鬼の形相
試練を受けるためラファエル様の祠を訪れた俺たちは、全員で第五の部屋を抜け、いよいよ試練会場に足を踏み入れた。
「こちらが試練会場となる、結界晶の部屋です」
ここへ来るまでの部屋と違い広々とした空間は、岩肌が剝き出しの空洞のようになっており、天井を支えるための太く大きな石の柱が何本も並んでいた。照明にはここまで広い空間だと松明や篝火だけでは足りないようで、油でも流しているのか、炎が壁際を取り囲むように燃え広がっていた。
最奥には祭壇のようなものがあり、大きな鐘が二つ両脇を飾り、中央にはラファエル様でも模したような翼の生えた人型の銅像が祭られていた。
そんなゲームとかで出てくる隠しボスが居そうな洞窟には、中央にガラス張りの部屋のようなものがあり、その中にまるで超貴重な宝石でも飾られているかのように、紫色をした手のひらサイズの結晶体があった。
「皆さま、ご気分に変化はございませんか? 魔障を放つ結晶石は結界の中にありますが、ここまで近づくと、加護印を持つ者でもかなり危険な距離になります。体調が優れない方は直ちにご報告願います」
ここへ繋がる最後の扉が開いた時、確かに今までとは比べ物にならないくらいの変化を感じた。それこそ獣を超えて魔物の臭気が漂ってきたんじゃないかというほどの生温かさがあり、まるでサウナの扉が開いたかのような感じだった……あ、サウナみたいな温かさは、多分バカみたいに燃える照明の熱だったかもしれない……
正直ここはちょっと暑かった。それというのも全部照明の炎のせい。ただでさえ湿気が多かった地下なのに、この炎は愚策だ。しかし魔障は電気系統を狂わせるため、仕方ないと言えば仕方が無かった……
「あっ! やべっ!」
「どうしたの急に⁉」
「スマートウォッチ外すの忘れてた!」
「あっ!」
「マリアのは大丈夫か⁉」
基本的に俺たちは、常に位置を把握するため、スマートウォッチを付ける事を義務というか、義務付けられていた。そんなもんだからすっかり忘れていて、見たときにはもう画面はウルルルルっという感じで大パニックを起こしていた。
「あ! 私のやつ完全に壊れた! リーパーのは⁉」
「俺のはバグり散らかしてる……」
「皆のは大丈夫⁉」
気付いた時にはすでに遅しだった。全員のスマートウォッチは正常には機能していなくなっており、ほとんどが電源さえ入らない状態だった。
「申し訳ありません! 私の方でも注意するのを忘れていました!」
「いや、いい。俺が言うのを忘れてただけだ。それにどうせコレはキャメロットで貰ったやつだ。これが終わったら後でその辺にいるキャメロットの奴に他のを持ってこさせるから、気にしなくていい」
「本当に申し訳ありません! エヴァ様!」
エヴァは意外と偉い立場の人間だったようで、大変なミスをして平謝りする試験官を前にしても、どこかの社長並みに偉そうにする。
あ……エヴァって意外と凄いんだ……それでも偉そうにし過ぎじゃない?
これにはちょっと引いた。エヴァと試験官の関係は一切分からないが、それでもかなり年上が頭を下げているのにタメ口で偉そうにして、意外と性格が悪いと思うと、ちょっと付き合い方を考えようと思った。
「まぁそれより、さっさと試練とやらをしようぜ? 俺ちょっと面倒臭くなって来ちまった」
エヴァ⁉ お前さっきから大分口悪いと思ってたら、そういう理由だったの⁉
エリックの件から徐々に口が悪くなっていたエヴァだったが、本当に機嫌が悪かったらしく、変化の分かり辛さに意外と面倒な性格だと思うと、やっぱり付き合い方を少し考える必要がありそうだった。
それに対し試験官は、我儘社長のエヴァには慣れているようで、さっきまで平謝りしていたはずだが、一瞬逡巡したかと思えばまた真面目な試験官に戻り、淡々と作業を再開した。
「それでは、試練を始めたいと思います。ですがその前に、最後の確認です。皆さまご気分の方は如何ですか? これより先扉を開けば、今とは比べ物にならないくらいの負荷が掛かります。もしこれ以上は耐えられないと感じられる方は、直ぐに辞退を申し出て下さい」
正直、加護印を持つ俺でもこれ以上の魔障はかなり怖い。魔障によりどんな影響が体に出るかは分からないが、現在でも結構な息苦しさを感じ、そしてちょっと暑い。
俺でこんな状態なのに、いくらスクーピーに守られてるとはいえ、加護印を持たないエリックにはもう無理だと思った。
だが漢エリック。というか、もうエヴァに釘を刺されている以上、例えゾンビ化すると分かっていても辞めますは言えないようで、かなり険しい顔をしているが手を上げなかった。
「……分かりました。では、これより試練を開始致します」
こうしてエヴァを恐れて辞退できなかったエリックは、試練に参加する事となったのだが、その内容が伝えられると、エリックはもうダメだった。
「試練は、あちらにあるガラス張りの結界の中に一人で入って頂き、結晶石を持ち上げ、一秒以上保持して頂きます」
はいエリック終了!
