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捕縛

「そ、そんな筈はないんです。これはちゃんと私の前に飛んできたんです」


 限界まで張り詰めて今にも破れそうな少女の震える言葉が耳朶を打つ。真正面から懸命に何かを伝えようとしながら、それでいて今にも泣き出しそうなほどに不安と絶望を孕んだその声色をどこかで聞いた事があるような気がして。


 それが誰の物だったのか、思い起こそうとした弘樹は浅い眠りから静かに目を覚ました。


 まず感じたのは頬に当たる絨毯の感触と暖炉の火が優しく爆ぜる音。


 周囲を確認しようと顔を動かすと後頭部に鈍い痛みが走り、思わず顔を顰めた弘樹の視界に映ったのは高級そうな艶のある木材で出来た机や棚だった。


 その上で束となっている紙の束や分厚い本の山は今にも崩れそうな有様で、ぼんやりとそれを眺めながらどうやら自分は室内にいるらしいと曖昧に理解した弘樹が何の気はなく身体を起こそうとしたその時


「ありゃ?」


 自分の身体が全く動かなくなっている事に気が付いた。見れば己の全身をロープが取り巻きまるでボンレスハムの如き様相でぐるぐると縛り上げてしまっていて、体を起こすどころか手や足すらも動かすことが出来ない状況になっている。


 一体何故こんなSMのような真似をされているのか、と溢れる疑問が頭蓋を埋め尽くす寸前、頭の上で出し抜けにしわがれた老人の声がゆっくりと響いた。


「確かにこれはこの学園への推薦状に見えるかもしれんが、えーっとミユさんだったかの。残念じゃがこれでお主を入学させてあげる事は出来んのじゃよ」


「どうしてですか? もしかしてやっぱり、私が猫人だから……」


 深刻そうな会話に釣られるように縛られたまま顔だけを起こして目を向ければ、そこには薄暗い部屋の中で一つの机を挟んで向かい合う二人の姿があった。


 一人は美しい亜麻色の髪に似つかわしくない灰色の野暮ったい外套に身を包み、革張りの長椅子に浅く腰掛けながら小さな肩を震わせている娘。

 悲嘆に震える声で言葉を詰まらせているのは、やはりというべきか弘樹が先ほど耳と胸を触ったあの獣の耳をした少女だった。


 そして大き目の机を挟んで対面に向かい合っているのが長い白髭を蓄えた一人の老爺。

 少女の不思議な耳を前にしても何ら気に留めた様子もないその老人は、困りきった顔を隠せぬ様子で眉間に皺を寄せたままぽりぽりと頬を掻く。


「いやいや、この学園は世界協約に則って、あらゆる種族に門戸を開いておるでな」


「だったらどうしてなんですか? 確かにこれは私の所に飛んで来たのに」


 悲壮感に満ちた少女の両手は自らの腿の辺りで小さく小さく握られており、既に指先の色は白を通り越して青くなりつつある。

 今ここで諦めたら人生の全てが終わってしまうかのような様相で身を縮こまらせる少女は目の前の机に置かれている一枚の白い紙を最後の命綱のような目で見詰めていた。


 他方、少女の正面に腰掛けた老人。

 白髪頭に深緑色のローブを着込み長く滑らかな白い杖を手にしたその年寄りは、目を覚ましたこちらには気付かぬ様子で、眼前の少女と机の上に置かれた紙とを交互に見ながら枯れ枝のような左手で長く伸びるあご髭を撫で付け、どうにも弱りきった唸り声を上げる。


