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異界


「現代の推薦状は自ら世界中を飛び回って推薦に相応しい相手を探し、その相手の情報を簡易的にではあるが読み取る事が出来る。だが伝承によれば今から四百年ほど前の学園創立当初、少数ではあるが推薦され入学に同意した者を学園へ転移させる特殊な技術が施された推薦状が作られたとされておってな」


「てんい? なんだてんいって」


「分かりやすく言えば瞬間移動じゃな。ある場所から別の場所へ、対象の人や物を移動させるという」


「しかし学園長、本当にそんな事があり得るのですか? こんな書状一枚にそんな力が?」


 横から疑問の声を上げたのはこれまで黙って話の成り行きを聞いていたシンシアだった。鎧姿で立ち尽くしていた氷のような女は、学園長の話をどうにも信じられないらしく疑わしげに弘樹を見る。

 話を聞かされている弘樹にしても、いきなり400年前の書状だとか瞬間移動だとか、ぶっ飛んだ話ばかりで全く現実味がない。しかし、先ほど自分の胸ポケットから飛び出して来たこの書状は、確かに誰の手も借りずに独りでに飛び上がり宙を飛んでいたのだった。


「詳しく調べてみんと何とも言えぬがのお。しかしこの書状の最後の辺りにこう書かれておる。かなり古い文体じゃが……『汝、学を求めし者なれば我に触れよ。それを以て契約と為し、学舎へと誘わん』」


「どういう意味だそれ?」


「入学する意思があるなら書状に触れるように、と言っているんだ。これに触れれば学園へと連れて行くと、そう読めるが」


「現代の推薦状には入学者を転送させるような術式はない。当時作られたとされる書状は一つ残らず喪失しておるし、これはもしかすると大きな発見かもしれぬな」


「あー……つまり、俺はその紙きれのせいでこんな良く分からん場所に連れて来られたってのか?」


 辛うじて今の話から自分なりに分かった部分の情報だけを纏めると、どうやらそういう事になるのではないか。こんな小さな紙切れ一枚で瞬間移動したなんて、今日日子供でも信じないだろうし弘樹自身も全く信じられないというのが正直な所で。


 しかし自分でこんな場所に来た覚えもなく、誰かがここに連れてきた訳でもない以上、他に原因が思いつかないというのも純然たる事実であった。

 そんな現状を把握しきれていない弘樹の曖昧な言葉を聞いて、自らの白い髭を撫で付けた学園長はこちらを安心させるように優しげに微笑んで見せる。


「まだ可能性の話じゃよ。これからこの書状を詳しく分析してみぬことには何とも」


 結局、確かなことは何一つ分からないということだろうか。何がどうなっているのか分からないが、とにかく知らないことや分からないことだらけで疲れてきた弘樹がソファの背もたれにどっかと凭れ掛かる中、それでもあまり納得しきれない様子のシンシアが疑問の声を上げた。


「この男が王国の名を知らないというのは転移してきたからだ、というのはまだ理解できますが、それでも聖式文字も知らず魔術すら見た事がないというのは……」


「離れた場所から特定の場所へ対象を転移させる、という転送術式じゃが、シンシア先生も知っての通りこれは現在でも再現出来ておらぬ魔術なんじゃ。そして当時もこれを推薦入学に使用するのはかなりの反対意見があったようでの」


 魔術とやらを知らないことに妙に拘るこのシンシアの反応、そしてそれを当たり前に受け入れている学園長の様子を見る限り、こいつらは魔術なんて物を本心から信じているらしかった。

 呪術師が当たり前に存在するどこぞの発展途上国じゃあるまいし、今日日魔術なんて信じているような奴はよっぽどのオカルト好きか現実と妄想の区別を付けられていないイカレ野郎くらいだろう。


 しかし、眼前の二人がそのどちらかに含まれるような人間にはあまり見えなかった。いい歳こいて鎧や剣を提げている女の方はともかく、学園長の方は白い髭が鬱陶しいくらいで特にそこまでぶっ飛んでいるようには感じられない。


 それに何よりも先ほど胸ポケットから飛び出してきた推薦状とやらの動き。誰に触れられている訳でもないのに自ずから動き、宙を舞い飛んでいたあれが魔術なのだとしたら、俺はもう魔術とやらを目にしている事になるのだった。


