入学のススメ
「お前、この学園に通いたいんだよな?」
「は、はい。そうですけど……」
「俺はもう半ば強制的にではあるが、これからこの学園に通わされる事になるらしい。だが金を受け取るのにこれから試験とやらを受けなきゃならん」
自信満々に語る弘樹の話を聞きながら曖昧に頷いた少女は、しかしまだそれが一体この先の話とどのように関係しているのか意味が分からないといった風で目をパチクリさせるばかり。
曇りのない萌黄色の視線がじっとこちらに向けられている中、弘樹は少女にどう説明するべきか頭の中で一瞬考えてから言葉を続ける。
「しかし俺は試験なんて受けたくないし、そもそもあの変な文字も読めない。だから合格点なんて絶対に無理だ」
そう、この訳の分からん世界の中で一先ず生きていくのに金は絶対に必要だが、その金を手に入れる為の試験に合格する事が絶対に出来ないというこの状況。
この一見するとどうしようもない矛盾をどうにか解決する方法は目下のところ一つしかなかった。そして、その方法を取る為の道具も手段も全てこちらの手の内にあるのだ。
「お前はこの学園に通う為に来たんだろ? なら、当然字も読めるし試験とかも出来るよな?」
「え、と。確かに聖式文字は読めますし書けますけど、推薦状を受け取った人が奨学金の為に試験を受けなきゃいけないという話は初めて聞いたので、出来るかどうかは……」
「字が読めない俺よりは出来るだろ」
「それは確かに、そうかもしれないです」
「よし。なら決定」
ポンと膝を打ち、これで話は決まったとばかりに立ち上がった弘樹は、まだ話を読めていないミユの戸惑う黄緑の瞳に向けてビシッと指を指すと
「お前、俺と契約しろ」
そう高らかに宣言した。ぱちくり、と少女の早春の草原を思わせる鮮やかな瞳が瞬きをして、たっぷり数秒間の無言が二人を包む。
パチパチと暖炉の炎が小さく爆ぜる音だけが聞こえる中で、先に動かぬ両者の静寂を破ったのはミユの方だった。
「……へ?」
こちらの言っている意味が全く意味が分かっていないのか、少女が可愛らしく首を傾げるのを見た弘樹は、鈍い奴めと溜め息を吐くと硬直するミユの方へと歩み寄って更に言葉を続ける。
「俺が魔物使いで、お前は魔物なんだろ?」
「それはそうですけど、契約ってまさか」
「さっきの指でやる奴だよ、魔物使いの契約だ」
「えぇえええええっ!?」
ようやくこちらの話を理解したらしい少女の仰天混じりの悲鳴が部屋の中に響き渡り、ソファから焦ったように立ち上がったミユは脳をフル回転させて弘樹の言葉の意味とその先を想像しようとしているらしかった。
先ほどの少女の説明の通りなら、猫人とやらも魔物に分類されるらしい。であるならば、魔物使いである自分は猫人であるミユと契約を結べるはずなのだ。
弘樹の話を聞いて何故か顔を赤くした少女があわあわと口を開け閉めしている様を眺めていた弘樹は、自分の計画が完璧な物である事を内心で確信していた。
「さっき学園長も言ってただろ。『魔物使いは魔物を手足のように操る』って」
「は、はい。確かにそう仰ってました」
「つまり一度契約をすればお前は俺の手足って事になる。試験を受ける時に手足を使うのは当然だろが。奨学金とやらの試験はお前が受けて、合格した俺は金を受け取り学園に入学する。その上でお前も俺の魔物という事で一緒に学園へ通えばいい」
そう、俺が文字を読めない書けないというならば、読めて書ける奴に試験をやらせればいいだけなのだ。この少女はどうやらこの怪しげな学園に通いたいと本気で思っているらしいが、であるならば一度は入学を断られた今からでもまだ学園に通える可能性があるこの方法はかなり魅力的な提案になるはずだった。学園に入学したい奴なら試験も懸命に受かろうとするだろうし、仮に上手いこと合格出来れば俺の下に何もしなくても金が入る。
