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学生寮


「着いたぞ。ここが寮だ」


 既に夜の闇が辺りを包みつつある中、僅かな灯りを投げかけている街灯の光の下を歩いていた鎧姿の女が唐突に振り返ってそう告げたのは、一件の大きな建物の前だった。


「わぁ、素敵なお家ですね」


 辿り着いた目的地を見上げて何故か嬉しそうに声を上げているミユの後ろ、だらだらと歩いてきた弘樹は眉間に皺を寄せ周囲を見回して止まる。


 大通りから少し外れた小さな裏道に面したその建物は古い洋館といった風体で、庭園とも呼べない小さなスペースには、かつて誰かが手入れをしていたのであろう低木が好き放題に伸びて藪のようになっていた。


 壁もあちらこちらが薄汚れていて所々に小さなヒビまで入っているように見え、今にもオバケか妖怪でも出てきそうな風体はとてもではないが『お気に召すこと請け合い』な建物には見えない。

 学園からここに来るまで歩きながらこの世界の色々な建物を見てきたが、大きさはともかく全体の不気味さと薄汚さならピカイチなのではないだろうか。


「なんか汚い家だな」


「そうですか? 素敵な所だと思いますよ」


 弘樹の露骨に不満そうな言葉を聞いて振り返ったミユは満面の笑みでそう答える。

 こいつはその辺りに掘った穴を見せても素敵な家だとか抜かすに違いない、と呆れた心地で弘樹が薄汚れた建物の周囲を見ていると、ふと遠くに綺麗な灯りが見える事に気が付いた。

 そちらに視線を向けてみれば正面の裏道を出た大通りに面した辺りに、高い塀に囲まれた一段と大きなお屋敷が建っている。


 周囲に比べて一際綺麗で煌々と灯りの焚かれたその輝きに目を奪われた弘樹は、そちらを指しながら思わず疑問の声を上げていた。


「おい、あの向こうにある建物は?」


「ん? あぁ、あれも学園の寮だ」


「何ぃ!? ならあっちにしろ! 絶対にあっちの方がいい!」


 細い裏道に位置するこことは違い、あちらは学園に向かう大通りに面している時点でアクセスが良いし、何より周囲を塀に囲まれている筈なのに建物それ自体も一回り以上は大きかった。

 白く輝く壁も柱も窓もここから見ても分かるくらいに精緻な造りをしていて、遠目からもさぞかし豪勢な部屋なのだろうことは容易に想像が付く。


 こんなボロボロの幽霊でも出てきそうな怪しげな建物に比べたら、あの綺麗な屋敷の方が確実に部屋も広いし住み易いはずで。

 そんな駄々を捏ねる弘樹に呆れた顔を向けたシンシアは、遠くに見える大きな寮へと視線をやると面倒そうな表情を浮かべて溜め息を吐いた。


「あれは貴族の子弟が使うような寮だぞ。お前に家賃が払えるのか?」


「この俺をこんな所に拉致した精神的苦痛に対する慰謝料という事にしておいてやるがどうだ」


「どうだ、じゃない。さっさと来い」


 弘樹の提案を一蹴したシンシアはこれ以上付き合っていられるかと言わんばかりに話を打ち切ると、正面入り口の扉を開けて二人を招き入れる。

 このケチな女にこれ以上抗議してもまた暴力を振るってくるだけで話になりそうもない。


 明日学園長に抗議してやろうと決意した弘樹が渋々扉を潜り中に入ると、そこには玄関ホールらしき薄暗い空間が広がっていた。

 窓から入る薄っすらとした月明かりに照らされた室内は、ごちゃごちゃとしてまるで古い納屋か倉庫のような様相を呈している。

 そこらに転がっているのは前に住んでいた住人の使い古しだろうか、玄関を入って早々に様々な家具やら調度品やらが乱雑に置かれていて、辺りには少し埃っぽい空気が漂っていた。


「静かですね。まるで誰もいないみたい……」


「おい、寮ってことは他にも学生が住んでいるんだろ?」


「そうだ。と言ってもお前達の他には確か一人だけだが」


 こんな薄汚い場所に住む人間なんているのか、と散らかった屋内を見回しながら言外に問うた弘樹に、シンシアは手近な台の上にあった花の形を模した古臭いランプを弄りつつ答えた。

