白髪
この物語は、フィクションであり、実在の人物、団体、事件等とは、一切、関係ありません。
越前守、藤原孝忠は館にいた。
「あれの名は何と申したか。」
扇を以て、孝忠が指し示した先には、帷ひとつを着た貧相な侍が、館の庭の掃き掃除をしていた。
「あれなるは……と申しまする。」
孝忠は、側仕えの男が言った言葉の内、最も大事な部分を聞き逃してしまった。あるいは、それは、孝忠が聞き逃すように、故意に側仕えの男が、その貧相な侍の名を、くぐもらせたのかもしれなかった。
「然なるか。」
孝忠は、それには構わず再び歩みを始めた。己が質問したことの答えが得られなかったからといって、強いて、それを求め、相手に聞き直すまでのことでもなかったし、それはそれで、孝忠自身の面体にも関わることであり、やぶさかに詰問することもなく、孝忠は、その場を後にした。
簡潔に述べるならば、この時、孝忠は、己と侍とを秤に掛けて、己を優先したのである。
件の侍である。名を□□と言った。年の頃は、三十の半ばを越えて四十に近い。烏帽子を被っては、いるものの、後頭部には白髪が、まばらに生えていた。
彼が孝忠に仕えたのは、最近のことではない。孝忠が、まだ京にいる時分に仕え始めたのである。彼此、十年余、昔のことである。
ただ、孝忠自身は、彼が仕え始めたことを直接知るものではない。おそらくは、当時、孝忠に仕えていた侍所の或る者が、彼を連れて来たのであろう。
そして、彼を連れて来た侍所の或る者が、孝忠の側仕えの者に伝えたのを、孝忠は伝え聞いたに過ぎない。詰まるところ、又聞きである。
孝忠は、その伝聞を、知識としてではなく、日常の雑談に伴う情報として、脳内に受け取ったのであり、無論、その情報の中に、その侍の人格や人生は存在していなかった。
とはいえ、これまで、彼が孝忠に仕えた十年余は、けして、薄くはない。その間、彼は、孝忠が、国司として任国の伊勢や因幡に下向するのに、ひたすらに付き従っていた。
もちろん、それは、彼の同僚の侍や孝忠の側仕えの者たちも、同じことなのではあるが、それらの人たちと遜色なく、彼もまた、忠実に、誠意を以て、孝忠に仕えていたということなのである。
その間に、彼の黒髪には、ちらほらと白髪が目立つようになっていったのである。
「(あれが、またおるわ……。)」
その翌日も、かの侍は庭を掃き浄めていた。よくよく考えてみたら、いつも、彼はそこにいるようにも孝忠は思えた。
今日は、孝忠の隣に側仕えの者はいなかった。
「(さて……。)」
この時、侍に話し掛けようか孝忠は迷った。
「これ、その方、名は何と申すか。」
そう一言、声を掛ければすむことではあった。しかし、孝忠は、しなかった。それは何故だろうか。
「(どうせ、明日も、あの者は、あそこにいるのだろうよ……。)」
孝忠はそう思ったからである。いや、思ったということでも、それはない。そうあるはずだと、孝忠の心が、無条件に安心していたからであった。
「(やはり、おる。)」
その翌日も、昨日と一昨日と同じ場所に、侍はいた。そして、しばらくして、それは孝忠にとっての日常になった。
秋口に入ると、朝夕の気がひんやりとしてきた。それでも、かの侍は水干も直垂も着ない、帷ひとつの姿でいた。
国司の任期は四年である。孝忠が越前守を受領したのは去年の春のことであり、年を越して、あと二年は、この越前国で過ごすことになるはずであった。
「寒し。」
侍が唇を開くと、北国の冷気が舌に染みた。彼の日課は決まっていた。日が昇る前に起きて、館の周りを一周し、見回りを終えると、館内の掃き清めに取り掛かった。
前任の国司が植えさせたのだろうか、館の内には、楓の木が至る所に植わっていた。侍は、その落ちた葉を、箒で集めていた。
「……。」
先の一言より他に、侍が口を開けることはない。それは、寒さ故のことである。そして、その時、一陣の風が吹き、彼の烏帽子を歪めさせた。
「……。」
そのまま、無言で侍は、ずれて、己の額を露わにしている烏帽子を元の位置に戻そうとした。しかし、その時、ふと、己の額の生え際に、指先が触れた。
「っ……。」
ぷっ、と、侍の二本の指が、彼の前額部に生えた髪の毛を抜きちぎった。それは数本であった。思いがけず、多く抜けた髪の毛には、多少の白髪が混じっていた。