仮に合格しなかったとしても俺の手足となって動く奴が一人いれば新たな生活も楽になること請け合いで、しかもそれが見目麗しい美少女ともなれば弘樹にとっても何一つ損のない我ながら完璧なアイデアであった。
まぁ強いて言えば少女の見た目が何処からどう見ても弘樹よりも年下の中学生かそこらにしか見えないという点は少々、というかかなり不安ではあったが。
「そ、そんな事が出来るんですか!?」
ミユは弘樹の説明を聞いて驚いたように鮮やかな萌黄色の大きな目を丸くする。まぁ実のところを言えば本当に契約したミユを連れて学園に入学できるかどうかは今のところ不明瞭であったが、しかし仮に学園長辺りにダメだと言われても先に契約をしてしまえばこちらのもの、入学後は強引にでもミユを連れて通ってやればいいと弘樹は思っていた。
こんな見知らぬ場所にいきなり連れてこられて、文字も地理も文化も違うのに何の補助もなく生活なぞ出来る訳がない。こんな世界へ無理矢理に俺を拉致した学園にはこの俺が安全に生活できるよう配慮をする義務があるのだ。
この世界の常識や生活様式が分からない俺がこれからの学園生活でトラブルを起こさないように、事情を知っていて色々と補助をしてくれる人が必要なのは当然だろう、とでも言えばまず間違いなくどうにかなると踏んでいた。
それでも仮にもしダメだと言われたら……まぁその時はその時だ。最悪の場合には、これが俺の世界での礼儀作法だったと言って授業中に教室で奇声を上げて暴れたり、つまらない授業の前には必ず教卓の上に小便をしてやったりすれば、そのうち向こうからミユを一緒に連れて通ってくれと泣きながら頼んでくるに違いない。
「大丈夫だ。別にお前一人、俺の横で一緒に授業を受けてても誰の迷惑になる訳でもないし文句は付けられないだろ。何の問題もないから安心しろ」
何の根拠もないのだが自信満々にそう答えてやると、やはり期待よりも心配が勝るのか萌黄色の視線を下に向けて少々彷徨わせた少女は、やがておずおずと言葉を切り出す。
「でも、あの、本当にいいんですか?」
「何がだ? さっきの学園長とかいう爺に怒られるとでも思ってんのか?」
「いえ、その、私みたいな子供と大事な契約をして、なんというか……ご迷惑じゃありませんか?」
「授業を受けてもどうせ文字も読めない俺だけじゃどうしようもないしな。お前が横に居れば俺も何かと便利なんだ」
まぁ正直に言えば弘樹は授業なんて受けるつもりは殆どなかったのだが、
字も読めないのに授業なんて受けてもどうせ意味なんて分かりはしないだろうし、魔術だ魔物だなんて話を真面目に聞いて何になるというのか。下らん教師の話なんて適当に聞き流してさっさと元の世界に帰る方法を探さなければならない。
ミユが授業を聞きたいというのなら、昼寝でもしている俺の横で存分に聞いていればいいだろう。そんな弘樹の胸中を知ってか知らずか、少女は予想外の話に感激したのか今にも泣きそうな表情で顔を上げると濡れた黄緑の瞳を真っ直ぐにこちらへ向けた。
「あ、ありがとうございます! 嬉しいです!」
まさに地獄に仏、絶望の底で救いの神にでも出会ったかのような安堵に満ちた雫に溢れる眦を拭いながら、弘樹に歩み寄ったミユはぺこりと頭を下げる。
「その、私、このまま故郷に帰るなんて出来なくて、でも学園に通う事も出来そうになくて凄く不安で……本当にありがとうございます。ぜひ私と契約して下さい!」
