祠へ
不死鳥は、寿命が尽きるとき火山へと自ら飛び込み、そこで転生すると云われている。これは、アズ神様の聖刻を貰い受ける儀式がモデルになっているらしく、今正に俺は不死鳥の如くアズ神様の祠を目指し、火口を降りていた。
大きなカルデラの崖を添うようにある、幅一メートルほどの狭い悪路。立ち込める湯気により視界も悪く、手すりの無い足場を踏み外せば即遥か下方のマグマへとダイブする。
普通ならこんな道は金をいくら貰っても絶対に降りない。最初こそエヴァの挑発により勢いで踏み出した道だったが、アズ神様の力か聖刻の力なのか、下へ降りれば降りるほど心は落ち着き、今では恐怖心は一切なかった。
それどころか、心が洗われて行くようで、『行ってくる』の言葉も掛けられなかったリリアたちが心配していないか反省するくらいの余裕まであった。
「熱くないか?」
「大丈夫だ」
「そうか……」
後ろを付いてくるエヴァも口数が減り、時折気に掛けて声を掛ける。
「エヴァは大丈夫か?」
「あぁ。俺は大丈夫だ」
「そうか」
かなりマグマ付近まで降りてくると、立ち込める熱気は常軌を逸し、耐火に優れるキャメロットの制服や靴から白い煙が濛々と上る。それを見ると加護印のお陰で熱さを感じないが、既にここは生物が存在できるレベルの温度ではないことくらい容易に察しがつく。
そんな環境でも、いつもと変わらぬ返事をするエヴァに、改めてその凄さに感服した。
そしてそこからさらに下ると、いよいよ物質でさえ耐えられない熱さに達したようで、壁や足場が赤く染まり出し、次第に硬度を失っていった。それでもその環境に達しても俺たちには異常は起きず、特に苦労もせずにアズ神様の祠の入り口まで辿り着いた。
「どこにも異常は無いか、リーパー?」
「あぁ。大丈夫だ」
「そうか……」
返事をするとエヴァは、とても小さな声で分かったと頷いた。その姿からは何故か寂しさを感じた。
「どうしたエヴァ?」
「……いや」
エヴァが何を思ったのかは分からない。だけど俺がここに辿り着いたことが原因なのは何となく分かった。
そしてエヴァは、空を見上げた。それは本当に何気なくという感じで、それに釣られて俺も空を見上げた。
熱気や湯気のせいで空は良く見えない。だけど空の青さはここからでもはっきりと見え、カルデラの底から見上げる空は、不思議な美しさがあった。そしてもうどこから降りて来たのかは分からないが、あの空の淵のどこかでリリアたちが待っていると思うと、何とも言えない気持ちになった。
「準備は良いか、リーパー」
「あぁ」
「じゃあ行くか」
「あぁ」
空を見上げたのはほんの僅かな時間だった。それでも気持ちは清々しさに満たされ、もう後ろを振り返る必要はなくなり、迷うことなくアズ神様の祠へと歩み出すことが出来た。
祠へと続く道は細いトンネルとなっており、俺たちは一列になって進んだ。トンネル内も高温により真っ赤に染まり、ギリギリ形を保っているという感じに所々溶解している。だがそのお陰でとても明るく、熱さを感じない俺たちにとってはほとんど苦にならなかった。
そのトンネルもしばらく進むと、さらに高温になったのか赤からオレンジ、そこから黄色になり、最後には白に近い光となって行った。しかし不思議な物でトンネルはしっかりとした形を保ち、足元はしっかりしていた。
そんなトンネルを抜けると、いよいよ祠に到着したようで、広い洞窟に辿り着いた。そこは先ほどのトンネルとは違い、壁は一切熱を帯びておらず、奥にある大きな穴から差すマグマの光だけが灯りを保っていた。
そしてその穴の淵に、神官のようなローブを着た人物が立っていた。
「お久しぶりです」
人物の姿を見ると、エヴァは知り合いなのか礼儀正しい言葉を掛け、歩み寄った。
「ここへ来て以降、一人に幾度も出会うとは、これも数奇。しかしながら、これほどまで喜ばしいとは、やはり私も人の子」
ローブを着た人物は、エヴァが近づくと穏やかな表情を見せた。