主に仕えた十余年を顧みるに、これと言って、思い出すことはない。ただ、年月を増すごとに、己の身の内に流れる歳月と、世の中に流れる歳月、その両者の流れる勢いが、段々、変化していき、世の中の流れは速く、己の流れは遅く、次第に差が付き、それが大きくなっていくように感じていた。
己の身の歳月の流れは、ゆっくりとなり、一方で、世の中の歳月の流れは、早く、激しくなっていく。
特に思い出すこともない彼の身の内にある歳月の中にも、それなりに色々なことがありはしたのだろう。その善きこと、悪しきこと、様々なこと。思い出すことをせずとも、彼という形になり果せた出来事たちは、彼の血肉となり、哀しみという感情を伴って、今ある彼の身の上を彩っていた。
「おい、□□。」
「ここにおる。」
「明夜、主が、観月の宴をするという。我らも、共々、その支度をすることとなったわ。」
「然らば、早よう、支度せねばなるまいな。」
掃き掃除を終えると、すぐさま、侍は皆の集まる侍所に馳せ参じた。
侍自身は、世の中にある己の身の内に哀れみを感じていた。しかし、そのような悲嘆の様子は、傍から見たら、一向に感じられなかった。彼の同僚である侍所の連中から見ても、かの侍は、懇ろに親身を持って、彼等の主である孝忠に仕えているように見えたし、実際、そうであった。
それは、侍自身もそうであった。直接、主に目通りすることはないが、この館で、主である孝忠の侍として仕え、勤めることに、彼自身も、不満はなかったし、それは、とても有難いことであると思っていた。
彼に訪れる哀しみの原因が、彼の、今の境遇や不遇にあると考えるのは誤解である。もちろん、世の中には、彼より富裕な身の上の者もいるし、貧しい身の上の者もいる。
身貧しいといえども、世の中の人々と比較して、彼は恵まれていたと言える。国司の館に侍として仕え、主や傍輩にも恵まれ、衣食住も、生きるにはこと足りていた。
こと足りてはいたが、己の身に潜む無常観は、むしろ、それら人の世の情に触れるにつれて、彼の心の琴線を揺らし、飽くなきほどに肥え、太っていた。
「はちがつの 水の面に 月出でて いざ望月の 宴ひらかむ。」
国司の館にて、観月の宴は行われた。宴には、国府に勤める役人や僧、その付き人や知音の者も参加していた。侍にとっては、そのほとんどが面識のない他人である。
厳密に言えば、かの侍は、国司の家来ではなく、孝忠の家人である。従って、普段は、孝忠が住む国司館にある侍所に詰めている。
それ故、彼が、政庁である国府に赴くことは、あまりない。月に一度か二度、孝忠の登庁に付き従い、日の出前から昼過ぎまで、国府にある侍所に控えていることがある程度であった。
国府には、国府の侍がいる。彼等は、地元の出身者であり、その国の兵たちであった。国府の中で、実際に実務を取って働く者どもの多くは、その国の者たちであり、京から来ている者は、国司の四等官や史生と、その家人等、合わせて数十人くらいでしかない。
あくまで、孝忠の侍である彼の世界は、孝忠と、その周囲の者たちだけであり、国司の館であった。それは、ここ越前国だけにとどまらず、孝忠の赴く、他の赴任地においても、同じであった。そして、また、京においても、基本的に、それは変わることはなかった。
「(あれなる人は……。)」
侍が庭を掃いている時、いつもならば、主である孝忠が歩いて行く渡殿の縁下に、今夜、彼は控えていた。
その彼が見かけたのは、一人の法師であった。望月の照らす明かりの下で、その顔貌でさえも、濃く、はっきりと、侍は捉えることができた。
昼間の国司の館で、侍は、その法師の姿を、よく見かけることがあった。
「館の北山なる山寺におられる聖人さまじゃな。」
かつて、同僚の侍はそう答えていた。
「見てみよ。あの顔貌を。我等、俗人とは、生きておる世界が違うのが、よく分かろう。」
望月の下、侍は、じっと法師の顔貌を見た。それは、あたかも、睨むかのようであった。じっと見て、何かを得ようとした。自分たちとは、異なる世界に生きるという有難い聖人の姿を見て、逆に、侍は己の内の底に潜む哀しみを見つめようとし、その正体を探ろうとした。
「(解らぬ……。)」
しかし、望月の下、いくら見つめても答えは出なかった。
