プロローグ:始まりの怪談
本編に入る前の、前日譚のような話です。次回からこのお話の本編に入ります。拙い文章ですがよかったら読んでみてください。
「安心こそ人間に最も近い敵とはシェイクスピアの言葉だったかな?この話の結末なんてまさにその通りじゃないか。歴史に名を遺す偉人は、残す言葉もすばらしいものだね。」
気が付けばテーブルを挟んで知らない女性と相対していた。テーブルの上にはコーヒーカップが二つ、一つは完全に冷めたコーヒーがたっぷりと残っていた。もう一つは恐らく何かを話し終えたであろう女性が持ち上げ、今飲み干された。
周りを見渡す。ここは喫茶店のようだが、奇妙なことに人が全くいない。客が自分と見知らぬ女性の二人だけなのも変だが、店員らしき人の姿がないこともおかしい。窓の外を見ると、真っ暗な中激しい雨風が窓ガラスに叩きつけられており、かなりの悪天候だった。
「どうした、そんなにきょろきょろとして。何か大切な用事でも思い出したのかな。」
彼女は不思議そうにこちらの顔を覗き込んでいる。とても綺麗な女の人だ。顔は小さくどこか幼さを残し、髪の毛は金色だったがやんちゃな印象はなく清楚な雰囲気を感じられた。
ぼんやりとした頭は、彼女の名前も私とどんな関係なのかも思い出してはくれない。
「すみません、ちょっと眠ってしまったようで所々聞いてませんでした。最初からお願いできますか。」
自然とそんな言葉がこぼれ出た。
考えてみれば話を聞いていなかったやつが、繰り返し同じ話を相手にさせるのはとても失礼なことではないか。もし、この名も知れない誰かが自分より立場が上の人間だったら。
しかしそんな心配は杞憂に終わる。
「あぁいいともさ。時間はたっぷりあるからね。」
そう言って女性は軽く微笑んだ。彼女と私はなかなか良好な関係にあるらしかった。いまだに頭はぼんやりとしているが、相対している彼女はいい人なのだと直感で理解できた。それではと、彼女は空のカップを皿の上に置き、落ち着いた様子で話し始めた。
「これは今日と同じく、ひどい雨の夜の話なんだがね。」
彼女の優しい口調とは反対に、外の悪天候はさらに激しさを増していった。
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彼がはっと目を覚ますと、教室の中は真っ暗だった。窓には激しく雨が打ち付けられ、けたたましく音を立てていた。今何時だろうか。黒板の上にかけてある時計を見る。
「うわ、もう七時過ぎじゃん・・・。」
思わず独り言が漏れた。寝過ごすにも限度があるだろうと自分に呆れもしたが、それ以上にこんな時間まで自分を起こしてくれなかった、自分の友達や教師に対する憤りのほうが大きかった。
「明日会ったらなんか奢らせよう。」
彼は自分を陥れた学友への小さな復讐心を呟くと、荷物をカバンにまとめ教室から出て行った。
下駄箱にて靴を履き、扉を開けようとして気づく。振り返り下駄箱横にある傘立てを見るも、そこには一本も傘はささっていなかった。彼は自らの交友関係を呪った。この豪雨の中他人の傘を盗るのは重罪だろう、ふざけるな犯罪者め、と。
ふと、彼は気づく。他クラスの傘立てには何本か置き傘が刺さっていた。しめたとばかりに一本抜き取り開いてみる。が、どれも骨組みが折れていたりさび付いて動かなくなっていたりと、使えるような傘は見つからなかった。
やはりダメかと諦めていると、一本だけ新品同様の傘があった。明らかに女物の淡い青色の傘だ。まぁ、この時間でこの雨の中だ。町の連中は誰も気づきやしないだろう。多少の罪悪感はあれど、早く帰りたいという欲求が勝り、彼は青い傘に手を伸ばした。
「それ、私の傘。」
「うぉぉっ!?」
突然聞こえてきた声に驚き変な声が出た。声の方向を向くとそこには可愛らしい黒髪の女生徒が立っていた。発言から察するに傘の持ち主である。そして今まさに置き引きしようとしている姿を見られてしまったのだ。彼はすぐに傘を戻し、頭を深々とさげ・・・
「傘、ないなら一緒に入れてあげようか。」
謝罪する前にそんな提案を持ち掛けられた彼はポカンとしていた。てっきり怪しまれるか罵倒されることを予測していた彼にとって、これは予想外の誘いだったのだ。
「い、いいのか?入れてもらっても・・・。」
「いいよ、途中までなら。一緒にいこう。」
「助かったよ、友達に傘置き引きされちゃってさ。いや別に俺も他の人から盗もうなんて思ってなかったけどさ。」そんな言い訳をしようと思ったが、とっさに彼は口をつぐんだ。彼女の口調は優しいものだったが、こちらに向けらえた視線はとても冷たいものだった。
「・・・ありがとう。」
