法女様の力
「おいヒー。何があったんだよ?」
ブレハート家の姉妹喧嘩が終わると、いつものように俺たちの出番だった。フィリアがリリアたちの方へ向かったため、俺はヒーの元へ向かった。
「……ごめんなさいリーパー。全部私が悪いんです」
余程ラクリマの噛み付きが効いたのか、あれだけ熱くなっていたヒーは、いつもの冷静を通り越してしょんぼりとしていた。
「俺に謝っても意味ねぇよ。謝るならリリアとフウラ、そんで先生たちにも謝れ」
「…………」
ヒーたちが喧嘩をしたことで、試練は一時中断となった。それこそなんか頑張った感があるジョニーが戻って来ても誰もそれに触れる暇さえないほどで、次に控えるツクモまで準備を終えて薙刀のような防具を着てこっちを覗いている有り様で、ジョニー、ツクモにとっては迷惑極まりなかった。
そして試験官だろうか、“ヴィニシス先生”やフィリアのおじさん達までこっちを見ている始末で、妹たちが起こした喧嘩は予想以上に甚大な被害をもたらしていた。
「で、何があったんだよ?」
「リリアが……フウラと仲良くしてたから、頭に来ました……」
どうしたヒー⁉ 確かに幼稚なところはあるが、まさかそんな子供みたいな理由でリリア叩いたの⁉
超驚いた。ヒーがそういう子供っぽいところがあるのは知っていたが、まさかそこまでとは思ってもおらず、意外過ぎる理由に一瞬言葉を失った。
「そ、そうか……」
だけど妹。ちゃんと話を聞いてやらなければ解決しないと思い、先ずはヒーの言い分をしっかり聞こうと思った。
「でもなんでリリアがフウラと仲良くしてたらダメなんだ?」
「リリアがフウラと仲良くしたら……私と遊んでくれなくなるから……」
「そうか……」
よっぽど懲りたのか、ヒーは珍しく子供のような事を言う。それはまるで幼少期に戻ったかのようで、ラクリマの唾には毒でも混じってるんじゃないかと思った……あれ? そういえば、ラクリマの聖刻って舌になかったっけ? 力使った?
それでもヒーが本心を語ってくれたことで、はっきりとした理由が分かった。
前にフウラの抱き付き事件でヒーが切れた時、ジョニーが言っていた。『ヒーは家族を取られることを極端に恐れる』と。
あの時はそんなはずはないと聞き流したが、恐らくジョニーの読みは当たっていた。なんでヒーがこうなったのかは分からないが、それが分かると喧嘩をした理由に納得がいった。
「でもフウラは従姉妹だろ? 仲良くなっても問題ないだろ?」
「……そうです。フウラはもう一人リリアが増えたみたいで、私は好きです……」
この矛盾。おそらくヒーは既にフウラを認めている。なんだかんだ言っても、純粋を引き継いだような三人がいつまでも憎しみ合っているはずもなく、結局のところあれは愛情の裏返しだったのだと思うと、後は互いに素直になれば直ぐに仲良くなる気がした。
何より既に三人は、兄弟並みの喧嘩をするほどまで漕ぎつけており、何もしなくとも時間が解決してくれるところまで来ていた。
「じゃあリリアたちのとこに行って謝るか? そうすればリリアとフウラも許してくれるから」
そう訊くとヒーは、気まずそうに口を紡ぎ俯いた。
「俺も一緒に行くからさ?」
「……うん」
相当凹んでいるようで、俺が行くから謝りに行くという感じでヒーは頷いた。それを見て、まだヒーの中では許せない何かが残っているのだと感じた。すると、あることを思い出した。
「なぁヒー? お前らビンゴしたって聞いたんだけど……もしかして地獄ビンゴしたのか?」
「……うん」
マジかっ⁉
地獄ビンゴ。それは、リリアが考え出した運を競う悪魔のゲーム。ルールは基本ビンゴと同じだが、使用するマスは十×十の百マスと非常に多く、数字もAからZまでそれぞれ百あり、その総数は二千六百を超える。そのうえマス全てを抜かなければビンゴとはならない。
ここだけならまだ長期戦のゲームで済むのだが、恐ろしいのはここからで、一度出た数字は何故か再び箱に戻される。そのため常に確率は二千六百分の一以下となり、ゲームが終盤に進むほど動きが無くなる。それだけならまだ良いのだが、さらに暗黙のルールとして、抜いたマスの数の多さでマウントの取り合いが始まり、特に動きの無くなった終盤に誰かがマスを抜くと、数よりも当てた方でのマウントが始まり、最後は殺し合いに発展する、人間の本性をむき出しにする狂ったゲームである。
過去俺たちは三度このゲームに挑戦し、最も長い物で一週間続けた。しかしそのどれもが最後まで辿り着けず、全て殺傷沙汰で流れている。
最初は何故三人がここまでの争いに発展したのか謎だったが、悪魔のゲームに手を出したことを知ると、取っ組み合いの喧嘩をしたのは愛情の裏返しでなく、ただ単に憎悪と狂気に飲まれただけだったんじゃないかと一気に不安になり、もう三人は一生近寄らせない方が良いような気がした。
それでももう行くって言ってしまった以上ヒーも行く気満々で、子供のように俺の袖を掴むと行こうと引っ張り、歩き始めた。
おいおい。また喧嘩になんじゃないの?
