名勝負
キリアと始まった殴り合いの第二ラウンド。戦いは約束通り、聖刻も魔法も無い素手での殴り合いだった。そんな戦いも、最初こそはキリア優勢で形になっていたが、所詮素人二人の殴り合いは、誰もが予想したように泥試合へと変貌していた。
「フー、フー、フー……」
「ハァ、ハァ、ハァ……」
お互い顔ボッコボコ。瞼は腫れ上がり視界は悪く、鼻は詰まって息苦しい。汗はだらだら、鼻血もだらだら、涎もだらだら。体中は痛いし、両手はほとんど感覚が無い。髪もぐちゃぐちゃで、唇は文字通りタラコ。特に途中にキリアから始まった、互いに襟首を掴んで右手で殴り合うという、ドンフライ対高山善廣ばりの意地の張り合いは顔の左側ばかり腫らし、最早俺たちの顔は、ストⅡのガイルの敗北顔よりも酷い事になっていた。
「フー、フー……うおおおぉぉぉ!」
「うおおおぉぉぉ!」
もう体力も体も限界。だけど意地という気力は健在。っというか、もうここまで来ると条件反射に近く、どちらかが殴り掛かれば嫌でも体がそれに応えてしまう。
それでも体は正直。声こそは一丁前だが、ほとんど小走りに近い歩みで距離を詰め、猫パンチみたいな拳でポコスカポコスカ、ポコスカウォーズ。
正に名勝負だった。
「……ふんっ! ……ふんっ!」
「……ふっ! ……ふっ!」
そこにあるのは意地だけ。パンチを“落とす”時でさえ、掛け声ではなく息苦しさでふんふん言ってしまう。
当然そんなパンチでは、痛くはあっても芯には響かず、無駄に体力を削り合うだけ。
本当は俺だって開幕からの派手な殴り合いを語りたかった。しかしボコボコマンにまでなってしまうとまず間違いなくここがハイライトで、最初の頃にあった俺の華麗な捌きや、キリアの見事なワンツースリーなんてゴミみたいなものだった。
だけどこれだけ互いに拳をぶつけ合うと、分かることもある。それは、いくら拳をぶつけ合っても、決して友情なんて物は生まれないという事。
よく漫画やアニメでは男同士が殴り合って友情が芽生えるとあるが、こんだけボコボコにされると逆にぶっ倒してやりたくなる。
途中までは確かに、お互いなかなかやるな的な認め合いみたいな感じはあったが、やはりこういうのは度を超えてしまうと駄目らしい。寧ろ今は久しぶりの疲労と息苦しさで殺してやりたいくらいイライラしていて、これはマジでどちらかが気絶するまで続きそうだった……っというか、こいついつまで殴ってくるんだよ! もういい加減諦めろよ! しつけぇな!
所詮素人同士の争い。どんな人間でも拳一つあれば人を殺せると思っていても、相手と自分の拳をボコボコには出来てもなかなか難しい。それもお互いが自由に動けるとなるとさらに難しい。だからと言って締め技や関節技、キックなどの攻撃を先にすれば敗北感を味わう。
こいつはただの意地の張り合いだった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「ふぅ……ふぅ……ふぅ……」
ポコポコやって、疲れたら離れてまたはぁはぁ。そんでどちらかが先に動けばまたポコポコ。もうこの辺で誰か止めに入って欲しいくらいだった。
「はぁ……はぁ……」
「ふぅ……ふぅ……」
こんなのはもう聖刻者の戦いじゃない。だけどどっちも絶対に先に負けを認めたくない。多分今まで戦ってきた中で、一番の激闘だった。
「ふん……ふん……おら行くぞっ!」
「来いっ!」
ポコポコポコポコポコポコポコポコ……
DIO対承太郎のラッシュの応酬。例えるのならそんな感じの凄まじい猫パンチのぶつかり合い。両者一歩も引かない激闘だった。
「ふんふんふんふん!」
「ふっふっふっふっ!」
「オラオラオラオラ……」
「うおおおぉぉぉ……」
声だけは一丁前。だけどお互い本気。
そんな戦いは、両者行き着くところまで突き進んだ。
ポコポコポコポコポコポコポコポコ……
「――はぁ……はぁ……はぁ……」
「はぁ……はぁ……はぁ……」
聖刻を使わなければ所詮ただの高校生。限界へ辿り着くのにそう時間は掛からなかった。
もう俺は視線を上げる事すら難しく、白目をむきたがる目を何とか留め、地面しか見えない。おそらくキリアもそうで、しばらく地面を見つめたまま立っているが攻撃は来ない。それでも息遣いからまだ奴が立っている事だけは分かり、ここからが真の勝負だった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
リリアが良く言っていた。勝負とは限界だと思ったところからだと。そこまで辿り着けば例えどんな相手であろうと対等な勝負になると。
そう言いリリアは、いつも負けに負けてもストⅡでヒーに戦いを挑んでいた。そこから勝った事など一度も無いが……
だけど今なら分かる。これこそが戦いで、俺が望んでいた物だったのだと。
不死の力を手に入れてから、戦いの中で燃えるような楽しみを感じた事は一度も無い。それはどんなに力を使っても、いくらでも補充できるという、いわば課金と変わらない要素があったからだ。
俺が望んでいたのは、全てを出し尽くすことが出来る相手。燃え尽きるような勝負。
こんな素手での殴り合いだが、今俺は、戦うという事、己の限界というものを知った。
残された力はあと僅か。この全てを使い切って初めて俺は新たな領域、クリアマインドの世界へと辿り着く。そしてさらにその先の境地、オーバートップアクセルシンクロの世界へ。
ただ立ち尽くし、白目になりたがる目を必死に捉え地面だけを見つめる。俺は今正に限界領域にいた。
トマトケチャッピィ……サラダ……トマティ……ケチャッピィ……トマ……
「……きろ……しょう……」
ん?
