入学のススメ
「それで学園長、如何しますか?」
誰も彼もが無言のままで静寂に包まれていた部屋の中、まず話を切り出したのはシンシアの硬質な声。深く考え込んでいたらしいルキウスはそこで顔を上げて、困ったように頭を掻くと椅子に座ったままの弘樹にチラと目線を向けてうーむと唸る。
「推薦状も言い伝えもどちらも正しい事が確認されてしもうた以上、このままという訳にもいかぬじゃろうが。……どうした物かのう」
「推薦だの入学だの魔物使いだの、そんな話はどうでもいい。まずこれだけは聞かせろ。俺は家に帰れるんだろうな?」
魔術とやらがある世界に来てしまった、これはもう疑いようがないというか、どうしようもない現実らしかった。
実際、獣の耳をした少女や宙を浮かぶ推薦状を見て、自分の血が人形を自在に操る所まで目の当たりにしてしまった以上はこれを否定する事も難しい。
だが何よりも問題なのは、来たからには帰らなければならないという事実だった。今日は日曜で通っている学校は休みだった筈だが、明日からは普通に授業があるし、流石にいつまでも帰らないという訳にはいかない。
しかし、弘樹の問いに一瞬シンシアと気まずそうに視線を交わらせた学園長は、やがて言い難そうに
「……大変すまん事だとは思うが、それは出来ぬ」と頭を振った。
「はぁあ!?」
「この推薦状に使われた転送魔術は400年も前に作られた物でな。資料もなく現代のあらゆる魔術研究でも再現に成功した例はないんじゃ。一体どういう方法を使っているのか、儂らにもさっぱり分からぬでな」
呆然としたまま、まるで話の内容を飲み込めていない弘樹に、学園長はそこでゴホンと一つ咳払いをすると
「つまり、早い話が今のワシらはとてもお主を送り返す事は出来んのじゃよ」
そう、とんでもない事実を告げたのだった。
「なっ、だっ、ええええええええっ!?」
大量の書物と書類に囲まれた部屋の中にわんと裕樹の悲鳴が響き、壁に掛けられていた肖像画が勢いで一つ床へと落ちる。
何処か遠くで鳥か何かが不可思議な鳴き声を上げた気がしたが、そんな事になど構っていられない。あまりの事実に仰天した弘樹は椅子の上に立ち上がって机を踏み越えながら学園長に迫っていくと口角泡を飛ばしながら騒ぎ始める。
「うっそだろ!? じゃあ俺帰れねえの!? マジで!?」
「誠にすまぬとは思うがどうにもならんのじゃ」
「冗談じゃねえぞオイ!」
こんな訳の分からない世界に連れて来られた挙句、帰れないなんて予想もしていなかった弘樹が絶望の声で叫ぶも、ルキウスも困った顔で目を逸らすばかり。
横のシンシアも苦りきった顔で、溜め息を吐くと気まずそうに目を逸らしつつも弘樹と学園長の間に割って入った。
「仕方がないだろう。推薦状が作られたのは既に四百年前。現代では転送魔術など夢物語の代表みたいな物だ。それも異界からの転送となれば再現など出来る筈も――――」
「一方的に連れて来て返さないとかなんだそれ! 拉致だ拉致! 誘拐だ!」
「元はと言えば、お前が内容を読みもせずに承諾するからで」
「やかましい! こんな幼稚園児が適当に考えたような字で書くんじゃねえ! 読める訳ねえだろこんなの!」
「お主の言い分も分かるが、今の我々にはどうしようもないのじゃ。大変済まないとは思うが……」
「じゃあどうしろってんだよ! このまま見知らぬ場所で路頭に迷えってのか?」
決死の表情で訴える弘樹の問いに少し考える素振りを見せたルキウスは、ぽんと一つ手を打って
「では一先ず、この学園に入学してみるというのはどうじゃろう」と、唐突な提案をした。
「は?」
目を白黒させる弘樹に学園長は我ながら名案だと言わんばかりに先ほどの推薦状を指し示すと、その内容を指差しながら告げる。
「お主は、推薦状の力でここへ来たのじゃ。つまり当然、この探索者学園への推薦入学の資格を有しておると言える」
「入学……?」
「一般募集とは違い、推薦状で入学した者は学費などが一切掛からぬのじゃ。学園の生徒には様々な待遇も与えられるし、国内における市民権も与えられる。卒業すれば探索者としての一通りの技術や知識は得られるし、そうなれば生活にも困らないと思うがどうじゃろう―――ぐぇっ!?」
