【FILE.12-2】叶わぬ恋だとしても
増間亮に腕を引かれるままに訪れた大通りから一つ外れた小さな喫茶店。私―――初原悦子は彼と対面で座る。私と比べて背の高い彼だが、椅子に座ったことで私と目線が合う。顔が良すぎて直視できない。
「えっと……」
私は彼から視線を逸らして言葉を濁す。私の様子に彼は笑って言った。
「そんなに緊張する事無いよ」
そう言って微笑む彼の笑顔はとても爽やかだった。この人はきっと誰に対しても優しくて良い人なんだろうなと思った。
亮の奢りで好きな物を頼んで良いと言われ、お言葉に甘えてガトーショコラを頼んだ。私の目の前には置かれたガトーショコラをフォークを一口食べる。とても美味しい。こんなに美味しい洋菓子を食べたのは久し振りだ。夢中になってケーキを食べる私を、亮は微笑ましく見ながらコーヒーを飲んでいた。
ほろ苦い味わいのガトーショコラは私の心境に似ていた。私はこの世界線には居てはいけない存在だし、この世界線に来た理由は彼を誘拐する事。彼は私の母の初恋の相手と異世界線上の同一存在だ。母の知る初恋の相手は女性で、結ばれる事は叶わなかった。だから異世界線から男性である初恋の相手を探し出して連れて行く心算だった。数多の世界線を渡って漸く見つけた相手が彼だったか、予想外な事に私の方が彼に惚れてしまった。それに私は第一、嘘を吐き続けるのが苦手だった。穢れを知らない眼差しで私と話す彼を見る程に心が締め付けられる感覚は、甘い恋よりも苦い悲しみが強かった。
「……どうしたの?」
気が付くと彼が心配そうな表情を浮かべていた。
「あ、いや…何でもないですっ!」
慌てて誤魔化すと、彼は安堵した様子を見せた。
このままいつまで隠し通せるだろうか。
喫茶店を出て街を歩く。今日は休日なので多くの人で賑わっている。
「あのさ、これから何処に行く?行きたい場所とかあるかな」
隣を歩いていた亮が訊ねた。
「えっと……」
正直言うと何も考えていなかった。そもそもこの世界線については何も知り得る事は無かったし、私のいる世界線と雰囲気は似ていたとしても全く同じではない。私が知っているのはこの世界の大まかな情報だけで、細かい所までは分からない。周囲を見渡していたその時、視界の端に白を基調としたジャケット姿の男性2人組が見えた。
(あれって…時空管理局!?もうマークされてた!?)
彼らは私達の存在に気付いたのか此方に向かって来た。逃げようとして振り返るも時すでに遅し。黒髪長身の男性から声を掛けられる。
「初原悦子…君に違法時空移動機器所持の疑いが掛けられている。一緒に来てもらおうか」
そう言って男性は手を差し出した。その瞬間、私は理解する。これは詰みだと。逃げる術は無い。仮に逃げた所ですぐに捕まるだろう。諦めかけたその時、私と男性の間に割って入る様に亮が前に出る。
「ちょっと待ってください!何が何だか……」
亮を見た長身の男性は声のトーンを落として言う。
「庇う心算か?ならば犯人擁護で君も連行を…」
そう言いかけたその時、同行していた新人と思しき男性が引き留める。
「いやいや、待ってください!この時代ってまだタイムトラベルの概念が無いわけだし…」
2人が色々と言い合っている様子を見て、今が好機だと思い私は亮の手を引いて走り去る。後ろから制止の声が上がるものの無視して走る。距離を詰められ、捕まるかと思い、咄嗟の判断で私は左腕に装着した機械を起動させる。橙色の光と共に一冊の本が現れる。本を開き、書かれた文字をなぞる。すると竜巻が勢いよく吹き、男性2人が足止めを喰らう。その隙に路地裏へと入って行った。
暫く走った後、私は足を止め息を整えながら言った。
「ごめんなさい、巻き込んじゃいましたよね……」
彼は首を横に振った後に言った。
「大丈夫だよ。それより君は一体……」
私は答えられなかった。自分が他の世界線から来た人間である事を話しても信じてもらえない、下手したら頭がおかしいだなんて言われてしまうだろう。でもこれ以上自分に嘘を吐くなんてできなかった。意を決して私は真実を話し始めた。
「私はこの時代の人じゃないんです。そもそも住んでる世界線も違うし…私は貴方の事を、攫いに来たんです。私の母が貴方に…正確に言えば私の世界線にいる貴方との同一存在に恋をしていたんです。でも、その恋は叶わなくて…未来を変えてでも、私という存在が居なくなっても、母の恋を叶えてあげたくて……」
涙が溢れ、視界が滲む。私は彼に背を向けたまま続けた。
「そんな事言ったって、信じてくれませんよね…魔法みたいな道具使っちゃってますし猶更…」
しかし私の予想と反して亮は首を横に振って言った。
「信じるよ。別の世界線…マルチバースってやつだよね?この間僕が主演した舞台で取り上げられていたテーマだ。別の世界線から来た自分と出会ったら……みたいな内容の。まさか本当に、自分が演じた状況に似た事が起きるなんて思わなかった」
彼は笑っていた。
どうしてこの人はこんなにも優しいのだろう。泣きじゃくり彼を見つめる私。彼は私の肩に手を置いて聞いた。
「……名前、聞いても良いかな?」
「はい、初はr……」
初原、そう言いかけたその時、私の脳裏に過ったのは私の父だった男。母の小説家としての名声と金目当てで近付いた最低な男。その苗字を名乗るのは、正直嫌だった。目の前にいる亮と会うのはこれで最初で最後になる。ならば、母の旧姓で名乗っても問題はないか。
「伊川悦子です。母は伊川瑠美って名前です」
「瑠美……?」
一度話題にも挙がったので母の名前も言ってしまったが、それが彼には何か引っかかったのだろう。突然亮はズボンのポケットから携帯を取り出し、その画面を私に見せた。そこには亮と、若かりし頃の私の母に似た女性の姿が映っていた。
「この写真は…?」
私が訊ねると彼は笑顔で答えた。
「伊川瑠美は僕が今付き合っている彼女なんだ。大学の後輩で、劇作家を志してる。いつかは彼女の演出する舞台で主演を……」
彼の答えを聞いている途中で私は再び泣いてしまった。
(あれ…何で私、泣いてるんだろう?)