 瞬く間にランプから零れ出したぼんやりとした灯りが室内を照らし始める中、返って来た返事を聞いた弘樹は驚愕の声を上げる。


「一人!? 俺らの他に一人しか居ないのかここ!?」


「寮の建物は全て学園で借り上げているんだが、ここは近年では寮として殆ど使われていないんだ。建物も古いし人気がなくてな」


 やっぱりか。こんな玄関ホールさえ片付いていないようなボロボロの薄汚れた寮に住みたい人間なんて、例えどんなに世界が違ったって居る訳がない。

 完全に騙された格好の弘樹は適当に積まれた古い家具に埃と蜘蛛の巣が降り積もっている室内を見回して忌々しげに歯噛みする。


「あのジジイ、何がお気に召すこと請け合いだ。殆ど物置じゃねえかこんなの」


「でもご主人様、こんなに広いお家が殆ど貸し切り状態ですよ?」


 そう告げる何処までも前向きなミユは、このボロボロな建物を見ても全く堪えていないらしく、埃だらけの床を見ても何故か楽しげに笑顔まで見せていた。

 一体何が嬉しいのか知らないが殆どスキップし始めそうな勢いで歩いている少女の横顔に呆れた目を向けた弘樹は、もうオバケ屋敷だと言われた方が納得出来そうな古びた内装を眺めながら奥へと歩き始める。


「貸し切りっていうか、誰も借りようとしなかっただけだろこれ」


「入学手続きも終わったこの時期には殆ど空きの部屋など無いんだ。急遽部屋を都合できただけマシだと思え」


「どうせ都合するならあっちの綺麗な寮にしてくれれば良かったのに」


 やはり先ほど無理矢理にでも大きな寮の方にさせれば良かったかもしれない。こういうのは最初が肝心なのだ。

 今からでも建物に難癖を付けて回れば別の寮に変更されたりはしないだろうか?と考え始めた弘樹は、壁が壊れているとかの何か致命的な欠陥は無いかと周囲を確認しながらシンシアの先導に従ってエントランスを抜けて階段を登っていく。


 やがて二階に上がり辿り着いたのは一つのドア。ずらりと並んだ古めかしい深茶色な木製の扉の中、シンシアが示した一室は窓の外から差し込んでくる微かな光の中で不気味に照らし出されていた。


「ここだ」


 そう告げたシンシアが扉に銀色の鍵を差し込みドアノブを捻ると、扉は存外と素直に音もなく開いた。扉が開いて目に映ったのは7~8畳ほどの一室で、ベッドと机が一つずつあるだけの質素な部屋。