「おい……か……しょう……」
んん?
「大将!」
「はっ!」
「起きたか大将」
「え?」
暗闇の中で声が聞こえた。それは何度か続き、突然はっきりすると、何故か目の前にはカスケードたちがいた。
「……ん? なん、痛ぇっ!」
「喋る前に傷を治した方が良い。随分と腫れているからな」
「え?」
何が起きているのか……いや、自分が何故ここにいるのか。体中が痛みやだるさに何故襲われているかさえ考える事さえなく、何故自分がここにいるのかが分からなかった。
「なかなか良い試合だったぞ、大将」
「はぁ?」
「まぁ、勝ちはしなかったが、今まで一番面白い試合だった」
その言葉を聞いて、やっと記憶を取り戻した。
「はっ! 勝負はっ! はぁわわわ……ひ~……ひ~……痛い~」
俺はキリアと殴り合いの勝負をしていた。それを思い出して慌てて起き上がると、全身の痛みに漫画のような甲高い声が漏れた。
「もう勝負は終わったんだ。早く傷を治した方が良いぞ、大将?」
「は~……は~……おい! 俺とキリアとの勝負はどうなったんだっ!」
今はまだ何も理解していない。それこそまだ勝負の途中なんてさえ思っておらず、ただなんでこんな事になっているのかとにかく理由が欲しくて、聖刻を使ってはダメも忘れて傷を治していた。
「引き分けさ、大将」
「引き分け⁉」
「あぁ。大将も相手も立ったまましばらく動かなくなったから、流石に審判が確認に入った。そしたら二人とも立ったまま気絶していたから、ドロー試合になった」
「立ったままっ⁉」
そんな弁慶みたいな勝負の着き方が本当にあるとは驚きだった。
「あぁ。見事な“やられっぷり”だった」
「ええっ⁉ 俺やられたのっ⁉」
「いや、ドローだ」
「ドローなのっ⁉」
「あぁ。二人とも気絶していたからな」
「ええっ⁉ 二人とも気絶してたのっ⁉」
「そうだ」
やったのは俺たちだが、カスケードの話を聞くと誰の話をしているのか分からなくなっていった。
「ええっ⁉ じゃあ俺は負けたの⁉」
「いや、ドローだ」
「えっ⁉ それはつまり……どういう事⁉」
「……あっちを見て見ろ大将」
「え?」
今の俺相手では話は通じないと分かったようで、カスケードは向こうを指さした。するとその先にはちょっと顔を腫らしたキリアが立っており、結局まだ何が何だか訳が分からないままだった。
だけど全ては終わっているようで、カンパネラの姉さんの労いで全てを理解する。
「良い試合だったぞ、モチロン・マックス」
「え? 姉さん……」
「特に掴み合っての殴り合いは、見ていて久しぶりに高揚した。惚れ直したぞモチロン・マックス」
「…………」
これは聖刻も命も賭かっていない、ただの喧嘩。だけど姉さんの労いの言葉で全てを悟ると、引退試合で負けたボクサーの気持ちが分かったと思うほどしょんぼりした。
そうなると皆もここが勝負だとでも思うのか、慰めるかのように痛め付けに入る。
“さすがダンナだぜ。あれこそ男の勝負ってもんだ。華だったぜ”
“隊長格好良かったよ! あてぃしも戦いたくなっちゃった!”
「正に戦鬼のような戦いでした、陛下。恐れ戦いてしまいました」
「やはりエドワードの血筋ですね? あまり褒められる戦い方ではありませんでしたが、リーパーの戦い方からは、人に勇気を与える力を感じました。大変素晴らしいです」
「…………」
「ほらクレア。貴女も何か、愛する者へ声を掛けてあげなさい」
「…………あ……怪我は大丈夫か?」
「…………」
クソッたれ共がっ! 苦労もせめて何か一言言えや!
心無い、建前。こいつ等はいつもそう。カンパネラの姉さんは違うけど、メンバーはいつも俺を倒す事ばかり考えている。
だけど例えそう思っていても、勝って当然みたいな感じで行って、結局引き分けという結果を出した自分も悪い。こいつ等だって絶対そう。“あ~あ。ここで勝てば次のファウナで終わりだったのに”みたいなことを絶対思っている。
キリアなんてどこの馬の骨とも知らない奴に、ムキになった事を後悔した瞬間だった。
「次の試合を始めます! 両者、選手を選出して下さい!」
まぁそれでも結果は結果。例え俺が頑張ったとしても結果だけが全て。結果だけが残る。もう鼻くそをほじることしか俺に出来ることは無かった。
「さぁ、次の試合です。“結果はどうあれ”約束通り次は私が行きます」
もう出番も終わったし、引き分けちゃったし、俺の出来る事は終わった。だからファウナに馬鹿にされてももう全然痛くないし、ファウナは負ければいい。
そんな俺の想いを背に受け、いよいよ真打が戦場へと降り立った。