観月の宴から、まもなく経った秋が深まる頃のことである。国司の館で、侍は、かの山寺の聖人から、話を聞く機会を得た。それは、主である孝忠の計らいによるもので、館に聖人を招き、主従共々、聖人の法話を清聴するというものであった。おそらくは、宴の時に、そのような話題がやりとりされたのであろう。
「(解らぬ……。)」
聖人の語る法話の一言半句の意味も、侍は理解し得なかった。いや、確かに、侍は、その言葉の意味や内容を、輪郭を持って、解った気にはなった。しかし、その本質は、到底、自分には理解し得ないのではないかと思った。
もちろん、侍は、仏の教えというものを知ってはいるし、三世の因縁や六道輪廻という知識も、常識として知っている。
しかし、それらの事柄は、彼の中で体系づけられて、知識の砦として構築されている訳ではなく、生活様式の一類型として、日常の知恵として知っているに過ぎない。
聖人の語る学問としての仏法と侍の知る生活としての仏法との違和の正体は、それであり、その違和の溝を埋める作用として、世間では、有り難さという感覚が使われていた。
侍が、聖人との間に感じた差は、学問の差と言ってもよかったのであった。しかし、そこに、侍は、相手との距離を感じたのである。それは、普段、日常生活で、侍が感じていた、言い知れぬ疎外感や哀しみといったものと、似た色彩を持っていた。
それでも、法話の中で、侍が、魅力を持って感じたことがあった。それは、来世のことであった。
「今代にし、楽しくあらば、来世には、虫に鳥にも、我はなるらむ。」
今は昔、酒好きの歌人は、そう歌ったという話を、いつであったか、誰かから侍は聞いたことがあった。
その話を聞いた時、彼は、来世のことよりも、今代が楽しいと歌う古の歌人の気持ちを量り倦ねたことを思い出した。
「(楽しいと言えば、楽しいし、そうではないと言えば、嘘になる……。)」
それが侍の気持ちであった。侍にとって、今代の生活は、楽しくない訳ではない。楽しくないと言うと、それは周りに失礼ではあると思う。
実際、楽しくないと言えば、そう言う訳でもない。ならば、楽しいかと問われると、自分は、楽しいのだろうかと思う。しかし、満足はしている。楽しかろうが楽しくなかろうが満足はしている。だが、それは、誰に向かって満足しているのかと言えば、自分に向かってではなく、周りに向かって、自分は満足しているのだと、自分は思うようにしていると、侍は思った。
そして、そう思おうとする侍の体の洞には、今、現在、国司の館で、山寺の聖人の法話を聞いた時に、感じたものと同じような空白、あるいは、人々との距離を感じていた。
「(やはり、身の内に得なければ、得心することも、ままならぬか……。)」
聖人の法話を拝聴した翌日は、ひとしおに寒かった。それでも、侍は、帷ひとつを着て、国司の館の庭を掃いていた。
「(他人に言った所で、解ることはあるまい……。)」
侍が感じていることを、他人に、彼は説明する術を持っていなかった。そもそも、その正体がなんなのかも、彼自身が解ってはいないし、原因も分からなかった。
己の身の内にわき出る空虚な心情は、一体、何故、彼の身の内にわき出るのかを説明することはできなかった。考えられるならば、それは業であろうと思った。前世の因縁による業。それにより、己の身の内に穴があいてしまっているのだと思った。
侍に身内はいない。父母も数年前に死んでしまった。思えば、それが空虚感の原因なのかも知れない。しかし、そうではないとも言える。侍が感じる物事は、すべてが曖昧であり、彼という存在も曖昧であった。
ただ、はっきり、分かるのは、彼の身の貧しさであった。それこそが、侍が言う空虚感、そのものであった。身の貧しさ故に、空虚感が生まれるのではなく、彼の空虚感こそが、彼の身の貧しさの正体であった。そこにあるのは、彼が持つ未来の希薄さであった。しかし、あくまで、それは、現世の未来における希薄さなのだと、侍は思っていた。
「何故に、あの者は、帷ひとつの裸なのか。」
「貧しい身の上なのでございましょうや。」
孝忠が通る時、必ず、かの侍は、庭を掃き清めていた。妻の北の方を伴って、渡殿を歩く時も、侍は庭を掃いていた。
冬が訪れていた。帷ひとつの侍を見て、北の方は、彼の身の貧しさとそれとは対照的な慇懃さを哀れんでいた。