あのゲームはマジでヤバイ。特にフラストレーションが溜まりまくった終盤のマウントは凄まじく、取る方も取られる方も人を悪魔に変える。その頃には思考が停止し、運こそ全てだと感じるほどで、フィリアでさえ平然と俺たちを“貧乏人”と罵るほどだ。
そんなゲームの魔障からまだ解放されていない三人が、再び顔を合わせるのは非常に危険だった。
それでもヒーがぐいぐい引っ張るから、最終的にはフィリアと俺が間に入る形で立ち、両陣営向かい合う事になった。
最初に口を開いたのはヒーだった。
「あ、あの……ごめんなさい……」
申し訳ないでも、済みませんでもない、ごめんなさいと言ったヒーは、間違いなく本気で謝っていた。それはリリアも分かっているはずだが、どうやらまだ魔障からは解放されていないようで、上から目線で物を言う。
「ヒー。私は謝りませんよ。悪いのはヒーですから」
こんな状態になっても、一切自分の非を認めないリリアも本気だった。っというかリリアがこんなことを言うのはヒーかおばさんに対してくらいで、本気で怒っているときのいつもという感じだった……つーか、地獄ビンゴしようって言ったの絶対リリアだよね? 自業自得じゃん!
続けてフウラが言う。
「私も謝りません。ヒーが『私の兄よりリーパーの方が偉い』と言ったのを謝るまでは許しません!」
お兄ちゃん⁉
それを聞いて、ある記憶が一気に蘇った。
数年前、リリアたちが『従兄が死んだらしい』という話をしたことがあった。それは本当に噂話程度にちょっと触れただけで、その時はリリアたちもそんな事があったらしい程度で済ませていたから、そうなんだ程度で終わっていた。だがフウラの言葉を聞いて、それがフウラの兄だったんじゃないかという直感が働いた。
実際リリアたちは、外国にいたためキャメロットに来るまではフウラとは数回ほどしか会った事が無いと言っていた。それにリリアたちにはそれ以外の従兄妹がいるとは聞いたことが無かった。
何よりフウラが、その言葉を出した時だけ異常に目の色が赤く変わったのを見て、本気なのだと分かった。
リリアたち高魔族は、感情が異常に高ぶると一層目が赤くなる。これは相当な高ぶりが無いと発現することは無く、俺も過去に一度二度あったかくらいしか見た事が無かった。
それほどまでの感情の高ぶりを見せるフウラに、直感はかなり確信に近いと思った。
「ご、ごめんなさいフウラ……あれは間違いでした。リーパーは偉くないです。フウラの兄よりは凄いの間違いでした……」
おい⁉ 何言ってんだよヒー⁉ お前謝る気あんのかよ⁉
なんの訂正か知らないが、まさかヒーがここで火に油を注ぐような事を言い始めたのには愕然とした。
当然フウラもこれには納得できず、歯を見せて物凄い形相を見せる。ただ、その形相はなんか違っていて、怒っているんだか悔しいんだか分からない表情には、逆に怖さを感じなかった。
「何なんですかその言い方は! ヒーは謝る気が無いんですか!」
フウラ大激怒。だけどあの形相で、下手くそに足でダンダン地面を踏む姿は何か違って、猫の威嚇のような行動は、怒っているんだか怒っているを表現したいんだか良く分からなかった。っというか怒り方もリリアに似ていて、それが一番怖さを感じさせなかった。
それでも怒っているのは確かなようで、遂には腕まで付けて悔しそうに地面を踏む。
「もうなんなんですか!」
これは怒っている。確かに怒っている。それは間違ってはいなかった。
そんなフウラの味方をするように、今度はリリアが言う。
「そうですよヒー! なんなんですか! 何でちゃんと謝らないんですか!」
リリアは何に対して激昂しているのか分からないが、とにかく怒っているようで、フウラと同じように二回地面を踏んだ。
そんな二人に対し、ヒーは結構落ち着いてきたのか、冷静にリリアに返す。
「喧嘩をしたことは謝ります。だけど間違ってない事は謝りません」
「なんでなんですか! じゃあヒーが、『私はリーパーより凄いけど、リーパーの方が偉い』と言ったのは何なんですか!」
