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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

小噺51 同じこと

作者: 黒田

「うう…うう…」

 抵抗する声を出すものの、弱弱しいその声はすぐに途切れてしまう。

 夜が深まり、辺りの家々から明かりも消えて町は寝静まっている。ただし、この男が生活するアパートの一室は違った。

 男は部屋中の明かりを点けていた。両耳にイヤホンをして、大音量でラジオ番組を聞いている。もっとも番組を聞くというより、自身が寝ないために騒音として流しているだけだった。


 強烈な睡魔が男の意識を奪っていく。必死に抗うも男はいつしかリビングの床に倒れていた。悶えて動き回るたびに、眠気覚ましのためのドリンク剤やコーヒーの空き缶がぶつかって転がっていった。

 真っ赤に充血した目はすでに焦点が合わず、辺りがぼんやりと見えている。目の下は黒ずみ、頬はこけて、青白い顔をしている。

 何日も寝ずに過ごしてきたが、とうとう限界が近づいてきた。





 1か月前、男は刑務所から釈放された。正確には保護処分付きであった。監察官への定時連絡、行動範囲の制限と様々な制限が課せられていた。もっとも、窮屈な牢屋で過ごしていた男からすれば、この程度の制限なぞ問題とも感じなかった。

 男は暴行罪で服役していた。同棲していた女性に暴力を繰り返した。耐えかねた女性がある晩、警察を呼び男は逮捕された。

 取調べで男は潔白を訴えた。むしろ悪いのは自分を怒らせる女の方だと訴えた。裁判では男の主張は退けられ服役に至った。






 服役して数年後、面会した弁護士から男に保護処分付きであるが釈放の話が出た。

 男は嬉々として弁護士の話を聞き入った。弁護士からは定時連絡の義務や行動範囲の制限など説明された。が、男は数年ぶりの外の世界に思いを巡らせておりほとんど聞いていなかった。





 釈放日が近づいてきたある日。男は刑務官に連れられて部屋へ通された。部屋に入った男性は指示に従って椅子に座った。男と机をはさんで向き合う形でスーツを着込んだ男たちが座っていた。

 「率直に聞くが」

 一人のスーツの男が質問した。

 「君は当時、交際していた女性に日常的に暴力を繰り返していた。そのことについて今の君はどのように思っているかね?」

 「今として考えれば男として、いや、一人の人間としてあってはいけない愚かな行為と感じています。」

 男にとって、この手の質問は初めてではなかった。このような質問には本心で答えず、いかに反省しているかという演技が問われることを男はよく理解していた。

 「君は刑務所から釈放されたら女性に会いに行くかね?」

 別のスーツの男が問いかけた。

 「決してそのようなことはしません。」

 嘘だった。本当は、自分をこんな場所に入れたあの女へ復讐したかった。釈放されたらすぐに居場所を探し出す気だった。





 その後もいくつかの質問が続いた。男はその都度、紳士的に、かつ反省したように見える態度で質問をやり過ごした。

 「これで最後だが」

 一番端に座っていたスーツの男が男に話しかけた。スーツの男は背広の内ポケットから何かを取り出して刑務官に渡した。

 「君にはこの薬を飲んでほしい。精神安定剤のようなものだ。受刑者のなかには釈放されたとき、社会の変化に対応できず重度のうつ状態を発症する者がいる。それを防ぐための特効薬だ。」