にこやかに説明する学園長の胸ぐらを掴んだのは裕樹の腕だった。まるでヒキガエルのような声を上げた老体をガクガクと揺さぶりながら、裕樹は目の前で揺れる皺だらけの顔にガンを飛ばして詰め寄る。
「ふざけんなよお前……俺は帰りてえんだよ。家に! 帰りてえんだよ!」
「そ、そんな事言われても……」
「お、お前! 先ほどから学園長に何という態度を!?」
ガクンガクンと揺さぶられながら心底困り果てた声を出す学園長に、シンシアは慌てて狼藉者を止めに入った。が、裕樹はその手を跳ね除けて更に叫ぶ。
「やかましい! こんな怪しげな聞いた事も無い学園に通う前に、俺も通っている学校があるんだよ! ただでさえ最近はサボってばっかでヤバいのに、これで出席日数足りなくて留年したらどうすんだコラ!」
「ま、まぁ落ち着きなさい」
「これで落ち着いていられるか! こんなわけの分からない場所に連れて来られて、挙句帰れないだと!? お前らのせいだろうが! 推薦状だろうが別の世界だろうが知った事か! さっさと俺を元の場所に戻せ!」
「……し、シンシア先生」
「はい」
胸ぐらを掴まれ首を締められた自分の顔色が赤から青に変わり始めたことで流石にマズイと思ったのか、ルキウスの辛うじて絞り出すような声にシンシアが素早く反応する。
「みゅぎゃっ!?」
鎧姿の腰から煌いた剣が一閃すると同時、またも一瞬で後頭部に衝撃が走り、裕樹は尻尾を踏まれた猫のような声を出しながらもんどり打って再び地面に卒倒する事になったのだった。
完全に背後から攻撃される格好になった弘樹は、おもいっきり床に突っ伏した状態で転がる。ぐわんぐわんと揺れる視界の半分を赤い絨毯が占め、それでも弘樹が頭を抱えながら身体を起こすと、向こうでもルキウスがどうにか立ち上がろうとしているところだった。
「やれやれ。弘樹君、少しは落ち着いたかね?」
「これが落ち着いてるように見えるか? 老眼鏡買った方がいいぞジジイ」
「まぁ、会話が出来る程度には落ち着いたようじゃな」
穏やかな問いかけにも殺気丸出しで睨み付ける裕樹に、ルキウスは白い長髭を揺らしながら飄々とした態度で答える。
今度こそこの手で全ての髭を千切ってくれようかとも思ったが、ルキウスの横に立つシンシアはまたいつこちらが襲い掛かってくるか分からないとばかり腰の剣に手を置いていつでも抜けるように構えていて油断がない。
次に同じ事をすれば、今度こそ先ほどの人形のようにその場で叩き切られる事になるかもしれず、仕方なく立ち上がった弘樹が乱暴に椅子へ座ると、ルキウスはこほんと咳払いをして何事もなかったかのように話を続ける。
「さて、お主が言う所の元の世界に戻る方法じゃが……今すぐは無理でもこのまま完全に不可能という訳でもないのじゃ」
「本当か!?」
希望に輝き身を乗り出して問う裕樹の姿に、何か後ろめたい事でもあるのかルキウスは顔を逸らすと小さな声で
「まぁ、かなり可能性の低い話ではあるがの」
と、ボソボソと呟いた。確率が低かろうがどうしようが、生まれた場所へ二度と戻れないなんて状況に比べればまだマシである。
多少の無茶は承知の上、何か可能性があるのならと弘樹は机の上に乗り上げそうになりながら食い気味で「教えろ!」と叫んだのだった。
そんな裕樹の言葉に答えたのは、腕を組みすぐ傍の壁に背を預けながら黙り込んでいたシンシアの蒼い瞳。
「さっきも学園長が仰っていただろう。この世界から、別の次元への入り口が開くことがあると」
よく聞いていなかったが、そう言えばそんな事を言っていたような気もする。裕樹がコクコクと頷くと、シンシアは一つ溜息を吐いて言葉を続けた。
「推薦状がお前の居た世界にまで辿り着けたのなら、ともすればお前自身もそこへ辿り着ける可能性があるということだ」
「うむ。それに古代のアーティファクトなどには凄まじい力を持った物もある。もしそういった物を見付けられれば、あるいはお主の居た世界への道が開けるやもしれぬ」
「つまりどうすればいいんだよ」
「端的に言えば探索士になれということだ。探索士として地下深くや魔力の濃い場所に足を踏み入れていれば、いずれそういった珍しい遺物や異界に繋がる手がかりを得られる可能性もある」
