始まり
冬も終わり、だいぶ春らしくなってきた三月。ここキャメロットでは、俺たちのために植えられた桜も咲き始め、卒業シーズン真っ盛りという感じだった。しかしキャメロットでは何故か六月に卒業式が行われるため、季節は春だが普段と変わらぬ日々を送っていた。
そんなある日。いつもと同じように登校し、二時限目を迎えた時だった。
「ん?」
なんか良く分からんが、突然閃いたような……直感が働いたというか、なんだか良く分からないが、不思議な感覚に襲われた。
それは本当に良く分からない感覚で、今日も真剣に授業を教えてくれるアニー先生が喋っている最中でも、思わず窓の外を見るほどだった。
だがもっと不思議だったのは、その感覚に襲われたのは俺だけではなかったようで、気が付くと全員が揃えたように窓の外を眺めていた。
「どうやら皆さん。その時が来たようですね?」
「え?」
もう俺には理解できない域に達していた数学を教えていたアニー先生は、俺たちの様子を見てそう言った。
そうそれは、多分聖刻の祠が開いたサイン。
少し寂しそうに言うアニー先生の言葉に、はっきりとこの感覚の正体が分かった。
しかしだ。Yを代入してどっちゃらかんチャラとか、二乗がどうで方程式がどっちゃらでとか言っていた先生が、突然北斗の拳のキャラみたいな事を言い始めた時には、数学はさらに上の領域を展開したのかと驚き、突然降って来た神のお告げなんて一瞬霞むほどだった。
「皆さん、教科書を閉じて下さい」
俺たちにいよいよその時が来たことを悟った先生は、自分の役目は終わったとでも思ったのか、教科書を閉じ、授業を止めた。
「皆さんは今、英雄として神に選ばれました。ここから先は、もう私の授業は必要ありません」
なかなかの勝負師。確かに今俺たちが感じた物はアニー先生の言う通り祠の開錠だ。だがもし、たまたま飛行機か何かの音に気付いて誰かが外を見て、それにつられて皆見ただけだったら、先生は赤っ恥だ。
それを言い切った先生には、流石尊敬できる先生だと改めて感心した。
まぁ、おそらく先生もラクリマやじいちゃんたちからそれなりに情報を得ているだろうからそれは良いとして、いよいよ来た祠からのメッセージに、ちょっと鼓動が高鳴った。
「この先、皆さんがどう行動すれば良いのかは理解できているはずです。さぁ行きなさい。これ以上私と過ごす時間は貴方たちには不要です」
俺たちが聖刻を授かるのは確かに何よりも大切だ。だがアニー先生も焦り過ぎているのか、いきなり魔王を倒してこいと言うRPGの王様みたいな突き放し方には、さすがに英雄に選ばれた俺たち三年一組の面々でもちょっと付いていけなかった。
そんな先生のノリのせいで、一瞬皆どうすれば良いのか訳が分からなくなってしまったのだが、そこも流石先生。さらに放つ言葉は、無駄に胸に刺さった。
「短い期間でしたが、皆さんと一緒に過ごせた時間、ありがとうございました。どうかご無事でお戻りください」
先生の感謝の言葉。それは建前ではない本心だと伝わった。そしてまた会いたいという意思が滲み出ていた。
「私は、三年一組の担任として待っています……」
「先生!」
真っ先に飛び出したのは、まさかのエリックだった。するとそれを皮切りに、リリア、ヒー、フウラが飛び出し、クレア、キリア、フィリア、ジョニー、マリア、ツクモ、ウィラが続いた。そしてその後、皆が先生の周りに集まるから、俺たち“今三年B組金八先生いる?”ちょっと冷めた組も集まった。
「せんせ~い! 今までありがとうございました!」
「せんせ~い!」
