鬼哭啾啾
襲撃してきたチームとの戦いは、カスケードとチンパンがウリエル様の聖刻者と二対一の局面を作り出したことで、大きく変化していた。それは俺たちにとってはあまり良い状況とは言えなかったが、ラクリマのお陰でまた流れが変わり、ここを乗り越えられればほぼ勝利は約束された正念場へと突入していた。
「どうした! 随分と慎重じゃねぇか! もっとガンガン来いよ!」
「ほざけっ!」
ラクリマがミカエル様の聖刻者を押さえてくれたお陰で、彼らはバリアによる鎧を失った。これにより、特に俺と接近戦をしなければならないルキフェル様の聖刻者は踏み込みが甘くなり、またその踏み込みの甘さにより、ラファエル様の聖刻者の援護がワンテンポ遅れることになり、かなりこちら側に有利な流れを作り出していた。
「意外だな。黄泉返りは相手を倒すためなら、怪我なんて気にしないと思ってたんだけどな? 俺の知り合いならもっと派手に戦うぜ?」
「その名で呼ぶなっ! ぶち殺すぞっ!」
ちょっとした友達自慢のつもりだったのだが、彼にとっては“黄泉返り”という言葉が相当気に障ったようで、今までとは明らかに違う怒りを見せた。
「わりぃ、そんなつもりは無かった……すまん……」
アドラとパオラは、黄泉返りと呼んでも一切気にする様子は無かった。だから差別用語だとはそれほど深く思ってはいなかった。
彼らは敵だけど、決して憎み合って戦っているわけじゃない。俺の失言でお茶を濁してしまった事には、心底反省した。
するとルキフェル様の聖刻者も、性根までは腐っているわけでは無いようで、構えを解いて大斧を肩に担ぎ、手を止めた。
「何なんだよテメェは?」
「何だとは?」
「さっきからヘラヘラしやがって。そんなに殺し合いが楽しいのか?」
「はぁ?」
確かに戦闘はそれなりに楽しいという気持ちはあった。だけど笑顔を見せるような余裕はなく、ニヤニヤ笑っているという意味が分からなかった。
「俺がいつ笑ったって?」
「テメェふざけてんのか? ずっとヘラヘラしてんだろうが。頭おかしんじゃねぇのか?」
「はぁあ?」
俺としては、寧ろ楽しんでいるのはそっちの方だと思う。っというか、仮に俺が戦闘中そんな顔になっていたとしても、それを非難することの方が差別のような気がした。
「おいおい。人様の顔馬鹿にすんな! 俺がどんな顔して戦ってもオメェには関係ねぇだろ!」
そんなんどうにもならない! 真剣になると舌を出す奴もいるし、頬を膨らませる奴だっている。それこそウンコするとき険しい表情だってする。努力では何ともならない身体的特徴を馬鹿にするのはイジメだった。
しかしどうやらそういう意味では無かったらしい。
「さっさと手の内出せって言ってんだ。次は殺すぞ?」
「そりゃこっちのセリフだ。オメェがビビッて逃げ回るから、こっちだって手加減してんだろうが」
手加減しているわけではない。俺が魂の炎を出してから相当危機感があるようで、彼の踏み込みが甘いせいでこっちも勝負できないだけ。それに加え、俺の笑顔の癖のせいで、相手にはまだまだ余裕があるように見えているらしい。
それもまぁ仕方が無かった。何故なら格上である俺の聖刻レベル三に対し、ルキフェル様は同じ三、ラファエル様はレベル一では、神と大天使様の聖刻の差でビビらざるを得なかった。
「それにあっちの女だって、オメェがビビッてるせいでやり辛そうにしてるぞ? もう腹括って掛かって来いよ?」
「テメェ……」
ラファエル様の聖刻が宿っている銃弾は、敵味方関係なく脅威となる。それは撃つ側にも大きなプレッシャーを与えるようで、上手く連携が取れなくなってからは、ジーパン女の動きは特に悪かった。
「それともあれか? あっちが決着するまでこうしてるか? 俺としてはそっちの方がありがてぇけど、本当に大丈夫なのかオメェら? わりぃけどあの黒コート負けるぞ?」
そう言うと、二人はチンパンのバリアの方を見た。それを見て、彼らは本当に信頼関係が無いのだと分かった。
「チッ! 良いぜ、そろそろ決着と行こうぜ。もうこの船もいらねぇ」
彼らが襲撃して来た目的は、どうやらこの船だったらしい。ラファエル様の聖刻者がやけに初々しいとは思ってはいたが、そういう事らしい。彼らはラファエル様の聖刻を得て帰る途中、豪華客船を見つけて奪おうと考えていたようだった。
そんな海賊根性なんだと思っていると、本来の目的は別にあるらしくジーパン女が叫ぶ。
「待てよっ! この船が無くなったらまたあのオンボロに乗らなきゃなんねぇんだぞ! もう食うもんがねぇんだぞ!」
「うるせぇっ! もうキザ野郎もハゲも駄目だ!」
