【FILE.13-2】されど旅人は災禍と踊る
燃え盛る村、その中央に立つ大鎌を携えた悪魔―――の姿をした親友。
俺―――高柳篤志は何もできずただ立ち尽くし、己の無力さを痛感するしかできなかった。何度も何度も同じ時を巡り、あの手この手でこの事態を止めようと試みた。しかし辿り着く結末は何時だってこの光景だった。
最終的にどうなってもいい。その先に待つのがこれよりも酷い破滅だったとしても、俺は"災禍"に選ばれた親友―――湯川すずめを、そして俺達の愛する故郷を救う為に全てを捧げると誓った。
これは、俺と"災禍の子"となった親友を巡る物語の全てだ。
A25世界線、今からちょうど1年前の8月。茹だる様な暑さが残る盛夏の新津村。あれは夏祭りが始まる夕暮れの事だった。
俺とすずめは祭が始まるまでの時間つぶしで、とある神社の境内で夕涼みをしていた。他愛もない会話を続けていたその時、境内近くの森の辺りから声が聞こえた。寄ってみると、高校生らしき不良集団が同年代の男子を虐めていたのだ。人目のつかないこの場所は集りや暴行には打って付けだと思ったのだろう。余計なお世話かもしれない、そんな事は分かっていた。ただ、暴力に耐えながらも此方に助けを求める様に視線を送る男子を放っておくわけにはいかなかった。俺は咄嗟に前に出る。
「おいお前ら!何やってんだ!」
「あ?なんだてめえ」
リーダー格と思われる男がこちらを振り向く。身長180cm程、体格の良い男だ。自分との身長差はさほどと言った所だが、体格差では明らかに此方が不利である。若干の怯みは見せてしまったが俺は臆する気持ちを堪えて叫んだ。
「嫌がっているじゃないか!止めろよ!!」
すると男はニヤリと笑いながら言った。
「オッサンには関係ねぇよ!」
俺はまだ二十歳だ―――と言い返す余裕もなく顔に一発強く打ち込まれた。
「篤志ぃ!!」
すずめの悲鳴が聞こえる。殴られた衝撃でよろめき倒れそうになるも何とか踏み留まる。視界の端でいじめられていた男子に今すぐ逃げるように促す。完全に不良学生の標的は彼から俺に切り替わっていた。
こう見えて俺は喧嘩の類には不慣れだった。それでも、助けを求めている人は放っておけないし、無闇に誰かを傷付けて笑ってる奴を許すなんてできない。それが例えどんな理由であろうと。
「へっ、正義気取りかよオッサン!」
今度は腹に強く蹴りを入れられ思わず膝をつく。数の利と各々の力の強さを考えても、完全に俺の方が不利なのは分かりきっていた。容赦ない攻撃が俺の身体を幾度となく貫く。痛みと恐怖心で意識を失いかけた瞬間、後ろの方で何か物音がした気がして振り向いた。そこに立っていたのはすずめだった。彼女はリーダー格の男に不意打ちが如く一撃を喰らわせた。彼女は滅多に怒ることは無いのだが、自分の趣味嗜好を否定されたり大切な物を傷つけられた時には誰も手が付けられなくなるレベルで本気の怒りを見せる。彼女は普段と比べものにならない程の殺気に満ち溢れた表情を浮かべており、瞳からは光が消え失せていた。
「……やめろ」
彼女の口から発せられた言葉とは思えないほど低く冷たい声音であった。その声を聞いた途端、全身の血の気が引いて行く感覚を覚えた。リーダー格の男は顔色一つ変えずに言い返す。
「ああ!?女が何言ってんだよ?」
次の瞬間、男の顔面に強烈な右ストレートが炸裂していた。その他連中もこれはまずいと思ったのか恐れを成した表情でゆっくりと後ずさる。しかし彼女の怒りは収まる事を知らなかった。
「さっきの子の事も、篤志の事もそうだ。人を傷つけておいて謝りもせずにヘラヘラ笑って終わりって……それで良いって思ってる?」
「はぁ?俺らに喧嘩売って来たのは向こうから……」
そう言いかけた不良男子に容赦なく彼女は蹴りを入れる。
「もう、その辺にしておけ…すずめ……」
先刻の喧嘩で負った痛みに耐えながら俺は言う。しかし彼女の耳には俺の制止は全くもって聞こえていなかった。そして彼女は鋭い眼光を不良男子達に向けて言った。
「言い訳して許されると思うなよ、この人でなしのゴミ野郎共がぁ!!」
そこからはもう、悪夢でも見ているようだった。境内の奥の方から黒がかった紫の炎が迫り、それはすずめの右手を覆った。炎は大鎌の形を成し、怪しげな光を放つ。
《其方こそが災禍の子…壊せ、壊せ、全てを滅するまで》