果たして。思惑通りにこちらの提案に乗ったミユを見てニヤリと笑った弘樹は、己の判断は間違っていなかったと胸中で確信していた。
これで試験を合格できる可能性が高まるし、この訳の分からない世界で協力者が得られる訳である。
「よし、じゃ決まりだな」
「はい! よろしくお願いします。えと、ヒロキ様でよろしかったですか?」
「おう、お前はミユだったよな?」
「は、はい。ミユ・アントリークといいます。あの、お役に立てるか分かりませんが、精一杯頑張りますのでよろしくお願いします」
そうお淑やかに挨拶するミユは先ほどまでの落ち込みっぷりも何処へやら、学園に通える見込みが出てきたことが余程嬉しいのか朗らかな笑顔と同じくらい楽しげに茶色の耳と尻尾がゆらゆらと揺れている。
悠長に挨拶から互いの親睦でも深めようとしているのか、真っ直ぐな視線でにこやかな笑顔など向けてきている少女を他所に、当の弘樹は早速この後の手順を頭の中で再確認し始めていた。
少女の丁寧な挨拶に空返事を返しつつ早速契約とやらをしようと弘樹が先ほど傷付けた左手の人差し指、その指先を確認するとやはり勢いよく流れていた筈の血はもう既に殆ど止まりかけており、とても字が書けるほどの量は出ていない。
仕方なく己の切り傷の入った指先を強く圧迫し、再びその傷口に血を滴らせた弘樹は笑顔の少女に向き直ると、先ほど人形と契約した時はどうしろと言われたんだったか、学園長やシンシアにやらされた一連の手続きを記憶の中から掘り起こしていく。
「じゃ早速契約するぞ。確かこの血で、お前に俺の名前を書けばいいんだよな」
「はい。えっと、確か身体の中央にってシンシア先生が……」
にこやかに紡いでいた言葉をそこで止めたミユは、先ほどの人形と契約していた時の光景を思い出し頭の中でそれを自分に当て嵌めているらしく、暫し固まった末にそれが何を意味するのかをようやく理解したようで
「あ、あのそのっ、それってやっぱりもしかしてあの」
少女は一瞬で真っ赤に沸騰した顔を伏せると、潤んだ萌黄色の透き通るような瞳でこちらを見上げる。少女の動揺した視線はこちらの顔と指先、そして自分の身体を往復するように動いており、何を考えているのか手に取るように分かる。
「俺はまだ何も言ってないぞ」
「で、でも体の中央にって、それって、つまりその――――」
「早く脱げ」
「ぴぅ!?」
一切の遠慮がない弘樹の言葉に不思議な可愛らしい悲鳴を上げ、首元まで真っ赤になりながら頭が千切れそうな勢いでまたも顔を伏せた少女は、その小さな身体を僅かに震わせながら己の胸を庇うような姿勢で目を閉じた。
もじもじと細い指先で薄茶色のローブを握り締め若干ながら目に涙を浮かべつつあるその姿に弘樹とて心が痛まない訳ではないが、しかしここで拒否されては話が進まない。
「別に全裸になれとは言ってないだろ。名前を書けるようにしろって言ってんだ」
「うぅ……」
先ほどの話によればミユのような種族を猫人と言うらしいが、弘樹の言葉に今にも頭の血管が切れそうなほど真っ赤になって可愛らしく唸る少女のその姿は、頭頂部でピンと張っている両の耳も相まってなるほど確かに猫のようにも見えなくもなかった。
自分の胸の辺りを両手で隠しながら今にも泣き出しそうな表情で震えるミユはその気弱そうな垂れ目も相まって絶妙に嗜虐心をそそる反応ではあったが、ここであまり虐めて纏まる話が纏まらなくなっても困ると弘樹は一つ息を吐くと務めて穏やかな声で話し始める。
「恥ずかしいのは分かるがそのままじゃ契約できないだろ。それとも学園に通うのは諦めるのか?」
「わかり、ました」
