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異界


 首に剣を突き付けられ動くことも出来ない弘樹が視線だけを向けるとゆっくりと開いた扉の向こう、部屋の入り口から杖を突く硬質な音と共にゆっくりと一人の禿げた頭の老人が入ってきた。


「おお、目が覚めたかね。怪我などしておらぬか?」


 既に大きく腰の曲がった老体に深緑のゆったりとしたローブを纏い白く長い杖を鶏ガラのような手に握ったその翁は、もはや毛が一本も残っていない頭髪の代わりなのか長い長い白髭を蓄えた皺だらけの顔面に朗らかな笑みなぞ浮かべ、まるで偶然近所で会った知り合いに近況を尋ねるような調子で完全な初対面のはずのこちらへ声を掛けてくる。

 怪我がないか、など今まさに首筋へヒヤリと冷たい刃物の先を突き付けられている者に向けるような質問ではないと思うのだが、しかし白く長い髭を揺らし部屋の中をのんびりと歩いてきた老爺は、次の瞬間にも鋭い刃が頚動脈を突き破らんとしているというこちらの緊迫した状況が分かっているのかいないのか、返事の声一つ上げられない弘樹を見ながらニコニコと穏やかな笑顔など見せていた。


「お主はヒロキ・ムトウ君で良かったかの」


 出し抜けに問われた老人の問い。白髭の似合う歳相応の落ち着きと何処か悪戯っぽい少年のような陽気さを秘めたその声色を脳内で反芻すること数回、ようやく先ほどの呼びかけが自分の名前だったのだと理解した弘樹は、戸惑いながらも曖昧に頷いて目を瞬かせる。

 武藤弘樹、それは確かに自分の名前であるのだが、それでも一瞬理解が遅れたのは呼ばれた苗字と名前の順番が逆になっていたから。しかし何故そんな外国染みた呼び方をと考えた弘樹は、ふとここまでで自分の名前を名乗った覚えは一度もないと気が付いて


「おい、なんで俺の名前を知ってんだ爺さん?」


「口の利き方に気をつけろ下郎」


「痛ででで! 何すんだコラ!」


 喉元に刃物を当てられたまま唖然とした表情で思わず問うた弘樹に答えたのは、こちらへ人の良さそうな笑顔を向けている老人ではなく、今も弘樹の首に剣を突き付け続けている眼前の鎧女だった。

 反抗的な態度が気に入らなかったのか叱責の声を上げるや否や片手で弘樹の顔面を真正面からガッシリと握り締めた女は、その手で鷲掴みにしたこちらをまるで釣り上げた魚か何かを遇するような乱暴な動きで持ち上げると、その細く可憐な白い指先からは想像も出来ないゴリラのような筋力で握り締める。

 骨の軋むミシミシという不快な音と共に頭蓋骨が潰れそうな感覚に陥った弘樹が思わず悲鳴を上げると、ごたごたと揉めているこちらの状況が分かっているのかいないのか、場違いなほど穏やかな笑みを浮かべたままの老人がのんびりと皺枯れた片手を上げてこちらに呼びかけた。


「まぁまぁシンシア先生落ち着いて下され。まず彼と話をさせてくれぬか」


 老翁の言葉に渋々といった顔で弘樹の顔面を離した鎧女は、抜き身の剣を鞘へと納めると静かに数歩離れるが、さりげなく手は剣の柄から離そうとせず何かあればすぐにでも斬り掛かれるようにしている事は明らかで。

 ようやく解放された弘樹が痛みに歯噛みしながら手酷く掴まれていた己の顎を撫で骨格が無残にも変形していない事を確かめつつ立ち上がると、いつの間にか己の下から逃げ出していたらしい例の獣の耳をした小さな少女が少し離れた物陰からこちらを不安そうに眺めているのに気が付いた。

 剣に鎧に獣の耳にと、あまりに突然すぎる出来事の連続に先ほどまでの好奇心は消え失せて最早混乱に近い感覚に陥っていた弘樹は、こちらと視線が絡み合うとすぐに伏せられるその怯えたような萌黄色に妙な気まずさを感じつつ何と声を掛けるべきか迷っていると、こちらの正面に杖を突いたままやってきた翁が静かに語りかけてきた。


