
「そ、そうなのか? 清美」
「ち、違う! 違うわよ! 幸子が寝ぼけてるだけ!
だ、誰が訓練なんてくだらない事するもんか!
私は天才なの! 天才が訓練なんてするか!」
「どうして? どうして隠すの? 清美お姉ちゃん」
「か、隠してない! 隠してないっての! もう!」
顔を真っ赤にしながら、
清美はまるで逃げる様にその場から去る。
「あ、待って清美お姉ちゃん!」
「幸子ちゃん、待って欲しいんだ」
「え?」
「……教えてくれないか? その話。
あの子が頑張ってるって言う話を」
「うん! でもどうして?」
「……そうだな、頑張ってるというなら
親として褒めてあげたいから、かな」
「そうだよね! 褒めて貰ったら嬉しいもんね!
私もお父さんとお母さんに褒めて貰ったら
凄く嬉しかったもんね!」
「ああぁ、そうだね」
幸子は自分が知る限りの全てを清美の父、晴彦に語る。
その後は、遅れて帰ってきた清美の母、翠花にも語った。
心の底から嬉しそうに、姉を自慢する妹の様に笑顔のままに。




