守銭奴
フィリアの割り込みにより、一時は生きた心地がしなかった戦いだが、何はともあれ勝利を手にした俺は、フィリアの元へと駆け寄った。
「お、おい! お前危ねぇだろ! 何考えてんだよ!」
マグマの竜による攻撃は、質量による地面の抉りだけではなく、その高温により地表を溶かしマグマのプールを作り出していた。
男を直撃していれば間違いなく跡形もなくなる程のエネルギーには正直驚いた。だが、それ以上に今は、そんな危険な状況で急に飛び出してきたフィリアに頭が来ており、第一声に怒りが出た。
そしたら、怒っているのは何故か俺だけではなかったようで、フィリアに近づくといきなりビンタされた。
「痛っ! いきなり何すんだよ!」
「それはこっちのセリフです! 何故この人の命まで奪おうとしたんですか!」
「えっ⁉ ……だってそいつ……敵じゃん?」
俺は多分間違っていない。今のは命がけの戦いだったから、多分間違っていない。
そう思っていたら、当たり前が当たり前で無くなっていた自分に気付かされる。
「リーパー。確かに私たちは聖刻を手に入れて聖人と呼ばれる存在になりました。ですが、人間であることまでは変わってはいないはずです」
「い、いや……そう言われてもなんとも言えん……」
マグマに飛び込んでも死なず、体が炭になっても死なない。そんな俺は最早人間とはとても言えない。しかしフィリアが伝えたいのはそういう意味ではなかった。
「リリアやヒーちゃんだって見ていたんですよ? 例えアズ神様の聖刻を手に入れても、リーパーはリーパーのはずです。もしリリアたちが目の前で人を殺したらどう思うんですか?」
それを聞いてハッとした。体が例え人でなくなっても俺は俺。心まで変わったわけじゃない。フィリアは姉として、人の心までは失うなと怒っていた。
この言葉は酷く胸に刺さった。
「す、すまん……」
「謝るのは私にじゃないはずです」
「そうだった……」
俺たち兄弟の暗黙のルール。それは、非を認めたならきちんと謝る。これはいつから始まったかなんて覚えていないが、俺たちにとっては当たり前となっていた。
そのルールに則り、俺は命を奪おうとした男に対して、謝罪することにした。
「すっ……申し訳ありませんでした。俺がやり過ぎでした」
命を奪おうとした相手に対しては、非常に軽い謝罪。だけどこのルールは、悪いことをしたらきちんと反省し、正しい生き方をするというのが根幹にあるため、例えこんな謝罪であったとしても、頭を下げて謝ったことでフィリアはそれ以上追及しなかった。
ただこれは俺たち兄弟のルールであったため、俺とフィリアは納得しても男にはチンプンカンプンだったようで、一瞬“何言っているんだこいつ?”みたいな顔をされた。
それでもやはり実力者。一瞬眉間にしわを寄せたが負けは認めているようで、元気が無い。
「フフフ……気にするな。負けは負けだ。殺せ」
先ほどまであんなに強気だった男は、もう気力もなくなってしまったのか、座り込んだまま小さな声で言う。それも俺よりも年上に見える男だけに余計に惨めに見え、フィリアの言う通り心底悪い事をしてしまったという気になった。
そんな男にフィリアが言う。
「立って下さい。貴方は決してリーパーに負けたわけではありません。貴方が負けたのはアズ神様の力です。人間である今の貴方が勝てる相手ではありません。そんな貴方には生殺の権利さえありませんよ?」
「…………」
とても厳しい言葉。本来なら戦う事さえ叶わぬ相手だと言わんばかりの言葉に、男は返す言葉も無かった。
だけどフィリアはそんな冷徹な人間ではない。
「貴方が何故そんな力を得たのかは知りませんが、本当に負けを認めるのなら先ずは聖刻を手に入れてからです。貴方ほどの実力があれば、そのような力に頼る必要は無いはずです」
フィリアは、男の実力も、その心も認めているらしい。だからズルをしないで聖刻を目指せと諭す。
「それに、まだ私との対戦が残っています」
この言葉に、男はようやく視線を上げた。
「ですから、倒れている彼を連れ、もう一度考えてみて下さい。あそこにいる彼らと再び歩くのか、それとも聖刻を手に入れ私たちに挑みに来るのか」
どういうやり取りがあったのかは分からない。だけどフィリアは相当この男に良い印象を持っているようで、再戦を要求した。
これに男は鼻で笑うと立ち上がり、暗い表情を消した。
「今の俺では話にならないという事か……良いだろう。力を付けたらまた挑んでやる。ただし、俺に聖刻は必要ない。この体、この力でお前を倒す」
男は拳を握り締め、力強く言う。それを見て、この男はズルをするために謎の紋章を手に入れたのではないのだと分かった。それを理解すると、フィリアが男を認める理由が何となく分かった。
さらに男はそう言うと、振り返り背中を見せ、最後にフィリアに『助かった。感謝する』と言い、きちんと既に倒された片割れを拾うと去った。
俺は今まで謎の紋章を持つ組織は悪い奴ばかりだと思っていた。だがそれは俺たちの命を狙うからそう思っていただけのようで、あの男を見ると意外と世の中は善と悪が沢山の意味を持っているのだなぁ~と思った。
ただ一つ、ウリエル様の聖刻者を置いて帰る男の行動には、やっぱり悪い奴なんだなぁ~とも思った。
まぁそのお陰で、俺たちは増々優位になれた。
「さて……どうするんだお前ら?」
男が去ったことで、ウリエル様の聖刻者とその師匠とやらには、もう勝ち目は無かった。そこでこちらから逃げやすいように言葉を掛けた。すると、こんな状況でも何か策でもあるのか、不敵にそして堂々とした態度を見せる。