「なら逃げるぞ! そいつはヤベェ!」
「逃げるのはこいつを殺してからだ!」
「諦めろフルっ! そいつを殺すにはこっちも三神を見つけなきゃ無理だ! それにこっちももう弾が切れる! もう援護できねぇんだぞ!」
「テメェは黙ってろ! それならさっさと船に戻って逃げる準備でもしとけ!」
彼らもこの状況にはかなり追い詰められていたらしい。だけど仲間を見捨ててまで逃げようとする根性には、反吐が出そうになった。
「おいお前。お前、フルって言うのか?」
「あ? それがテメェに何の関係があるんだ?」
「名前だよ。オメェの名前はなんて言うんだよ?」
「だから、それがテメェに何の関係があるのか聞いてんだよ!」
「仲間見捨てて逃げんだろ? 見逃してやるよ。その代わり、オメェの名前教えろ。次にオメェの名前聞いた時、真っ先にぶち殺しに行ってやっから」
ウリエル様の聖刻者もミカエル様の聖刻者も、懸命に戦っている。彼らがどういった理由でチームを組んだのかは知らないが、それを見捨ててまで自分たちだけ生き残ろうとする考えは、人とか聖刻者とか関係なく許せなかった。
「だったら今殺してみろよ」
そう言うとルキフェル様の聖刻者は、本当に全部終わらせるつもりのようで、一気に聖刻を全開にした。
「おい! テメェはさっさと船に戻れ! テメェごと斬り殺すぞ」
「チッ! どうなっても知らねぇからな! 今度はテメェが魚取って来いよ!」
こうなってしまってはもう彼は止まらないらしい。食糧危機に瀕していても、仲間がまだ戦っていても、ジーパン女は迷わずこの船を捨て、海面に飛び降りて行った。
「さて、テメェを殺せば、テメェのアズ神様の力貰えんのか?」
マジで彼はやるつもりらしい。禍々しい聖刻を放ちだすと、瞳の色も髪の色も皮膚の色さえ悪魔のようになり、肩に担ぐ大斧をあり得んくらい巨大化させた。
「オメェ、本当に良い根性してるよ。この船には普通の人間も乗ってんだぞ?」
「関係ねぇよ。死ねば同じだろ?」
「マジで育ちがわりぃ奴だな。ちょっと待ってろ」
あそこまでなれば、彼は本当にあの大斧で船を壊す。そうなればバイオレットさんたちもフォイちゃんも死んでしまう。俺がモタモタしていたのが悪い。ここは是が非でも俺が止めるしかなかった。
「ラクリマ! ラクリマの力で船を守れるか! 悪いけど俺も全力でやらなきゃ駄目だ!」
「それは無理」
「えっ⁉」
「だけど思い切りやっちゃって。信じてるから」
未来予知の力を持つラクリマの“信じているから”はどっちか分からなかった。未来を見て大丈夫なのか、それともマジの信じているなのか。だけどラクリマが言うと、なんか全部上手く行きそうな気がした。
「……分かった」
本心では、駄目じゃね? という気持ちは物凄くあった。だけどもう相手は物凄い事になってるし、やる気満々だし、信じるしかなかった。
「ったくよ。なんでアズ様の聖刻者でもねぇ奴に本気になんなきゃなんねぇんだよ。おい! フルだかウルだか知らねぇが、お前、楽に死ねねぇぞ」
「さっさと掛かって来やがれ」
「恥を知れっ! この三下!」
喧嘩を売ったのはアイツ。だから俺は買った。そのうえ聖刻レベルは同じと来れば、もう遠慮なんてもんは存在しなかった。
魂の領域を一度限界まで広げ、収縮して濃度を高める。その濃度を利用して、相手に対抗するために魂の大鎌を成形。無礼者を粛正するための俺の怒りが加わった鎌は、負けず劣らずの黒紫色の炎と怨嗟のような音を纏い、おどろおどろそしさを放つ。
それでも、鎌の大きさは大斧に比べると、かなり小さかった。
「随分とでけぇなオメェの斧は? そんなにデカくて大丈夫か?」
「なっ、舐めてんじゃねぇぞこの野郎!」
武器の大きさでは大斧が圧勝だった。しかしやはり聖刻自体の強さはこちらに分があるようで、放つオーラは段違いだった。
あっちは物理特化、こっちは物質特化。全く違う性質を持つ武器同士だが、生物に与える恐さの前では意味を成さない。
これだけ聖刻者がいる中で、場を支配したのは一丁の大鎌だった。
「鬼哭啾啾だったけかな? かっけぇ漢字だから覚えてんだよ。鬼が哭くって。良い音色だろ?」
とても心地良い地獄の怨嗟のような音。何故アズ様の聖刻者が死神と呼ばれるのか。この怨嗟全てが自分の所有物だと思うとそちら側に行く気持ちは良く分かり、俺が得意とする治癒能力など下らない物に見えた。
「さてと……んじゃ、さっさとやろうぜ、斧使い。こいつをどれだけ維持できるのかが分かんねぇんだ。最高の切れ味の時に斬られりゃ、少しは楽に逝けるぞ」
この時、初めて自分が笑みを見せていたことに気が付いた。