 男は刑務官から渡された薬をすぐに服薬した。大きい錠剤で喉に引っかかる感覚だったが、何とか飲み切れた。

 「話は以上だ。」

 スーツの男たちとの面談を終えて、男は数日後に釈放された。






 釈放された男はアパートに帰り、明日にでも女性の居場所を探そうとした。行動制限があるため自由に動くことはできないが知人から何とか居場所を聞き出そうと考えた。

 だが、まずは温かいシャワーを好きなだけ浴びて食いたい料理を食べて柔らかいベッドに眠りたかった。計画は次の日に立てればいい、そう男は考えた。

 男は部屋の電気を消してベッドに入った。久しぶりのベッドは刑務所のそれとは比べ物にならないほど柔らかかった。疲れが出たのか、男はすぐに眠った。






「ぐあああ!」

 男はベッドから転げ落ちた。体中から汗が出ている。電気を点けて急いで体を確認したが何ともなかった。

 「はあ…はあ…夢か…」

 しかし、その夢はあまりに現実味があった。眠っていた男の部屋に強盗が侵入した夢だった。男は抵抗する間もなく強盗によって刃物でめった刺しにされるものだった。

 「はあ…くそ…」

 男は明かりを消して再び横になった。

 しかし、再び飛び起きた。

 今度は突然、銃で撃たれる夢だった。立て続けに自分が殺される夢を見るなんて、そう思いながら男は今度こそ寝ようとベッドへ戻った。

 だが、眠るたびに男は悪夢を見続けた。しかも、すべて自分が殺される夢だった。さらに夢を見れば見るほど、夢のなかで男性が受けた傷や暴力の痛みを感じ始めてきた。





 そして1か月が経過した。

 当初、女性への復讐を考えていた男だったが、いまはそんなことが頭に浮かばないほど追い込まれていた。眠ることが恐怖へと変わったのだった。

 この1か月、男は睡魔と戦い続けてきた。食事をすると眠気が出てくるため満足に食べられなかった。ベッドを見ると眠りたくなるため、男はベッドを破壊した。温かいシャワーを体をリラックスさせて眠気を催すため風呂にも入らなかった。

 しかし、とうとう限界を迎えた。瞼がゆっくりと落ちはじめ、口からはよだれが流れ始めた。男の意識は遠のき、そして、眠ってしまった。





 「あああああ!」

 男は飛び起きたが、まだ頭が朦朧としていた。重たい頭で周囲を見渡す。そこは男の部屋ではなかった。

 「気が付いたようだな」

 聞き覚えのある声が部屋の隅から聞こえた。薬を出したスーツの男が椅子に座って男を見ていた。後ろには刑務官もいる。

 「ここは…どこだ…」

 よだれを腕で拭いながら男は聞いた。

 「君の釈放期間は無事に終わった。ただ、自力で刑務所に戻ることが困難だったため、我々が君を回収してこの部屋まで運んだわけだ。」

 スーツの男が説明したが、男はぼんやりと聞いていた。

 「ところで、いい夢は見れたかね?」

 スーツの男は満身創痍になった男の姿を見て、意地悪な笑みを浮かべながら問いかけた。

 「いい夢…だと…ふざけやがって…」

 刑務官がすかさず男を抑えた。体に力が入らないうえに力づくで抑えられ男は何もできなかった。

 「あの薬は精神安定剤でも何でもない。君のような反省しない受刑者に対する新たな懲罰用の試験薬だ。」

 スーツの男は背広の内ポケットから例の薬を出しながら話を続けた。

 「君のような奴には体で教え込ませないと効果がないのでね。この薬には人間の欲求である睡眠を妨害する特殊な効果があるのだよ。眠ることが怖かっただろ?」

 スーツの男は話を終えると、刑務官に合図を出した。

 刑務官は男を起こして部屋から連れ出そうとした。





 「待てよ…なんで…」

 男は力を振り絞ってスーツの男を睨みつけながら話をした。

 「なんで…そんな面倒なことしやがるんだよ…」

 「なんでかって?」

 スーツの男は薬を内ポケットに片付けると、男に近づいて答えた。





 「君から暴力を受けた女性は、後遺症で摂食障害や睡眠障害になってしまったようだ。とくに頻繁に暴力を受けていた夜が来るたびに苦しんでいる。まさに夜も眠れないほどの恐怖なのだよ。君のような暴力行為を繰り返す受刑者も同じことを経験すれば、いかに自分がしたことが愚かで、そして恐怖か…それがよく分かっただろ?」


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