おい! こいつら一体何の話から喧嘩になったんだよ⁉ 少なくともリリアは何で怒ってんだよ⁉
恐らくフウラとヒーだけならここまでの喧嘩にはならなかった。原因はやっぱり奴のようで、何気に俺を見下しているのも含め、先ず奴を何とかしなければいけなかった。
「それも事実です。リーパーはリリアより偉い」
ヒー⁉ 何名言みたいに言ってんだよ⁉ 結局こいつら何で喧嘩してんだよ⁉
五十嵐家なんだかブレハート家なんだか知らないが、この血筋の考える事はやっぱり意味不明だった。
もう俺たちには着地点が何処なのかすら分からない戦いだった。それこそどうすれば治まるのかさえ分からず、ただリリアとフウラがダンダン地面を踏むのを見ている事しかできなかった。
そこへ、窮地を見かねたのか、法女様がやって来る。
「もう。どうしたの三人とも?」
また来た⁉
分け分かんない三人に、さらに分け分かんないラクリマが加わると、そこは混沌とした世界だった。それでも周りの目もあるし、ラクリマの立場がある以上、とにかく任せるしかなかった。
「良いですか三人とも。親、兄弟、親族、全ては貴方たちを移す鏡です。それは他人よりもさらに鮮明に自らの姿を映し出します。今ここに、こうして三人が相まみえる事は、幾つもの軌跡が重なり合い、また、幾つもの偶然が必然という神の意志を導いたからなのです」
一応法女様。なんか良く分からんが、なんかそれっぽい事を言っている。
「その奇跡の巡り合わせは貴方たちに慈悲を与え、恵みをもたらし……」
「うるさいっ!」
確かにラクリマが一体何をしたいのかは分からないが、ここで法女様に吠えるフウラは異端児だった。しかしながら法女様もまた異端児だったようで、うるさいと言われると一気に表情が変わり、戦闘兵に豹変した。
「うるさいって何よ! チビの癖に生意気よ!」
今度の法女様は違った。さっきは直ぐにバイオレットさんたちが止めに入ったが、今度はきちんとした公務のようで、ラクリマがフウラに飛びつくとすぐさまリリアが参戦して乱戦になっても誰も止めず、最終的に二人がラクリマに噛み付かれて大人しくなるまで、神聖な儀式は続いた。
「――ドンゲッ! ターキー! ラグラッ!」
法女様の説教。それはほんの二分ほど続いた。リリアとフウラはそれに抗う様に抵抗していたが、体格体重共に一回り上回るラクリマの前には普通に力でねじ伏せられ、見事に噛まれた二人は、最後になんか絶対暴言を吐かれて地にひれ伏していた。
強かった。意外とラクリマは強かった。流石スラム出身だけあって動きはヤンキーで、動きづらそうな服を着ていても圧倒的暴力で賢者を含む二人を制圧した。それはもう聖職者とは遠くかけ離れた存在で、最後の髪を乱しながら涎を垂らし噛み付く姿は正に狂犬そのもので、ラクリマだけドッグファイトだった。
「……ごめんなさいヒー」
「ごめんなさい……」
恐るべき法女様の力。どうやら本当にラクリマの涎には毒か何かあるようで、あれだけ騒いでいた二人は打って変わって大人しくなり、半泣き状態で謝罪を口にした。そして遂には感極まって泣き出し、そこにヒーが加わると三人で謝りながら泣いていた。
「ラクリマ。何したんだ?」
あまりの二人の変わりように、まだフーフー言ってる最中だが、ラクリマに声を掛けた。
「ちょっとね、調子に乗ってたから……力、ぶち込んでやった」
「そ、そうか……」
「私のね、力ね……人の心、穏やかに、出来るから」
本人は全然穏やかな状態ではないが、ラクリマは聖刻の力を使用したようで、あれだけ高ぶっていた三人を一瞬で鎮める力には恐れ入った。ただ自分には効果が無いのか、まだはぁはぁ言っているラクリマを見ると、聖刻の力も万能ではないのだと知った。
「まぁとにかく、これで落ち着いた。ありがとうなラクリマ」
「う、うん!」
めちゃめちゃはぁはぁ言ってるけど、礼を言うとラクリマは笑顔を見せてくれた。
こうして何とか三人の喧嘩を止める事は出来たが、まだツクモたちの試練もあるし、三人も泣いてるしで詳しい話は聞けるような状態ではなかったため、一旦ヒーたちは置いといて試練は再開された。