「まぁこれも運命ってやつですよ。俺もまさか、生きてるうちにまたここに来るとは思ってませんでしたから」
「ここへ幾度も足を運ぶ者など、貴殿以外おらん」
二人は顔見知りのようで、久しぶりの再会に笑みを見せていた。
「それよりも……」
「あ、そうそう! ちょっと待ってて下さい」
久しぶりの再会に会話が盛り上がる二人。そんな中やっと本来の目的を思い出したようで、エヴァが紹介を始めた。
「この人は、もうどれくらい昔かも分からない昔に、アズ様の聖刻者になった人だ。名前はもう忘れたらしい」
「そ、そうなんだ……リーパー・アルバインです。よろしくお願いします」
あの人がアズ神様ではないことくらいは、はっきりと分かっていた。だからそれほど驚かなかった。
「魔王倒して英雄になった後この祠を管理していて、まぁ簡単に言うと、俺たちのずっと先輩にあたる人だ」
「そ、そうなんだ……」
確かにアズ神様の聖刻の力を極めれば、理論上は永遠の命を手に入れられるとは聞いていたが、この灼熱地獄みたいな祠で、それこそ何千、何万年前も知らないくらい遥か昔からここを管理しているとは、ほぼ神様と変わらない。
本来ならもっと怖れ慄くような存在なのだが、こんな事を言ってしまっては失礼かもしれないが、正直相当な変わり者だと思ってしまった。
「こっからどうすれば良いかは、この人が教えてくれる。後は……」
「その必要は無いよ、じいちゃん」
「え?」
「今なら分かるよ。エヴァがじいちゃんだって」
火口を降り出すと次第に気持ちが落ち着き、不思議な感覚がした。それはアズ神様の祠に入るとさらに強まり、今ではまるでこの世の全てが見えているような気さえしていた。その感覚が、はっきりとエヴァはじいちゃんがアズ神様の力で若返っているのだと気付かせた。
「いつから気付いてた?」
「いつからだろう……? 忘れた。でも、今は分かるよ、じいちゃんだって」
「そうか……」
ずっと俺が勘違いしていたのが悪い。それでもやっと気づいたことが嬉しいのか、じいちゃんは怒ることはなかった。
「ずっと信じないから、リーパーは俺の事、歯としか思わないのかと思ってた……」
それは御免じいちゃん! 俺ずっとじいちゃんが歯茎で煎餅とか固い物食べるから、その印象に騙されてた!
じいちゃんはとても悲しんでいた。こんなに悲しい顔は初めて見るくらいで、非常に後悔した。だけど今は感傷に浸っている場合ではないため、心を鬼にして歯の事はスルーする事にした。
「それより、俺もう行くわ。アズ様が待ってる」
この祠を照らすマグマの穴。そのさらに途方もない下。そこでアズ様は俺を待っている。
これは直感的な感覚などという曖昧な物ではなく、約束された絶対。
今の俺には、この先どうすれば良いのかなどの説明は不要だった。
穴の淵に立つと、そこからマグマまでの高さはここへ降りてくる以上あった。待ち構えるマグマも高温を通り越して太陽のような光を発し、マグマに辿り着く前に体が燃え尽きるだろう。しかし今はそれを見ても恐怖を感じなかった。
それどころか、行かなければいけないと突き動かされるほどで、新しい世界へ行くような清々しさすらあった。
そんな中、最後にふと、アルカナで行った演習を思い出した。すると、あの時熱湯ダイブで俺、エヴァ、マリアが飛び込んだ姿を思い出し、何故だかとても良い思い出だったと笑みが零れた。
今思っても、とても大人が真剣に考えたとは思えない試験。意外と人間はどんなに優秀になっても馬鹿なのだろう。何とも下らない人生だった。
「んじゃ、行ってくるわ。じいちゃん、戻ったらリリアたちに『ごめん』って伝えて。『最後くらいきちんと話出来なくて』って」
「分かった」
本当に大切な時に限って急ぎ足だった人生。じいちゃんとの別れも惜しむ気にさえならなかった。
それはじいちゃんも同じようで、やはり経験者。最後に俺の背中に手を押し当て『行ってこい』と力強い活を入れてくれた。
それがとても心地良く、餞別としては最高だった。
「んじゃ、行ってくる」
俺は、マグマに飛び込んだ。




