【FILE.11-2】エースの娘と狂炎のクイーン
有栖川心姫が突然、"モニターパネルの操作方法が知りたい"と言い出したので、一線を退いてオペレーターに転身するつもりか?と一瞬疑った。ただそれは杞憂だったし、いざ事細かに教えてはみたが、その要求の意図が分かった瞬間に俺―――持田琴葉は呆れて物も言えなかった。16分割されたモニター画面の端の方で、彼女はジャズショーの映像を見ていた。
(調査課のモニターを私欲で使うなよ…)
調査課が使う大画面モニターは、俺達の住む正史世界のあらゆる時代に設置された監視用カメラと接続されており、そこから送られてくる映像や音声データをリアルタイムで視聴できる。そこで時空犯罪者の出現にも即座に対応できるという訳だが、一画面でも私欲で使われてしまったら業務に支障が出る(迷惑をかけないように端の方で見てくれているのだろうが)。
心姫が見ている画面に映っていたのは、布面で顔を隠した男性歌手―――ジャズに疎い俺でも名前は知っているくらい世界的に有名な覆面ジャズシンガーの"エース"だ。正史世界在住の男性という事以外素性もプライベートも全く明かさない謎の人物だが、その美しい歌声に魅了されるファンは多い。彼女もその一人なのだろうか。その時、彼女が衝撃的な事を言い出した。
「やっぱりお父様の歌声は最高ですわ!」
「お…お父様あぁ!?」
思わず頓狂な声で叫んでしまった。当惑する俺を見て心姫は不思議そうな表情を見せる。確かに言われて見れば彼女の髪色は若干エースのものに近くはある。しかし声質は全く違うし、そもそも親子なら顔が似ているはずだ。
「ま、マジっすか……?」
「あら、ご存じなかったんですの?まぁ、私が言ってなかったのも悪くはありますけど……私のお父様は最高の歌手ですわ!色々な世界を回ってる事もあって、ここ数年ずっと会えてなくて寂しかったんですの。だから過去の映像だとしてもお父様の歌っている姿を見たくて……」
「はぁ、そうですか……」
俺はそれ以上何も言わず、黙って自分の仕事に戻った。何せこの人には何を言ったところで無駄なのだから……
心姫が満足するまでモニターの使用を許可した。彼女は眼を輝かせながら映像に釘付けになっていた。部屋中に響く彼の歌声は確かに魅力的だ。心姫が操作盤を巧みに操り画面を切り替える。暫く操作したその時、彼女の表情が陰った。そして神妙な表情になり言った。
「…2039年5月16日、午前11時20分、アメリカ、ラジオシティ……」
「…は?」
あまりにも小声だったので俺は訊き返す。すると彼女は苛立ち気味に此方を向いて言った。
「2039年5月16日!午前11時20分のアメリカ、ラジオシティ・ミュージックホール前にゲートを繋ぎなさい!これは緊急事態よ!」
彼女の焦りを見せた表情に俺は軽く頷いた(本当なら了承の意味で"ウィーマドモアゼル"と言わないといけないところだが、一刻を争う事態なので省略)。俺はゴーグルを掛けるとノートPCを高速で操作し、部屋に設置された時空接続ゲートを起動させる。起動したそれを見て、心姫はゲートの中へと足早に飛び込んだ。
2039年5月16日、アメリカ、ラジオシティ・ミュージックホール。この日は世界的オーディション番組の収録が行われる日だ。収録開始時刻の13時に合わせて、出演者を乗せた車が次々と現れる。
11時15分、突然に何発もの銃声が響き、出演者を乗せた車が襲撃を受けた。黒を基調とした赤いラインの入ったジャンパーを羽織った麗しい女性が、気迫に満ちた表情で銃を撃ち続ける。悲鳴が通りに響き渡る中、建物内へ足早に逃げようとする2人の姿を彼女は捉えた。
「待ちなさい!」
彼女はそう言って2人へ銃口を向ける。その2人というのは、布面で顔を隠した男性―――ジャズシンガーのエースこと有栖川英二、そしてそのマネージャーの女性―――夕暮佳子だ。英二は布面越しに女性を見つめた。
「な、何故英麗奈が此処に居る…!?」
英麗奈―――そう呼ばれた女性は怒りの感情を込めて英二を睨み付けた。
「貴方を、貴方の全てを手に入れるのはこの私……貴方の隣に、私以外の女なんて居たらいけないの……!」
英麗奈は銃口を僅かに佳子寄りに向ける。英二は佳子を抱き寄せる。英麗奈の表情は更に険しさを増し、引き金を引いた。