 弘樹がゆっくりと中へ入ると、小さな窓から入る外の青白い光に柔らかく照らされた室内は存外と片付けられていて少なくとも床や壁が埃塗れということはなさそうだった。


「狭っ!? なんだこりゃ! 独房か何かか!?」


「学生の一人部屋だぞ?これで十分だろう」


 弘樹の悲鳴混じりの声に何を贅沢な事を、と言わんばかりに答えたシンシアが部屋の窓を開けると、優しく吹き込んできた風が室内を撫でて行く。

 まぁ生きていく家もないよりはマシな状況かもしれないが、しかしそれでもこの寝ること以外には使えなさそうな部屋はもう少し何とかならないだろうか。

 二人の後に続いて部屋へと入ってきたミユが物珍しそうに辺りを見回す中、弘樹はどうにも気の乗らない顔で室内を見回していた。


「貧乏臭い部屋だな。寮っていうか、これじゃただのワンルームアパートじゃねえか」


「文句の多い男だなお前は」


「これじゃ何が何かも分からんだろうが。電気を点けろ」


「デンキ?」


 こちらの発言を聞いて一瞬固まった二人を見て、そういえばこの世界に来てから電気を使った物は一度も見ていないと気が付いた。

 もしやこの世界には電気という文明の利器は存在しないのかもしれない。とは言うものの、他に何と呼ぶべきなのか分からなかった弘樹が薄闇に包まれた部屋の中を指しながら


「暗い。こんな場所に居たらカビが生えるぞ」と告げると、傍に立つミユがピンと来たのかすぐに反応する。


「あ、もしかして灯りの事ですか?」


「灯光ならここだぞ」


 ミユの言葉にようやくこちらの意図する所が分かったのか、シンシアが壁に埋め込まれている一本のガラス瓶を指し示した。

 透明な瓶の中には黄緑色の半透明な液体が収まっており、そのすぐ下にあるつまみを少し動かすと瓶の中からぼんやりとした光が発される。


「おぉ、なんだこれ」


「魔力を使った灯りだ。ここは都市内だから冥宮から噴出した魔力をそのまま引いている」


「魔力? これ魔法で動いてんのか?」


 しげしげと眺めながらガラス瓶を指先で突いた弘樹は、シンシアの説明を分かったような分からないような反応で聞き返した。

 下のつまみを横に動かすたびに発される光の量が変わり、試しに一番端まで動かしてみると思わず目を瞑りたくなるような眩さが溢れてくる。

 初めての玩具を与えられた子供のような勢いで灯光を弄る弘樹の質問にミユは困ったような声で


「魔法というんでしょうか。これは確か魔力に反応して光る素材が中に入っているんだと聞いたことが」


「光る素材?」


「これは光幻虫の体液が入っている。魔力に反応して光を放つので灯りとして使われているんだ」


「ふーん。その魔力って何処にあるんだ。この辺にあるのか?」


 なんだか知らないがどうやら魔力とやらを使って明るくしているらしい、と辛うじて理解した弘樹が適当にその辺りの中空をパタパタと手のひらで煽いで見せるも、横で見ていたシンシアの何を言っているんだコイツはと言わんばかりの目で射抜かれて動きを止める。


「壁の中に魔導管が入っている。配管を通じて地下から汲み上げた魔力を各家庭に送っているんだ」


 どうにも理屈は分からないが、ガスの配管のような物だろうかと曖昧に結論付けた弘樹は、ふと横に立ってこちらをニコニコと見ている猫少女に声を掛けた。


「ミユ、お前の家にもあったのかこういうの?」


「はい、ありましたよ。私の家にあったのは魔鉱瓶で動く物ですけど」


「魔鉱瓶? それも燃料なのか?」


「はい。魔鉱石が瓶の中に入っていて、持ち運べるようになっているんです。月に一度、町に来た行商人の方から購入するんですよ」


「ふーん」


 魔力だとか魔術だとか魔鉱石だとか、幾ら説明されてもこれまで聞いた事もない単語ばかりで全く理解できない。

 それでもミユの説明からプロパンガスみたいな物だろうかと頭の中で瓶の中いっぱいに石が詰め込まれた図を想像した弘樹は、分かったような分からないような気分で適当に頷いた。


「ちなみに言えば、その魔鉱石を集めてくるのも探索士の仕事だからな」


 こちらの話を聞いていたシンシアがそう告げるが、弘樹は未だにその探索士とやらが何をする物なのかをさっぱり理解していなかった。

 これまでの話から何かを取ってくる仕事なのだろうとは察していたが、それが具体的にどういう形なのかは分からないままである。


「結局、その探索士ってのは具体的に何をするんだ。その何とかいう石を拾ってくるだけか?」


「お前が楽しげに弄っているその灯り、そこに使われている素材は殆ど全て探索士が集めてくる物だ」


「じゃあ何かを集めるのが探索士なのか?」


「そうだな。生活に必要な素材を集めるだけではなく危険な魔物を討伐したり、何らかの依頼があればそれをこなしたり、本当に様々な仕事があるが……まぁその説明は学園で追々してやろう」


「魔力だ魔法だ魔物だって、どんな世界だよここは」


 部屋の中を見回しぼやくように呟いた弘樹の言葉に、シンシアは何故か面白そうに苦笑しながら


「これからは嫌でも慣れる事になる。ここでは魔力無しでは湯も沸かせないからな」


「わぁ、ちゃんと調理台もあるんですね。しかも魔力式ですよご主人様」


 偉そうな事を言っているシンシアの背後で興味津々に部屋の中を確認していたミユが歓声を上げたのは、部屋の壁を一部くり抜くような形で設えられた流しとその横、四角い石造りの竈のような炉が一つ。

 少女の言からすると飯を作る場所なのかもしれないが、そんなに嬉しそうな顔で「ほら見てください」と言われても反応に困る。ミユが目を輝かせながら見ている竈も、弘樹の目からするとつまみを弄ると中で赤い炎が吹き出る原始的なガスコンロのようにしか見えずどうにも感動できない。


「これも魔力か?」


「そうだ。火蜥(サマドラ)の牙が中に入っている。火事には気をつけるように」


「はい!」


 元気よく返事をするミユを余所に、ガスじゃないのかこれ?と疑った弘樹が竈の中を覗きこんでみても何処かで点火している様子もなく、単にレバーを引くと真っ赤な炎がちょろちょろと立ち昇るだけ。

 どうやら本当に魔力とやらを使っているらしい、と一先ず納得した弘樹は、ここが完全に自分の居た世界とは根本的に違う場所なのだと今更ながら実感していたのだった。



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