行かなければいけない。祠の呼びかけにそう感じ、この三年一組ともお別れなのは分かる。だけどそんなに焦って今行かなければいけないわけでもない気がする。なのにアニー先生の言葉に、今すぐ行かなければいけないとでも勘違いしているのか、エリックやリリアたち純粋組は卒業式並みの勢いで涙を流す。
「皆さん、お気を付けて行って下さい。無事全てが終わりましたら、またこの場所でお会いしましょう」
「せんせ~い!」
アニー先生も感極まったのか、自分で作った展開に涙を流し、温かい声を掛ける。
「せんせ~い! 卒業証書くださ~い!」
「分かりました。次にここで会う時までに、用意しておきます」
「せんせ~い!」
こういう時に卒業証書をおねだりするリリアは、やっぱりなんか間違っていた。
「せんせ~い! 私は先生と会えて……本当に……良かっ……おえっ!」
「そうですね、エリックさん」
そして、別に明日出発でも良いのに、今嘔吐くほど泣くエリックもまた間違っていた。
「さぁ皆さん、早く出発の準備に取り掛かって下さい。こうしている時間よりも、皆さんにはもっと大切な時間があります。この三年一組は、皆さんにとっては通過点です。ここにある黒板、机、椅子、この教室は、成長した皆さんの笑顔で溢れる事を待っています。そのために、皆さんは向かうべき道を見据えて下さい」
「せんせ~い!」
「さぁ、行って下さい。例え皆さんが英雄となり、聖者となっても、私はいつまでも皆さんの担任です」
「せんせ~い!」
とても温かい先生の言葉。ここまで来るとマリア、ツクモまで潤っときていた。それはもう魔法のようで、ある意味アニー先生も選ばれし者だった。
そんな先生との別れは、早く行けと言われているのにも関わらずしばらく続き、結局チャイムが鳴るまで続いた。そこでようやっとお別れ会は終わったのだが、なんか出発に関しては色々あるようで、結~局そのまま先生も含め、エヴァを議長に引き続き出発に関してのミーティングが始まった。
「んじゃ、先ずは、ミカエル様の祠を目指す」
全員が本当に祠の開錠を感じ取ったのかはさておき、エヴァは全員が資格がある体で話を進める。しかしこういった進行役はやったことが無いのか、いきなりの決めつけに反論が起きる。
『え~⁉』
各々思う所があるようで、かなりの数の否定の声が上がる。
「な、なんだよ急に⁉ なんか問題でもあんのかよ⁉」
やはりエヴァはこういうのは駄目なようで、否定の声に対し半ば喧嘩腰に声を上げる。
それに対し、いの一番にまさかのパオラが手を上げる。しかしながら、やはりエヴァ、全然気づかず無視。
その代わり、学級委員長であるクレアが反論する。
「たしかにアルカナにあるミカエル様の祠を最初に目指すのは分かる。だが、わざわざ全員で行く必要はないだろう?」
ミカエル様の祠は、演習があったアルカナ寺院にあり、場所もはっきりとしている。そこを最初に目指すのは確かに間違いではない。だが……
「そりゃ一番近いし、安全に行けるからだろ?」
「そんなことは分かっている。だがミカエル様の聖刻と関係ない者まで同行する意味が無いと言っているんだ。あそこなら警備も万全だろ?」
「そりゃそうだけど……一応お前ら狙われてるんだぞ?」
「そんなことは分かっている」
謎の紋章を持つ組織。彼らが俺たちの命を狙っている以上、エヴァの考え通り皆で行動するのがベスト。しかし、この何とも言えない、まるでずっと欲しかったゲームを手に入れ、今すぐにでもプレイしたいかのような焦燥感。おそらくこの感覚は俺だけでなく皆にもあるようで、クレアが反論する気持ちには納得だった。