「さっきから言ってる、その探索士ってのは何なんだ」
探索士学園だの探索士になれだの、それが一体何なのかも分からなければ決めようもない。そんな裕樹の問いに、髭を撫でて何かを考え込んでいたルキウスが楽しそうに口を開いた。
「おぉ、お主も探索士に興味があるのじゃな。簡単に言うと冥宮のような魔力が濃い場所を探索して様々な物を探してくる仕事じゃよ」
「探してくる仕事?」
「うむ。様々な素材や魔具、魔鉱石など我々の日々の生活に無くてはならない物を手に入れる事を生業にしておる。一昔前の言い方で言えば冒険者、といった所かの」
「推薦状に選ばれる人間というのは非常に少ない。お前はそれに選ばれ、しかも実際に魔物使いとしての才覚があるのだから、探索士としてそれなり以上にはなれる可能性は高い。決して無理な話でもない筈だ」
探索士、アーティファクト、冥宮、魔具、魔鉱石、冒険者……湯水のように次々と出てくる聞き慣れない単語の意味は分からないが、どうやら先ほどの人形を操った自分の魔物使いの才能とやらが使えるらしい。
具体的に何をしなければならないのかはさっぱりだが、とりあえず何かの手掛かりを探してくるらしいとだけ理解した弘樹は、シンシアと学園長、それぞれの話を聞きながらどうしたものかと考えていた。
こんな訳の分からない世界に突然連れて来られて、帰る方法もない以上は自分で帰り道を探すしかないというのは不本意ながら致し方のないことではある。
まぁ最悪、先ほどの人形みたいな奴を代わりに働かせればどうにかなるかもしれない、と内心で消極的な判断を下した弘樹に、そんな胸中を知ってか知らずか、じっとこちらを見ていた学園長がニコニコと人の良さそうな笑顔で口を開いた。
「まぁお主が将来そのまま探索士になるかどうかは学園で学びながら将来決めればよかろう。今はそれより目下の生活、今日からの住む場所も食事も必要じゃ」
確かに考えてみればこちらで生活する上で金もなければ知識もない身寄りもないの無い無い尽くし、右も左も分からない場所でいきなり宿無しというのは流石に厳しい物がある。
学園とやらがどんな物なのかさっぱり分からないが、少なくともこの世界がどんな場所なのかくらいは学べるだろうし、それくらい知らなければ帰る帰らない以前に野垂れ死んでしまいかねない。
「あまり広くはないがこの学園に入学すれば寮もあるし、昼だけにはなるが学生が無料で食べられる学食もあるんじゃ。少なくとも食と住まいは保証されるという訳なんじゃが」
「入学はいいとして、メシが昼だけってこの俺に一日一食で過ごせってのか」
ただでさえ訳の分からない場所に連れて来られて閉口しているってのに、それに加えて食事が一日一食なんて耐えられない、と抗議した弘樹に、横で話を聞いていたシンシアは呆れたような声を上げる。
「少なくとも飢え死にするよりはマシだと思うが?」
「ふざけんな! なんで俺がそんなひもじい目に遭わなきゃならねえんだよ!」
「ふーむ、確かにそれもそうじゃの。どうしたものか……」
そこで暫し考え込んだ学園長は、ふと何かに気が付いたのかポンと膝を打って
「おぉそうじゃ。奨学金という手があったわい」と声を上げる。
「奨学金? 金が貰えるのか?」
「うむ。まさにその通りじゃ。優秀な生徒に我らが王国から施される就学資金の事じゃよ」
優秀な生徒、とはまさに俺のためにあるような物ではないか。
なんだか良く分からないが俺は推薦状とやらに選ばれたらしいし、魔物だかなんだかさっぱり知らないが操れる才能があるらしいし、奨学金とやらを受け取るのにこれ以上の人材はいないだろう。
しかし、当たり前に自分が受け取れると思っていた弘樹の期待は
「奨学金は試験こそ受けなくてはならんが、お主なら合格できるじゃろうて」というルキウスの言葉であっさりと打ち砕かれた。
「は、はぁあああ!? 試験受けなきゃならんのか!? 推薦じゃねえのかよ!?」
推薦して入学させておきながら奨学はしませんってのはどういうつもりなのか、弘樹にはさっぱり分からなかったがルキウスは当然のこと、という顔で話を続ける。
「奨学金は推薦入学とは別なんじゃ。すまんが、試験は受けて貰わんとならんのぉ」
「ふざけんな。どんな試験かも分からないのに受けてどうすんだ」
