【FILE.13】悪い予感
研究センターの機械工学部門。その机の一つに積まれた極彩色のタワーに引き気味の表情を見せながら、俺―――氷室徹は書きかけで放置状態になっていた設計図の続きを書いていた。極彩色のタワーとは言ったが正確には空になったエナジードリンクの缶をご丁寧にもピラミッド状に積み上げているというだけの産物だ。その作り手本人―――森重颯斗は何時にも増して真剣な表情でパソコンの画面に向かってひたすらにプログラムを打ち込んでいた。彼が現在設計しているのはリアルタイムで全ての世界線の現状の分岐や接続を知る事が出来る多元世界地図だ。世界線を樹状地図に起こす段階までは完成していたがリアルタイム更新プログラムの組み込みに難航しているらしい。
「この缶の量、4日って所か……」
俺は呆れ交じりに呟く。隣の席で作業をしていた手毬千歌も同意と言うように軽く頷くと言った。
「ここまで来ると末期ですよね…全く、これ片付けるの毎回私なんですから」
そう言いながらも彼女は律儀にも空き缶を回収していく。どうせまた次の日には新しいタワーが出来ているんだろうと思いつつ、俺は再び用紙に定規を当てシャーペンを走らせる。
何時もの沈黙の時間が流れる。キーボードの打ち込む音、シャーペンの筆記音、壁に掛けられた時計の秒針の音だけが部屋の中に響く中、不意に部屋の扉が開かれた。
「ただいまぁ!お、やってるねえ君達…こりゃあ邪魔しちゃ悪かったかな?」
この機械工学部門を取り仕切る七五三掛聡博士だ。彼は部屋に入ってくるなり例の缶タワーを見上げ苦笑いをする。
「おいおい重さんやい…まさか一週間連勤か?そろそろ休憩入れないとぶっ倒れるんじゃない?」
聡の心配など聞く耳持たず、颯斗は一言も発さず作業に没頭していた。こんな状態になった彼はもう誰にも止められない。完全に領域に入ってしまっている。
「まあいいか……」
聡は諦めて自分のデスクに着いた。
キーボードの打つ音が連続的な物から段々と途切れ途切れになっていく。そして勢いよくエンターキーが打ち込まれる音が響き、颯斗は大きく息を吐いた。
「終わった…完成、だ……」
力なく右腕を挙げ、まさに「我が生涯に一片の悔い無し」と言わんばかりだ。
「お疲れ様です」
千歌の声を聞き少し微笑むと、颯斗はそのまま前方に倒れる。連日寝ずの作業をした後の彼のお決まりパターンだ。作業に区切りがつくと糸が切れた操り人形のように力なく倒れてそのまま眠りに就いてしまう。
(せめて仮眠室行ってから寝てくれないものか…)
そんな事を毎回思うが、彼には仮眠室に移動する気力すら持ち合わせてはいなかった。しかし、今回はそんなお決まりのパターンとは行かなかった。颯斗がそのまま倒れかけた瞬間、何かに気付いたように顔を画面に向けて止まる。そして「妙だな…」と小さく呟いて眼鏡をかけ直した。
「どうかしましたか?」
俺は気になって彼の下に駆け寄り、画面を覗き込む。颯斗は画面に映った一つの世界線を指差した。A25世界線、2063年8月10日の午後6時から30分の区間。午後6時の地点から無数の支世界線が分岐し、その全てが30分先の正史地点に合流している。
「これは……少しまずい事になりそうだな」
颯斗の言葉に聡と千歌が顔を上げる。
「森重さん。これってまさか……」
「あぁ、恐らくこの地点で過度なタイムリープが行われている。このまま放置すればこの世界線は最悪……崩壊する。このプログラムは時空管理局の世界線異常調査システムに組み込むものだ。搭載の時に調査を掛け合って…って言ってたら手遅れかもしれない」
颯斗はそう言うと机に置いていた携帯電話を手に取り、何処かに電話を始めた。暫く話し込んだ後に通話を終えた。
「森重、さん…?」
俺が声を掛けると、彼は軽く頷いて言った。
「今、時空管理局の方に調査依頼の連絡を入れた。早急に対処してくれるそうだ」
俺はほっとして胸を撫で下ろす。これで最悪の事態は免れるだろう。
直接俺達が何かしら手を下せるわけではない。だからこそ、前線に立ってこの世界を守る管理局の人々が上手く動けるよう、裏方として全力でサポートするのだ。