言葉
「うぃ~、お疲れ~」
“あっ! 隊長!”
“おっ! ダンナ!”
ラクリマとの訓練を終えると、一日だけの休暇が与えられた。そこでやることも無いから、シャワーを浴びた後カスケードたちと合流することにした。
「大将、訓練は終わったのか?」
「いや」
「なんかぶっ通しでやっても意味ないらしいから、記憶を定着させるために一日休めって言われた」
「なるほどな。流石はプロだな。きちんと管理されているな」
「あぁ。それにしても……」
「どうした大将?」
「いや、何でもない……」
訓練中、どうやらカスケードたちは同じ部屋で時間を潰していたらしい。そこはちょっと豪華な一室だったのだが、机に向かい本を読むカスケード、ソファーで果物を食うチンパン、羽音を立てて飛び回るフォイちゃんというカオスな世界で、まるで極悪組織のアジトのようだった。
多分この部屋に掃除に来た人は、生きた心地がしなかっただろう。
“隊長、”あてぃし“木が欲しいんだけど”
「木?」
“うん”
フォイちゃんは大分慣れたようで、自分の事を“あてぃし”と言うようになり、俺の事を隊長と呼ぶようになった。隊長に関しては、大将、ダンナ、とあいつらが呼ぶからという理由らしい。
“あてぃしベッド欲しいの。木はあるけど、あの木臭くって駄目なの”
部屋には観葉植物はあった。だけど気に入らないらしい。っというか、フォイちゃんは巣を作ろうとしていた。巣が完成すれば、この部屋は増々混沌とするだろう。
“カスケードには何度も頼んでるんだけど、言ってる意味分かんないみたいなの”
いつも一緒にいて俺が中継役を務めていたから気付かなかったが、考えてみれば俺がいなければ三人は会話が出来ない。それなのに平然と一緒にいた三人には、敬服だった。
「分かった。出来るだけ臭いのしない木を頼んでおくよ」
“ありがとう隊長”
そう言うとフォイちゃんは飛んで行き、天井に止まって木の部分を一生懸命かじり始めた。そして気が付くと天上の隅に小さなひょうたんみたいなハチの巣が建造されており、もう手遅れだった。
どうやら後で、ラクリマに謝罪しなければいけないようだった。
「おいカスケード」
「どうした大将?」
「お前、大変だったな」
「なぁに、意外と言葉が無くても通じ合えるもんだ。なぁ相棒?」
“そういう事だダンナ。俺たちはもうそういう仲だ”
チンパンとカスケードには既に言葉など必要なさそうだった。カスケードの言葉に歯を見せて笑うチンパンは、完全にカスケードの言葉を理解していた。だが……
「そう怒るな相棒、別に相棒を馬鹿にしたわけじゃない」
どうやらカスケードは、チンパンが歯を見せたのは怒りを表していると勘違いしているようで、全然チンパンの意思を理解していなかった。でも今はそのままでも良いので、一切伝達するつもりは無かった。
多分フォイちゃんとチンパンは人の言葉を理解できるが、カスケードは二人の意思を理解できない。地球上で最も知能が高いと呼ばれる生物である人間が、まさかこの中で最も意思を理解できない事実には、人間の進化も大したことは無いと思ってしまった。
「それより、カスケードお前、何読んでんだ?」
訓練を受けている最中、俺は三人が何をしていたのかは全く不明だった。特にチンパンとカスケードには、フォイちゃんの前で煙草は吸うなと伝えていただけに、余計にやることが無く退屈していると思っていた。だが意外と暇の潰し方は知っているようで、カスケードは珍しく難しそうな本を読んでいた。それも俺が部屋に来てからもずっと。
「なぁに、ちょっとした勉強だ」
「勉強だ? またパチンコか?」
多分この船には、パチンコに関する本は無い。だけどパチンコと言えばカスケード。カスケードと言えばパチンコ。彼なら例えここに無くても、パチンコの本を読んでいてもおかしくなかった。
そんな不真面目なカスケードは、俺が尋ねると本を閉じて立ち上がった。
「丁度良い。大将、良い物をみせてやろう」
出た! 良く分からんカスケードワールド! この感じは絶対下らない物が出てくる。ここで予想以上に下らない物を出したら、即海に捨ててやろうと思った。
海に落ちるか生き残れるか。ここで俺に舌打ちでもさせようものなら、大した物だった。
またどうせ下らない物を見せようとするカスケードは、指の無い左手の甲を見せた。そして突然聖刻の力を使い出した。
「おい、何する気だ?」
聖刻の力はかなり危険だ。それも法女様が乗るこんな船の中で下手に使えば、直ぐにでも直属部隊が飛んで来る。実際フォイちゃんとチンパンまで身構えるほどで、遂にカスケードは笑いを取るため、闇に手を伸ばし始めた可能性があった。
「大丈夫だ、安心してくれ大将。マナーくらいは知っている」
「ほんとかよ?」