「さてムトウ君。まずは自己紹介から行こうかの。儂の名はルキウス。この学園の学園長をやっておる者じゃ」


 この学園、と言われてもここが何処なのか何の学園なのかが分からない身としては反応のしようがない。

 先ほどから誰も彼もが学園学園と繰り返しているが、ここは明らかに自分の通っている学校ではないし、わざわざ休みの日に見知らぬ学校に足を運ぶほど自分は真面目な性格でも暇な人間でもないのだが。


「そしてこちらはシンシア先生じゃ。学園の警備を統括してくれておる」


 そういって示された相手は先ほど弘樹の首に剣を当ててきた鎧女だった。ルキウスと名乗った老人がこちらの横で警戒感全開に剣の柄を握ったままのシンシアへにこやかな視線を向けるも、当の鎧女は弘樹に対し会釈一つもしないままじっと氷のような冷たい目でこちらを見据えて動かない。

 絶対零度な視線を向けるシンシアとそれを睨み返す弘樹との間に漂う険悪な冷たい殺気の渦を知ってか知らずか、朗らかな笑い声を上げたルキウスは「二人とも随分と気が合うようじゃな」とか呑気な感想を述べている。

 この場に他の人間が居なければ今すぐにでも剣の錆びにしてくれるのに、とでも言わんばかりなこの女の眼光を見て本当にそんな印象を持ったのであれば、このジジイは今すぐ老眼鏡を買いに行った方がいいだろう。


「まぁ何はともあれ座るがよかろう。席だけは沢山あるからの」


 そう笑いながら皺だらけの手で促された長椅子にやや戸惑いながらも一先ずどっかと腰掛けた弘樹は、先ほど鎧女に締め上げられたせいかまだ少し痛む顎を撫でながら改めて周囲を見回した。

 長椅子に座るこちらのすぐ横に立ったまま絶対零度の青い視線で見下ろして来るのは鎧姿のシンシアで、どうやら何かあれば即座に斬り掛かれる位置をキープしているらしい。

 常に一部の隙もない立ち回りで完全な臨戦態勢を維持している横の女とは対照的に、よぼよぼと歩いてきた老人は手元の杖に寄りかかるようにしてのんびりと弘樹の対面に座った。


「さて、まず最初に聞いておきたいのは、お主が今の状況を理解しておるのかどうか、なんじゃが」


「状況って、そもそもここが何処なのかもさっぱりなんだが」


 答えながら部屋の中を確認してみても雑多に並んだ本の山や書類の束、並ぶ重厚な造りの机や椅子、何に使うのか分からない不思議な形の機械類までもが所狭しと並んでいるだけで、こんな場所に見覚えなどあろうはずもない。

 これまでの話の流れから、どうやらここは学園らしいとおぼろげながら理解はしていても、一体何故自分がこんな場所にいるのかは分からぬままで。

 肩を竦めた弘樹が説明を求める目を向けると、ルキウスはそれを見て深く頷き真剣な眼差しで答えた。


「ここはアトラディアの探索者学園じゃよ」


「あとら? たん、さくしゃ?」


「うむ。エスラルダ王国の南の果てじゃ」


「エス……? どういうことだ? まさかここ日本じゃないのか?」


 まるで聞いた事のない単語や地名が次々と出てきて目を白黒とさせた弘樹に辛うじて理解出来たのは、エスなんとか王国という名前からしてつまりここは外国で日本ではないのだろうかという曖昧な疑問だけだった。

 しかし、混乱しつつあった弘樹の問い掛けに、学園長とシンシアはきょとんとした顔で聞き返す。


「ニホ、ン? ここはアトラディアにある探索者を養成する為の学園じゃよ」


 学園ということはここは何かの学校なのだろうということまでは推察できても、探索者なんて聞いた事もない上に、一体それが何なのかすら全く検討も付けられない。

 そんな弘樹に呆れたような視線を向けたのはルキウスの横で黙って腕を組んでいたシンシアだった。


「エスラルダ王国というのはゲルノア大陸の西部にある王国だ。まぁ、ここは王国本土からは少々離れた場所に位置してはいるが」


「……何言ってんだお前ら」


 エスラルダ、ゲルノア、地理の成績は決して良い方ではなかったのは自覚しているが、生まれてこの方そんな地名は一度として聞いた事がない。

 いやまぁ国名なら小さいのも含めれば世界に何百とあるだろうし、勉強なんて禄にしていなかった身からするとまだ知らない聞いた事もないような場所はあるかもしれないが、幾らなんでも大陸の名前を聞いた事がないなんて事があるだろうか。大陸なんて世界に7箇所くらいしか無いんじゃなかったか。