自分でもよく分からなかった。ただ嬉しかったのだ。別の世界線で母が、初恋の人と結ばれようとしている事実に。この幸せを私は引き裂こうとしていたのだ。そんな愚かな事をしようとした私が許せなくて、嘘を吐き続けた私が悔しくて、私は泣いた。
「悦子さん……大丈夫かい!?」
心配そうな表情を浮かべて彼が言う。
「はい、ごめんなさい。急に泣き出しちゃって……」
そう言って私は袖口で涙を拭う。そして私は携帯を取り出し言った。
「その画面、撮影しても良いですか……?」
「え、あぁ……うん」
戸惑いながらも亮が答えると、私はカメラアプリを開き、亮が見せた写真が映る画面を撮影した。軽く礼をして携帯を仕舞う。私は溢れる涙を拭うと、再び本を開きページを捲る。とあるページに綴られた一行をそっと撫でる。私は亮と目を合わせて言った。
「最後に一つだけ…増間亮さん。貴方の記憶から、私に関する情報を忘れさせます。ごめんなさい、色々と迷惑をかけてしまって…」
「待っt……」
亮が言い終える前に周囲は光に包まれる。そのまま亮は気を失って倒れた。それを確認した私は、悲し気な表情のまま路地裏から出た。
管理局の男性2人の姿を通りで見つけた。私は走り出し彼らの前に立つ。私の姿を見た新人の男が小銃を私に向けた。私は両手を上げ、目線を逸らす事無く言った。
「もう…十分です。私を確保して頂いて構いません」
「ほう、随分と潔いな」
長身の男性がそう言うと新人の男は銃口を下ろし、ジャケットの懐から手錠を取り出して私に近づく。私は続けて言う。
「手錠を掛ける前に、一つだけいいですか?」
許可する、と言うように長身の男が小さく頷いた。私は携帯を取り出し、メッセージアプリで母宛にメッセージを送った。無事に送信された事を確認すると、携帯を鞄に仕舞い、両腕を前に出してその場で正座し目を閉じた。
手錠が掛けられる金属音が、耳元で響いた。
眼を開けて、最初に視界に入ったのは白い天井と点滴の袋だった。僕―――増間亮は困惑しながらもゆっくりと起き上がる。そのすぐ後、病室の引き戸が勢いよく開き、慌てた様子で女性が入ってきた。僕の彼女―――伊川瑠美である。
「亮ちゃん!いきなり倒れたって聞いたからびっくりしたよ……」
彼女は目に涙を浮かべながら僕に抱き着いてきた。僕は彼女の頭を優しく撫でた後、少し離れて言った。
「心配かけて、本当に悪かった」
「軽い熱中症って聞いてたけど…本当に無理しちゃ駄目だからね」
そう言って彼女は鞄から小さな水のペットボトルを出して渡した。蓋を外して水を口に含む。渇いていた喉を潤した後、彼女に言った。
「そういえば、何か不思議な夢を見た気がしたんだ。まぁ、舞台の直前直後はそれに似た夢をよく見るんだけど……」
「どんな内容?」
「それが思い出せないんだよな。何か、君に似た女性が出てきたような……」
「ふぅん……」
残念そうな顔で彼女が見ていた。瑠美は僕の夢の話を脚本のネタにしたがる癖がある。その為、"夢の内容を思い出せない"状態は彼女にとっては最悪なのだ。
「何だよ、その顔…」
「別に?」
そう言って瑠美は笑みを浮かべる。その笑顔に、夢で会った誰かに重なった様な気がしたのだが、気のせいだと思うことにした。