そして、初めは教室のドアを蹴破る程お転婆だったあのパオラが、ずっと挙手しているのを見ると、パオラがこのクラスで一番成長したのだと感慨深くなった。
「祠は……」
「おいちょっと良いか?」
「ん? なんだリーパー?」
「最初に手を上げたのパオラだぞ? なんでパオラに当てない?」
「えっ?」
美しいまでの挙手姿勢。その眼は議長を一点に見つめ、自分が当てられるその時を待つ。
「あ……あぁ、済まなかった……エヴァ、パオラを指名してあげてくれ」
「あ、あぁ……どうぞパオラ」
「はい!」
こういう場では挙手制。どうやら皆焦るあまり三年一組の暗黙のルールを忘れていたらしい。
パオラの初心を忘れない姿勢が皆に冷静さを取り戻させたのか、やっとここからまともな議論になりそうだった。
「一番最初は私”たち“のとこが良い!」
エヴァが最初にパオラを当てないから、まさかの振り出し。だけど今俺が注意しなければもっと後に振り出しに戻っていたと考えると、逆に今パオラに発言させて正解だった。
そんでもって、“私たち”とパオラが言ったことを考えると、どうやらパオラはアドラも同じ祠へ向かうのだと分かっているようで、俺とマリアと同じ異母兄弟であってもそこまで分かる感性には驚きだった。ちなみに俺は、マリアが同じとこに向かうかどうかは不明だった。
このパオラの発言による振り出しは、いつもの如く議論は長引きそうな雰囲気だった。
そうなるとエヴァは面倒くさがる。
「わーった、わーったよ! 結局お前ら早く自分たちの祠に行きたいんだろ?」
なんだかんだ言っても、エヴァにも駆り立てられるような高ぶりはあるようで、俺たちの気持ちは理解しているようだった。
それでもこういう早く帰ってゲームがしたくても耐える訓練はしているようで、冷静に議論を進める。
「だけどよ、お前ら狙われてるのは知ってるよな? それに、祠に呼ばれてるのはお前たちだけじゃないのも分かってるよな?」
エヴァの一言にハッとした。確かにエヴァの言う通り、祠に呼ばれているのは俺たちだけじゃない。おそらくキャメロットやラクリマでも把握していない加護印を持つ者だっているはずだ。
それはつまり、聖刻の争奪戦! 俺は貰えなければそれはそれでラッキーだが、どうしても欲しい組にはこれは余計な一言だった。
「それは分かっている! それならこんな話をしていないでさっさと個別に出発するべきだ!」
一っ番聖刻から遠い存在のクレアだが、一っ番熱を帯びる。ちなみにクレアは、ファウナ曰く、加護印は完全に発現していないが一応発現はしているらしく、あるんだか無いんだか良く分かっていない。しかしこの感覚があるところを見ると、一応資格はあるらしい。
「ったく……」
さすがのエヴァも、学級委員長のクレアがここまで熱くなると、お手上げのようだった。しかしさすがだけあって、聖刻の事はアニー先生以上に知っているらしく、思わぬことを口にする。
「良いか良く聞けお前ら。聖刻ってのはな、祠に呼ばれて、試練をクリアすれば全員貰えんだ」
「? どういう事だエヴァ?」
「言った通りだ。お前ら聖刻は七人しか貰えないって思ってるみたいだけど、最初はみ~んな漏れなくもらえる」
「何っ⁉」
聖刻ってそんな応募者全員サービスみたいな物なの⁉
「お前らなんだかんだ言っても所詮現代っ子だな。学校で教えてくれる物だけが全てじゃないぞ?」
くそっ! エヴァだって現代っ子だろ!
「だいたいよ、ちょっと考えれば分かるだろ? 最初の七人しか聖刻もらえないんなら、そいつらがはずれだったらどうすんだよ? おめぇ、自分が神様だったら、先ずは色んな奴に渡すだろ?」
確かにエヴァの言う通り! だけど言い方が気に喰わん!