「推薦状を世界中に散布し新たな才能を転移により学園へと送り込もうというある意味で斬新なこの試みは、当時の魔術学者の間に強力な反発を生んだ。推薦状に転送術式を織り込んでこの探索者学園まで転移させるというのは、王国や学園に仇成す者すらも呼び込みかねないと」


「それはつまり、とんでもねえ悪人を転移させて来たらどうするんだって話か」


 まぁ確かに瞬間移動とやらが本当に存在するとしたら、入学者が欲しいからと刑務所や犯罪組織から人間を呼び寄せたりすれば大変な事になるだろう。

 仮にこの話が真実だとして、一体何を考えてそんな人間を瞬間移動させてまで連れてきて入学させようなんて仕組みを作ったのか知らないが、恐らくよほどこの学園とやらの人気が無かったに違いない。

 弘樹の言葉に学園長は面白そうに頷くと、しかし急に深刻な表情で眉間に皺を寄せて話を続ける。


「そして、彼らはもっと恐ろしい可能性をも示唆していたんじゃ。この世界の何処かに稀に発生するという次元振幅。それにより開いた魔空断裂により推薦状が次元の狭間に飲み込まれれば――――」


 そこで一度言葉を切った学園長は何か恐ろしい物を想像するように深く眉間に皺を寄せ、一つ息を大きく吐いて言葉を続けた。


「最悪の場合は異界、つまりこことは違う何処かに推薦状が流れ込み、別の世界の強大な存在をこちらの世界に招き込んでしまうような事が起こり得るのではないか、と」


 絶句、とはまさにこういう状態を言うのだろうか、話を聞いていたシンシアも何処か顔を引き攣らせ、横にいた少女も僅かに顔を青褪めさせて口を噤んでいる。

 そんな中、一人弘樹は片眉を吊り上げて深刻な表情を浮かべる学園長を指さしながらこれ見よがしに声を上げた。


「おい、誰か魔法でも何でも使って、この爺さんの言ってる事を翻訳してくれ」


 一体何を言っているのかさっぱり理解できなかった弘樹が問うと、相変わらずの冷たい表情に僅かな強張りを添加したシンシアが静かに口を開く。


「……要は有り体に言えばお前が別の世界からここに来た可能性があるという事だ」


「は、はあぁあああ!? 別の世界って、まさかここは俺の居たのとは別の世界だってことか!?」


「飽くまでまだ可能性の話だがな」


 別の世界、とはどういう事なのか。あまりの話に理解が全く追いつかない弘樹の頭の何処かにしかし、これまでの話から何となく自分の中で腑に落ちる部分も同時に存在していた。


 今も横に座っている獣の耳をした少女、あの耳は暖かさも動きも感触も確かに本物だった。自分の胸ポケットから飛び出して来た推薦状、誰に触れられた訳でもないのに勝手に動き浮き上がり宙を飛んだ、あんな物はこれまでの人生で見たことがない。


 聞き覚えのない地名、剣や鎧を当たり前に着ている女、魔術や魔法を当たり前に信じている連中。ここにきて全てのパーツが組み合わさり、一枚に繋がっていく感覚に弘樹は思わず言葉を失っていた。

 そんな弘樹を前にシンシアは冷たく言葉を続ける。


「しかし、確かにそう考えれば辻褄は合っているな。お前はこの書状を叩き落したと言っただろう。お前が触れたことで書状の転送術式が起動したのだと考えれば話の筋は通る」


「それに先ほど、お主の祖国を知らぬワシらと言葉が通じるのを不思議がっておったのう。それも召喚する際に言葉が通じるようにする何らかの契約か術式が結ばれるようになっていたとすればお主の言葉がわし等に通じることを説明出来る。何処の誰かも分からぬ者を呼び出すにあたって意思の疎通が取れぬでは危険じゃからのう」


「おまけに見た目も不審なら行動も不審、しかもエストラルダ王国にいながら国名を知らず聖式文字すら読めない上に魔術に関しても全く知見がない。都市内に紛れ込んだ密航者や海賊だとしてももあまりに不自然だとは思っていたが」


 足の先から頭の先までジロジロとその冷たい蒼い瞳で弘樹を見たシンシアはそう言って冷笑を浮かべるが、しかし当の弘樹にしてみれば別の世界だ等とそんな簡単に言われてもすんなり納得できるような話ではない。


 確かに聞き慣れない地名やら動物の耳をした少女やら鎧や剣を携えた女やら独りでに浮かぶ紙切れやら、これまでの人生では全く見た事も無かったような物が次々と現れてはいたがまさか別の世界だなんて素っ頓狂な発想は考えもしなかった。


