響く優しい鈴の音
新しい作品を書くことにしました。
今回は少し地の文の書き方を変えています。
日の国、とある山の奥地。
そこには人を攫い人の霊力を喰らう危険な妖怪
悪鬼が子供達を攫っていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
幼い子供が恐怖に怯えながら震えていた。
自身の四肢に巻き付かれた蜘蛛の糸は
彼女が必死に体を動かそうとも切れる事は無く。
ただ、眼前の化け物を見ることしか出来ない。
「う、ぁ……」
彼女の眼前にはおぞましい巨大な蜘蛛の化け物。
これが悪鬼、力の弱い悪鬼ではあるが
ただの人間では、悪鬼には敵わない。
ましてや、5歳程度の幼子がどうにか出来る相手では無い。
悪鬼に囚われた幼子は、ひたすらに恐怖に怯えながら
ゆっくりと消えていく自らの命の灯火を感じながら
じっくりとじっくりと霊力を吸い尽くされて殺される。
彼女の周りには彼女と同じ程度のサイズはある
大きな繭の様な物が引っ付いているのが見えていた。
それは、未来の自らの姿だと彼女は理解してる。
一緒に掴まっていた何人かの幼子が
彼女の目の前で少しずつ少しずつ糸を巻かれていく。
抵抗していた幼子達も、いつか動かなくなる。
そして、糸が巻かれていけば行く程に
顔色は悪くなり、死を連想していく事しか出来ない。
「お母さん、お父さん……助けて……
死にたく無い……よ」
弱々しい少女の言葉など、鳥のさえずりでかき消える。
彼女のその小さな言葉を聞く事が出来る者など
精々、目の前の化け物程度だろう。
これから起こるであろう、自分の末路。
それを知ってる彼女は絶望に涙を流し続けた。
抵抗しても無駄だと、それを理解している彼女は
ただひたすらに、涙を流すことしか出来なかった。
蜘蛛が彼女に覆い被さり、彼女により糸を捲る。
さっきまで足首までしか巻かれてなかった糸も
彼女の両肘両膝まで来た。
これが、彼女の残りの寿命。
最後には四肢を完全に糸で覆われて
胴体、胸部まで覆われていき、もはや朦朧とした意識の中
最後は自身の顔を覆われ、動かなくなってしまう。
そして、周囲に浮いている繭の様になって終わるのだ。
「いやだ……いやだよ……」
助からない、生きる事を諦めそうになっている
彼女の頭の中には、両親との楽しく幸せな時間が想起された。
おとぎ話やお家の手伝い、
お母さんの裁縫のお手伝いしたり、料理のお手伝いをしたり。
お父さんの畑仕事を手伝ったり
両親と笑顔で過ごしていた日々を思い出し
もう、そんな日々には戻れないのだと再び絶望し
彼女は更に涙を流していく。
「……あ、ぇ?」
絶望を加速させていく彼女の耳に
微かながら、澄んだ鈴の音が聞えてきた。
その鈴の音と同時に、彼女は母から聞いた
とあるおとぎ話を思い出す。
(由紀恵ちゃん、ここには悪い妖怪
悪鬼って言うのが出てくるの、とても恐い妖怪。
人を捕まえて、食べちゃう恐い妖怪よ)
(た、食べられちゃうの!? い、嫌だよ!)
(そうでしょ? なら、絶対にあの山に入ったら駄目よ?)
(う、うん、でももし……悪い妖怪さんに掴まったら……)
(うん、殆ど助からないかも知れないわね。
でも、もしかしたら鈴の音が聞えてくるかも知れない)
(鈴の音?)
(えぇ、澄んだ鈴の音よ、もしそんな鈴の音が聞えたら
大きな声で助けを呼びなさい。
そしたらきっと、とっても強くて
とっても優しいお狐様が助けてくれるから)
(お狐様って?)