弘樹の言葉にようやく観念したのか、萌黄色の透明感溢れる目をぎゅっと閉じて何かに耐えるように頷いたミユは、恥ずかしさからか恐怖からか目に涙を一杯に溜めながら外套に手を掛ける。そして震える声で最後の抵抗とも言える哀願を口にした。
「あの、お願いです。見ないで……下さい」
「見なきゃ名前なんて書けないだろが」
そんな小動物みたいな涙目で懇願されても、こちとら目を閉じたまま字を書くような特殊な芸当は訓練していないのだ。
とにかくこんなやり取りにいつまでも時間を掛けていて今この場に先ほどの学園長だとかいう老人やあの真面目でうるさいシンシアが戻って来てしまっては目も当てられない。
何となくではあるがあの二人がこういった話に賛成するようなタイプとも思えず、奴らが戻ってくる前に済ませなければまたぞろ話が拗れるだろう事は目に見えていた。
とにかく細かい事は後で良い、善は急げ。こういうのは即断実行、反対されそうならとやかく言われる前にやってしまって、既成事実にしてから押し通してしまうのが一番なのだ。
さっさと手順を進めようとする弘樹の強引な物言いに、まるで鞭打たれたかのように身体を震わせた少女は、やがて何かを諦めるようにゆっくりと己が身に纏う服に手を掛けた。
細く繊細な白い指先で全身を繭のように覆っていた野暮ったい薄茶色のローブを脱ぐと、その下はひらひらとしたレースが華やかな水色のスカートと上品な刺繍の施された薄手の白いブラウスだった。スカートの裾から隠れていたふわふわの尻尾が覗き、同時に少女の輝くような白く滑らかな肌が露になっていく。
しかし何よりも目立ったのは先ほど誤って押し倒してしまった時にも触れた大きな胸。全体的に身長も低めで線の細い少女の体型からは想像できないハリのある膨らみはブラウスの上からでも容易にそのサイズを確認できる。
「あの、せめて薄目で……薄目でお願いします」
自分の胸に弘樹の視線が集中しているのが分かったのか、己の胸を隠すように抑えた少女が震える声で懇願するが、しかし薄目だろうが何だろうが字を書く以上は見なきゃならないのが弘樹の立場。
「やかましい早く脱げ」
親から逸れた子猫のような表情を見せる少女に情け容赦なくそう言い放った弘樹にしても内心では気まずい思いがない訳でもなかった。実際ミユが何歳なのかは分からないが外見的には中学生くらいにしか見えないし、そんな少女に服を脱がせているというのは例えどんな理由があろうともかなりの罪悪感がある。しかし早くしないとまた指先の出血が止まってしまうのもまた事実で。
頬どころか額まで真っ赤にして今にも泣きそうになっている少女の萌黄色の瞳に冷たく命じた弘樹は、溢れる血が止まらないようにと指先を圧迫し続けながら少女の準備が終わるのを待つ。
「あ、あの……」
しかし服を脱ぎかけた少女は胸の大きな膨らみを覆う白いブラウスのボタンを外そうとした所で動きを止めて、薄黄緑の目に涙を一杯に溜めながら眼前で脱衣が完了するのを待っている弘樹を見た。
「お願い、します。せめて脱ぐ時だけでも、向こうを向いていて貰えませんか?」
哀願というかもはや泣き付きに近い少女の言葉は緊張か恐怖のせいか細かく震えていて、顔を見ればもはや次の瞬間にも潤んだ眦から雫が零れ落ち泣き出しそうな様相である。
そうせがまれては仕方ない、ここで契約を辞めるとか言われても困るし、と弘樹が無言で後ろを向くと、背後で微かな衣擦れの音と小さな息遣いだけが暫し響き、やがてやや震えの混じった声で
「……これで、いい、ですか?」
と静かに問いかけられた。振り向くとそこに見えたのは白く滑らかな皮膚、そしてはちきれんばかりの膨らみと腕の隙間から微かに覗くピンク。