「あぁ。ちょっとしたお披露目だ」
何を見せる気なのかは知らないが、そう言うとカスケードはさらに聖刻の力を高めた。すると力は左手に集まり、失われた左手の薬指と小指を形成した。
「なっ、なんだお前それ⁉ どうやった⁉」
鉄の薬指と小指。それもきちんと動くようで、ただの飾りじゃなかった。
「なぁに、ジッポを指として変化させただけだ」
ウリエル様の変化の力。カスケードはまだレベル一だが、今なら義手を作るくらいはできる。だが、まるで神経まで繋がっているような動きは高度過ぎて、ほとんど生命を司るアズ様の力と変わらなかった。
「ジッポを変化させたって……」
「ちゃんと火も出るぜ」
「いや、火はどうでもいい」
いつの間にか得たカスケードの力は物凄い技術だった。それに、きちんと下らない薬指から出る火。こいつはやっぱりバカだった。
「そんな事よりもお前、それどうやってやった? その指、神経まで繋がってるだろ?」
「電気信号を受けているだけで、神経までは繋がっていない」
「その接続はどうやってやった? そりゃアズ様の力と変わらないぞ?」
見た目は完全な鉄。だけど接続方法は神経と変わらない。もしかしたらウリエル様の力で、人体の一部を鉄に変化させたのかもしれない。だけどそれは完全に俺の力を超えており、レベル一のカスケードが扱えるはずが無かった。
「この本のお陰さ」
カスケードはさっきまで読んでいた本を見せた。しかし何語か分からない文字の表紙に、さっぱりだった。
「何だよそれ?」
「医学書だ」
「医学書? あのお医者さんとかが読む本か?」
「そうだ」
分厚くて難しそうな本。それを自慢げに見せるカスケードに、コイツは本当に理解できているのだろうかと疑念しかなかった。
「指の構造、骨、筋肉、神経、血管。それを調べた。そしてそれを真似て指を作った。この指は間違いなくジッポを変化させた、鉄と綿でできている。手指義手というやつらしい」
ウリエル様の聖刻者はインテリが多いらしい。でもまさかカスケードまでもがそうであったのは、衝撃の事実だった。そしてライターの機能は全く説明になってはおらず、意味不明だった。
「まさかこんなに上手く行くとは思ってはいなかった。これなら足も出来そうだ。そうなればもう、俺の歩く速度に大将たちも合わせる必要は無いだろう?」
別にカスケードに合わせて歩いていたわけじゃない。ただのんびり行きたかったからそうしていただけ。でも、やっぱりカスケードは気にしていたと知ると、置いて行けばよかったと今更思った。
「でもよ、それって本当にウリエル様の力か? 俺でも分かるぞ、それがどれだけ難しい事なのか」
「あぁ、そうだ。だけど大将は何か勘違いしているようだ。ウリエル様の力は、有機物を無機物にすることはできるだろうが、逆は出来ない」
「有機物? ん?……どういう事だよ?」
変な本読むから、急にカスケードは難しい言葉を使うようになった。もっとタバコを吸わせて脳細胞を殺さなければ、いずれ分け分からん英語まで使い出しそうで怖かった。
「簡単に言えば、人間を鉄には変えられるが、鉄を人間には変えられないという事だ」
「いや、多分俺でも鉄を人間には変えられないぞ?」
「アズ神様は生命を司る神だ。今は無理でも、いずれ大将にも出来るはずさ」
「そりゃ無理だろ?」
「粉々になっても生き返れるんだろ大将は? それだけで十分無理を可能にしている」
「ま、まぁ……そう言われればそうだけど……」
出来んのかもしんないし、出来ないのかもしんない。だけど生き返ること自体が既に異常だと考えると、無理ではないのかもしれない。
「宇宙は塵から始まったらしい。その塵が集まり石となり、岩となって星が生まれたらしい」
なんか急にカスケードは宇宙について語り始めた。元々頭が悪い癖に、無理して医学書なんて読むから、遂に頭が逝ってしまったらしい。
「そしてその星、地球に生命が誕生したらしい。現代科学が真実なら、命は全て塵から作られた。言ってみれば命は塵が起原だ。大将、命とはなんだ?」
「え? じゃあゴミじゃね?」
「そうだ」
何が『そうだ』なのか知らんが、カスケードが伝えたいことは分かる。もしかしたらアズ様の力を極めれば、本当に石でさえ命に変えられる。そうなれば俺は、地球上どころか、宇宙空間においても無限に近いエネルギーを得ることが出来る。使い方次第では無敵にさえなれる可能性があった。
「まぁ、カスケードの言いたいことは大体分かったよ。暇な時でもお前らの煙草で実験してみるよ」
「フッ。メンソールは止めておけ大将。インポテンスになるぞ?」
「うるせぇよ」
こいつは絶対エロ目的で医学書を読んでいた。そうでなくてはこの短期間でここまで医学に詳しくなるはずが無い。まぁ、どうでも良いが。
