【後日譚】天才の本音
バベルの事件から、一か月。調査員達の怪我も治り、みんながいつも通りの仕事に戻り始めた頃である。
ある夜のことだ。俺―――末田力が仕事を終えて帰ろうと、訓練場の前を通りかかったとき、その訓練場からピシッ、ピシッと、鋭くはたくような音が聞こえた。見に行ってみると先輩調査員の亜久津野薔薇がいた。的に向かって、武器を振り回している。どうやら練習をしているようだ。
「あ、亜久津先輩?」
俺が声をかけると、野薔薇は練習をやめ、こちらを振り返る。
「ああ、末田君か。少し暇だったからさ。たまには練習でもしようかな……と思って。まさか君も?」
「いえ、俺はもう帰ろうかと。夜の八時ですし…」
俺がそう言うと、野薔薇はもうそんな時間か、というような顔をして、それから自分がさっきまで使っていた的の方を見つめる。彼の手元を見ると、そこにはいつものヨーヨーではなく、鞭のようなものが握られていた。
「あれ、先輩の武器ってヨーヨーだったような?」
「あ、これね。武器がヨーヨーだけだとちょっと不便だからさ。せっかくイマージュギアなんだし、いろいろな武器が使えた方がいいじゃん?それで、いつもの武器を応用して、鞭とか使えないかなってね。あと、出来るなら手榴弾とか。あまり物騒な武器は使いたくないな……仮に手榴弾を使うとしたら効果は爆風だけとかにするけどね。まあ、僕は天才だしちょっと練習すれば何でも扱えるんだけどね!」
野薔薇が自慢げな顔で言う。後輩に何か言われると「僕は天才だから」と自画自賛する。いつもの流れだ。だが、彼の"天才"という言葉にはいつも引っかかりを覚える。どの辺が、と言われても具体的には答えられないが。
人の笑顔には素で見せる笑顔と意図的に作って見せる笑顔がある。作った笑顔というものは大抵の人は何となくでも勘付く。それは、彼の場合でも同じだ。彼の笑顔を見ると、俺の中でいつも「無理をしてでも」という言葉が過る。今だってそうだ。野薔薇本人には自覚があるのかは分からないが、彼の表情には少なからず無理をしている様な雰囲気が滲み出ていた。
「あの、先輩……」
「…どうした?」
俺は意を決して聞いてみる事にした。しかし普通に聞いた所で彼は素直に口を割ってはくれないだろう。俺は訓練場のロッカーに置かれた貸出のイマージュギアを手に取り左腕に装着すると言った。
「俺と……手合わせ、してくれませんか?」
普通に面と向かって話すよりも、身体を動かしながら話した方が素直な気持ちを引き出せる。これは大先輩である墨田修太郎の受け売りだが、戦闘中は人の本音や素の表情が出易いのだそうだ。俺は小銃を展開してリロードした。対する野薔薇が展開したのは先程まで試用していた鋼鉄鞭だ。
「対戦、よろしくお願いします!!」
「手抜きは無しだ、本気で行かせてもらうよ!」
お互いに開始線に立ち、構えを取る。先に仕掛けたのは野薔薇だった。鞭の先端についた刃を振り回し攻撃してくる。それを前転で躱し、一発撃ち込む。今回は模擬戦闘の為実弾ではなく空包にしている。至近距離で響く銃声に眼を閉じる野薔薇。その隙に距離を詰めて体当たりをお見舞いする。予想外の反撃によろめく野薔薇だったがすぐに体勢を立て直す。
「少しはやるじゃないか…流石は凶悪時犯を討ち果たしたってだけある」
そう言う野薔薇の表情に先程までの余裕は消えていた。自分よりも歴の浅い俺に後れを取っていると感じて焦っている様に見えた。その焦りを振り払うように武器を切り替える。刀身に荊模様が施された投擲ナイフだ。俺に向けてナイフを5本投げる野薔薇。俺はそれを避けつつ間合いを詰める。そして銃種を銃剣に切り替え、剣の切っ先を彼に向けて言った。
「野薔薇先輩、本当は……自分が"天才"なんかじゃないって、分かってるんですよね?」
突然の質問に一瞬戸惑うが、野薔薇はすぐに冷静さを取り戻し、口を開く。