森中に響き渡る地を這うような不気味な声と共に、すずめが不良男子達に襲いかかって行く。まるであの大鎌に操られているかの様に、彼女は無差別な蹂躙を繰り広げ、森や建物を黒い炎で焼き尽くしていく。破壊を重ねる毎に彼女の身体は悪魔とも妖怪ともとれる姿へと変貌していく。痛む身体を押さえ、俺はその場から逃げた。身体だけじゃない、俺の心までもが痛かった。
村一帯を黒い炎が包み、その惨状は10日間続いた。避難指示が解除されたのはあの日から2週間経った頃だった。焼け野原になった故郷の土を踏む。地面に転がる瓦礫や逃げ遅れた人々の焼死体を避けながら境内だった場所へ歩みを進める。そこには、大鎌をその手に握ったまま冷たくなった女性の遺体が横たわっていた。彼女は"災禍"に呑まれ、悪魔と化し、その身果てるまで蹂躙を続けた。
「ごめん、俺のせいで……」
俺はその場で泣き崩れるしかなかった。
あれから1年経った。村の復旧作業も着々と進んでいる。周囲は日常を少しずつ取り戻していく中、俺はあの時の事を延々と引き摺っていた。惨劇を間近で見た者として、元凶を生み出した一端を担った者として、俺の心は後悔の念で募るばかりだった。
村の老人達が例の件について、「災禍の剣が暴れた」と口を揃えて話していた。
"災禍の剣"―――この新津村に伝わる古の伝承で、村の鬼門の位置にある石造りの祠に封じられた邪器だという。その剣は魔の扉を開き、災いを呼び起こすと言われている。
子供の頃から再三聞かされた話で、文献はあれどそれも伝承の過程である程度脚色や伝え間違いがある、信じるに値しない実しやかな都市伝説としか思っていなかった。ただ、俺はあの時その目で確かに"災禍"を見た。俺の目の前で彼女が変貌する様を、俺は一生忘れる事はない。だが親友を失ったこの深い悲しみをいつまでも拭えず、延々と引き摺っていては自分がおかしくなってしまいそうになる。前に進めずにあの時のままで止まっている自分が嫌だった。
―――1年前の事件が、無かった事になれば。この手であの惨状を止める事が出来たなら。
そんな非現実的な考えが脳裏を過ったその時、俺は背後から声を掛けられた。振り返るとそこには銀髪の男性の姿があった。目元は鉄製の仮面で隠されていた。彼は自らを"ノア"、"歴史の修正者"と名乗った。彼曰く、今の世界は過ちで溢れているという。その過ちを全て正し、世界を修正するのが彼が率いる歴史修正集団"ディメンションハッカーズ"だという。歴史改変、世界線干渉は重罪だとは聞いていた。それでも、罪を犯してでも尚、俺の愛した故郷を、災禍に呑まれ散った親友を救う事が出来るなら―――
俺の覚悟はもう決まっていた。
「俺にも……手伝わせてください」
ディメンションハッカーズの支援は手厚く、必要な機材や道具は全て揃っていた。俺は"災禍"の事件が起きた地点を何度も繰り返し渡った。所謂"タイムリープ"ってやつである(その言葉自体は仲間である初原悦子から教えてもらった)。境内に行かない、出来る限り祠から離れる、そもそも夏祭りに行かない等、色々と手は尽くした。しかし、何度試してもあの日の悲劇は繰り返される。
災禍を止められる物は無いか、藁にも縋る思いで文献を漁った。文献にあったのは、"災禍の剣"と対を成す、裏鬼門の方角に祀られているという"断災の剣"だった。災いを断つ聖剣で、災禍の剣を破壊できる唯一の手だと書かれていた。もしも俺がその"断災の剣"に選ばれれば―――俺はその思いで裏鬼門の祠へと走った。しかしその祠は、空だった。近場で会った管理者の巫女に聞いた所、その祠に何かしら祀られていたという記録は無いという。"断災の剣"の話は、災禍伝承の過程で添えられた脚色だった。
(闇系アイテムがあるんだったら対で光系アイテムを置きたくなるよな……いつの時代も思考回路は同じかよ)
俺は舌打ちをした。ならば力づくでも"災禍の剣"をこの手で壊す。そう決意して例の境内に向かった。そして祠を見つけ、俺は持ち込んでいたハンマーで祠を壊そうとその手を振り上げる。その時、俺の背後から聞き慣れた声が聞こえた。
「そこの時空犯罪者、持ってる物を捨てて両手を挙げて!」
振り返ると、白いジャケットを身に纏った外跳ね毛先に暗紫色のショートヘアの女性が、仄かに黄緑色に光る双剣を構えて立っていた。着ている服は違えど、その声は、その見た目は、完全に俺の親友の湯川すずめだった。
「……すずめ?何でお前が、此処に……?」