これは火を見るよりも明らかという諺が綺麗にハマるくらい、結果が分かり切っていた。間違いなくエリックがあの中に入り結晶石を触れば、たちまち白目をむいて泡を吹き、髪が抜けて体が緑になり、服がボロボロになって茶色くなり、う~、あ~しか言えなくなって、歩くとき常に両手を前に出して歩かなければならなくなるのは目に見えていた。
やべぇ! 弱化のポーションも金のリンゴも持ってないよ!
もうこれは仕方が無かった。いくらエリックが英雄の血を引く候補者であっても、加護印を持ってない以上ここでの脱落は仕方が無かった。そう思っていたのだが……
「んじゃ、エリック。先ずエリックが行け」
エヴァー⁉ ここはリーダーとして絶対止めるべきだよ⁉
完全にエヴァはエリックを殺す気だった。そう思うほど言葉が軽く、ノリも軽かった。
「おいエヴァ! それはいくら何でも無理だろ!」
さすがにこれは止めに入るしかなかった。そうしなければエリックを失う。それはマリアたちも同じ気持ちで、ウイラまで止めに入った。
「そうだよエヴァ! これ以上は無理だよ!」
「そうです! 加護印を持つ私でも危険を感じるほどなのに、今のエリックが挑むには無謀としか言いようがありません!」
加護印を持つ俺たち三人でさえ、あの結晶石に触れるのは危険だと分かるのに、それをさも同然のようにエリックにやらせようとするエヴァの気持ちが分からなかった。
そんな俺たちの声には、流石のエヴァもやり過ぎだと感じたようで、ちょっとたじろぎを見せたのだが、まさかのエリックが異議を唱えた。
「三人とも落ち着いて下さい。私は大丈夫です。無理だと思えばそこで辞めますので、私に挑戦させて下さい」
「無理すんなよエリック! あれはマジでヤバイ!」
「そうだよエリック! エヴァの事なんか気にしないで自分の身の安全を守った方が良いよ!」
「それは分かっています。ですけど、ここが私の加護印を発現させる最後のチャンスかもしれません。もう既にスクーピーが加護印を発現させている以上、最低でもスクーピーはガーディアンとして戦わなければいけません」
加護印しか持たない者は、聖刻者を守るために護衛に付かなければいけない。しかしそれは人間が勝手に決めた事で、絶対というわけではない。
「そんなの気にすんなよエリック! 別にスクーピーが居なくても何とでもなる!」
「そうだよ! だから無理しなくて良いよエリック!」
「そういうわけにはいきません。もしかしたらスクーピーは聖刻を授かるかもしれません。それに、聖刻者の言葉は絶対です。加護印すら持たぬ者の言葉など意味を成しません。そうですよね? エヴァ?」
「……そうだ」
スクーピーが聖刻を授かる可能性は十分ある。だけどそれ以上に、聖刻者の言葉は絶対という言葉が重く、とても怖かった。
「良く聞けお前ら。魔王と戦えるのは、聖刻を与えられた者だけだ。それはつまり、世界を救えるのは聖刻者だけだという事だ。仮にスクーピーが聖刻を受け取れば、必ず戦わなけりゃならん。それにガーディアンも必要だ。そしてガーディアンはほぼ死ぬ。戦いが始まれば、スクーピーが四歳だからなんて言ってられないくらい死人が出るんだ。覚えておけお前ら。これからお前たちが挑む戦いは、戦争以上に戦争なんだ。それをエリックは分かってんだよ」
エヴァの言う事は、さんざん聞かされて嫌というほど分かっている……つもりだった。しかし今現在でも自分にそれが本当に降りかかるとは本心では思っていない。そんな俺たちに比べ、加護印を未だ発現させていないエリックだからこそ、あの結晶石から放たれる魔障を普通の人間として体感し、もう後がない事を知ったのだろう。さらに言えば、スクーピーが既に確定している以上、もうエリックは引くわけにはいかない土壇場に立たされている事を悟って覚悟を決めた。
いつも頼りなく弱弱しいエリックだったが、ここに来て妹を守るため命がけの戦いをしようとする姿に、もうどちらが加護印を持っているのか分からない状況だった。
「そういう事です。皆さんのお気遣いは大変嬉しく思いますが、どうかここは私を信じて下さい」
もう結晶石しか目に入っていないのか、そう言うとエリックは前を見つめたまま表情が今までに見せた事もない鬼の形相になった。それは変身と表現していいほどの怒りの形相で、あの優しいエリックが怖いくらいだった。
そして試験官の声を待たずに結界へ近づく姿は殺し合いに向かう鬼のようで、急激な変化はもう俺の知るエリックじゃなかった。だが、歩み出す瞬間『必ず聖刻は私がもらいます』と小さな独り言を言うと、鬼の姿になってもいつもの優しいエリックだと感じ、初めて人が殻を破る瞬間を見たと感動に近い衝撃を受けた。