軽薄な言い訳はせず、お礼だけして傘に入れてもらうことにした。彼女の視線は恐ろしいが、それ以上に彼女の提案を断ってしまうほうが恐ろしかった。提案を断り、あの視線を向けられることが怖かった。ただ冷ややかなだけではない「何か」が彼女の眼球にあったような、そんな気がした。
さっきまでと比べると雨はだいぶ落ち着いてきたが、まだ傘なしで帰るには激しすぎた。そんな悪天候の中、夜道を二人の少年少女が同じ傘の中を歩いている。しかし、二人の間に会話は全くなかった。激しい雨音だけが二人の間の静寂を満たし続けている。
「ねぇ、あなた知っている?」
その静寂を破ったのは女生徒のほうだった。彼は黙して彼女の話を聞いていた。
「悲しいことや不幸なことが起きると、皆口々にこんなことは二度と起こらないで欲しいというけれど。でも、悲劇は物語をさらに面白くするの。登場人物に襲い掛かる悲劇、そんな悲劇に立ち向かうことで勇気をもらえる。そんな悲劇から救い出されることで感動し涙を流す。ね?悲劇って面白い。まるで料理で使う香辛料みたい。」
突拍子もない話題に彼はただ唖然としていた。横を歩く彼女はこちらに顔を向けることなく、表情も変えることなく、変わらず落ち着いた口調で話を続けた。
「でも私気づいたの。悲劇は他人事だから面白いのだと。登場人物にとってはたまったものじゃない。そのうえ乗り越えられなかった悲劇なんてただの駄作。そこに感動なんてない、けど結果は結果。それでおしまい。あぁ、なんてつまらない、つまらないつまらないツマラナイ。」
いつの間にか歩みは止まっていた。今まで落ち着いて話していた彼女の様子が少しずつおかしくなっている。彼の女生徒に対する恐怖感は肥大化していく。しかし彼は動けずにいた。傘の柄を持ったまま全身が硬直している。彼女はかまわず話を続ける。
「人生にも悲劇があったほうが彩りが出るのかな。運の女神に見放され最低の境遇に落ちれば後に残るのは希望だけ、なんていうのは誰の言葉だったっけ。ねぇ、あなた、知っている?くふふふ・・・あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」
彼は答えない、いや答えられなかった。心臓はバクバクと脈打ち、冷汗が止まらず全身が濡れていた。とても嫌な予感がする。早く逃げださなければならない。
彼の胸倉を白く華奢な手が掴む。女生徒の首がぐにゃりと曲がり、不気味で虚ろな目がこちらを向いていた。焦点が合っていないが、その目は確かに彼を捉えて離さなかった。
「ねえねねねねえええ、あなた知っている?この町にままああっま街に、精神病棟の患者が抜け出してきたんだっててて。どこどここここにこどこにるんだだだろうねいるんだろうねダロウネエネネネネねえねねえねえエネねえねえねねえねえねえ」
「会ったら、悲劇だよねぇ。」
走る、ただ走っている。どこに向かっているかもわかっていないがとにかく。とにかく離れたかった。あの恐怖から逃げたかった。急いで、一刻も早く。
「あっ・・・!」
足がもつれて地に倒れこむ。カバンは宙を舞い、身体は水たまりに突っ込み大きくしぶきを上げる。痛い、全身が痛い。息が切れ起き上がる気力もなく伏していると、ガヤガヤと声が聞こえてきた。見上げるとそこは学校だった。校門の前にパトカーが止まり、自分を囲むようにして野次馬が集まっている。野次馬集団をかき分け、若い女と中年男の二人組の警官がこちらに駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか?」と男警官が声をかけてくる。婦警のほうは彼が放り投げたカバンを拾ってくれている。この人たちはあの女を捕まえに来たのだ。言わなくては。今起きたことを。
「----さん、ちょっと。」
婦警のほうが男警官を呼び、何かをひそひそと話している。次第に彼を見る二人の目の様子が変わっていくのが分かった。再び彼のもとにやってくると、男の警官は彼に告げた。
「君を殺人の容疑で逮捕する。君は病院を出るべきじゃなかった、こんなことになって残念だ。」
「・・・は?」
殺人?病院?何を言ってるんだ、この人は。俺はこの学校の生徒だ、病院の患者じゃない。
「ち、ちが、違う違う!僕はこの学校の・・・」
「学校の?なんだっていうんだ。その恰好は病院の患者衣そのままじゃないか。それに、」
「その血はなんだ。」
見下ろすと、ど真ん中に大きな血痕が残った淡い青色の患者衣が目に映った。その青色はまるで、あの女の傘のような・・女・・・・・、あれ・・・。じゃあ、今までのは。
今までなんてなかった。学校に通ってなどいなかった。起こしてくれる「誰か」などいなかった。上履きなんてなかった。だから履き替える必要なんてなかった。自分の傘なんてなかった。だから帰れなかった。だから、だから、だから。全部妄想だった。
じゃあ、あのかばんはだれのものだっけ。