「俺の話はもういいよ。それより、結局その指はどうなってんだって話」
「ウリエル様の力さ」
「それはもう聞いた。で、その原理は?」
「ウリエル様の力は変化だが、物を構築するには知識が必要なんだ。だから勉強していた」
「なるほど。つまり知識がなければ、変化できることに限界があるって事か?」
「そういう事だ大将」
言われてみれば確かにそう。何でも変化が可能であれば、アズ様よりも強力。実際あれだけ頭が良さそうなジャンでも、魔力変化くらいしかウリエル様の力は使っておらず、魔法ではフウラに負けていた。
個人の知識によって変化の度合いや形が変化するウリエル様の力は、正に変化を体現していた。
そんな事よりも、ここまで聞いてだが、どうしても納得のいかないことが一つあった。
「じゃあ、アレだ。カスケードはもう勉強すんな」
「何故だ大将?」
「オメェ頭悪い癖に、勉強なんてするから分け分かんねぇこと言うんだ。それによ、指を真似て作るくらいなら、初めから自分で指の役割をする新しい物作った方が早いんじゃね?」
それを聞いてカスケードは、今さっき自分で作った指を見た。
「ウリエル様の力は、知識じゃなくて多分創造力が必要なんだと思うぞ? 気持ちわりぃ人体実験なんかすんじゃねぇよ。オメェの足は俺が実験的に治すんだからよ」
カスケードが力を付けようと努力したことは認める。だけどカスケードにインテリは似合わない。カスケードの持つ独特の発想力こそ俺たちのチームには必要だ。
このまま知識ばかりを追い始めれば、いずれカスケードはジャンのようになってしまうかもしれない。
それに、いつも無礼で適当だからこそ俺たちはカスケードを認めていた。それなのに俺たちに気を使ってまで勉強するカスケードには壁を感じてしまった。
俺たちはいつでも互いを信頼していても、決して遠慮はしてはいけない。遠慮するくらいなら言えばいい。じゃなければいずれこのチームは崩壊する。俺たちはそういう仲だから惹きつけ合った。
ついでに言うと、俺は他者の怪我の治療はしたことはあったが、欠損の修復はまだしたことは無かった。生命に関わる臓器はどこで魂が抜けてしまうか分からないため、失敗しても良いカスケードの足で疑似的な実験をしてみたかったのも事実だった。
「まぁ、オメェは気にし過ぎなんだよ。俺たちは一度もカスケードの事をお荷物だなんて思ったことはねぇ。そう思うんならとっくに置いて行ってるよ。だからオメェはフォイちゃんのいない所で適当にタバコでも吸ってろ」
別に怒っているわけじゃない。ただ納得がいかないだけ。アズ様の聖刻を授かってから感情の起伏はかなり減ったのは自分でも分かっていた。だけど珍しく感情が昂ぶっていたためか、少し語調がきつくなっていた。
その俺にも良く分からん昂ぶりは、俺よりもカスケードの方が良く分かっているようだった。
「安心しろ大将。俺は一度も気にした事は無い。この足を治したいのは、大将たちにもっと良い物を見せるためだ。俺は大将が困る顔が好きなんだ。次は必ず良い顔をさせて見せるさ」
この言葉を聞くと、自然と気持ちが落ち着くのが分かった。そして、コイツは絶対ヤバい事を準備していると思うと、いつもの阿保だが頼りがいのある、兄のようなカスケードがそこにいた。
「そうなる前にカスケードが離脱している事を願うよ」
「そうか」
「んじゃ、俺はフォイちゃんの木を頼んでくる。カスケードとチンパンはバナナでも食ってろ」
「分かった。大将……」
「なんだよ?」
「……いや、何でもない」
カスケードは一瞬、『ありがとう』と伝えようと思ったのだろう。だけどそれは言わなくても伝わる。俺たちはそういう仲だから。
「そうか。んじゃ、行ってくる」
「あぁ」
この日、なんだか少しだけ“言葉”というものが理解できたような気がした。
ウリエル様の力は、カスケードの言う通り命を無機質な物には変化できても、石などを生命にはできません。それは魂という物が扱えないからです。逆にアズ神様の力は、その両方が可能です。ここが神と天使の大きな力の差です。
さらに、石を鉄に変えたり、鉄を金に変えたりするには知識よりも創造力が必要で、カスケードは砂を鉄に変化させたりはしていますが、正確には鉄っぽい物です。これはカスケード自身も気付いてはいません。そして、ピストルであったりライターであったり、物として変化させるには、これもカスケードの言う通りその構造を知らなければできません。
仮に新しい物を作るにしても、原理は法則に則って行わなければならず、エンジンを作っても知識が無ければそれっぽい物が出来るだけで動きません。
想像力と知識が必要となるため、ウリエル様の聖刻者はインテリが多いわけです。