文字も読めない奴が試験なんて受けても自分の名前すら書けないのだから受かる訳もない。
というか、この世界がどんな場所なのかもまるで分かっていないような身の上の何を試験しようというのか、言ってみればこちらは生まれたての赤子も同じ右も左も分からぬ身なのだ。
しかしルキウスはそこに気が付いているのか居ないのか、当然のような顔で話を続ける。
「入学は出来る、授業料もタダではあるがの。しかし、新たに生活を始めるには当然先立つ物が必要じゃろ? 奨学金はルオン金貨で二百枚。新たに生活を始めるには十分すぎるほどじゃ」
「金貨!? 金がもらえるのか!?」
「うむ。大金がザックザクじゃよ」
「よし、ならそれをさっさと寄越せ」
「いやいや推薦入学とて奨学金は別で試験は必須なんじゃよ。奨学金は王家が出しておるからの」
正直に言ってお世辞にも成績が良い方だとは言えない裕樹は、試験という言葉を聞くだけで蕁麻疹が出そうで眉を顰める。
ましてや、こんな何も知らないどころか魔術なんて信じられないような物が当たり前に存在しているらしい場所で受ける試験など内容も分からない上に対策のしようもない。
そもそもにして、こんな場所に無理矢理連れて来られなければそんな試験なんて受ける必要はなかったのである。それを突然連れて来た挙句、試験を受けなければ金も出さないというのはどういう了見なのか。
「アホくせえ、特例として合格にしろ。この俺を拉致した罪は特別にそれで許してやる」
「さっきからなんでそんなに偉そうなんだお前……?」
どっかと手近なソファに座り直し、ふんぞり返りながらそう言ってのけた弘樹を見て呆れた声を上げたシンシアの代わりにルキウスが苦笑しながら答えた。
「合格者は毎年、厳正な審査の上で決定されるんじゃ。様々な国から受験生が集まるからの。王室が資金を提供しておる事もあって、我々の一存だけでは決められんのじゃよ」
「……ったくしょうがねえな。分かったよ」
どんな試験をやるのか知らないが、もし俺の目の前に読めない文字で書かれた試験問題なんて持ってきたら、即座にぐしゃぐしゃに丸めてあのジジイの口の中に突っ込んでやろう、と内心で呟きながら了承すると、学園長は満足げに数度頷いた。
「うむ。では決まりじゃな。試験の準備は後でやるとして……まずは寮の手配からかのう。シンシア先生、お願いできますかな」
「はい」
何か物言いたげにこちらを見ていたシンシアは、学園長にそう言われて頷くと部屋を出て行く。
どっこいしょ、と声を上げながら立ち上がった学園長もその後に続いて部屋を辞そうとして途中で振り返って
「ああそうそう、そちらのお嬢さん。ええとミユさんだったかの?」と急に思い出したように声を上げた。
「は、はい」
そこで急に呼ばれた少女が弘樹のすぐ横で返事をして、驚いた弘樹が顔を向けるといつの間にか獣の耳をしたあの少女は弘樹の横に座り直していた。
ずっと喋らなかったので殆ど存在を忘れ掛けていたが、この少女は最初からずっとここに居たのだった、と考えた所でちらとこちらに向けられた水色の瞳と視線がぱちりと絡み合い、何に驚いたのか即座に眼を逸らされる。
そんな少女の姿を見ていて、そういえば自分が先ほどこの少女の耳を触りまくった挙句、事故とはいえ地面に押し倒すような真似をしてしまったのだったと思い出した。トンでもない話が次から次に流れ込んできたので忘れていたが、警戒されるのは当然といえば当然の話で。
「お主の今後についても考えねばならぬのう。すまぬが二人とも、少しここで待っていてくれぬか」
「はい、すいません……」
そう言って部屋を去って行った学園長の背中を見ながら、しょんぼりと肩を落とした少女はぺこりと頭を下げ、弘樹はそういえばこいつは何故ここにいるのだろうかと考えを巡らせる。
先ほど目を覚ました時、この少女が学園長と深刻そうな話をしていたのを思い出した弘樹は、その際に入学がどうこうと言っていたような気がしたが、こいつも入学するのだろうかと曖昧に推察していた。
しかし、ふと記憶の片隅に引っ掛かっていたのは、その時に少女が見せた涙。キラキラと輝きながら光っていた雫を思い出した弘樹は、肩を落とした少女の横顔を暫く眺め続けていた。