(そうね、私達を助けてくれる妖怪の事を
あやかしって呼ぶんだけど
お狐様はそのあやかしの1人なの
だから、絶対に助けてくれる)
母から教わった、嘘か本当か分からないおとぎ話。
こんな状況に陥ってる彼女には
もはや、その僅かな希望に縋るしか選択肢は無かった。
最後の気力を全て振り絞り、彼女は最後の抵抗をする。
「助けて! お狐様!」
大きな声を出して、あの悪鬼にぐるぐる巻にされた男児を
目の前で見ていた彼女には、この大声は恐怖だった。
もしただの聞き間違いだったら、もし勘違いだったら。
自分もあんな風にぐるぐる巻にされてしまう。
だが、生きたいと心の底から思った彼女は
その僅かな希望に向けて、手を伸ばすことを選んだのだ。
大きな声が不快だったのだろう。
あの大きな蜘蛛の悪鬼は彼女に再び覆い被さる。
彼女は更にぐるぐる巻にされていき
もはや目の前も覆われそうになった。
あぁ、やっぱり違った、聞き間違いだったのか。
彼女の心が後悔に押しつぶされそうになった時
さっきよりも近くから、綺麗な鈴の音が聞えた。そして
「見付けた! その子から離れろ!」
聞いたことが無い女性の声、
とても怒ってる様子だったけど
それでも、優しい声だと彼女は感じた。
その声と鈴の音が聞えたと同時に
目の前を覆っていた悪鬼が消え去り
代わりに彼女の目に映ったのは
少しだけ白が混じった薄い狐色の狐耳。
薄い狐色の前髪に僅かに走る白い毛。
白と狐色が混ざる髪の毛の色でも珍しいが
何より珍しいのは、その瞳だった。
宝石のように美しい狐色の右目
空のように澄んだ美しい空色の左目。
「ごめんね、待たせちゃって」
「ぷは!」
口を覆っていた糸を彼女は容易く引きちぎる。
苦しさから解放された由紀恵は新鮮な空気を求め
必死に呼吸をしていた。
「少し待っててね、すぐに終わらせるから」
彼女に優しく言葉を告げたお狐様と思われる少女は
拘束されている由紀恵を背に、腰に付けていた刀を
鈴の音と共にゆっくりと引き抜いた。
「綺麗……」
その言葉は、どちらに向けて呟いた言葉だったのだろうか。
あまりにも美しい、彼女の容姿へ向けたのか。
もしくは、彼女が抜き去った、宝石のように輝く
あの美しい刀身に向って呟いたのか。
いや、決める必要は無いのかも知れない。
きっとその両方に向けて告げた言葉だったのだから。
「ぎぎゃ!」
その美しい少女と対比してしまえば
あの蜘蛛の悪鬼は何と醜い姿だろうか。
お狐様に威嚇し、その蜘蛛はお狐様へ飛びかかった。
勝負は一瞬だった。
お狐様は言った、すぐに終わらせると。
まさにその通りだった。
お狐様が飛びかかってきた蜘蛛の悪鬼へ向けて
その美しい刀を振うと美しい軌跡が空に残る。
その美しい軌跡の後、醜い血飛沫が噴き出し、
蜘蛛の悪鬼は真っ二つに両断され地に伏していた。
自分や他の子供達が必死に抵抗しても手も足も出なかった
どうしようも無い、理不尽の権化でしか無かった悪鬼は
自らを救ってくれた優しいお狐様の前では
ただの虫でしか無かった。
「すぐに解放してあげるからね」
悪鬼を斬り裂いたお狐様が振り向いた。
その姿を由紀恵は目に焼き付けることになる。
あまりにも優しい笑み、美しい姿。
まるで母のように自らを包み込んでくれる様な
そんな、大きな安らぎを彼女から感じた。
お狐様は彼女を傷付けないように慎重に糸を切り
短い間に由紀恵は解放された。
「あ、あり、ありがとうございます、おきつね……様
わ、私、私!」
お狐様に抱き付きながら、由紀恵は大きな声で泣き叫ぶ。
沢山の涙を流し、何度も何度もお狐様にお礼を告げた。
「ごめんね、遅れちゃって。ずっと探してたんだけど
中々見つからなくて、あなたが大きな声で
自分の場所を教えてくれたお陰で気付けたよ。
でも……間に合わなかったな……」
彼女を抱きしめて、優しくなだめながら
狐の少女は周囲を見渡す。
救えなかった命を見て、後悔を見せていた。
「ごめんね、助けてあげられなくて……」
後悔の一言を残し、狐の少女は自らに抱き付き
涙を流し続けてる少女の頭を撫でる。
少しでも救えた命があって……良かったと
そう思いながら。
「ねぇ、あなたのお名前は?