「急に何を言い出すんだい、末田君?僕は君達とは、違って……」
「俺達を不安にさせないように、無理して振る舞ってるんでしょう!?」
俺の言葉にはっとした様な表情を見せる野薔薇。やはり図星だったようだ。野薔薇は少し俯き武器を消失させた。それを休戦の合図と捉え俺も銃剣を仕舞う。
「末田君には、全て見抜かれてたんだね……」
そう言って微笑む野薔薇。いつも見せている笑顔とは違う、本当の意味での自然な笑みだった。
「確かに僕は正真正銘の天才なんかじゃないさ。君達と同じ普通の人間だ。でも僕は…"天才"であらなきゃいけない」
「天才で…あらなきゃいけない?」
「僕の両親は、かつて政府直下の特殊部隊に所属していた。二人とも指折りの実力者でね。"蒼き鉄槌"、"無痛の鋼人"なんて御大層な二つ名を貰っていたと聞いている。そんな両親の間に生まれた僕だ、当然のように期待を寄せられた。実際はどうだ?僕は両親程強くもなければ特段優れた物を持っていた訳じゃない。当然悔しかったさ。両親は無理して強くならなくてもいいと言った。強くなるなら誰かの真似じゃなく、自分なりに強くなれと。だけど僕は両親のようになりたかった。一度抱いた憧れなんて、そう簡単に捨てられるものじゃない。だから僕は努力した。必死に特訓して、勉強して、訓練を重ねて……それでも届かないのが辛くて…いつしか言葉面だけでも繕おうと虚勢を張った、無理をするようになった」
野薔薇は淡々と語った。自分の過去と抱えてきた思いを。生まれ持っての天才なんて存在しない。"天才"と持て囃される誰しもが、裏で血の滲むような努力を重ねている。俺は改めて思い知らされた気がする。野薔薇は続ける。
「もう僕は……僕の求める"強さ"が分からないんだ。自分が求める"天才"の像が、見えなくなってる気がして……そうして迷っている間にも、君や、湯川さん、それに七五三掛さんみたいな後発があり得ない速度で成長を見せている。それが怖くなって……」
言葉の途中で涙ぐみ始めた野薔薇の姿を見て少し罪悪感を覚えた。彼の素直な気持ちを引き出そうと持ち掛けた手合わせで、彼の辛い思いまで無理に引き出す事になってしまうとは予想外だった。
「すいません、野薔薇先輩。辛い事を思い出させてしまって……」
「いや、こちらこそすまない。こんな話を聞かせてしまった上に、泣いたりしちゃって……」
野薔薇は袖で目元を拭う。俺は野薔薇をそっと抱き締めて言った。
「俺達に心配かけないようにしてるのは嬉しいですけど…そうやって無理し続けてるのは、逆に辛さが増すだけ、自分が猶更苦しくなるだけです。自分の気持ちに、憧れに、素直になってください。それに、天才か否かなんて周りが決めるものです。先輩は間違いなく……いえ、他の誰がどう言おうと、俺にとっては紛れもない"天才"ですよ」
「ありがとう……末田君」
野薔薇は俺の胸の中で小さく呟いた。
訓練場を出て帰り支度をする最中、野薔薇は俺を見て言った。
「見苦しい所を見せてしまってすまなかった。でも、君のお陰で心の霧が晴れた気がするよ。ありがとう」
「え!?ど、どういたしまして……」
(俺…そんな感謝される事したっけ?)
戸惑いながらも礼を返す俺に野薔薇は思わず吹き出して笑った。
施設の出口へ続く廊下を歩く。道中で自販機が目に留まった野薔薇が言う。
「せっかくだし飲み物を買って帰ろう。さっきの礼だ、奢るよ。何が良い?」
「良いんですか!?」
先輩の奢りを受けるなんてこれまでの生活で経験しなかったイベントに突き当たり、思わず頓狂な声を上げてしまった。初めての経験の為、何を頼むべきか正解が分からない。少し悩んだ末に導き出した答えは―――
「あ、じゃあ……水で」
「末田君…君って本当に変わってるね。水くらいなら家でも普通に飲めるだろう」
「そ、そうですけど…!」
野薔薇の呆れ気味な反応に俺は少し気恥しくなってしまった。