それが上衣どころかスカートまで脱いだ少女の肢体だと気が付くまで暫し、薄暗い部屋の中に浮かび上がるショーツ一枚になったミユの白く輝く半裸という予想外の光景を前にした弘樹はドキリと心臓を跳ねさせ思わず息を飲んでいた。
凄まじくエロい。それが弘樹の偽らざる感想だった。というか、少女に脱げと言ったのは単に名前を書けるように肌を出せという意味であり、誰がそこまで脱げと言ったのだと言いたかったが既に時は遅し。
所詮は中学生ほどの子供としか思っていなかった弘樹の認識に反して、曝け出されたミユの染み一つない全身は白磁のような滑らかさと艶やかさを宿し、見た目は幼いながらも確かに匂い立つ少女特有の色香を有している。
特に目立っていたのはやはりと言うべきか、どうにか右手一本で隠そうとして今にも零れんばかりになっている大きな胸。全体的に細身で小さな少女の中にあって細腕一本では全く隠しきれていないその双丘は、少女が僅かに身動ぎする度に柔らかく形を変えてこちらの視線を誘っていた。
また長く細い脚から引き締まった腰、そして小ぶりながら女らしい曲線美を有した尻も決してただの子供の身体だと切り捨てていいような物ではなく、むしろ妙に幼さが各所に残っているせいで逆に危ない魅力を孕んでいる。
その下着一枚となった華奢な下半身をどうにか隠そうとしているらしい左手までもが妙に色っぽく艶やかに伸びて少女の細くしなやかな身体を庇うように巻き付いている様は何かのグラビアのようで、それを見た弘樹は知らず唾を飲み込んでいた。
「お、お願いですからそんなに見詰めないで下さい」
そんな今にも泣き出しそうな顔で恥ずかしげにそう言われても今や布切れ一枚だけとなった全身はとても腕だけで隠しきれるような物ではなく、むしろ却って恥ずかしげに動く両腕の向こうに下着やピンク色がチラチラと見え隠れしている事がより一層男の欲情を煽っている。
スラリと伸びた白い脚から腰、そして腹部に掛けてのラインはモデルのような細さで、恥ずかしがる少女の内心を表しているかのようにもじもじと震え内股に縮こまろうとしている様子が更にいやらしさを増しており、どうせ中学生くらいの年下としか思っていなかった弘樹をして思わずクラクラするほどのエロさであった。
「それじゃ書くぞ」
色っぽさが視覚化されているかのような少女の甘い匂いに、このままだと変な空気に呑まれかねないと判断した弘樹は何も見えない振りで声を掛けると、妙な方向に流れかけていた部屋の雰囲気を繋ぎ止めた。
指の先に垂れた血を溢さないように意識を集中させることで少女の半裸を視界の外に追いやっていく。ただでさえ先ほど自分はミユを襲ったと勘違いしたシンシアに詰め寄られているのだ。
こんな状況であの鎧女が部屋に戻ってきたりしたら、今度こそ言い訳の暇もなく確実にその場で手討ちにされかねない。
さっさと契約を済ませてしまおうと決意した弘樹は十分に血を纏わらせた己の指をゆっくりと少女の柔らかそうな胸元へと伸ばしていく。
「ひゃうっ!?」
指先が白いキャンバスの滑らかな表面にそっと触れたその瞬間、やや鼻にかかった少女の悲鳴とも吐息ともつかぬ声が頭上から聞こえて、弘樹は思わず動きを止めた。
眼前でふわりと動く緩やかにカールした茶色のツインテールから僅かに甘く芳しい香りが漂ってきた気がして、せっかくの集中を削がれた弘樹は嬌声の主に抗議の視線を向ける。
「なんだよ」
「いえ、ごめんなさい。その、くすぐったくて」
「我慢しろ」
「は、はい……んっ!?」