「待て待てコラ! 別の世界って一体どういう事だよ!? それに紙切れにちょっと触っただけでいきなり拉致っておかしいだろうが!」


「まぁ落ち着いて。まずは今現在ではっきりしていることを順に挙げてみよう」


 弘樹の声が一段と大きく響くが、学園長は驚いた様子もなく飄々と手を上げて弘樹を宥めると少し考えを巡らせるように言葉を切った。

 戸惑う弘樹を余所に数秒の沈黙が流れた後、学園長はまずおもむろに一本の指を上に向けて伸ばして弘樹を真っ直ぐに見つめる。


「まず一つ目じゃが、お主は自分の意思でここに来た訳ではない。間違いないかね?」


「……そうだ」


 当然だった。俺は単に暇に飽かせて遊びに出ただけで、別に入学する学園を探していた訳でも見知らぬ場所を目指していた訳でもないのだから。

 それを聞いた学園長は深く頷き、挙げていた指を二本に増やした。


「では二つ目。お主はこのディナストラ探索士学園の存在を知らない。これも間違いないかね?」


「ねえよ。なんだタンサクシって」


 見た事も聞いた事もない学園と地名。一体何処の誰が作ったのか知らないが、少なくともこれまで生きてきて名前はおろか噂すらも聞いた事がない。

 しかし学園長はそんな弘樹の投げ槍な返答を聞いて気を悪くした風もなく、鷹揚に頷いて三本目の指を上げる。


「三つ目。お主は魔術を見た事がない。キミの居た国には魔術それ自体がないし聖式文字や世界協約の存在も知らない」


「知らん。魔術だ魔法だって正気かお前ら」


「本当にお前は一体何処の未開の国から来たんだ」


 そう呟いて弘樹の言葉に呆れ果てたようにガックリと片手で顔を覆ったシンシアを余所に、学園長は至って真面目にふんふんと頷いている。


 魔術なんて見た事もない身からすれば、むしろ本当に存在するなら見せてもらいたいくらいだったのだが、しかし弘樹がそんな事を要求するより前に、興味深げに話を聞いていた学園長が挙げていた三つの指を下ろしてズイと身を乗り出してきた。


「……では最後に。お主は魔物使い、という言葉を聞いた事はあるかね?」


「まものつかい?」


「うむ。あらゆる魔物を思いのままに己の手足の如く操ってしまうという、特別な能力を持った者の事なのじゃが」


「知らねえよ」


「この推薦状には、推薦される者の才能や技量などが表記されるようになっておっての。結論から言うとムトウ君、お主はその魔物使いの才覚をもっている可能性がある」


 魔術だ魔法だと話をしてきた挙句、今度は魔物だと。こいつらは一体何処の世界から来たんだと呆れた弘樹はふと、そういえば別の世界から来たのはむしろ自分の方なのかもしれないのだったと思い直した。


 しかし魔物なんて御伽噺やゲームの中に存在する物であって、現実に見たことなんてある訳もない。というかなんだ魔物使いって、サーカスの猛獣使いのように鞭でも使って巨大な化け物を従えている姿を想像した弘樹は、到底自分にそんな才能があるとは思えずに首を振る。


「この魔物使いという才能は極めて珍しい。もしその才覚をキミが本当に持っておるのであれば、確かに推薦状に選ばれたのも当然というものなのじゃが」


「だからそんなモン知らん。魔物なんて見た事もないし操ったこともねえっつの」


「ふーむ。なるほどのぉ……ちと待っておれ」


 そう言った学園長はここで初めて席を立って部屋の奥へと歩き始めた。絨毯の上に乱雑に並ぶ大量の書類やら本の束、何に使うのか良く分からない真鍮色の器具の間を進んでいった学園長はやがて、部屋の一番奥の棚を開けて中を探し始める。


 待つこと暫し、ようやく戻ってきた学園長が何やら奥の戸棚から出して来たのは、重厚な作りをした一抱えもある大きく黒い木の箱だった。


 小さな装飾が施された蓋を薄っすらと覆う埃にふっと息を吹きかけ、皺の目立つ手で軽く払った老人はそれを弘樹たちの前の机に置くと蓋をゆっくりと開いていく。

 精緻かつ荘厳な作りの箱の中に光が差し込むと、舞い上がった埃が薄暗い部屋の中でキラキラと輝いた。


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