「どうも致しませんよ。私たちはあくまでもそちらにいる加護者にお話があるだけです」
あまりに当たり前のようにまだリリアたちをスカウトしようとする言葉は、経緯を知らないだけに、逆に“えっ⁉ まだその話まだ終わってなかったの⁉”と驚いてしまい、ちゃんと話をした方が良いんじゃないのかと思った。
そんな部外者的立ち位置の俺が困惑していると、フィリアがちゃんと話をしてくれる。
「その話はもう終わったはずです。何度尋ねられてもリリアたちの答えはNOです」
ウリエル様の聖刻者はインテリが多いらしいが、もう終わっている話をさもまだ終わってないみたいに話す感じを見ていると、インテリというより詐欺師と呼んだ方が似合っている気がした。
危うく騙されるところだっただけに、キリアには悪いがそう思った。
それでも男はまだ諦めていないのか、食い下がる。
「それは貴女が言っているだけ。私たちはまだ条件を提示していません。その条件を聞いてもいないのに、勝手に彼女たちの権利を奪うのは理不尽というもの。そう思いませんか、ミカエル様の聖刻を持つ貴女?」
条件がどうとか、権利とかどうとか、話に筋は通っているようだが、あからさまなフィリアへの挑発は間違いだった。
おそらくウリエル様の聖刻者はかなり賢く、弁護士とか詐欺師並みに論争には強いのだろう。そしてフィリアを見て会話によって打ち負かせると思ったのだろう。しかしだ。フィリアは一見常識があり、理論強いインテリに見えるが非常に狂暴で、セールスマンキラーだ。
それを知らないウリエル様の聖刻者は、案の定餌食となる。
「条件? それは魔王の首を持ってくる以上の好条件なんですか? 私たちが今最も欲するのは魔王の首なんですよ? 貴方はそれ以上の物を持ってくることが出来るんですか? 今ここに」
始まった。フィリアはセールスマンとか携帯電話の勧誘とかが来ると、こうやって攻撃をする。これは相手の誠実さとかを見て、信用が置けるかどうかを確かめて買うとかそういうのじゃなく、ただ単に拒否。
フィリアはケチだから自分の財産を搾取されることを猛烈に嫌うため、この手の相手には獰猛になる。
フィリアのこの反応には、知的で会話が通じると思っていたウリエル様の聖刻者は閉口してしまった。
それでもフィリアは攻撃の手を休めない。
「どうしたんですか? 好条件があるんですよね? 早く提示してください。私たちは貴方が思うよりもずっと忙しいんです。私たちが一秒でどれほどの価値を生み出す存在か分かりますよね?」
遂に金の話まで出し始めたフィリアは、もうただのクレーマーモンスターだった。
これにはさすがにウリエル様の聖刻者も関わるのはマズいと思ったのか、態度を急変させる。
「貴女の言う事は分かります。突然押しかけた私たちが悪い事は謝罪致します。ご気分を悪くされたのでしたら誠に申し上げございません」
両手を前に出し、落ち着いてくれとジェスチャーを交えながら謝るウリエル様の聖刻者は、とても大人だった。
「私たちは争いに来たわけではありません。本日は私たちの無礼な振る舞いにより、大変不快な思いをさせてしまい勘違いさせてしまいました。本日は“挨拶”という形で終わらせて頂きます」
ウリエル様の聖刻者は、やはり賢い! どういう経緯でバトルになったのかは知らないが、この感じだと全部フィリアが仕掛けたと思っても仕方がない。それに、モンスター化したフィリアとはこれ以上関わらないという選択もまた賢い!
リリアたちを守ったから、一応今回の争いはフィリアの勝ちだが、完全にフィリアの負けだった。
それでも尚、いや、もうここまで惨敗したからこそ治まらないのか、フィリアはまだ噛み付く。
「挨拶という形? ですか? それは随分と都合が良すぎませんか? それに、私たちはもう二度と貴方達とは関わり合いたいとは思いません」
悲しすぎた。ここまで惨めになりながらも、何と戦っているのかは知らないが未だ戦う我が姉は、見ていて惨めだった。
そんなフィリアを更なる悲劇が襲う。
「それは大変厳しいお言葉です。こちらも深く受け止めておきます。そこで何ですが、こちらは些かながら私からの謝罪です」
そう言うとウリエル様の聖刻者は、足元にあったトランクケースを前に置いた。
「こちらには百万ドル入っています。ここに置いておきますので、私たちが去った後お取り下さい」
それを聞くとフィリアの表情が一瞬、わぉ! みたいに花が咲いたように明るくなった。それはほんの一瞬だったが、もはや人を超越した今の俺には強欲なドス黒い気配を感じるほどで、悲しきモンスターと化した姉に涙が止まらないほどだった。
「それでは私どもは退散させて頂きます。またお会いする日を楽しみにしています」
そう笑顔で言うと、ウリエル様の聖刻者とその師である爺さんは青白い光に包まれ始め、次の瞬間には光と共に姿を消していた。
おそらく今の瞬間移動は、師である爺さんが唱えた魔法のようで、聖刻の力だけじゃなくきちんとした実力も兼ね備えている二人は、かなり面倒な相手であることは確かだった。
だが一旦ではあるが、リリアとヒー、そしてクレアを守れたという事実はとても大きく、何だかんだ言って、改めてフィリアへの信頼は強まった。
ただ、やっぱり守銭奴的な性格はどこまでも守銭奴で、二人が去った後ファウナがトランクケースを『汚らわしい』と言い火口へ突き落とすと、まるでこの世の終わりみたいな表情を見せたのには、姉弟としてとても悲しかった。




