【FILE.12-3】消せない過ち、届かない謝罪
時空犯罪者の確保は全時空指名手配レベルの大捕り物でない限りは公にされることは無い。しかし、親族をはじめ最低限の関係者には管理局直々に説明される。
僕―――伊川文月の下に、叔母の初原瑠美から電話がかかってきた。彼女の方から連絡が来る時は大体僕が進行している彼女の小説のコミカライズ企画に関しての相談くらいだが―――
「どうしたの、叔母さん?」
そう聞いた時、僕はある違和感に気付いた。電話越しに僅かに聞こえた彼女の声は、泣いているようだった。叔母は涙声で話し始めた。
「悦子が……時空管理局に確保されたって……」
「えっ、悦子従姉さんが!?」
突然の事に僕は驚きの声を上げた。僕の従姉にあたる悦子に時空犯罪を犯すような雰囲気は僕が知る限りは見受けられなかった。
「どういう事なんだよ?何があったんだ!?」
僕の問いに叔母は答えた。まだ泣いているようで、言葉は途切れ途切れだった。
「きっと私のせい…だわ。悦子に、私の"初恋の人"の話を…したから……悦子はっ……」
そこで彼女は言葉を詰まらせた。
「叔母さんの初恋の人って…小説に出てきた…"亮輔"のモデルの……亮さんだっけ?」
叔母が書いていた小説は彼女の前職での実体験を基にしたSFアクションで、登場人物は名前は変えているものの彼女が前職で実際に関わった人々がモデルになっている。その登場人物の1人に"亮輔"という男性がいた。叔母がモデルになった登場人物(主人公ではない)の相棒的存在を担っているが、その"亮輔"のモデルは叔母の初恋の相手である女性なのだ。
「きっと私が、初恋の相手と結ばれなかったのが辛かったんでしょうね……他の世界から、男である亮様を、連れてこようと…したんだわ」
叔母の話を聞いて、僕は言葉を失った。歴史を変える事、それに他の世界線の存在を連れていくのも誘拐に当たる罪だ。もしかすると悦子は、別の世界線の亮を、叔母が結婚する前の時代に連れて行って歴史を変える心算だったのだろう。彼女自身の存在にも影響する危険な大博打に出た訳だ。現状が変わっていないという事は未遂で終わったという事。安心できたような、安心しきれないような。僕は複雑な気持ちに襲われた。現在、悦子は時空監獄に収監されている。収監者への面会は禁止。刑期満了、釈放まで悦子と会う事は許されないのだ。
「辛いのは叔母さんだけじゃない……僕だって同じ気持ちだ。でも、今は…従姉さんの存在が消えなかっただけ良かったと、思おうよ」
「そうよね。ごめんなさいね……文月にまで心配かけちゃって」
少し落ち着いたのか、叔母の言葉からは先程までの震えは無くなっていた。
「大丈夫だよ」
「そう。じゃあ、ね」
そう言って叔母からの電話は切れた。
甥との電話を終えた私―――初原瑠美は、メッセージアプリを開いた。娘の悦子とのチャット画面を見る。確保直前に送られてきた『お母さん、ごめんなさい』の一文と一枚の画像。幸せそうな笑顔のカップルの写真だ。その写真に写る2人はどことなく私と、初恋の相手である増間亮に似ていた。悦子が訪れた世界線では、私は亮と恋人同士で、写真からも分かる位幸せに満ちていた。
「こんな素敵な世界が、あるって分かっただけでも……」
そう呟きながら私は涙を流した。
透明な立方体の独房に入れられる。鍵のかかる音と共に、時空が歪むような感覚に陥る。私―――初原悦子は時空監獄に収監された。法外機器による違法並行世界渡航、そして他世界線への過剰干渉及び歴史改変未遂の罪だ。
無限遠の空間の中に立方体の独房がゆっくりと縦横無尽に動く。時空監獄の収監者は時空管理局の厳重な監視下に置かれる。最低限の人権やある程度の安全は保障されるし、脱獄を企てたり暴動を起こさない限りは、此方側の要求にも応えてくれる。普通の刑罰で言う所の禁固刑に相当するが、刑期満了までの虚無な時間を潰すのには苦労しなさそうだ。何もせずに動く独房をじっくり眺めている者もいれば、外の世界の情報が知りたいと英字新聞の定期購読を要求する者もいた。