「まさかゲルノア大陸の名すら一度も聞いた事がないとでも言うつもりかお前」


「ねえよ。ある訳ねえだろ」


「ではこの紙に見覚えはあるかね。お主と共にこの場に現れたのじゃが」


 聞き覚えのない地名に混乱するこちらに向けて学園長が懐から出してきたのは一枚の薄汚れた紙切れ。そして弘樹には確かにその薄汚い紙に見覚えがあった。

 この場所に来る直前、弘樹の目の前に現れたのがまさに、一部のズレもなくキッチリと折りたたまれ、赤い封蝋に捺されたた豪華な印章がテラテラと光っているこの紙だったのだ。

 道の先から飛んできて避けても離れても着いて来た紙切れは、今はもう不自然に飛び回ったり付き纏って来たりするような様子はなく、学園長の骨だらけの指先に摘まれたそれをこうして見ている限りではこちらに執拗にくっ付いて来た光景がまるで嘘のようで。


「あぁ確かに見たぞ。街中で急に俺の所に飛んできたんだ。まるで羽でも生えてるみたいに」


「なるほど、それで?」


「ずっと付き纏ってきて鬱陶しかったから叩き落としてやったんだが、その後は……覚えてないな。何故か気が付いたらここに」


 道の先からいきなり飛んできたそれがこちらの周囲を飛び回って目障りだった事もあり、深く考えることもせず邪魔臭いと腹いせに思い切り手刀を叩き込んでやったのだ。

 そして考えてみればそこから先の記憶がない。鬱陶しい紙を景気良く叩き落したと思ったその瞬間、眩い光が噴出して周囲の景色がグニャリと歪んだような気もしたが、曖昧な記憶の欠片を幾ら探ってみても未だにヒリヒリと痛む頭蓋の奥底に残っているのはそこまでであった。


「叩き落した……?」


 弘樹の言葉に唖然とした様子で声を上げたシンシアを余所に、学園長は興味深そうに白く色の抜けた眉を少し動かして頷く。


「ふむ。お主の下に飛んできたというのはもしや」


 そこで言葉を切った学園長は、机の上へ静かにその紙を置いてそっと右手を翳した。途端、その手に嵌められていた指輪が微かに輝いたような気がした直後、それに呼応するように震え始めた件の紙が空中へと独りでに浮き上がり始める。

 まるで命が宿ったかの如く自ら動き始めたその紙切れは弘樹の眼前に縫い付けられたように空中に静止してピタリと動きを止め、それを見た学園長は真っ直ぐな灰色の瞳でこちらを窺う。


「こんな感じかの?」


「う、おぉお!? と、飛んだぞ!?」


 驚きの声を上げた弘樹を一瞥したルキウスが静かに右手を下ろすと、紙もまた力を失ったように崩れ落ちてまたひらひらと机の上へと舞い落ちていく。

 そうだった。確かに弘樹が叩き落した時もこんな感じで風に巻き上げられたにしては不自然な動きを繰り返していたのだ。


「ど、どうなってんだこれ!?」


「これは物凄く古い時代に作られたこの学園の推薦状でのう。昔から選ばれた一部の特別な人間だけがこれを受け取ることが出来るとされておる」


「すいせん? 推薦って推薦入学の推薦? この飛んだ紙切れが?」


「うむ。古来より推薦状は世界中を飛び回り、優秀な力を持った者を自ら探し出し入学を薦めるのじゃ」


「……この紙が、自分で?」


 紙が世界各地を自動で飛び回り優秀な人間を勝手に探して入学させる、という事だろうか。正直言って全く意味が分からないというのが感想だった。

 どんな仕組みで紙を浮かせているのかは知らないが、紙切れを飛ばすだけならまだしも自動で人間を探す機能なんて、完全に弘樹の理解を超えている。

 しかし、突飛な説明に半ば頭を抱えつつあった弘樹に、学園長と名乗ったその老人は更にとんでもない事実を告げた。


「先ほどお主は儂が既に名前を知っておる事に驚いておったの。実はこの書状がお主を選んだことで、既にこの中にはお主の名前や年齢などの情報が記されておる。儂はそれを読んだだけじゃよ」


