フォール
放課後の教室で、楓がうなだれている。
テスト用紙を落下させた⋯⋯のではなく、赤点を取ってしまった。
よりによって後期中間テストである。一科目、自信のなかった英語が、あと一問というところで赤点になってしまった。
楓の通う高校では、六十点未満が赤点となり、補習を受けなければならないのだ。
小島 楓と書いた氏名の横、赤ペンで書いた五十九点。その下に『close!』と書き添えてある。
「補習やだー!」
思わず呟く。
誰もいない教室で。
なにが悲しいか、英語で赤点を取ったのが、楓ひとりなのである。
窓の外では陸上部が、ロードワークで校門から出ていったところだ。本来なら、部員である楓も今頃走っているはずだった。
秋風を切って走りたい。乾いた落ち葉を踏みしめて、カサカサと鳴らしたい⋯⋯そんな妄想が広がる。
だが、現実は無情に訪れる。
「俺だってやだよ」
教室の入り口で、教師の松前が立っていた。
英語の教科担任で、陸上部の顧問。若く、飾り気がなく、おまけにイケメンなので、生徒からえらく人気がある教師だ。
友人に英語の補習を知られたとき、うらやましいとからかわれた程だ。
だが、松前の授業は、厳しいことで有名だ。厳しすぎて、皆、補習恐ろしさに必死に勉強したのだ。イケメンと一緒に過ごせるからとて、厳しい補習を受けたいと夢見る者はいなかった。
楓とて必死に勉強した口だ。だが、努力はあと一歩で実らなかった。
「はい、いやーな補習を始めます」
松前はつんと言い放つ。
楓は、自身の顔がさっと青褪めるのを感じた。独り言のはずが、聞かれてしまった以上、取り返しがつかない。誰でもいいから道連れが欲しかったのは言うまでもない。
松前は授業用のタブレットを操作している。楓は沈鬱な面持ちで教科書を開いた。
ところが、
「あぁ、いい。教科書仕舞え」
松前がそう制したかと思うと、黒板の上からスクリーンを引き下ろした。天井のプロジェクターからなにかが投影されている。西陽のおかげで見えないでいたが、松前がカーテンを閉めると、見たことのある映像が現れた。
アニメだ。楓もよく知る、世界的に有名なネズミが出る番組だ。
ただひとつ記憶と異なるのは、音声が英語で、日本語字幕付きだということ。
「先生、これは⋯⋯?」
戸惑う楓に、松前は答える。スクリーンがよく見える席に腰掛けながら。
「小島さんが落としてるの、ほとんどリスニングなんだよ。耳が英語に慣れてないんだろうなって」
「でも、なんでこの番組?」
「それはほら」
松前は振り向いて、楓のペンケースを指さした。
そのファスナーについたキーホルダーは、件のネズミである。
「筆箱についてるから、好きなんだろうなって」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
見られていた。
頬がふわりと熱くなる。顔を見られたくなくて、慌ててスクリーンに向き直った。
「⋯⋯好きですよ」
テストを落とした。
その上、落ちてしまった。
恋に。
2020/09/28
小島さんと松前先生、地名から名付けています。