自分の犯した罪を後悔していない訳ではない。寧ろ、罪を犯した報いとしてはこの仕打ちは当然だと思っている。最低限の椅子とベッドしかない独房の中央に座り、溜め息を吐いて俯く。すると、聞き覚えのある声が耳を掠め、私は軽く顔を上げた。私の前を通過した独房の中で、私の着ている物と似た黒い上着を羽織った見目麗しい年上の女性が、虚無に向かって歌を口ずさんでいた。私が所属していた歴史修正組織"ディメンションハッカーズ"のメンバーの一人、元ジャズシンガーの色樹英麗奈だ。
「貴女もいたんですか、英麗奈さん」
私が声を掛けると、それに気づいた彼女は歌うのを止めて此方を見て微笑む。
「あら、悦子ちゃんじゃない。久し振り、そしてようこそ」
「えぇ、お陰様で」
皮肉交じりで返事をする。彼女は犯罪を犯した身とは思えない位に余裕そうだった。そんな彼女の様子を横目に見て、私はまた顔を伏せる。彼女のようには振る舞えない。
「どうしたの?元気ないみたいだけど?」
英麗奈が気遣うような口調で聞く。私は俯いたまま言った。
「貴女みたいに余裕でいられるのが不思議というか、羨ましいというか……もう少し自分が罪を犯したという自覚を、持った方が良いんじゃないですか?」
私の言葉に、彼女は少し不満そうな表情を見せた。すると彼女の横に動いてきたもう一つの独房から声が掛かる。
「貴女の言い分も最もですけど、此処の監視下に置かれるのは寧ろ幸運……少しは喜ぶべきですよ、初原さん」
同じくディメンションハッカーズのメンバー、桧星彗だ。彗はクロスワードパズルを解く手を止めぬまま続けた。
「歴史修正は命懸けの任務です。渡航先で思わぬ刺客に殺される事もあるし、世界線の崩壊に呑まれて死ぬ事もザラ。ましてや自身の存在を賭けて歴史を修正する人だっている。こうやって管理局に捕まって、此処で管理されて、命の保障があるだけでラッキーですよ。まぁ、罪の意識が重い人からしたら甘えって思ってしまうかもですけど」
そう言うと彼女は解いていたクロスワードパズルの解答欄に答えを書き込む。確かに、彼女の言葉は一理ある。私は自身の存在を危ぶむ戦いに挑んだ身。こうやって生きていられるのが寧ろ奇跡、幸せな事だ。
「そうですね……そう考える事にします」
「そうした方が気が楽ってものよ。ずっと気落ちしてたら、刑期が終わって外に出られても病むだけ」
英麗奈が微笑んでそう言った。その時、ゆっくりと動く独房の間を縫うように、ディスプレイが付けられたドローンが沢山飛んできた。その一機が私の前で止まり、ディスプレイに映る看守らしき男が言う。
『配食の時間だ。何が欲しい?』
「えっ?えっと…」
突然の質問に言葉を詰まらせる。するとそんな私を見兼ねた彗が助言をする。
「此処の配食は凄いですよ。好きな世界線の好きな物を取り寄せてくれます。あまりに遠い世界線だとその分時間はかかりますが」
好きな物が頼める―――そう聞いた瞬間、私の心はもう決まっていた。あの日、あの旅路で出会った思い出の味。私が不覚にも愛してしまった彼との短い恋。甘くてほろ苦い、忘れたくても忘れられないあの時間を。私はディスプレイに向かって言った。
「A65世界線、カフェ"Blanc"のガトーショコラを。アールグレイアイスティーとセットで」
実は最後に登場したカフェ『Blanc』は、構想途中で没になってしまった怪奇小説に登場する喫茶店の名前なんです。途中で書ききれなった未練が拭いきれず、僅かでも要素を入れたいと思い、此処に挟みました。少なからず没作もこの世界の何処かと繋がっている、という事を今回は覚えて帰ってくださいね。