「記されてるって、どうやってだよ? 紙が勝手に書くとでも言うのか?」


「おぉ、その通り。この中にはそういう魔術が組み込まれておるのじゃ」


「はぁ? 魔術!?」


 唐突に出てきた予想外の単語に、魔術だなんて単語をこの時代に大真面目で口にする人間を見る事になるとは思わなかった弘樹は一瞬固まって聞き返す。

 弘樹のポカンとした顔にも真面目な表情を崩さない学園長は、至って真剣に机の上に載った紙切れを皺枯れた指先で示しながら答えた。


「そうじゃ。これを受け取った者はこの学園へ特別扱いで入学が出来るようになっていてな」


「魔術って、本気で言ってんのか?」


「もちろんじゃよ。複製が出来ぬように儂の指輪にだけ反応して中の魔術式が起動し、このように宙へ浮き上がるようになっておる」


 とても信じられない弘樹を前に、しかし再び学園長が手を翳すと確かに書状はそれに応じてまた空中へと浮き上がりつつある。

 その動きは風に舞い上げられた凧のようでもあるが、しかし部屋の中にそんな風など吹いている筈もなく、吊り上げている糸のような仕掛けも見当たらない。

 それでも何か種がある筈だと疑いの目で飛び回る書状を引っつかんでみると、弘樹の手の中でただの紙切れである筈のそれが意思を持っているかのように小刻みに震える。


「おいマジで動いてるぞこの紙!?」


「お前、その歳で大陸の名前どころか魔術まで見た事がないとか言わないだろうな?」


 手の中でピラピラと小さく跳ねる紙切れを気味悪そうに放り出しながら一体何がどうなっているのだと呆然とした顔でルキウスを見返す弘樹に、半ば呆れた声を上げたのは先ほどからずっとこちらを疑惑の目で見ていたシンシアだった。


「ねえよ! なんだ魔術って!?」


 半ば叫ぶように答えた弘樹の言葉を聞いたシンシアの能面が途端、驚愕の表情に変わる。

 チラと横を見れば、いつの間にか近くへと寄って来ていた獣の耳をした少女までもが信じられない物を見る目でこちらを見ていた。

 まるで自分の感覚がおかしいかのような周りの反応に、ほんの少しだけ自分の正気を疑いたくなっていた弘樹に、ズイと近づいてきたシンシアが確かめるようにこちらの顔色を覗き込む。


「本気で言っているのか? その歳まで魔術の存在さえも知らないで生きてきたと?」


「当たり前だろ。お前らこそ魔術って正気なのか」


 憮然として返した弘樹の答えに学園長は眉間に刻んだ皺を更に深くし、シンシアは何か危ない人間を見てしまったかのように顔を顰めると関わりたくないと言外に告げるように僅かに距離を取った。

 どちらかと言えば魔術を見たことがないのかなんて平然と公言できる人間の方が余程危ない奴だと思うのだが、どうやらそういう当たり前の感覚は目の前の連中には通用しないらしい。

 まぁ、本物の鎧や剣を身に付けているような連中なんて危ないカルト宗教かそうでなければ頭のおかしい人間の集まりか、と疑いたくもなるが、しかし仮にそうだとしても手の中で実際に動いたあの紙はどう説明すればいいのか。


「……なるほど。これはどうやらひょっとすると、ひょっとするかもしれぬ」


「学園長、この男は一体?」


 目の前で突如として展開される混乱と驚愕に思わず頭を抱える弘樹と、そんな弘樹を見て明らかに戸惑いの色を隠せぬ様子のシンシアに、ルキウスは額に皺を寄せたままの険しい顔で深く深く唸るように答えた。


「彼は先ほどこの部屋に現れたのじゃ。この書状と共に部屋の中に突然」


「現れた? 現れたというのは、どういうことです?」


「うーむ、他に適切な表現が思いつかぬな。儂の方からはそう見えたが……ええと、そちらのミユさんじゃったかの」


 そこで呼び掛けられた先ほどの獣耳少女は少し離れた位置からこうしている今もこちらへ視線を向けてきているようで、弘樹がチラと目を向けるとこちらをジッと見ていた萌黄色の瞳と目が合い、途端に向こうが慌てたように逸らして顔を伏せた。