しかし、敢えて言うならば、侍が帷ひとつ姿でいるのは、身の貧しさ故ではない。彼にとって、衣類というものを、いくら羽織っても、彼の体の洞そのものが空っぽである以上、衣類というものは何の役割も果たさないと同じものであった。
幾ら厚物で着飾っても、洞が満たされることはない。それ故に、侍にとっては、体の上に、何を着るかということは瑣事でしかない。そのような重要ではない事柄に、心を煩わされるならば、帷ひとつ姿の方が、幾分か、心が満たされるものではあった。
「殿。どうか。」
北の方が、孝忠の袖を引いた。並の婦人ならば、そのような仕業はするものではないが、孝忠は、連れ添うて、幾年かになる、この北の方のことは、よく存知ていた。
「それも佳かろう。」
内心、孝忠は、北の方のこの提案を歓迎し、嬉しく思った。幾ばくか以前より、侍を見かけてからというもの、孝忠自身も、この哀れで、可笑しく、愛嬌のある家礼を、心佳く思っていた。佳くは思ってはいたが、話しかけることがなかった。その機会がなかったと言えば、そうではあるが、敢えて、機会を作ろうと思えば、できたはずであるが、それをしなかった。
渡殿を降りた孝忠は、雪が降る中、がたがたと震える侍に近付いていった。
「汝、和歌読め。此く可笑しく降る雪。」
何も変わらず雪が降っていた。その中で、侍は帷ひとつの裸姿をしていた。
「何を題にて、仕るべきぞ。」
侍が見上げると雪が降っていた。孝忠が近づいて、声をかけるまで、彼はそのことに気が付いていなかった。
「汝が裸なる由を題にして読め。」
恭しく畏まる侍の目の前で孝忠はそう宣った。孝忠の目的は決まっていた。それは、この哀れな家人に、衣をやることであった。それが孝忠夫妻の目的である。
しかし、それには体裁が必要であった。理由である。ただ、漠然と衣を与えるのでは、それは恵んでやることになる。それは避けたかった。目の前にいる哀れな家人は、国司の家礼としての面目を必要としていたし、孝忠も、また、彼の主として、面目を必要としていた。
そのような時に、役立つのが和歌であった。力を入れずして、天地を動かし、鬼神をも哀れと思わせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心を慰めると言われた和歌である。
しかしながら、孝忠の思惑では、結果がどうであれ、侍は、衣を手にすることになるはずであった。それは、侍の歌う和歌が、どんなにつまらなく、孝忠の心を動かそうと動かすまいと、衣を与えるという孝忠の目的は変わらないからである。すなわち、侍に歌を歌わせるこの作業は、通過儀礼であり、手段であった。
「はだかなる、わがみにかかる、白雪は、うちふるへども、きえせざりけり。」
侍は、うつむいたまま歌った。それは、周りの思惑を外れて、他人の心を打つものであった。
「(なんと……。)」
恭しく畏まっている侍の頭を、見下げる孝忠の眼には、彼の烏帽子の隙間から、一筋の白髪が覗いていた。それは、必死で、体の震えを抑えようとする侍の身に、降っては積もる白雪の一片と同じであった。
「汝が歌、いと哀れに詠みたるなり。」
一連の作業の末に、孝忠は、自ずから、その場で着ていた綿衣を脱ぎ、侍に与えた。
渡殿から、孝忠が、いつも眺めている侍は、あたかも景色の一部であり、ものであった。それ故、思考を持った存在ではなかった。それが、初めて、会話をしてみて、それが頭を持った存在であり、人であるのだと悟った。
それは、当たり前のことであり、今までにも、孝忠が似たようなことを体験したことのある経験ではあるのだが、改めて、この瞬間において、感ぜられると、感を極めるものであり、人の心を種とする和歌の素晴らしさを感じさせる出来事ではあった。それは、北の方も同じであったらしく、渡殿の上から、彼女もまた、自らの衣を、侍に与えたのであった。
「これは如何なることぞ。」
侍所では、その場にいた侍たちが、二つの衣を抱えて戻ってきた同僚の姿に驚いていた。
「我が主の、我が庭を掃き浄めたる所に来たりて、哀れにも、我に、歌、読ませ給いて、『哀れに読みたり。』と、讃え感ぜされて、北の方様共々、我に衣、恵み与えさせなむ。」
侍の説明する所は、たどたどしいものであった。しかし、その場にいた誰もが、この侍の純朴な性質を分かっていたし、その慇懃さの行き着く先の結果を理解することができた。