そう返事をしながら、その舌の根も乾かぬ内にまたも声を漏らした少女は、今や心配になるほど顔を真っ赤に染めながら懸命に何かを堪えるように瞼を強く閉じてその端正な口元を一文字に結んでいた。
指先が滑らかな皮膚の上を撫でるように進むたび、ビクリビクリと反応するミユの細い胴体とそこに実った二つの大きな果実は弘樹の指の感触から逃れるように右に左に揺れては逃げる。
「おい動くな。書きにくいぞ」
「す、すいません。でもっ、こんなの」
謝っているという事はわざとではないのだろう。懸命に耐えているらしいことは顔を真っ赤にしながら唇を噛んでいる少女の表情を見れば何となく分かる。
しかし、白く柔らかいキャンバスは弘樹の指先が触れる度にますます激しく跳ねるように動き、どころか書き進むごとにどんどんと腰をくねらせ艶めかしく揺れるようにまでなっていき、書き記そうとする弘樹の名前を乱れさせる。
強く押し当てればその強すぎる刺激は少女の身体を跳ねさせ、かといって弱すぎれば少女の甲高い嬌声が部屋に響く。
余裕綽綽だった最初の雰囲気は何処へやら、もはや進退窮まった弘樹はただひたすら、何も考えず無我の境地で少女の豊かな胸元に己の名前を血で書き記していた。
薄暗い部屋の中、半裸にさせた少女の身体に血で己の名前を書くなんて、何も知らない人間が見たら怪しげなカルト宗教の儀式か何かだと思われるだろうが、しかしやっている側からするとそれ以上に危ない行為である。
「おし、出来た」
どうにかこうにか血の滲む指先で跳ねる少女の肉体に己の名前を書き終えた弘樹が呟くように声を上げると、耐えるように強く強く瞼を閉じていたミユが恐る恐るといった雰囲気で目を開ける。
白い肌に血で書かれた真っ赤な武藤弘樹の文字は薄暗い部屋の中にあってくっきりと見えて、先ほど人形に書いた時よりも数段と禍々しい雰囲気を醸し出していた。
「これでこの後は」
言いかけた所でふと、この後の手順を思い出した弘樹がチラとミユに目をやると、もう顔色が朱を通り越して赤になりつつある少女はこちらの視線に気が付いたのか飛び上がらんばかりに身体を硬直させて俯いた。
そう、先ほどの手順に従えばこの後、契約の相手にキスをする事になっているのだ。少女を強引に裸にさせた挙句キスをするなんて下手をしなくても問題になりそうな気もするが、しかしこれは契約の為であって何か不埒な目的がある訳ではない。
「……あの、お願いします」
しかしここへきて嫌がるのかと思いきや、予想外にも既に覚悟を固めているらしいミユは、今にも消えそうなほど小さな声で震えるようにそう言って静かに目を閉じそっと顔を上げた。
上半身裸で胸だけを両手で隠したまま目を閉じているミユへゆっくりと歩み寄るとその白い肩が僅かに震えているのが見て取れて、どうにも悪い事をしているような気分になった弘樹は桜色の唇を前にほんの少しだけ躊躇する。
そもそも契約の際に口にキスしなければならないなど言われた覚えはない。先ほどの人形とキスをした際も何処が口なのかなんてさっぱり分からなかったので、適当に口付けをしたのだがそれで問題なく契約は出来ていた。
しかし、唇を突き出してくるミユの顔が既に書かれた血文字よりも真っ赤になっているのを見て、今更そんなところに拘ってあまり時間を掛けるのはそれはそれで残酷なような気がしないでもなく。
「んっ」
もう考えるのも面倒だと意を決してそっと目の前の唇に己の口を重ねた瞬間、少女の小さな可愛らしい鼻から甘い息が漏れた。
途端、ふわりと漂う花のような甘い香りと柔らかくしっとりとした唇の瑞々しい感触が伝わってきて、やがて触れた唇の先から僅かに伝わる少女の震えが弘樹の脳髄を埋め尽くす。