私は錫音」
「ヒック……ゆ、由紀恵です」
「うん、由紀恵ちゃんだね。
ごめんね、恐い思いをさせちゃって。
それと、少しだけ待っててね?」
「は、はい」
錫音は由紀恵をなだめた後、周囲を見渡す。
そして、精神を集中させて少しした後
2カ所かの繭を裂いた。
「ケホ……ケホ……」
錫音が裂いた繭からは
まだ息がある子供達が出て来た。
もう死んでしまったのだと思っていた由紀恵は
その光景を見て驚きの表情を見せる。
「これ位かな……」
繭の数は10個、内、錫音が裂いた繭は2つだ。
「……」
由紀恵は錫音が裂いた繭に心当りがあった。
目の前で糸に巻かれていた繭だ。
あの中で、比較的最近死んだと思ってた繭。
「この子は……4日、この子は……5日。
間に合うかな……霊力を分け与える手段があれば……
いや、今はそれどころじゃ無い。
とにかくこの子達を村へ連れて行こう。
由紀恵ちゃん……あなたは、歩けるかな?」
「は、はい、何とか……」
「無理、しないでね? しんどいなら言って?
私が運んであげるから」
「だ、大丈夫です、大丈夫です……」
少しだけしんどい、お狐様に抱きかかえて貰いたい。
そうは思ったが、目の前には2人の子供。
自分とは違い、どう考えても動けそうに無い子達。
そんな子達を差し置いて、わがままは言えなかった。
「……強いね、由紀恵ちゃん。
うん、じゃあ頑張ろうか。
私から離れないで付いてきてね?」
「は、はい、お狐様」
「錫音で良いよ」
「じゃ、じゃあ、錫音様!」
「ふふ、様は良いんだけどね。
私はとても身近なお姉さんだから」
優しい笑みを向けられた由紀恵は顔を赤く染めた。
彼女のその優しく逞しい姿を見て、
胸が締め付けられるような気持ちになる。
少しだけ、ドキドキと鼓動が高鳴るのが分かった。
「それじゃ、行こうか」
「は、はい! お姉ちゃん! あ、あ!」
無意識にお姉ちゃんと呼んでしまった。
少しだけ憧れていた、姉という存在。
その感情がここに来て、少しだけ溢れてしまった。
怒られると少し焦りを見せる由紀恵だったが
「ふふ、好きに呼んで?」
錫音は、怒りを見せることなどはせず
優しく微笑んでくれていた。
その姿を見て安心した由紀恵は少し小走りに
錫音の近くに近寄り、共に山をくだる。
「あ、あの……錫音お……お姉ちゃん」
「ん? 何かな?」
「その、髪の毛が少し変わってるなって」
安心したことで、ふと思った疑問であった。
彼女の容姿を改めて見ると非常に独特である。
恐らく巫女装束という物に近いであろう服装だ。
ただ、上半身は白色であるが
下半身は狐色になっている。
何度か見た巫女さんの姿に少し近いけど
だからこそ、少しだけの違和感があった。
まずは袖だ、袖が巫女さんの袖と比べて
とても小さくなってる様に見えた。
袴もそうだ、余裕を持たず、かなりしっかりしてる。
沢山動くからなのかも知れない。
袖の先端は狐色になってて、ここも巫女さんとは違う。
彼女の服装は巫女装束を戦いに様に変化させてる。
掛襟も狐色になってる。足袋は黒色だった。
僅かに見える袖の内側、確か襦袢だ。
そこは巫女さんと少し同じ様に思えた。
服装で特徴的なのは髪飾りの鈴だ。
あの時も今も響いてる鈴の音はそこから聞えていると分かる。
だが、髪飾りよりも独特なのはやはり髪の毛だった。
「ん? あぁ、これかな? あはは、私も思うんだよね」
前髪に少しだけ生えてる白い部分を撫でる。
その部分以外にも白い部分が多い。
もみあげとおくれもも白色だった。
そして何より、後ろ側に纏めてある長い髪の毛。
総髪と呼ばれる髪型であった筈だ。
鈴の付いた髪飾りで結われている。
その総髪の下半分は白色になっていた。
白い髪の毛が混じってるわけでは無い。
見るからに、薄い狐色の髪の毛が
中央付近から綺麗に白色に変化している。
まるで、そこに何かの境目があるかのように。
「後ろの方も」
「あぁ、総髪の方だね。うん、私も不思議に思うんだ。
上半分は薄い狐色で下半分は白くなってるからね。
昔はもっと白い髪の毛の方が多かったんだけど
今は半々位なんだよね。染めてるわけじゃ無いんだよ?