11時20分、銃声が轟く。銃弾はあらぬ方向へと飛んでいく。銃が2人に向けて撃ち込まれようとした刹那、時空接続ゲートから飛び出した私―――有栖川心姫が英麗奈に向けて蹴りを一発かました。不意打ちを食らった彼女は、その衝撃に耐えられずに後方へと吹き飛んだ。私はそのまま着地すると、困惑する2人の方を少し振り返る。お父様、お母様と言いそうになった所をぐっと堪えて私は言った。
「早く逃げてください!」
そして私が蹴り飛ばした英麗奈の方を向き直る。彼女は明らかに母―――佳子を殺そうとしていた。きっと母をよく思わない歴史改変者だろう。ただ、母の生死は私の存在に大きく関わる事態。この改変は食い止めなければ私が消えてしまう―――そんな事を思いつつ、私は叫ぶ。
「時空管理局並行世界特務調査課・有栖川心姫が貴女を確保しますわ!!想像展開ですわ!!」
制服のブーツが光を放ち、靴底にローラースケートが装着される。脇腹を押さえながら立ち上がる英麗奈は苦しみ交じりの声で言った。
「管理局の連中が、何の用よ……私の邪魔をしないで頂戴!」
そして彼女は右腕を挙げて叫ぶ。その腕には管理局が使うイマージュギアとほぼ同様の機械が装着されていた。
「想像解放!」
彼女の叫びに呼応して機械が赤く光を放つ。そして赤い薔薇と茨の装飾が成されたスタンドマイクが展開する。スタンドマイクを掴むと、それを身体の中央に構えて息を吸い、歌い始めた。彼女の歌に合わせ、赤い炎が燃え上がる。火の粉が蝶の形になり飛び交う。距離を詰めようにも炎が邪魔をする。
―――その歌声には、恨みが、憎しみが籠っていた。
「エース様の人生という曲に、あの女という旋律は邪魔な雑音!!排除してやる……ただそれだけよ!」
彼女の瞳孔が開く。私は意を決してローラースケートを滑走させ炎の中へ飛び込んだ。
「いくら個人的な恨みがあるとはいえ、歴史改変は重罪ですわ!大人しくお縄に付きなさい!!」
「煩いわね!あんたには…関係、ないっ!!」
そう言って英麗奈はスタンドマイクを振り回す、と同時に赤い火球が放たれる。その1つを辛うじて避けた時、もう1つの火球が直撃しそうになる。しかし、それは私の横から現れた人物によって弾かれた。
「こ、琴葉……?」
電光刀で火球を切り裂き、私を抱き締めた持田琴葉は英麗奈を睨んで言った。
「さっきから黙って聞いてましたけど……あんた、とんだ束縛ストーカー女じゃないですか」
「な、何を言っているのかしら?私は只、エース様の為に……」
「本気でその、"エース"を愛して、応援してるんだったら…彼の幸せを尊重するべきでしょう!!」
常に気だるげな琴葉が珍しく語気を荒げている。彼なりに思うところがあったらしい。
「きっと彼は貴女の事、何とも思ってないと思います。それに、あのマネージャーさんと一緒にいる事を彼が選んだなら、それを受け入れて応援してあげるべきです。それすらも受け入れられずに思いを暴走させて犯罪に走るとか……あんたはファン失格だ。さっきのあんたの言葉を借りるなら、彼の人生にとっての雑音は……あんたの方だ!!」
そして勢いよく電光刀を振り抜き、スタンドマイクを切り裂いた。赤い光となってスタンドマイクは消失する。英麗奈は呆然と立ち尽くし、やがてその場に崩れ落ちた。私は彼女に手錠を掛ける。手錠を掛けられ泣き崩れる英麗奈を見た英二がそっと近づくと、見下すように言った。
「君にはがっかりだ、色樹英麗奈」
そして隣にいた佳子の背中に手を添え、建物へと入って行った。
「まさか助けに来るとは思いませんでしたわ!」
調査課の拠点に帰った私は琴葉に言った。
「…お嬢を守るのが下僕の務めなので」
「それと…どうしてオペレーターの筈のあんたが、ギアを持っていたんですの?」
私の問いに、彼は少し俯き目に答えた。
「てっきりお嬢は知ってるものかと思ってました。俺、元々は普通に調査員として雇われてたんですよね。ただ、世界線酔いって言うのか……時空移動すると体調崩して迷惑かけるのが嫌で、オペレーターに転向したんです。まぁ、過去に飛ぶ位なら平気だろうと思ったし、それに…」
「それに?」
「お嬢が傷付く所、見たくなかったから……」
琴葉は私から顔を背け呟いた。その言葉に思わず胸が高鳴る。こんな不思議な気持ちになったのは初めてだ。それが恋だと知るのは、もう少し先の話になるだろう。