「確かにこの学園の推薦状は自ら世界を飛び回って当学園への入学に相応しい優秀な者を探すようになっておる。が、それだけではないのじゃ」


「どういう、ことですか?」


「これには特殊な魔術式が幾重にも張り巡らされておってのう。推薦する対象者の名前や年齢、そして適正や生まれ持った加護が自動的に表記されるようになっておるのじゃ」


 縛られているこちらを余所に目の前で進んでいく会話の意味は良く分からないが、深刻そうな二人の表情を見る限りでは余程何か重大な話をしているのだろう。


 目が覚めたばかりの弘樹には何が何やら分からないが、それでもどうやら少女が入学とやらを求めているらしいことだけは理解出来た。

 そういえば寝起きだったので聞き流していたが、先ほど少女に起こされた時も学園がどうのと言っていたような気がする。


 自分は何故こんな場所にいるのか、ここは一体何処なのか、というか何故縛られているのか。尽きぬ疑問の答えを求めて周りを見回すが古びた本が何冊も床に積み上げられているだけの部屋には何の手掛かりも落ちてはいない。


「しかし、これに書かれたお主の名前や年齢は自分で書いた物と見受けられるがどうかね?」


「は、はい」


「本来の推薦状なら記名など無用。お主の名前も年齢はもちろん、加護すらも表示されて届くようになっておるでな」


「それなら、これは? 推薦状ではないのですか?」


「見たところ、分析鑑定術式が織り込まれておらぬ。偽造防止の術式もなく押印された学園の印章も僅かに違っておる所からいって、これは何者かによって偽造された偽物と考えるべきじゃろうな」


「そんな……」


 老人の言葉で絶句した少女が力なく項垂れたのを契機に会話が途切れ、部屋の中に静寂が訪れる。

 なんだか大事な話をしていたようだが何の話だったのかさっぱり分からないので、とりあえずこの全身を縛っている縄を解かせようと弘樹が芋虫のように身体をくねらせながら体勢を起こし口を開いた瞬間


「目が覚めたか?」


「あ?」


 すぐ隣から聞こえた静かで冷たく落ち着いた声。美声と言って差し支えのない可憐でありながら同時に感情の起伏を喪失した機械を思わせる抑揚を持たない囁きに、そこで初めて人の気配に気が付いた弘樹は縛られたまま顔を上げた。


 見れば首から下を全て鎧に身を包んだ一人の美女が、すぐ隣で腕を組んだまま微動だにせずこちらを鷹のような鋭い目で見下ろしている。


 年の頃は弘樹より少し上だろうか。感情のないガラスのような蒼い瞳が印象的な背の高い女だった。雪原を思わせる滑らかな白い頬、小さくも刃物の切っ先のように鋭い鼻筋、血を啜ったような赤い唇。


 氷にも見える青味がかった銀髪を後ろで纏め上げたその姿は背筋が凍るほどの美貌ではあったが、しかしどうにも表情が薄く機械のような冷酷な印象を見る者に与えている。


「お前の処分はこの後で決める。少し大人しくしていろ」


「処分って何の処分だ」


 容赦のないはっきりとした物言い。不穏な宣言に一抹の嫌な予感を感じた弘樹が問うが、女は知れたこと、と軽く手を振って


「お前の悪行についてだ。学園の敷地内で狼藉を働くとは良い度胸だな」


「狼藉!? 何を言ってやがる!」


「お前が学園の敷地内で、あの少女を襲ったという報せは受けている。とにかく静かにしていろ」


 そう言って向こうで意気消沈している少女に向けて僅かに首を傾ければ一部のズレもなく丸くキッチリと後ろで纏められた青色混じりの銀髪が冷たく輝いた。

 豊かな胸とすらりと伸びた長い足は一見するとモデルのような体型ではあったが、しかしその身体の殆どを銀色の金属製と思しき鎧に厳重に覆っている上に、その微塵も隙がない視線と立ち居振る舞いも相まって女らしい色香が全く感じられない。


 というか、一体全体この女はどういうつもりで鎧など着込んでいるのか。コスプレなのかそれとも時代劇か何かの撮影なのか、考えられる可能性をチラと思い浮かべていた弘樹はしかし、女が一歩こちらに歩を進めた際の鎧が擦れる金属の重い音を聞くにつけ、目の前のそれが安っぽいプラスチックか何かの作り物などではなく身を守る為に設えられたそれなり以上の質量を持った強固な装甲である事を否が応にも察して思わず息を飲む。