無意識の内に少女の裸の背中に回していた腕で細く華奢な腰を抱き寄せるが、ミユはそれに特段抵抗する様子もなく小さく息を漏らすばかり。
最初は強張っていた少女の小さく細い身体も段々と緊張が解れて来たのか少しずつ力が抜けてきて、やがて弘樹にされるがままになっていた。
が、そのまま数秒。やがて10秒ほどが経過しても少女は一向に離れる様子がない。
こいつ、このまま離さなかったら延々とされるがままなのではないだろうか。一瞬そんな邪な考えが頭を過るも、しかし今はミユと契約を済ませる事が最優先でありそれどころではないと思考を改める。
先ほど契約で人形を相手に口付けさせられた時も触れたのは一瞬。薄汚い造魔を相手に契約した時もこんなディープなやつをした覚えはなく、単に契約をするというだけならこれだけキスすればもう十分だろう。
僅かにではあるが少女が自ら唇を蠢かし始めた気配を感じつつ弘樹が唇を離すと、固く閉じられていた瞼の向こうに現れた萌黄色の瞳とばっちり視線が絡み合う。
息が苦しかったのか、トロンとした目でこちらを見る少女に、何故か一抹の気まずさを感じた弘樹が何も言わず一歩離れると同時、少女の胸元にから記された『武藤弘樹』の血文字が青色に光り始めた。
それを見て驚いた様子の少女が自分の身体に確かめるように触れる中、薄暗い部屋の中に眩しく迸る青い光は周囲の机や本の山に怪しく影を作り出し、例の契約が順調に始まったらしいと見て取った弘樹がほっと肩の力を抜いたその時
「痛っ!?」
突如、少女の悲鳴混じりの叫び声が部屋に響くや否や、ミユは何かに耐えるようにその場に蹲った
苦しそうに両手で抑えているのは青色に光る文字が刻まれた少女の胸の辺りで、どうやらその部分に苦痛を感じているらしい。
「う、ぁあっ!?」
「おい、どうした? 大丈夫か?」
急に苦しみ始めた少女に一体何事なのかと驚いた弘樹が声を掛けるも答える余裕がないのか、ミユは苦痛の息遣いを漏らしながら何かに耐えるように歯を食い縛りながら床に倒れ込む。
このまま死んでしまうのではないかと思ってしまうほどの痛がりように、流石に心配になった弘樹が慌てて駆け寄ると
「身体が、燃えそうに痛いです……!」と少女は息も絶え絶えに訴えてくる。
その震える声には一抹の余裕も感じられず、どうやら本気で苦しんでいるらしいと気が付いた弘樹はぞくりと血の気が引いていた。
実際に契約とやらをやってみたのはこれで二度目。一度目はあの人形相手にやっただけで、そもそもこれがどういう物なのかも分からない弘樹からするとこれが成功しているのか失敗しているのか、正しい状態なのかどうかも分からないのだ。
何かの手違いで魔物使いの契約とやらが失敗してしまったのかもしれないが、仮にそうだったとしてその失敗にどう対処していいのかも知らない。
しかし手順もやり方も先ほどの人形を相手にした時と全く代わらない筈である。こんな簡単な工程で何かミスのような物をやらかしたとも思えず、可能性として考えるなら幾ら魔物とはいえ人間相手には契約が出来ないのか。
あるいは先ほどの人形相手にははっきりと分からなかったが、もしかしてこの魔物使いとやらの契約には痛みが伴うのだろうかと考えを巡らせていた弘樹の思考を少女の更なる悲鳴が掻き消していく。
「ああぁああぁっ!?」
いたいけな少女が端正な顔を痛みに歪めているのをどうにかしようとしても、契約を途中で止める方法も失敗した時の対処法も知らない弘樹には手の打ち様がない。
それでも何か出来ないかと床の上で苦痛の悲鳴を溢しながら痛みに藻掻く少女に手を差し伸べると、苦痛に耐えるように瞼を固く閉じたままのミユはその掌に縋るように両手で強く強く握り締める。
