【FILE.14】古傷の記憶
A24世界線が消失した。また世界を守れなかった。今回の件は俺が直接関わっていた訳ではない。しかし、目の前で世界線が壊れ、消えていく様を黙って見ているしか出来ないのは、己の無力さを思い知らされる様で辛かった。
薄暗い休憩室で俺―――墨田修太郎はただ一人椅子に浅く腰を掛け悔し気な表情で項垂れていた。眼帯と前髪で隠した右眼の古傷が疼く。世界線が壊れる様を見る度に、あの時の事を思い出して疼き出す。痛む心と傷に顔を顰めながら、思い出したくもない記憶に身を委ねるように目を閉じた。
俺には愛する妻がいた。何故過去形なのか。妻は既にこの世にいない―――正確に言えば、この広い宇宙から"存在を消された"。彼女は此処とは異なる世界線の人間だった。当時はまだ時空間交流の法整備が曖昧で、異時空存在同士の恋愛に関しても、誰がどの世界線から来た等見た目では分からないという事でほぼ黙認状態だった(現在は異時空間婚姻には書類申請が必要となっている)。
彼女はとても可憐で純粋で、そして何より優しかった。俺はそんな彼女に恋をした。彼女との日々は幸せそのものだった。彼女の笑顔を見ているだけで満たされた気持ちになったし、彼女が傍にいるだけで何もかも頑張れた。
だが、ある日突然そんな幸せな日々は終わりを迎えた。
彼女が元々生きる世界線が、時空犯罪者の手で壊された。世界線が壊れると、その世界に生きる人間は例えその時何処に居ようがその時点で全員消えてしまう。妻も例外では無かった。丁度この日が俺と彼女の結婚1年目の記念日だった。俺はこの日の事を今でも鮮明に覚えている。記念日という事もあって休暇を取り、高めのレストランに行く事にした。しかしその道中、彼女の輪郭がノイズのかかった画面のように歪み、ちらついた。嫌な予感を覚えた。
「ねえ、修くん…」
「どうし、た…?」
不安げな声でそう呟いて立ち止まった彼女に振り返った瞬間、彼女の存在が音も無く消えた。まるで初めからそこには何も無かったかのように。
「嘘、だろ……」
慌てて本部に連絡を入れ、俺は彼女が存在した世界線へと急行した。眼前に広がる光景は凄惨だった。崩れゆく空、黒に侵食される街並み、そしてその中心に佇み高笑いする男。こいつが愛する妻を消し去った主犯か。
「貴様ぁ!」
怒りに任せ大剣を振るい、奴に斬りかかる。しかし相手は華麗なステップでそれを躱す。崩れる世界の中で余裕の表情を崩さないその姿は、この状況を楽しんでいるようにも思える。
「その制服、その武器…まさか時空管理局かい?大して世界一つも守れない無能警察か。あっははははは!!!」
狂っている。それが第一印象だった。
時空犯罪者―――その中でも過去を書き換える者を歴史改変者と呼ぶ。ここ最近俺達が追っていたディメンションハッカーズは、「納得のいかない過去を変えたい」とか「愛する人を救いたい」等、危うく情状酌量してしまいそうな信念や想いを抱えた者が多かった。しかしあの時見た彼は、世界線を壊す事、歴史を滅茶苦茶に搔き乱す事に快楽や愉悦を感じている様に思えた。
「絶対に許さん!!」
再び飛び掛かり、渾身の一撃を放つべく大きく振りかぶる。しかし、相手の姿が一瞬にして消え失せた。気配を探る様に周囲を見渡す。すると背後から声が聞こえてきた。
「隙だらけだよ!」
刹那、背中に強い衝撃を受けた。息が出来なくなり膝をつく。どうやら蹴り飛ばされたらしい。痛みに耐えながら立ち上がると、既に相手が目の前に迫っていた。咄嵯に大剣を構え防御態勢を取る。しかし次の瞬間、眼前を素早く何かが通り、視界の半分が赤黒く染まる。奴の背後―――正確に言えば影の中から伸びる黒い帯の先から鮮血が滴る。帯は生き物の様にうねり、その様は俺を煽っているようにも見えた。
「あっはははは!!あんな気迫で迫ってきておいてこのザマって……実に、実に滑稽だねぇ!!」
嘲笑しながら奴は再び俺の身体目掛けて帯を放った。今度は大剣でそれを弾き、一気に距離を詰める。