「少女を襲うような下劣な輩は厳しく処分する。覚悟しておけ」


「襲ってない!」


「認めないなら勝手にしろ。いずれにせよ、お前の身柄は現在このエストラルダ王立探索士学園が拘束している」


「たん、さくし?」


「学園は王国から敷地内に於ける司法執行権限を拝領しているからな。今すぐ死にたくなければ口を閉じて大人しくしている事だ」


 これ以上話しても無駄、そう言いたげに腰に提げた剣を抜いた鎧女はその切っ先を弘樹の首筋に当てて冷酷に言い放った。

 金属特有の冷やりとした硬質な感触と一瞬で皮膚を突き破りかねない鋭さを首元に感じ、それが決して紛い物の模造品などではなく本物の刃だと本能的に思い知らされた弘樹は湧き上がる混乱の中で必死に状況を整理する。


 どうやら、自分は先ほどの少女に突き飛ばされた後、不審者か何かと勘違いされて捕まってしまったらしい。完全な事故とはいえ思いっきり胸まで触ってしまった身の上、マズイ状況にある事は疑いようもなかったが、それよりも何よりも弘樹にとって問題なのは自分を取り押えている鎧姿の女。


 この現代に本物と思しき鎧を着込んで刃の付いた剣を持ち歩くような奴が居るだろうか。

 いや仮に何かのコスプレだとして本物の剣なんて持ち歩ける筈もなし、仮にこれが時代劇か何かの撮影でも流石に本物を持ち出すなんて事はないだろう。ましてやそれを無関係の人間に向けるなど普通に考えてある訳がない。


 というか王国だとか学園だとか、女の言っている意味がまるで理解出来ない弘樹は一体何がどうなっているのか更に問おうとしたその時、机の向こうでこれまで黙っていた少女が老爺に向けて出し抜けに口を開いた。


「この推薦状が偽物だというのは、もう間違いないんですか? 何かの間違いって事は……?」


「実はこの推薦状という物はのう、偽造防止で学園長である儂の指輪に反応するようになっておってな」


 そう言って示したのは、老人の枯れ枝のような指に嵌まっている海のように深い青色の宝玉があしらわれたごつい指輪だった。くすんだ銀色の環腕に無数の蛇が植物の根のように絡み付く台座、そして何処か生々しささえ感じる群青の珠。


 宝飾品にしてはあまりにセンスのない不気味な設えに眉を顰める弘樹を余所に、少女はイマイチ話を飲み込めていない様子で目をパチクリとさせる。


「この指輪に、ですか?」


「うむ。こうして手を翳すと近くの推薦状は全て浮き上がり、儂の元へと飛んでくるようになっておるでな。お嬢さんの持ってきた書状がこれでも動かぬということは、そういう事じゃな」


 老人がそう言って骨と皮しかないような手を翳しても机の上に置かれた紙切れはピクリとも動かず、それを見た少女は力なく項垂れ同時にふかふかの耳と尻尾もその持ち主の心の中を表すように力なく垂れ下がった。


「故に、まっこと残念じゃがお嬢さん。貴女の持ってきたこれは推薦状ではないんじゃ。推薦ではなく通常の枠で入学する事も出来るじゃろうが、今年の入学受付はもう終わっておる。それに入学には学費が結構掛かるでな」


「私、そんなお金なんて……」


 それを聞いた少女は振り絞るように呟き力なく俯くと、やがて細かく肩を震わせ始める。音も無く、声も上げず、ここからでは机に遮られて表情も見えない。だが、床に転がったままの弘樹からははっきりと見えた。少女の膝に一滴二滴と透明な雫が落ちていくのを。


 暗い雰囲気の室内で声を上げる者はいなかった。弘樹を拘束している鎧女はもちろん学園長らしい老人も、これ以上何も言える事はないのか顔を曇らせて息を吐く。


 そんな中、縄で縛られた状態で床に転がっていた弘樹は唐突にシャツの左胸ポケットの中で何かが動き始めたのを感じて驚きの声を上げた。



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