永遠にも思える時間の末にやがてミユの白く細いその肉体から浮き上がってきたのは、先ほどの不細工な人形から立ち上ったのと同じ青く透明な文字。
空中に浮かび上がった武藤弘樹の名前がするすると伸びた青白い光の筋となって止め処なく捻れ回転し、やがてミユが握り締めている弘樹の掌へ、未だ血の滲む指先へと吸い寄せられるように絡み付いていく。
感触はない。血の出ている指先が少女に強く握られて少し痛むだけだが、得体の知れない光に纏わり付かれるというのは決して気味の良い物ではなく、指先に巻き付いて薄っすらと消えて行った光の糸を見ながら弘樹は自然と眉間に皺を寄せていた。
光が消えると同時、ミユが握っていた掌から力が抜ける。荒い息を吐いてぐったりしたように床に倒れて動かない少女の姿に、弘樹が思わず抱き起こすと、ミユは薄っすらと目を開けて小さく呟くように
「これで、契約できたってことなんでしょうか?」と絶え絶えな声で言う。
血で身体に描いたはずの弘樹の名前は既に少女の身体から完全に消えており、白くきめ細い滑らかな肌には血の染み一つ残ってはいなかった。
途中、ミユが苦しみ始めた時はどうなるかと思ったが、どうやらこれは問題なく契約に成功したらしいと判断した弘樹は、そこで深く安堵の息を吐いて頷く。
「完了したみたいだな。もう痛くないか?」
「は、はい。すいません、こんなに痛いと思わなかったので私、ちょっとびっくりしてしまって……もう大丈夫です」
半裸のまま床の上にへたり込みちょっと涙目になっている少女の言葉は、なんだか内容だけを聞くと少しヤらしい意味に聞こえなくもなかったが、しかしまぁ終わりよければ全てよし。
やはり先ほど契約したのがただの人形でしかなく痛みなんて感じない存在だったから何も反応がなかったというだけなのだろう。
これで二度目になる契約は相も変わらずやっている最中こそ冷や冷やさせてくれるものの無事に終わってみるとやっぱり何の実感も湧かないのだが本当にこれでいいのだろうか。
指先に出来た傷以外には痛みもなければ特別な何かを感じる事もないが、と己の指先を改めて見てみると、名を書き記すのに使った人差し指の爪先に、先ほど人形と契約をした時にも現れた赤い血の色の不可思議な模様が浮かび上がっていた。
赤く細かい線が何本も並ぶこの謎の紋様にはどんな意味があるのか弘樹には全く分からなかったが、しかしこれが出ていることそれ自体は先ほどの人形との契約と同じであり、成功した証拠と言えるのかもしれない。
「なんなんだろうな、この模様」
「え? 模様、ですか?」
どうにか身体を起こせるようになったらしいミユが起き上がって弘樹の爪に出来た赤い模様をしげしげと眺める中、弘樹は周囲の机の上で山となっている適当な書類の束で指先に残る血の跡をゴシゴシと拭き取ってみる。
付着した血は綺麗になっても、爪に残る不思議な模様はやはり落ちるような様子はなく、それを見た弘樹はやはりこれは件の契約による物なのだろうと曖昧に理解していた。
「なんか気持ち悪いな。女じゃあるまいしなんで爪にこんな変な模様を」
生憎と爪にベタベタと落書きをして喜ぶような趣味は持っていないのだ。しかも左手の爪の先に一本だけ変な模様が付いている、というのはどういう事なのか。
なんかデザインも線と点だけで意味が分からないし、見た目も血の色で汚らしいし赤が目立つし、せめて少しでも落ちないか、と強めに爪の表面をゴシゴシ擦ってみても全く消える様子がない不気味なその紋様は室内で燃え続ける暖炉の火に照らされて怪しく光っていた。