なにがはいっているんだっけ。
だれがぼくをみつめていたんだっけ。
「アァ・・・」
りかいした。
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「鞄の中身は女性の頭部が入っていた。学校の校舎の中には淡い青色の傘と、首を切断された女生徒の遺体があったそうだ。不思議なことに、現場は屋内のはずなのに傘と遺体はびっしょり水に濡れていたらしいよ。」
ひとしきり話を終えた彼女は、ふぅと息をついた。カウンターのほうへ向き、コーヒーのおかわりを注文した。今までどこにいたのか、厨房の奥からひょっこり顔を出したおじさんがコーヒーの準備を始めた。そして、彼女は再びこちらに向き直ると私との話を再開する。
「やっぱり怪談はこうでなくっちゃなぁ。安心させ切ったところに恐怖を放り込んでやるのはまさに王道と言っていい手法だろう。安心は人に油断を生むからね。だから、最も近い敵なのさ。」
なるほど、これで話題が冒頭に戻った。経緯や関係性は今も全くつかめないが、私はこの女性から怪談を聞いていたのか。
「そうですね、安全な場所が安全でないと分かった時の絶望感は半端ないと思いますよ。のっぺらぼうの話みたいなのがいい例ですよね。」
私は素直に感想を述べた。ありきたりで展開の読めそうな話ではあったが、聞いている個人としてはなかなか怖かった。唯一、この話で足りないなと思うところと言えば・・・。
「しいて言うならこの話、悲劇で終わってますね。」
ぴたり、と場の空気が止まる。活き活きと怪談を語っていた彼女は表情を変えることなくこちらを見ている。私は話を続けた。
「もっと面白くするなら、悲劇を乗り越えないと。だってそうじゃないとツマラナイじゃナいデスか。」
足りない。
「警察に捕まるンじゃなくて、首をねじ切らレルとかのほうがおもしろいですよソの話。」
足りない。足りない。
「いっそ四肢を奪ってからアタマを潰しちゃウとか刺激的で面白いですよネ!女の子がソイツをぶっコロして皮をハグのも面白そうデす!」
足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない。足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない。
目の前の異形を、壊れてしまった少女を見据え、金髪の女性は呟く。
「・・・・・やっぱり満足してなかったか。自分がそうした後だってことも忘れてしまったんだね。」
そう言うと彼女は席を立ち、イスの下から何かを拾い上げる。照明の光を反射してその何かはギラリと光った。その輝きには見覚えがあった。私がいつか見た「終わり」。
「ごめんね、あなたはもう取り返しがつかない。私はあなたを救う方法をこれしか知らない。こんな荒療治でごめんなさい。」
待って、まだ話したい。まだ話足りない。まだやり返し足りない。
まだ生き足りない。
足りなかったのに、な。
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「ねぇ早乙女さん、もうお店でこういうことするのやめてくんない?」
喫茶店の男店員が金髪の女性につらそうな様子で訴える。
早乙女と呼ばれた女性はそんな店員の訴えを聞き流し、コーヒーをたしなんでいた。
店員は深くため息をつき、モップで店の床を掃除する。床は水がぶちまけられたようにびしょびしょに濡れていた。一度カップを置くと彼女はこう答える。
「適当な場所が見つからなかったんだ。ただでさえ君は怖がりなんだから、出やすいこの街で一人は危険だ。頭のおかしな連中が来たら守ってあげるし、毎度お店を使わせてもらう度お金も払っているだろう。」
「コーヒー代以外もらったことないけど?」
「いや、ケーキ代も出している。チーズケーキはうまいが他のメニューはイマイチだ。次来る時までに頑張ってくれ本当に。」
彼はまた深いため息をつき、おとなしく皿洗いを始めた。今現在コーヒーを飲んでいる彼女が、先ほど平らげたケーキの跡片付けである。
「”幽霊の街”か、とんでもないところに来ちゃったなぁ。」
ふと、店員は早乙女のほうに目をやる。彼女は座ったまま残りのコーヒーに手を付けようとしない。
「ねぇ、コーヒー冷めちゃうけど、いらないの?」
気になった彼は問いかける。彼女はいまだに収まる様子を見せない外の悪天候を見据えながら、いつものように落ち着いてこう答えた。
「いや、むしろもう一杯追加だ。残りは彼と楽しむことになりそうだ。」
バンっっ!!!
突然店のドアが勢いよく開く。強い雨風とともに店内に入ってきたその人は、赤黒い何かが染みついた「淡い青色の患者衣」を着ていた。
そして、その首から上はねじ切れていたという。