自然とこんな髪の毛になっちゃったって感じかな」
「そうなんだ」
「でも、お姉さんが本気になったら
髪の毛が変わるんだよ?」
「え? どう言う事?」
「お姉さんね、本気で戦う時、あまり無いんだけど
たまーに強い悪鬼と戦う事になったときに
本気を出す事があるんだよ。
そうしたら、髪の毛の白い部分が全部無くなって
髪の毛の色も濃い狐色になるんだよ?
そして、この目だね、左右で違うと思うけど
本気を出したら、空色の目が狐色になるの。
凄いでしょ?」
そんな変わったことが起る事を知った由紀恵は
少しだけワクワクした気持ちを覚えた。
「うん! 凄いね! でも、どうして?」
「それはお姉さんもよく分かってないんだよね、あはは。
出来れば、由紀恵ちゃんにも見せてあげたいんだけど
お姉さんは本気を出したら凄く疲れちゃうから
見せることが出来ないんだよね」
「そうなんだ……」
見ることが出来ないと言われ、
少しだけガッカリとした表情を見せる。
でも、少しだけ錫音と近付けたような気がした彼女は
意を決して、とあるお願いを錫音に伝えた。
「ねぇ、錫音お姉ちゃん」
「何かな?」
「その……か、刀を見せて欲しいの」
「え? どうして?」
「綺麗だったから……」
あの時見えた、宝石のように美しい刀。
その刀に興味を惹かれた彼女は
錫音にそのお願いをした。
錫音は少しだけ悩んだような表情を見せる。
「うーん、今は駄目かな」
「ど、どうして?」
「危ないからね。全部終わったら
村で見せてあげる。
だから、もうちょっと待っててね。
ほら、もうすぐ村だよ。
だから、そんなにガッカリしないで?」
「あ、うん!」
由紀恵は錫音との会話で
少しだけ暗い時間を忘れることが出来た。
そのお陰もあってか、少しだけ明るくなった彼女は
少しだけ笑顔で村に帰ることが出来た。
「あ、あぁ……ゆ、由紀恵!」
「お、お母さん!」
由紀恵の姿を見付けた母が涙を流しながら駆け寄る。
由紀恵も何度も見たかった母の顔を見て
涙を流しながら母に飛びついた。
その後、すぐに父親も彼女の元へ駆け寄り
お互いに抱きしめ合う。
「真之助!」
「光太郎!」
家族が感動の再会をして居る横で
あの動け無かった2人の少年達の両親も駆け寄ってくる。
「真之助君は4日前ですよね。
助かる可能性は十分ありますから
しっかりと栄養のある物を与えて上げてください」
「は、はい! 錫音様!」
「光太郎君は5日前……非常に危険な範囲です。
何とか霊力を回復させないと最悪……」
「ど、どうすれば良いですか!?」
「とにかく栄養のある物を食べさせるしか。
私も霊力を分け与える術は無くて……」
「そ、そんな……と、とにかく栄養ある物ですよね!」
「はい、今はそれしか……」
「分かりました! い、急いでご飯を!」
その3組が急いで家に戻った後
8組の家族が錫音の元へ集まって来る。
「……錫音様」
「……少々お待ちを……すぐに」
「いえ、分かってます、分かってます……
無事だった子達を安全に救う為……ですよね」
「……」
「う、うぅ……幸子」
「……」
錫音の前で泣き崩れる8組の家族達。
その姿を遠目で見ていた由紀恵は
何が起こってるのか、理解する事が出来た。
そのやり取りから数日。
村では命を落とした9人の子供達の葬儀が行なわれた。
既に悪鬼に霊力を吸い尽くされていた8人の子供。
そして、折角救えたと思った、1人の男児は
必死の努力も虚しく、霊力の不足で命を落としてしまった。
村の人達は全員で涙を流す。
その村人の中には当然、錫音の姿もあった。
新亭503年、長い時を生きるあやかし
錫音が経験した、よくある日常の一幕であった。
今回の作品はこのような形で描きます。