「貴様が今やっている事は何か……分かっているのか?」
俺の問いに対し、奴は口角を少し上げる。
「選別……って言うのかな?僕はこの宇宙で必要のない世界をこの手で消しているだけさ!似たり寄ったりの世界線なんてあってもしょうがないでしょ?それに、少しでも母数が減らせたら……守る側の君達も少しは楽になるんじゃない?」
「ふざけるな……」
怒りで頭がどうにかなりそうだった。必要のない世界線を選別と称して消すなど、到底許される行為ではない。
「貴様がやっているのは選別ではなく蹂躙だ!世界線一つ壊すだけで、何千何万と罪のない人間が消えるんだ!この世に必要のない世界線なんてない。どんな世界でも、そこに生きる人がいて、その人達の営みがある。例え似たり寄ったりに見えたとしても、僅かな、意味のある違いがあったから世界線は分岐したんだ。そんな違いすら否定して壊す等笑止千万だ!貴様を確保する…大人しく投降しろ!!」
俺の必死の訴えは、彼の耳には届く事はなかった。
「無力な偽善者の綺麗事なんか聞きたくない」
叫びと共に放たれた無数の斬撃を辛うじて防ぐが、その威力に圧され後退する。苦しむ俺の悲鳴、嗚咽、息遣い―――その全てに彼は恍惚の表情を浮かべていた。
「君って本当にいい悲鳴を聞かせてくれるね!本当だったらこのまま殺してやりたい所だけど……気が変わった」
そう言うと彼は黒い帯を虚空に突き刺して空間に裂け目を作る。その奥には時空渡航ゲートと同じ景色が映る。彼は裂け目の中へと歩いていく。苦し紛れに「待て…」と制止する俺に気付いたのか、彼は振り返ると狂気じみた笑みを浮かべて言った。
「また会える時まで……死なないでよ?」
あの快楽破壊者は未だ捕まっていない。恐らく全次元指名手配レベルの重罪人になる事は確実、確保されれば即行死刑執行になっておかしくないだろう。
思い出したくもない記憶に、右眼の古傷だけでなく頭まで痛くなってくる。俺は苛立ち交じりの表情で立ち上がり、休憩室の片隅に置かれたごみ箱を勢いよく蹴り飛ばす。
「糞がぁ!!」
ごみ箱は大きな音を立てて倒れ、中身が散乱した。その時、俺の背後から聞き慣れた声が聞こえた。
「うわっ、びっくりした……墨田先輩、何やってるんですか!?」
振り返ると、そこにいたのは新人の末田力だった。
「あ、いたのか末田…いるなら声掛けろ」
「いや…さっき来たばかりですし……」
「そうか、悪いな」
俺は彼から顔を合わせぬように方向転換し、散乱したごみを黙々と片付ける。「手伝います」と言い力がごみ拾いを手伝ってくれた。
「何かあったんですか?相当思い詰めた顔してましたけど……」
「……何でもねえよ。ちょっと嫌なことを思い出しただけだ」
そう言って俺は少し俯く。すると、むっとした顔で力が言った。
「あー、墨田先輩!またそうやって一人で抱え込んで…」
「は?何だ、いきなり」
「墨田先輩って…俺達に心配かけない為なのか分かんないですけど、何かと一人で全部背負おうとするじゃないですか!」
「いや、それはお前ら後発がまだ未熟だからで……」
「それは否定しませんけど!背負いすぎるのも良くないです」
俺は何も言えず黙るしかなかった。妻にも同じような事を言われたことがある。「何でも一人で解決しようとするのが悪い癖だ」と。
「確かに俺達はまだまだ半人前かもしれません。でも、俺達だって墨田先輩の力になりたいんですよ!」
力は真剣な眼差しでこちらを見つめている。こんな風に真っ直ぐ想いをぶつけてくれる後輩がいるというのは素直に嬉しい。俺は思わず表情が緩む。
「あれ?先輩笑った!」
「えっ」
俺は少し恥ずかし気に顔を逸らす。
「何か……嬉しかったんだよ。お前みたいな奴がいてくれてさ。ありがとな、末田」
「え!?あ、ありがとうございます……」
少し慌てふためいた様子で力が礼を言う。その様子が可笑しくて、思わず吹き出してしまった。
「面白ぇな…お前」
「酷いですよ!俺真面目なのに~」