分かる。エヴァの言いたいことは良く分かる。これから世界を救おうって思う奴が、学校でしか習わない事しか知らないなんて話にならん。それに、エヴァの言う通り、自分が神様なら、先ずは才能ありそうな色んな奴に配って、その中で精査していく。
ゆとり世代と揶揄され、結局お前ら大人が作った制度だろと思っていても、エヴァの一言でやっぱりゆとり世代なのだと痛感した。
それでも人類が作り出したゆとり世代。ここまで馬鹿にされてもクレアは怯まない。
「しかしだ……では聞くがエヴァ。何故そんな大事な事を“人類”は歴史に残さないのだ? お婆様や英雄の協力を得て、史実に忠実に基づいた映画ジャンヌでも、そんなことは一切描かれていなかったぞ?」
二年ほど前、ハリウッドでジャンヌという映画が公開され大ヒットした。その映画は、公開前はザ・アテナという名で公開予定だったが、なんか色々な大人の事情で駄目になって批判殺到だった。しかしいざジャンヌと言う名で公開されると、そのリアルさと完成度で数々の記録を塗り替える大ヒットとなった。
実際俺も最初の方を少し見ただけだけど、プライベートライアンを彷彿とさせる戦場オープニングは素晴らしく、その映像美には感銘を受けた。まぁ……その後色々あって最初の十五分くらいしか見てないけど……あれは糞だった!
そんな映画だが、クレアの言う通りあれは五十年前の英雄の協力を得てまで制作された映画だけあって、エヴァの説明には疑念が残った。
「映画? ジャンヌ? ……まぁ何のことか知らねぇけど……」
オメェ知らねぇのかよ⁉ これだけ詳しいのに逆にびっくりだわ!
「とにかくそういうのは所詮エンタテイメントだ」
いや! 元英雄が手伝ってんだよ⁉ 何言ってんのエヴァ⁉
ここまで来るともうエヴァの言う事に説得力はなかった。だがやっぱり聖刻を授かるために訓練を受けて来た人間。歴史の裏に隠された恐ろしい理由を説明する。
「良いか良く聞け。聖刻ってのはな、貰って終わりじゃねぇ。あくまでガーディアンとしての資質を認められただけだ。本当に英雄って奴になるには、そこから他の奴の聖刻を奪わなきゃならねぇんだよ」
それはつまり、聖刻を掛けた殺し合い。もし本当にエヴァの言う事が事実なら、俺は実の妹のマリアと殺し合いをしなければならない。それどころか、エリックに関しては幼いスクーピーと殺し合いをしなければいけないと思うと、猛烈に怖くなった。
「分かったろ。なんでこの話が歴史に残らないか。英雄なんてな、なんだかんだ言われたって所詮殺戮者なんだよ」
これには教室内は一気に静まり返った。
それでも行かなければいけない。そう本能が騒ぎ立てる感覚は治まることは無く、誰しもが諦めてはいなかった。
「し、しかし……それでも私たちは行かねばならん。私たちが行かねば、どの道人類は滅ぶ」
別に俺たちが行かなくても他の誰かがやる。ここまで聞いてもそんな思いは一つも出てこなかった。
「なら決まりだ。先ずは全員でミカエル様の祠を目指す」
「しかしそれでは、フィリアたちが争う事になるぞ?」
「安心しろクレア。聖刻を貰ってすぐに奪い合うってことは無い。聖刻を奪い合うにしても、ただ奪えば良いってもんじゃない。それぞれが経験を積んで、その中で学んだことを奪わなければ意味が無い。だから……まぁ行けば分かる。折角互いに顔知ってんだし、そう焦んな。とにかく一回俺を信じて、皆でミカエル様の祠に行こうや。その後の事はそこからでも遅くない」
誰しもが真っ先に自分の聖刻が貰える祠へ行きたい。しかし、エヴァの互いの顔を知っているを聞くと、なんだか気持ちが一気に落ち着いた気がした。
「明日朝六時に出発する。ここに集まれ」
そう言うとエヴァは話を止めた。
こうして俺たちは、最初の聖刻を授かるため、ミカエル様の祠があるアルカナを目指す事となった。
ここからやっと後半です。