「善き果報こそあるらむ。」
侍が抱える衣は、彼の顔を隠していた。
一方で、彼が立ち去った後の庭は、薄雪が積もっていた。
「体に積もる白雪を、己の白髪に見立てるとは、存外、心ばえの良き者にございます。」
「ふむ。」
北の方は安堵した表情を浮かべていた。また、孝忠もうまくいったものだと思った。うまくはいったが、どこかで、一線を越えてしまったのではないかとも思っていた。それは杞憂なのであろうか。
慈悲をかけることは、功徳ではあり、善根である。しかし、その果たるや、それは、はたして、本当に自分の心に沿った結果となるのであろうか。
体を振るわせようとも、消えることのない侍の白髪は、取り返しのつかない、己に流れる年月の過ぎ去りを象徴していた。
それを、孝忠は哀れに思った。思ったのはいいが、侍の内に秘められた、その哀れさを、初めて知り、それを感じた孝忠は、今後、どうすればよいのであろうか。そして、どうすればよいのかと考えた時、その思いの顛末は、どうなり、どうしなければならないのであろうか。それが、孝忠の感じた一抹の不安である。
人の心を知る。それを知ったことによる自分と相手。その結果が、どうであれ、知った側は、それを受け容れるしかない。それが人の心を知った者の責任なのかもしれなかった。
翌日、庭に侍はいなかった。その翌日も、侍はいなかった。そして、その翌日もいなかった。
「(逃げられた……。)」
渡殿を歩く途中で、一瞬、孝忠の頬が引きつり、歪んだように見えた。孝忠が覚えた一抹の不安が的中したのだと思った。
「(然もありなむ……。)」
寂しいことはなかった。ただ、己が哀れに感じた。しかし、それは、侍が口ずさんだあの歌を聞いた時に感じた哀れさとは質が異なるものであった。
そこには、いつもの景色がなかった。初めて、それは他人であると知れた。他人であるからこそ、意思を持っていた。意思を持っていたからこそ、自分とはそぐわぬ行動をすることもある。しかし、他人であるということを知った以上は、それも、受け容れなければならなかった。それが孝忠の責任であった。
それから十日ほども経たであろう頃、孝忠の側仕えの者が、書き物の途中で火鉢に手を暖めている孝忠の所にやって来た。
「□□のことにございます。」
「それは誰のことか。」
「殿が衣をお与えなされた侍にございます。」
「あっ……。」
「館の侍共が申すことには、あの者、北山の聖人様の所にて戒を授かり、法師になったそうにございます。」
その後に、側仕えの者が申し、孝忠が聞いた所の話では、あの侍は、孝忠と北の方から貰い受けた衣を抱いたまま、その足で、国司の館の北山に住まう聖人のもとに走り、二つの衣を差し出すと、泣きながら、懇願し、戒を授かり、出家したということであった。
「己、年は既に罷り老けぬ。身の貧しさは年を経て増さる……。」
「かの侍、今の此の生のこと、益無き身に候ぬれば、後生をこそ助からむと思ひ給ひて、出家し候なむと思ひ給ひつるに、戒師に奉るべき物の、露候はざりつれば、今まで罷り成らずして候ひつるに、此く思ひ懸けぬ物を、主の給ひて候へば、限り無く善く思給ひて、喜びながら、此れを布施に奉る也。」
「……然て、法師に成りさせ給へと、涙にむせびて、泣く泣く言ひければ、聖人、極めて貴きことなりと、出家せしめて、戒を授けつ。」
側仕えの者がしゃべるのを、孝忠は、ただ、ぼんやりと聞いていた。
話を聞き終えた後、今は、もう既に聖人のもとを去ったという、かの侍の姿を追い求めて、聖人のもとへ、人を遣ったり、話を聞きに行かせたり、はたまた、近隣の村々や里々に、同じく人を遣ったり、話を聞きに行かせたり、方々、孝忠は探させたが、遂に、あの侍の在処を知ることができずに、事は終わってしまった。
その人探しの時、孝忠が思い出したのは、かの侍が歌った歌であり、それを聞いた時に感じた哀しみであり、あの侍もまた、この哀しみを感じていたのだろうという思いであった。
「はだかなる、わがみにかかる、白雪は、うちふるへども、きえせざりけり。」
その哀しみを知った時、孝忠は、あの侍のことを、本当に、知ることができたのであると思い、かの侍の内に、自分と同じ、人を見たのであった。