 魔術、王国、剣に鎧、動く紙切れとこれまでの人生で見た事も聞いた事もない物が次々と現れて一瞬頭から抜け落ちそうになっていたが、この少女だって明らかにおかしいのだ。

 茶色の髪が僅かに揺れるフードの奥、その向こうに獣を思わせる小さな耳が見えている。先ほど触った際にも確信したが、その暖かさや柔らかさに動きなども含めて、アレは作り物などではなく確実に少女の身体の一部であろう。

 弘樹の胸中で少しずつ膨らんでいた混乱と得体の知れなさが徐々に形となりつつある中、ミユと呼ばれたその少女は学園長の呼びかけに戸惑ったように目を泳がせて弘樹にちらと一瞬だけ萌黄色の視線を向けてまたすぐ目を逸らす。


「お主の方からはどう見えたか教えてくれぬか」


「え、えっと、確かに何もない所から急に出て来られたように……見え、ました」


「何もない所から? 異能(アビリティ)戦技(スキル)による潜伏か気配遮断か何かでしょうか?」


「いや、恐らくそうではない。彼が現れた際、確かにこの古い推薦状を伴っておった。儂の見た所では、どうやらこの書状にその答えがあるようでな」


 そう言って示されたのは机の上に載ったままの推薦状だった。先ほどまで自ら宙に浮き上がっていたそれは既に力を失っていて、学園長が手を翳すのを止めて以来僅かにも動く様子はない。古ぼけたその紙へと視線を向けたシンシアは


「拝見しても?」


 と端的に聞いた。こちらを見詰めたまま静かに頷いた学園長を確認し、その細い指でそっと掴み取ったシンシアは折り畳まれた紙の表面に書かれた何かを真剣な蒼い眼差しで読み取っていく。


「汝、我が求めに応ずるならば之に触れよ。それを以て契約と為さん。当主ディナストラ・アルバロス・フェデロットの名に於いて、この書状により汝を異界より我が学園へと召喚す……?」


「異界……!?」


 信じられないと言わんばかりな声を上げたのはいつの間にかシンシアの後ろから机の上を覗きこんでいたミユだった。

 異界、とはどういう意味なのか。ぐるぐると渦巻いていた不穏な空気がここにきて一気に噴出し始めた感じがして、弘樹も思わず言葉を飲み込む。


「お前……お前はこれを読んだ上で触れたのか?」


 整った相貌を驚愕の色に染めたまま若干震える声色でこちらに向けてそう言ったシンシアが信じられない物を見る目で示したのは、折り畳まれた推薦状の表面に書かれた不思議な図形の羅列だった。

 ミミズがのたくったような丸や今にも崩れそうな家を思わせる三角形、ひっくり返った魚のような図形まで様々な形状の模様が子供に並べられたような適当さでびっしりと書き連ねられているその紙には弘樹が習ったことのある文字は一字たりとも書かれておらず。


 突きつけられた紙面をじっくりと見るに、どうやらこの模様の羅列がこいつらの文字なのだろうという事だけは何とか理解した弘樹が幼稚園児のお絵かき帳を見せられた気分で眉間に皺を寄せ、大真面目にこちらを窺う学園長とシンシアを狂人を見る目で見ながら紙の端を指先で軽く弾く。


「なんだこれ。何語だよ」


聖式文字(フォルネグリフ)だ! まさかお前、その年になって未だに聖式文字(フォルネグリフ)を読み書き出来ないのか?」


「見た事もねえよこんな文字!」


 幼稚園児か、さもなければ原始人が適当に考えたような図形を並べて文字だと言い張られても、こんな物は生まれてからこれまで見た事もなければ聞いた事もない。

 更に言えば世界史の資料集で古代遺跡の頁にでも載っていそうな記号を読む特殊な訓練を受けた覚えも一度とてなく、弘樹が推薦状とやらを突き返すとシンシアは野蛮人でも見るような哀れみの目でこちらを見て、今度は横で黙ってそのやり取りを聞いていた学園長が静かに口を開いた。


「この内容を見るに、じゃが。お主はこの書状によって異界から召喚されてきたという事なのではないかね」


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